【R18】水声の小夜曲

日蔭 スミレ

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第一章 邂逅

1-3.恩人は変人

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 自警団の詰め所にやって来たイルゼはいかにも屈強そうな男達に囲われて尋問を受けていた。木造平屋の詰め所は存外狭い。
 現在は五月の初旬。春ではあるが、時間が正午に近付く程に気温が上昇し始めて、蒸し暑くなりはじめた。詰め所は、窓を開けて換気をしているが、どうにも男臭さが抜けきっていなかった。

「それで……どういった状況でそういう風になったんだ」

 先程まで馬車で一緒だった赤ら顔の副団長にかれて、イルゼは戸惑いつつ事の経緯を答えた。全く感情の篭もらぬ口調で淡々と述べると、次第に取り囲んでいた男達の顔が曇っていく。

「家庭環境に難あり……」

 正面で帳面にメモを取る眼鏡をかけた生真面目そうな男はそう呟くと、イルゼと向き合って深く吐息を溢した。

「義理のお姉さんにいびられているなど、そういう背景はなんとなく分かったよ。だけど、お兄さんの方に相談出来なかったのかい? 君のした事は殺意の無い脅しであったとしても、恐喝・暴行未遂。犯罪に違わない。それにもう十七歳という事は成人だ。責任能力だってある……」

 渋った面で言うと、彼は深いため息を溢して、顎の下で手を組んだ。

「あの殺人犯の娘とはいえ、蛙の子は蛙って訳でないだろう。今回ばかりは見逃してやった方が良いものか。だが、俺の見解としてみれば……君の精神状態の方が心配だ」

 真っ向から言われて、イルゼが目をしばたたいたと同時──詰め所の扉が開き、ヨハンが入ってきた。傷の状態を確認する為、診療所に行っていたのだ。

「ああ、丁度お兄さんが来たか。傷の具合はどうだったかい?」

 生真面目そうな男はペンを置いてヨハンに目をやった。

「ええ、問題ないです。既に血は止まっていたので。数針縫って化膿止めの軟膏を塗っただけですよ」

 それでも、縫う程だったとは。確かに、血は止まっていたものの、傷口はぱっくりと開いていたのだ。表情に出さぬものの俯いてしまうと、ヨハンはイルゼの肩を叩いて首を横に振るう。

「イルゼの処置が早く正確だった事が良かったんだと思いますよ。診療所の爺さん先生、褒めてましたっけ」

 笑い混じりにヨハンが言うと、自警団の男達はやれやれと首を横に振った。

「君は被害者だっていうのに……暢気なもんだ」

「いやだって、イルゼに悪意なんか無いですから。尋問はどうです? もう終わりました?」

 あっけらかんとした調子でヨハンがくと、生真面目そうな男は深く頷いた。

「だいたいは終わりましたよ。ただね……」

 そう言うと、男は言い淀み、眉間に深い皺を寄せた。勿体ぶるように聞こえたのだろう。ヨハンは腕を組んで「なんです?」と、続きを急かす。

「彼女から家庭環境の話や姉妹仲の悪さなどは聞いたよ。ただね、たとえ姉妹喧嘩になろうとも、包丁を振り回すなど尋常な精神状態と思えないんだ。見るからにこの子は普段口数も少なく大人しいだろう。しかし、我々から見ても表情があまりに乏しい。肝が据わっているというならそうだろうが、精神疾患の疑いがあると思うんだが……」

 そう言われて、イルゼは顔を上げて目を丸くした。

「……私が精神疾患?」

「ん……今はこうして反応したけれど、君は話し方にあまりに抑揚が無い。目を大きく開いたけど、それでも表情があまりに乏しいと思う。それにね、精神疾患ってものは自覚など無いからね」

 生真面目そうな男がサラリと言い終えたと同時、バンと机を叩く音が響き渡る。

「ちょっと待ってください! イルゼは別に何かおかしな部分など無いです。元々大人しい子ですけど、気なんて触れていません」
 真っ当です。とヨハンは身を乗り出して言い張るが、間髪入れずに、男は言葉を割った。

「お兄さんは毎日一緒に過ごしているから、理解出来ないだろうけどね……そういう性格と片付けられるかもしれないが怒ったからと言って、いきなり包丁を振り回すなんてどう考えてもおかしいだろう」

 丸く畳み込まれてしまい、ヨハンは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

「殺意は無いとはいえ、行動は犯罪に値する。投獄一ヶ月か療養所の入れる事だね。でも後者をお勧めするよ。こうは言いたくないけど、父親と同じ過ちを犯してからでは遅い。この子は気が触れているだけだ。淑やかで悪い娘ではないと思う。精神面を整えた方がきっと良い」

 希望を持った判断だ。と、続けて男は言うが、尚もヨハンは食い下がらなかった。

「そんな! 専門家でもないのに、そんな決めつけはイルゼが可哀想です! 俺から見たら全く気なんか触れていない! それに療養所に入れる程の金なんてうちには無いですよ! 養鶏業で稼ぐ金で生活が精一杯です。自警団の団長は今いないのですか!」
 どうか、釈放を! と、ヨハンが荒々しく叫んだと同時、向かいの部屋のドアが静かに開いた。

