苺月の受難

日蔭 スミレ

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Study14.真夜中の来訪者

14-2

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 ────パシン! と、渇いた音は夜の静謐の中で響き渡った。殴られた当人ラケルは出窓の縁にしゃがみ込み頭を押さえて項垂れる。

「ご、ごめんなさい! まさか貴方だったとは思わなかった!」

 ストロベリーははたきを放り投げて、大慌てでラケルに近付く。だがその須臾しゅゆ、腕をグイと掴まれて口を手で塞がれた。

「……だから言ったでしょ。寮で大きな声は出しちゃダメ。レヴィちゃん達が起きちゃうよ」

 唇の前で人差し指を立てて、彼は呆れ混じりに言った。間近に映る彼の端正な顔に、久しく聞いた掠れた本来の声に胸が途端に熱くなり羞恥に追いやられるが逃げる事も叶わない。 
 何せ、腕を掴まれて彼の胸の中に顔を埋めてしまっているのだから……。
 しかし、殴られたのが相当効いたのだろう。色素の薄い瞳には今にも溢れんばかりに大粒の涙が溜まっていた。

「ご……ごめんね?」

 ストロベリーが小声でもう一度謝ると、ラケルは直ぐに首を横に振った。

「いや、乙女の部屋に夜這いみたいな真似したら誰でもそうする……んじゃないの?」

「違うの。ラケルだと思わなかった。あの白い梟が来たのかと思って……」

「ふぅん。僕が普通に夜這いしに来たら。苺ちゃんは受け入れてくれるの?」

 意地悪くニヤリと笑ってラケルは綺麗に笑む。だが、その笑顔があまりにも腹が立つ程に綺麗で見とれてしまうや否や──途端に彼の足元から鈍い音が響き渡った。一拍も立たぬうちラケルの瞳に張った大粒の涙がぽろりと溢れ落ちた。

『兄貴の前だと言うのに、婚前の妹に手を出そうとするとはお前本当に度胸あるな?』

 鈍い音の正体……案の定それはオブの突進・頭突きだった。脛に当たったのだろう。ラケルはヘタリとしゃがみ込んで、脚を摩って悲鳴を押し堪えている。

「……ひ、久しぶりお兄さん」

 一拍置いた後、足元のオブに視線を向けてラケルは涙を拭いながら言う。だが、オブはケッと心底不快そうに喉を鳴らして──。

『却下。妹をくれるとは言ってない。知ってるだろうが、俺はお前と歳は同じだ』

 と、言うや否やプイとそっぽを向いた。

「じゃあ前のままオブで……いい?」

 未だ脛を摩ったまま。ラケルが今にも泣きそうな声で尋ねると、オブは一つ鼻を鳴らす。

『しょうがないな。お前の事はいけ好かないが妹を助けた恩があるしそれで許す』

 溜息交じりに言ってオブはジッとラケルを睨み付けた。

 ……思えば転落事故の時の際、自分の場所を教えたのはオブだったと言っていた。その時に話していたのだろう。
 しかし兄とラケルがこうして話しているのは妙な光景だとストロベリーは思ってしまった。

 そもそも、ここは男子禁制の学院。その女子寮だ。

 元生徒とは言え女装ではない彼と兄が居るという事が不思議で仕方ない。ストロベリーは立ち尽くしたまま、呆然と彼らのやりとりを眺めていた。だが、その会話が終わるのは案外早いものでラケルは直ぐに、ストロベリーの方を向いて、いつもと変わらぬ柔らかな笑みを見せた。

「苺ちゃん久しぶりだね。つい最近まで居たのにこの部屋も何だか懐かしいよ」

「うん、久しぶり。そのごめんね色々……」

 明日会ったら言いたいことが沢山あって一つずつ何を謝り何を伝えるか決めていたのに、上手いこと言葉が出てこなかった。だが、それだけでも充分に通じたのだろう。彼は直ぐに首を横に振るう。

「あんな場所で死なれた方が嫌だよ。大した怪我も無かったし良かった」

 それだけを言うと、彼はまた腹が立つ程に綺麗な笑みを見せた。

「明日実は、ラケルの居る屋敷に行こうと思ってたの……それでね」

 ──謝りたい事や共有したいこと、伝えたい事が沢山あった。と、告げるや否や……ストロベリーの視界は霧雨の中のように霞み初めた。
 心の中は凪いでいると言うのに、苦しい程の嗚咽が喉に絡みついた。しゃくり上げて、息を漏らすと頬に大粒の熱い雫が垂れ落ちてくる事を自覚する。

「……苺ちゃん? どうしたの」

 穏やかに、だが心配そうに問われた須臾──本能的にストロベリーは彼の胸に飛び込んだ。

「もう二度と会えないかと思った。大好きなルームメイトに会いたかった」

 ──ごめんなさい、私の所為で。だけど会いたかった。と、素直な本心は涙と一緒にぽろぽろと溢れ落ちる。
 それをラケル黙って聞き、オブも一切口を挟まなかった。
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