苺月の受難

日蔭 スミレ

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Study7.二人きりの真冬の夜

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 ※※※

 外は深々と雪が降っているのだろう。寒さと同時に喉の乾きを感じてラケルはパッと目を覚ました。

(水飲んでこよう……)

 布団から出ると、尋常では無い寒さだった。身震いをしたラケルは、ベッドの上に放り投げていたガウンを慌てて羽織って机の上の手燭てしょくを灯す。

 消灯後は部屋の電気を付けてはいけない決まりがある。簡潔な理由はルームメイトを起こしてしまうからで──そこで配布されているものが古典的な手燭だが、この灯りだけで充分に身近なものはだいたい照らされた。
 手燭を持って立ち上がったラケルは、脱衣所に置かれた瓶の蓋を外して水を一杯汲み取って飲む。それから部屋に戻ると同時、彼は息を飲んだ。

 バスケットに眠っていた筈のオブシディアンがストロベリー眠るベッドの上で耳をピンと立てて立っていたからだ。よじ登ったのか……瞬時に移動したのか。見てもいないから分からない。だが、明らかな威嚇姿勢だろう。鼻を僅かにブゥブゥと鳴らし、黒々と研ぎ澄まされた瞳でジッと睨んでいるのだから。 

 その威嚇対象は視線の先──それは、自分で。

 しかし何故、威嚇されるのかも分からない。ラケルは一つ息をついた後、自分のベッドに戻ろうとすると、オブは更にブゥブゥと激しく鼻を鳴らした。

 ──ひょっとして、ストロベリーを守ろうとしているのだろうか。そんな思考さえ過ぎった途端に、ラケルはハッとオブシディアンの方を見つめた。

 シードリングズに屋敷を構える宝石商クレセント家。
 初めて彼女から姓と出身地を聞いた時”この双方に聞き覚えがある”とは思った。更に今日の夕方ストロベリーが黒兎に付けた”オブシディアン”という名にどこか滞りを感じていた。そう、これにも明らかに聞き覚えがあると──。

 ──オブシディアン・クレセント。

 二つ繋ぎ合わせて、ラケルはアイスブルーの瞳を瞠った。
 確かそれを聞いたのは三年程前の初夏。この地方で行方不明になった少年の名。と、思い出してしまったからだ。

 ──シードリングズから狩猟旅行に来たお前と同じ歳少年が行方不明になったそうだ。と、確かそんな話を父に聞かされただろう。

 その時と言えば、まるで他人事のよう。何て不運なのだろうと思ってしまった。そもそも狩り場と言えば丘陵地帯だ。閑散と開けた場所で行方不明なんてまず有り得ない。あるとしたら、きっと足場を踏み外し湖に転落してしまったのだろうと思っていた。 

 ……その考えは皆同じだったのだろう。それから数日、部屋の窓から望む湖には、連日ボートが幾艘も浮かび懸命な捜索活動が行われていた。
 そうして三週間経過した後には湖に舟は一艘も浮かばなくなり、捜索が終わったのだと悟った。数ヶ月と経過して、あの失踪事件はどうなったのか? と父に尋ねた所、緩やかに首を振られた事から『見つからず死んだものと見なされた』と、悟るのは一瞬だった。

 そもそも、クレセントの姓は決して珍しいものでも無い。
 王都の方面、南部を中心に多い姓だから、同じ姓の彼女が失踪した少年と直接的な繋がりがあるだなんて想像出来やしなかった。
 だが、彼女は名付けたのだ。”オブシディアン”と──それを言った彼女のどこか憂いのある表情から、今更のように強い繋がりがあったのだとラケルは悟る。

 間違いなく兄弟──ましてや”自身と同じ歳の少年”と父が言った事からオブシディアンとストロベリーが双子だったと想定出来た。 

 そこが分かると、何故彼女が神秘の事象である妖精を見る事が出来たのか紐解ける。

 ──そもそも妖精は、霊媒体質或いは聖者や聖女の素質、穢れ無き幼き子供でなければ可視は不可能という条件がある。トリニティー教会の娘ガミリィの場合は”聖女の素質”と”穢れなき子供”という部分が該当するだろう。だが、ラケルやストロベリーに関してはこれら全てが該当しない。未だ若年齢ではあるが、もう子供という年齢でも無い。しかし、神秘の事象を可視出来る者の条件には一つだけ変則的な例がある。それが双生児である事だ。

 ──双生児は、一つの胎児が胎内で魂を二分して成り立つと言われている。胎児の頃に一度”魂を分ける神秘”を起こした素体だ。故に、神秘を可視する事が出来ると言われる。

 だが、ストロベリーと言えば都会っ子だ。

 人工物の溢れる都市部に居れば、妖精などまず目にする事も無いだろう。
 だからその存在の不可思議さを目の当たりにするまで一切信じやしなかった。一方、姉レイチェルの双子の弟であるラケルは、この肥沃な田舎に地にずっと住んでいる。現実的に妖精や精霊といった類いの者を幾度となく見てきたのである。ましてや、人が妖精に成り果ててしまったという事例さえ目の当たりにした事もあるもので──

「ねぇ……君、もしかして苺ちゃんの兄弟なの?」

 囁くような小さな声で未だ威嚇を続けるオブシディアンに問いかけると、途端にピタリと鼻を鳴らすのを止めた。だが、それ以上は全く反応が無い。黒兎はパッとラケルから視線を外し、座ったかと思えば身を丸めて寝姿勢を取った。

 動物の妖精は言葉を持たない。言葉を話すようになるとしても精霊蔓延る夏至前後だけだ。今と言えば聖星祭の夜──真冬である。

 この様子を見るからに間違いなく、ストロベリーに縁の深い──つまりは彼女の兄の成れの果てと想定する事は容易かった。
 確信は無いが、恐らくそうだろうと思えてしまう。ただの妖精ならば人を恐れ避ける筈だ。
 だが、この黒兎の場合は──。

 丸まって眠りに就いた黒兎を横目にラケルは手燭の炎を吹き消して、布団の中に潜った。
 ストロベリーには言うべきではないだろう。そもそも彼女は一切兄弟の事を語っていない。だからこそ、無神経に触れて良いものではないと思えてしまった。

 暗澹あんたんとした溜息を一つ吐き出して瞳を伏せると自然と、自分に瓜二つの碧眼の少女の顔が浮かび上がる。

『ねぇねぇラケル! アレクがお仕事終わったら遊んでくれるって! ね、一緒に行こう! 馬に乗せてくれるって!』

 対して自分は何と言っただろうか。自分達より少し年上の使用人の息子、アレクに気があるようにもうかがえたから『一人で行って来なよ』と、言っただろうか……。

 それなのに、いつもこっちの話は聞いちゃいない。華奢な手を伸ばしてグイグイと引っ張って──笑んだ様は花が咲くように愛らしいが、かしましい。
 そんな姉、レイチェルの笑顔が過ぎった。

 姉の顔と声を思い出すと、何だか無性に切なくなってきた。しかし、寒くて堪らない。ラケルは布団を頭まで掛けて眠れぬ夜を過ごした。
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