 ──姿を現したのは、ヨハンと年端も変わらぬ長身の男だった。

 青光りした濡れ羽色の髪は癖も無く、短く綺麗に切り揃えられており、上品な艶がある。緩やかに下降した目の輪郭には澄み切った空色の瞳をたたえている。日焼けはしておらず、色白で体躯が細く──どこか女性的にも思えてしまう程。非常に端正な顔立ちの青年だった。その背後には、がっしりとした髭面の男が控えている。
 すると、自警団の男達は皆、ハッと我に返り恭しく頭を垂れた。
 何事か……とイルゼは思いヨハンを見るが、彼も頭を垂れている事に驚いてしまう。頭を下げぬままのイルゼに気付いたのか、チラリと横目で見たヨハンは慌てて、イルゼの頭を下げされた。

「ん。どうしたのぉ。っていうか、頭上げなって。皆揃って、なんか……そーしてると、すんげぇ馬鹿みたい」

 随分と癖のある喋り方だった。高音とも低音とも受け取りがたい声色も掠れており、かなり癖がある。しかし、どこか妖艶な甘みを含んでいた。
 男の声から一拍経過して、ヨハンはイルゼの頭を押さえた手を離す。そうして、イルゼが顔を上げると、濡れ羽色の髪の男は周囲を見渡して「キヒヒ」と、品性の欠けた笑い声を溢した。
 見た目がいかにも繊細そうな上、上品なので意外だ。あまりに酷いギャップだ。感情が乏しいイルゼでも、流石に驚嘆してしまい口をぽかんと開いた。

「ああ、申し訳ございません。ミヒャエル様。丁度事件があったようで、事情聴取をしていたそうで……」

 後ろに控えていた体躯の良い男が心底申し訳なさそうに言う。恐らく彼が団長だろうか。中年ではあるが、たるみなど無く騎士の如くがっしりとした体格と貫禄からそう窺えた。 ミヒャエルと呼ばれた黒髪の男は「いいや」と、横に振ってヘラリと笑んだ。

 ……ミヒャエル。どこか聞き覚えのある名前だ。一般的な男性名ではあるが……。この人は何だとイルゼは首を傾
げる。すると彼は、空色の瞳をキラキラと輝かせてイルゼに近付いてきた。その面ときたら、まるで新しいおもちゃでも見つけた少年のようだった。
 こんな視線を向けられるなど、不可解だ。イルゼは困惑しつつも彼を見上げて訝しげに首を傾げた時だった。

「ちょっとさぁ。何だかさっきから、少し聞こえてて滅茶苦茶気になってたんだよねー。胸くそ悪い姉貴が腹が立つーって女の子が肉切り包丁を振り回したとかなんとか? え、君がやったの? こんなちっこくて細いのに?」

 目を爛々と輝かせて男はく。イルゼは戸惑いつつ頷くと、彼は吊り上がった口角を更に引き上げる。

「へぇ~やるじゃん」

 やるじゃん。とは……。返答に困ってしまい、彼から視線を反らそうとした途端、彼はイルゼのおとがいを掴んで上を向かせた。

「だーめ。目ぇ反らさないでよ。ん……君、凄く可愛い顔してるね? 何だか、残念な事になっちゃってるけど……綺麗な金髪だねぇ」

 背を折り曲げて彼はイルゼを舐めるように見つめる。その視線がねっとりと突き刺さり、畏怖を覚えたイルゼが目を瞑ると彼はクスクスと笑みを溢した。

「ん、キスされたいの?」

 それもどこか嗜虐的に言われるものだから、イルゼは目を開いて首を横に振り乱した。

「りょ、領主様……おたわむれはそれくらいになさってください。俺の義妹です……」

 おどおどとヨハンが言うと、彼はイルゼを解放して、スッと身体を起こした。

「ふーん。あんた兄貴なんだ」

 まるで興ざめとでも言わんばかりの口調だった。空色の瞳をジト……と、細めて彼は頭からつま先まで吟味するようにヨハンを見る。 

 ……しかし領主と。それをいて、イルゼは妙に腑に落ちた。

 イルゼは早朝など人通りがまばらな時しか街に降りた事が無い。否、殺人犯の父親を持つ立場を気遣ってかヨハンはイルゼを街に行かせなかった。なので、領主の名こそ分かっていようが、具体的にどのような容姿をしているのかは知らなかったのだ。

