【R18】水声の小夜曲

日蔭 スミレ

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第二章 療養

2-4.明かされる事実

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 宣言通り、食事を終えた頃合いに同じ顔をした使用人達がお茶を運びに来た。茶菓子とお茶を汲み終えると彼らは早々に退席する。足音が消えた事を見計らったかのように、ミヒャエルはピタリと閉ざしていた薄い唇を戸惑い気味に開いた。

「……それで、手紙にも書いた本題なんだけどもさぁ。君、見たんだよね」

 見たとは恐らく背中の傷の事だ。おずおずと頷けば、彼は澱を吐き出すような深い息をついて、イルゼをジッと見据えた。

「……流石に飯前なのに、気持ち悪かったよね。ごめんね、部屋が隣だって言うの忘れてて、しかし……まさか見られると思わなかったんだよね」

 手紙と同じ事を言われてイルゼが首を横に振ると「無理しないでいーよ」なんて彼はヘラリと笑った。

「なんとなくだけど、君になら話したって良い気がしたから、ちょっと話させてね? あれね。子供の頃に前の領主……実の父親に摂関された痕なんだわ」

 随分と重苦しい事を彼はサラリと言う。それもどこか無邪気な笑みまで向けられるので、イルゼは息が詰まってしまった。

「なんで、そんな事を……私に。私が知って良い事なんですか」

「だってさぁー前も言ったけど、君ってあのお義兄にいさん以外に関わりある人なんて居ないでしょ? 絶対に言わなそうだもん」

 彼は悪戯好きな子供のように唇の端を吊り上げて頬杖をつく。

「そもそもねぇ。俺、影武者ファルシユなんだ。勿論、あの前の領主……親父の子供だよ? 愛人の子供だけどね。本物のミヒャエルはとっくの昔に死んでるよ。確か十四歳くらいだったかなぁ。ミヒャエル、すんげぇ病弱だったんだよね……。まぁ影武者ファルシユっていうくらいだし、俺、本当にあいつによく似てるんだよねぇ」

 さらさらと彼は語るが、イルゼは黙ったままだった。もはや、何と答えたら良いかも分からない。しかし、愛人の子だとしてもそのような虐待を受ける事が信じられなかった。
 しかし、どうしてそんな酷い事をすのだろう。自然と眉間に皺が寄ってしまったのだろうか。彼が「すんごい気難しい顔してるー」なんて間伸びた声で言うものだから、イルゼは眉間を揉んだ。

「ここの使用人達はそれを……」

「ん。使用人はヘルゲとザシャしか知らないねぇ……。多分、メラニーも知ってんじゃない? 他はどうだか。暇を出した古い使用人は数人を除いて知らなかったねぇ。まぁ、俺……本当の名前さえ覚えてないから、ミヒャエルって名乗る他無いんだよねぇ」

 だから畏まらなくたって良いし、少しは気を抜きな。と、付け添えて、彼はカップに口をつける。

「どうしてそんな酷い事を。愛人の息子だって、息子に違わないのに。本当の親子に違わないのに……」

 思わず言葉に出してしまい、イルゼは慌てて口を噤む。
 畏まるなと言うが、自分の思った事をそのまま口走ったのが気恥ずかしかった。それにあまりに繊細な問題だ。いくら彼が容認しようが、言葉にして良い筈がない。慌てて謝罪しようとするが、彼はカップを置いて唇を綻ばせた。

「愛人……っていうか、親父お気に入りの娼婦の息子だからねぇ。まぁ原因は容姿だよ。俺とあいつは母親が違う癖に本当にそっくり。だけど、同じ黒髪でも少し違うんだよね。でも全く違うのは目の色。親父はそれが気に食わなかったみたいでさぁ」

 目の色といえば、先日不可解な事象を見たばかりだ。今の彼の目は空色だが……あの時は、一瞬にして彩度を失って銀鼠ぎんねずと化した。イルゼは僅かに眉を寄せて彼の面を射貫く。

「そっくりなのに、それだけでだけで……ですか?」

「だーかーらー、そういう丁寧な喋り方しなくていいって」

 やれやれといった口ぶりで言われて、イルゼが仕方なしに頷くと、満足したのか彼は再び話を切り出した。

「〝シュロイエの残党〟って言って分かるかなぁ。主に目の色が最大の特徴だからねぇ」

 全く聞き覚えも無い言葉だ。イルゼが首を振ると「とにかく、いまいましいの。その特徴をよく残してるの」と彼は随分と端折って教えてくれた。

 すると彼は瞼を伏せ「驚かないでね」と前置きを入れる。そして緩やかに開くと、空色の瞳は穏やかに彩度を失い、星の光によく似た冷ややかな色彩へと変わり果てる。見たのはこれで二度目だ。イルゼが息を飲むと彼は口角を綻ばせてクスリと笑む。

「こっちが本当の色。って言われてるらしーよ。これ、呪術を授かって色付けてるの」

「災いの瞳、呪術……」

 イルゼが二つの言葉を復唱すると、彼は深く頷き「そう」と短く答えた。

「つまり、呪いでミヒャエルと同じ目の色にしてるの。北端の領地の魔女に頼んだんだよ。念じるだけで目の色が変わるって優れものなんだけどさぁ、長い時間この目のままでいると疲労するんだよね。呪術って対価を必要にするけど……まぁ体力を対価にしてるわけ」

