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Study10.夏至祭当日
10-2
しおりを挟むそんなやりとりの最中の事だった。
「ごめん、お待たせ」
聞き馴染みのある掠れた声が後方から響く。いつもと言えば、囁くように小さな声だが、普通の声量で聞くのは初めてだろう。何だかそれが妙に新鮮に思えてしまい、ストロベリーは目を瞠り、恐る恐る振り向いた。
──白のシャツに空色のタイを緩く巻き濃紺のジレ。黒の下衣に枯葉色の長靴。その羽振り良い装いはまさに伯爵家の令息に相応しい気品は充分過ぎる程に滲み出ていた。
よく見れば、タイには見覚えのあるピンが着けられている。そう、自分が聖星祭の日に贈ったあのタイピンで……。
レイチェルとしての女装姿も麗しい。だが、ラケル本来の姿は眩しい程で……。ストロベリーは言葉を失ってしまった。
(え、え……これがラケル?)
カツラを外した入浴後の寝間着姿は幾度も見ていた。だが、こうもしっかりした装いをしているとまた話が違う。頭で理解は出来ているが、情報処理は微塵も追いつかず、ストロベリーは顔を真っ赤に染めてプイと視線を反らす。
「どうしたの苺ちゃん……ちょっと待たせちゃったかもだし不機嫌?」
悩ましく問われて、ストロベリーは直ぐにブンブンと首を横に振る。
──そうじゃない、そうじゃないの。カツラ用の変なネットも被っていなくて、寝癖も無い寝間着姿でも無い格好を見たのが初めてで動揺しているの。
そう思っても素直な言葉は出てこない。ストロベリーが俯いてしまった矢先だった。
「ん。レイチェルさん……?」
ぽつりと呟いたのはガミリィだった。彼女は釣り上がった赤い瞳でジッとラケルを見上げて小首を傾げる。
「お嬢さんは僕の姉さんを知っているの? 僕は弟の方だけど」
すかさずラケルは切り返す。だが、ガミリィは直ぐに『ふーん』だなんて言って、ジトリと目を細めた。
見破っているのだろうか、否や分かっていないのだろうか……しかし明らかな疑いの視線に違わない。何かフォローを入れてやろうとは思うものの、上手い言葉も見当たらない。ストロベリーが思考する最中だった。
少し離れた場所から、ガミリィを呼ぶ女性の声が聞こえてきた。その声の方をパッと見れば、まるでガミリィを大人にしたかのよう……未だ二十代と思しき赤髪の女性がヒラヒラと手を振っていた。
シスターだ。それを悟って、ストロベリーは彼女に向かって礼儀正しい一礼をする。すると、シスターも頭を垂れて会釈を返した。
「あーあ。ママが迎えに来ちゃった」
──それじゃあね。と、言い添えて。ガミリィはシスターの方に小走りで向かって行く。 そうして、雑踏の向こう側に二人の姿を消え行くのを見送ったと同時──
「あー怖かった」
蚊の鳴くようなラケルの声が間近から降ってきた。
「……子供って本当に勘が良すぎて怖いよ」
まるで気が抜けてしまったかのよう。ラケルはその場にへたりとしゃがみ込んでしまった。
その後、二人は祭の屋台を一件ずつ巡っていった。これだけ人が多いとなれば、知人の一人や二人と鉢合わせるかと思いきや、学院関係者には誰にも会わなかった。
誰かに見られて困るものでは無いが、やはり少しばかり恥ずかしいだろう。何せ、はぐれないように手を繋いでいるからだ。
今の彼は、いくら小柄で中性的であろうと完全に男だ。たかがルームメイトで友人。とは言え、こうも装いが違うだけで妙に意識してしまう自分も阿呆のように思えてしまうものだが、それでも落ち着かなかった。
そうして俯いて引っ張られるように後を歩いている事にラケルも気付いたのだろうか。彼は、パッと後方を振り向いてストロベリーに心配気な面を向けた。
「人が多くて疲れちゃった?」
「ううん……大丈夫だよ」
思わぬ心配をかけてしまった。少しばかり申し訳なく思って、ストロベリーが首を横に振るとラケルは心底安堵したような表情を見せた。
「そう。でも無理しないで。昼も近いしそろそろおなかも減ったから、昼食も兼ねてちょっと休憩しようか?」
──実はちょっとおなかが減ってた。と、腹を摩りながら言い添えて。ラケルは少し照れくさそうに笑む。声色は違えど、いつもと何ら変わらない優しく柔軟な対応だ。それにすっかり絆され、ストロベリーは合意に頷いた。
手頃な値段でそこそこボリュームもある。街に降りた時にいつも食べるお約束──サーモンサンドを頬張りながらストロベリーとラケルはベンチに腰掛けて行き交う人の群れや弦楽団の奏でる音楽に耳を傾けていた。
広場中央には舞台が設けられている。その傍らには何か大きなものが隠すように布に隠された塊があった。何か出し物でも催されるのだろうか……とそんな話をしている矢先、司会らしき男が舞台袖から出てくると弦楽団の音楽が止み、どっと歓声が巻き起こった。
この地方の有名人だろうか……しかし、彼の羽振り別に良いものではない。あまりぱっとしない見た目の中年の男で、きっと庶民だろうとは憶測出来る。
「……誰?」
座るラケルに尋ねると”この地方じゃ有名な農家の名物おじさん”だとクスクスと笑う。
「農家のおじさんが司会って……何するのこれ、野菜の競り?」
「いや、違うよ。見てれば分かるって。多分毎年恒例の──」
と、ラケルが言いかけたと同時『それでは毎年恒例、始めましょう!』と、まるで復唱するように男は高らかに言い放つ。
──だから、何なんだと。ストロベリーは目を細めるや否や男はステージの傍らにあった塊の布をバッと剥がした。
「今年の飛び入り歌唱大会の優勝景品は、うちの農場の牛乳一年分! タダで飲み放題! それから、参加賞は旬の果物に野菜! 早い者勝ちだ!」
──持ってけ泥棒! と、言い放つや否や、次々と観客は挙手を始めた。その様子はまさに競りのようで……。
「ああ、そういう事ね……」
「そう。これがラベンダーポットの夏至のお祭りだと毎年恒例。優勝景品は毎年変わるけど、参加賞は子持ちマダム達には大人気。どう? 苺ちゃんも出てみれば? 景品を持って帰ると寮母に喜ばれると思うよ?」
ニコニコと嬉しそうに聞くラケルに対して、ストロベリーは即座に首を激しく横に振った。
「私の歌唱力はお察しだから遠慮しておくわ。これは多分聞いている方が楽しそう」
──歌唱の成績は下から数えた方が早いの知ってるでしょ、やるわけないでしょう。と、キッパリと断りを入れると、彼はクスクスと笑い声を溢した。
「でもこれ、レディ・アムが出たら間違いなく優勝出来そうだよねぇ」
「確かに……でも”私は景品は要りません”って物凄い格好良い断り方しそう」
少しばかり物真似して言うと、彼は『分かる』だなんて言って、また優しく笑んだ。
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