 このへんな田舎街──ツヴァルク領の領主、辺境伯ミヒャエル・ベルネットは、〝変人〟として領地中にまかり通っている。 

 年端は二十程。容姿は極めて端麗らしいが、その性格は非常に掴み所も無く傲慢だそうだ。彼がツヴァルクの領主になったのは、ほんの数年前──彼の父である前領主が逝去してからだった。
 ……たった数年でクビになった使用人の数は数知れず。稼ぎの良い商人達に重税を課せるようになったそうで、高所得者ほど生活がやや厳しくなったらしい。ましてや税金に取り立てに来る彼の側近がこれまた恐ろしいらしい。やり口がゴロツキや盗賊だのと変わらないとまで称されている。しかし、どうにもこれが領地の整備や商業の繁栄などへんな田舎町の発展に大きく繋がっており、文句を言うに言えないのだそう。ましてや木こりや船乗りなど天候などに左右される職種や葡萄畑で働く労働者はじめ、イルゼ達のような畜産業を行う低所得者にのしかかる税金をとてつもなく軽くなった。

 そんな彼は、滅多に表に出る事が無いそうだが、それでも領主としては立派な働きをしているそう。
 しかし、人間としては違うそう。どう足掻いたって〝変人〟らしく、良い印象なんてまず無い。

 なぜなら、若い娼婦を束ねて買うなど、いんとうの限りを尽くしている等、女に纏わる噂が尽きないのだ。中でも、金髪の娘に尋常でない執着を持っているそうで、金髪の娘を城に連れて行っただの、金髪の娼婦を束にして買っただのと、ヨハンから聞いた事があった。
 だから、綺麗な金髪──と、先程言ったのだろうか。
 イルゼが彼の言動をはんすうしていれば、ミヒャエルはテーブルに置かれたメモ書きをつまみ上げて目を通す。

「ふぅん。君、イルゼっていうの。なに、療養所送りになっちゃうの? じゃなきゃ、一ヶ月地下牢獄? でも、療養所とか、あんな場所マジで気が触れてるのしかいねぇし、ろくでもねぇ。そっちのが頭がおかしくなるよ。っていうか、牢獄もそーだけど。え、っていうか罪、妙に重すぎない? だって君、胸くそ悪い姉貴にぶち切れただけでしょ?」

 騒ぎ過ぎじゃねーの? なんて、イルゼを見て気が抜けた声で言うなり、彼は帳面をビリビリと破り始めた。そのメモ書きを書いた生真面目そうな男ときたら、目を丸くしてあわあわと口を動かしている。しかし、ミヒャエルは微塵も気に留めてもいない。

「そうなんです領主様……困っていたのです。イルゼはちっとも気なんか触れていない。僕ら大してお金だって無いですし」 

 療養所なんて。と、嘆くようにヨハンが言うなり、またもミヒャエルは面倒臭そうに目を細める。

「へぇ、あっそ。でも俺、あんたに何も聞いてねぇーけど。黙っててくれない?」

 うっせぇんだけど。と、舌打ちを入れてヨハンを突っ撥ねると、彼は再びイルゼに目をやった。

「で、良い提案あるけど。うちで療養すれば? タダでいいよ?」

 しれっとした口調で言われるが、イルゼは固まってしまった。
 ……辺境伯の城に行けと? そこで療養しろと? イルゼは彼の提案が上手く飲み込めず、ピクリと片眉を動かした。

「ちょ、ちょっと待ってくだい!」

 慌ててヨハンが口を挟む。しかし──「うるせぇなぁ、蠅かよ」と、やんわりとした口調で彼は言う。極めて優しい口調ではあったが、言葉が酷い。言われたヨハンは眉をひそめて唇を曲げていた。

「だって、空き部屋いっぱいあるもん。優れた精神科医を呼ぶよ。数ヶ月、うちでゆっくりとしなよ? えーっとなんだっけ。紙に書いてあったけど、養鶏業だっけ? 一人減って収入が困るだとかあれば、特別に君の家に金銭援助するし、暇してる使用人を手伝いに送るけど?」
 それで、どぉ? と、影のある笑みを向けて、彼はヨハンを一瞥して言う。

 だが、この提案を飲んで良いか分からなかった。もはや自警団の男達は口も挟めず黙りと見守っていた。変人といえ、この領地で一番の権力者だ。いくら自警団でも口答えが出来ないのだろう。

「……流石に直ぐに結論なんか出せません。少し義兄にいさんと相談しても良いですか」

 ぽつりとイルゼがくと、彼は「いいや」と首を横に振った。

「君さ、自分がどうしたいのかも自分で決められないの? なんでもかんでも兄貴頼り? ねぇ。君、幾つ? 赤ちゃんなの?」

 それも嘲るように言われたので、イルゼはまたも固まってしまった。
 しかし、これではっきりした。話にならない。そちらこそ療養所に送った方が良い程に気が触れているだろう。間違いなくこの男は危険だ──底知れぬ畏怖を覚えて、イルゼは肩を震わせた。

「……結構です。療養も必要じゃないです。私、牢獄に一ヶ月で構いません」

 イルゼがきっぱり告げたと同時だった。彼は、胸元から紙幣の束を取り出して、テーブルに叩き付けてイルゼの腕を強引に掴む。

「はーい釈放金でーす。牢獄で良いとか……馬鹿みたいな事言ってる君はうちで療養決定しまーす!」

 愉しそうにそう言って、彼はひょいとイルゼを抱え上げた。
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