 ざっくり説明されたが、イルゼはやはり驚嘆を隠せず口を開けていた。

 この国には、魔道士や魔女といった神秘の力を持つ存在がいるとは知っているが……実際見た事も無いので、童話の中だけの事のように思っていた。こんな非現実的な事象を見たのは初めてだ。しかし、対価を必要としていると……。それが体力というのも掘り下げる程に恐ろしい。体力という事は、続ければ身体が弱り始めるように思えてしまう。

「まぁ、外行きの目で君には会ったからねぇ。いきなり目の色を変えたらびっくりされるだろうなぁ……とは、思ってたもんで。この件だけは直ぐに明かせて良かったかも。災いの瞳だとか言われるけど、別に、本当に何か悪い事が起きる訳じゃないから安心して」

 息をついて彼は再びカップに口をつける。片やイルゼは戸惑った表情を浮かべたままだった。

「本当にこんなに……私が知って良いのです?」おずおずとけば、彼はカップを置いて直ぐに頷いた。

「うん。別に君には支障なんて無いだろうなって思ったから。もうさぁ……ここまでは話したから全部言うけど、今日、君を診察した精神科医は俺の担当医だったよ。それに、君を療養所送りにするの止めに入ったのも、実際に入ってたから全力で止めたんだよねぇ。全部は覚えちゃいなくとも、あんなんトラウマでしかねぇし、もっと頭がおかしくなる」

 まるで見てきたかのように言っていた上、医者の言葉もあったので、薄々と勘付いていた事だった。イルゼが重々しく頷くと、彼はニタリと笑んで茶菓子を吟味し始める。

「……影武者ファルシユとしての教育だ、親父の摂関に耐えれなくなって何度も死のうとしたらしいからねぇ。内情を知ってる使用人が、逃がすみたいに療養所に送ってくれたらしいけど、そこも地獄だったもんでさぁ。何だかね覚えてる事と覚えてない事があって記憶が虫喰いなんだよね。自分の本当の名前も思い出せなくなっちゃったし、考え方も性格もかなり変わったみたい」

 随分と暗い話の筈なのに、彼の口調と来たら明日の天気でも言うようだった。そうして、めぼしい焼き菓子を見つけると、彼は包み紙を破ってもそもそと食べ始めた。図体は大きな癖にその仕草はまるで小動物のようだ。そう思いつつ、イルゼは彼から視線を逸らし、短く息を吐く。

「この療養が終わっても私、ミヒャエル様の秘密、誰にも言いませんので……」

「いや、だからさぁ。君、絶対言わないだろうって分かってるから包み隠さず言っただけ。それにさぁ、俺どうにも隠し事って得意じゃ無いからね。思った事そのまま言っちまうし。だから街の人の前に殆ど出てないんだよねぇ」

 言い終えると、彼は大口を開けて焼き菓子に齧り付く。しかし、それから一拍後──突然何かを思い出したのか、彼は目を丸くしてイルゼに目をやった。

「あとさ君って本当に、家に篭もりっぱなしだった? 学校とか行ってなかったの? 女の子なのに読み書きもしっかり出来るみたいだし。字が凄く綺麗」

 もぐもぐと咀嚼しつつもそう言うと、彼は焼き菓子の入ったバスケットをイルゼの方に押して食えと促した。

 ……しかし、字を褒められたのは初めてだ。確かに、女は基本的に結婚して家庭に入るものなので勉学は無縁に等しい。それでも、文字の読み書きくらい出来て普通だろう。
 イルゼは同じ焼き菓子を取って、包み紙を外しながら彼に視線を向けた。

「字の読み書きは義兄にいさんから教わっただけです。字に関しては、私と比べようも無い程に、ミヒャエル様の方がお上手かと」

 首を傾げつつ言えば、彼は「敬語」なんてモゴモゴと訴えるが、直ぐに考えるようにおとがいに手を当てた。

「……まぁ俺も字に関してだけはヘルゲに褒められるけどさぁ。でも、それにしても、本当に字が上手いよ。なんなら、帳簿を付けるだとか代筆に雇いたいくらいだって思ったけど。なんだろ。字の上手さって几帳面で真面目な性格の反映かなぁ。まぁそれっぽいね」

 うん。そうだ。そうに違いない。と彼は何度も頷くが、イルゼは何度も目をしばたたく。 ……字の上手さが性格に反映されるならば、彼はいったい何だろうと思えてしまう。黙りこくると彼は、悪戯気にニヤニヤと笑んでイルゼの顔を眺めた。

「〝それ、お前が言うなよ〟って顔してる」

「そういう訳じゃないですけど……」

 慌てて反論すると物凄い早口になってしまった。すると彼は目を丸くした一拍後──大口を開いてゲラゲラと笑い声を上げた。
 とても貴族だなんて思えない品性の欠片も無い笑い方だ。それも、膝で手を叩き眦には涙が浮かんでいるので相当面白かったらしい。しかし、ここまで威勢良く笑われてしまうと、かえって微笑ましく思えてしまう。思わず釣られてイルゼが唇を綻ばせると、彼は込み上げる笑いを堪えているのか、肩をプルプルと震わせつつイルゼに目をやった。

「やっと笑った。可愛い顔してんだから、もっと笑えばいいのにねぇ」

 また〝可愛い〟と……。この言葉を言われるのはやはり慣れない。どうにも胸の奥が暖かく、妙に頬に熱が篭もるのだ。「そんな事無いです」と口にして、イルゼは熱を払うように首を横に振った。
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