【R18】水声の小夜曲

日蔭 スミレ

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第三章 接近

3-5.薔薇の迷宮

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  昼頃──イルゼはミヒャエルと共に城の庭園を歩んでいた。
 城に来たばかりの頃〝庭が綺麗〟とは手紙の中で知っていたが、実際外に出るのは今日が初めてだった。昨晩の寝不足もどこにやら。圧巻の薔薇園にイルゼは釘付けになっていた。 
 庭園は緩やかな傾斜に沿って広がっている。その底辺では大きな噴水がじゃぶじゃぶと飛沫をあげており、その奥には見事な蔓薔薇のアーチが迷宮のように広がっていた。
 赤や黄色、白に薄紅……と多種多様の薔薇が栽培されており、初夏の生暖かな空気に華やかな香りがふんわりと充満している。また、花は薔薇以外にもラベンダーやセージをはじめとするハーブの他、日陰にはジギタリスやブルーサルビアなど初夏を彩る麗しい花が所狭しと植えられていた。
 この庭園は、丁度自分の部屋と正反対。城の窓から見えない場所に位置するので、その全貌など知らなかったが、これは確かに素晴らしい。イルゼはミヒャエルの隣を歩みつつ、感嘆としたため息を漏らすと、彼はぴたりと立ち止まりイルゼに目をやった。

「花とか興味無い?」

「そうじゃなくて……凄いなって思っただけで……。こんなに素敵なお庭初めてで、驚いて上手く言葉に出来ません!」

 やや興奮気味だった。イルゼは目を爛々と輝かせて思ったままを言えば、彼はククと喉を鳴らして笑む。

「一ヶ月でここまで感情が豊かになったイルゼの方に俺は十倍は驚いたわぁ」

 おどけた調子で言われて、イルゼは真っ赤になってしまう。確かに興奮しすぎただろう。自分らしくないと言えばそうかもしれない。だが、凄いものは凄いのだ。

「……だって」

 ふて腐れるように言うと、彼に軽く背中を叩かれた。

「いやぁー冗談だってば。だけどさぁ。すげー黙りで人形みてーだろうと、そうやって表情コロコロ変えたってどっちにしろ、ローレライでイルゼに違いねーだろ? 気にしちゃダメ。俺くらいになれとは言わねーけど、思った事もっと言えばいいと思うよぉ?」

 本当にさぁ、遠慮しすぎ。と、続けて言われてしまいイルゼは返す言葉も見当たらず口を噤んだ。

 ……どうであってもローレライでイルゼに違いない。

 その言葉がジンと胸の奥を熱くさせる。やがてそれがこそばゆくなりはじめて、真っ赤になったイルゼは俯いてしまった。

 これでは本当に彼を好きになってしまっているのではないだろうか。こうも自分を肯定し、ありのままを受け入れてくれるなど普通だったらありえない。否、彼は変人なので、自分の暗い性質など微塵も気にしていないのかもしれないが……。
 部屋に迎えに来た時から、なるべく意識しないようにしていたが、やはり昨晩の夢の内容が頭をチラついて離れない。「本読んだ?」と、気さくな調子でかれて一応頷きやしたが、やはりあの夢を思い返してしまい、上手い返事や感想なんて返せなかった。だが、それ以上に何も言われなかった事も幸いだっただろう。
 さて、いい加減に平常心を取り戻そう……。と。思った矢先に、ミヒャエルは不思議そうに首を傾げてイルゼの顔を覗き込む。

「ひゃ……」

 あまりに至近距離だったので本当に吃驚してしまった。随分間抜けた声が出てしまい、恥じたイルゼは口元を手で覆う。もう直ぐそこ目と鼻の先に彼の端正な面があって、居心地悪さにイルゼは目を泳がせた。

「なーんか、やっぱイルゼって反応が可愛いねー。お義兄にいさんいるんだし、男の顔間近で見るくらい慣れてるでしょ」

「……いつも突然じゃないですか。これじゃあ誰だって驚きます。だって……結構、突飛もないですよね」

「まー突飛も無いってゆーの、よく言われるけどもさー」

 ヘラっと笑って、そこで彼はようやくイルゼから顔を離した。
 心臓が止まるかと思った。本当にそのくらいに吃驚したのだ。それなのに、彼は涼しそうな顔をしている事にほんの少しだけ腹立たしく思えてしまった。
 先を歩み始めた彼の背中をジト……と睨んでイルゼは小さな吐息をつく。

 二歳だか三歳程年上らしいが、これが年上の余裕というものだろうか。否、影武者ファルシユであろうと本物の貴族に成りきっているからこそ成り立つものか。違う、それか性格か……。
 考えたところで分からないが、どうしてこんなに感情が動くのかイルゼは不審に思った。

 父の事件の後から、大抵の事に動じやしなかったのに、どうしてこうなったのか。この一ヶ月で本当に、自分はどうなってしまったのか。知らぬ間に魔法でもかけられたのだろうか。イルゼは戸惑いつつも彼を追ってトボトボと歩み始めた。
 しかし薔薇園景観を眺めていれば、疑念だらけの思考は徐々に薄れていった。導かれた場所は噴水の向こうに広がる白い蔓薔薇で出来たアーチだった。
 それも何フィートにも渡って続いており、枝分かれするように道が分かれて存外長い。本当に迷宮のようだ。上を見上げれば葉の隙間から淡い陽光が溢れており、甘やかで可憐な芳香が鼻腔いっぱいに突き抜ける。まるで、コロンの中にでも飛び込んだような気分になってしまった。
 しかし、本当にどこまで続くのだろう。上から見たところそこまで広くも無かったと思うが……クネクネと右折と左折を何度も繰り返すので、絶対に来た道が分からなくなりそうだった。
「随分と長いですね」少しばかり不安に思い、思ったままを言えば「でしょー」なんて、彼は笑い混じりに答えた。

「この城、割と近代的な造りだけど、それでも二世紀くらい昔のもんなんだよねぇ。ツヴァルクがまだ一国だった頃のお后様が、薔薇が好きで迷宮を作って欲しいだとか庭師に無茶苦茶を言ったらしーんだよ? まぁ当たり前だけど当時の薔薇なんかもう無いけどさぁ。前代の領主……まぁ俺の親父がこの庭を再現しただとかってさぁ」

 本当ろくな事に金かけねー。なんて、反吐でも吐き出すように言って彼は、苦笑いを溢しつつ続けた。

「だけど、俺も花は嫌いじゃないんだよね。こうも立派だと壊すに壊せねぇし、植物とはいえ命があるからねぇ。枯らすのは惨い。だから存続させてるし、庭師を雇って管理をさせてる。どーせなら、いつか一般開放して領地の奴らに見て貰いてーとは思うけどなぁ」

 ……庭を一般開放。変人と呼ばれた彼の口から出るような言葉で無いと思えてしまった。存外領地の人の事を考えているのだろうか。イルゼは呆気に取られてしまうが、直ぐにミヒャエルは振り返ってイルゼを一瞥した。

「なんだよ、その意外な言葉みてーな顔。俺、後ろに目が付いてるから分かるんだよ?」

 キヒヒ。と、口角を吊り上げて意地悪く彼は笑う。そんな訳ないだろう。恐らく人の視線に敏感なだけだろう。しかし、後ろに目が付いている。なんて、どこか懐かしい言葉のように思えてしまう。

「私、後ろに目が着いてるからそのくらい分かるわよ?」

 ……あぁ、母か。と、ふと思い出し、イルゼは穏やかな気持ちになって、固く結んだ唇を僅かに綻ばせた。

「……別にそんな事はないですけど。だけど一般開放されてこの庭園を見たら喜ぶ方がきっと沢山居そうですね」

「だよな? じゃあそれは将来的に視野にいれておこーっと」

 軽い調子で彼がそう言って間もなく、蔓薔薇に囲われた東屋に突き当たった。
 真っ白な砂岩で出来ており、漆喰装飾を施して妖精のレリーフが至る場所に掘られているなど、こちらもなかなかに立派な佇まいだった。それでもかなり年季が入っているのだろう。彫刻の溝に苔が蒸しているので、これも相当古いものと分かる。

「少しここで待ってよう。昼食、運んでくれるって言ってたし。多分そのうち来るんじゃねーの?」

 この場所に来るまで城から距離もなかなかある。ここまで運ぶのか……。

「流石に、それ……使用人の方達に」

 ……悪いのではないか。と言わんとする前に、彼は首を横に振るう。

「いや。考えてみな。ここ、緩い傾斜だけだし。あの欠陥建築の階段に比べりゃね」

 確かに言われてみればそうだ。イルゼは納得して間もなく──アーチの向こうから人の足音が二つ聞こえてきた。
 食事を運んできたのは、ヘルゲとザシャの二人だった。彼らはテキパキと給仕しつつもミヒャエルに小言を垂れ、用意が終われば「食器は勝手に片すからそのままで良い」とだけ言い残して颯爽と去って行く。

 そうして、二人は食事を取った後、食休みをしつつ特に会話も交わす事無く、ぼんやりとしていた。その所為もあっただろう。腹も膨れて、段々とイルゼは眠たくなってきてしまった。口に手を当てて思わず欠伸を漏らしてしまうと、正面に座した彼はクスクスと笑みを溢す。

「迎えに行った時から思ったけどさぁ……イルゼ寝不足じゃない?」

 クマ出来てる。と、指摘されイルゼは重くなり始めた瞼を擦って、戸惑いつつも頷いた。

「……っていうか、夜中。なんか魘されてたみたいだから、ちょっとだけ様子見に行ったんだけど、寝苦しそうだったし」

 夢の中で彼のコロンの匂いがしたが、そういう事だったのか。と、妙に納得してしまった。しかし、魘されていたとは……。あられもない声でも上げていなかったかと危惧してしまう。しかし、彼は別に嗜虐的な面も浮かべておらず至って真顔だったので、大丈夫だったのだろうと安堵した。
 この性格だ、きっとバレてしまえば存分に弄るのではないのかと容易く想像出来る。

「借りた本、面白かったので夜更かししちゃって……」

「あーそれ、俺もよくやる。新しい本を買うとつい夢中で読んじゃうねー。まぁ趣味にあったなら良かったわ」
 趣味にあったかどうかと言えば定かで無いが、楽しかったのは事実だ。頷くと彼は嬉しそうに唇を綻ばせた。

「どれ読んだの?」

「えっと、二冊ほど。伝記と……」

 身分差の恋愛物語。と戸惑いつつ言えば、彼は大きく頷いた。しかし、やはり夢を思い出してしまい恥ずかしい。なるべく意識をしないように彼から視線を逸らしてイルゼは重くなり始めた瞼を擦る。その様子に見かねたのか、彼はヘラリ笑った。

「んー? そんなに眠いなら昼寝する? 飯食った後だし、俺も眠たくなってきたわ」

 そう言って彼はイルゼに立つように促した。
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