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Study5.聖少女と血濡れた黒兎
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しおりを挟む落ち葉を纏めて終えた頃には、空はライラック含んだ宵の色に染まり始めていた。
二人は、掃除終了の報告に職員室にやってきた。しかし、そこには学院長の姿は無く、レディ・アーサとレディ・アムの姿しか無かった。
何やら、校長は現在来客の応対を行っているそうで長引くだろう……との事。そこで今日は、二人の教師から承諾を得て下校する事となった。
そうして寮に戻る最中。渡り廊下に差し掛かかった途端、ストロベリーは瞬時に形容し難い嫌な予感を感じ取った。
何かに見られている──そんな気配だ。
ストロベリーが即座にその視線を射止めると、蔓薔薇のアーチの上に一羽の梟が留まっていた。雪のような儚い白さは美しい。こんなに綺麗な鳥がいるのかと感嘆してしまった程──しかし、美しさの反面で悍ましさも感じてしまった。
何せ真っ黄色な嘴と周辺の羽毛が赤々と染まっていたのだから……。
心底機嫌が悪そうに真っ赤な瞳を細めて梟はストロベリーをジッと睨む。
たかが鳥だ。だが”何だか怖い”と思えてしまい、ストロベリーが一歩退いた途端──梟はストロベリーから視線を反らし、翼を広げて空へ飛び立って行ってしまった。
「ビックリした。何だか嫌な視線を感じると思ったら梟だったね……」
梟が見えなくなった後、ストロベリーは隣に立つラケルに視線を向ける。
だが、彼は珍しくストロベリーの方を向かず、地面の方をジッと見つめていた。
その表情は緊張が貼り付き、まるで凍り付いているのかのようで……。何事かと、ストロベリーが足元を見たと同時、息が詰まる。
自分達の足元には無残に散らばる赤黒いシミが広がっていたのだから。
「やだ、何これ……」
先程の梟の仕業に違いないだろう。捕食後だろうか。或いは獲物を射止めた場所か……未だ血痕は真新しく、嫌な生々しさが残っていた。
しかし、よく見るとその血溜まりから逃げるようにハタハタと血痕が続いている事が分かる。
ストロベリーはそれを目で追った。血痕は渡り廊下を横切って校舎裏手の方に伸びている。残雪の上には赤い雫がベタベタと落ちており、真新しい小さな足跡が残っていた。
まるで何かに導かれるようにストロベリーは、血痕を追い始めた。
「やめときなよ……」
即座にラケルに肩を掴まれて咎められるがストロベリーは即座に首を振るう。
「……あの梟が食べ損ねた獲物なのは分かる。きっと兎や穴熊みたいな小さな動物でしょ。いくら自然の摂理とは言え、怪我をしているのは可哀想でしょ」
──助けられるなら助けたい。と、それだけを告げて、ストロベリーはラケルを振り切って血痕を追い始めた。
「待って苺ちゃん……でも」
──どうして君は。と、微かに聞き取れるかのような小さな声でラケルは言い添える。
振り返って目にした彼の表情は、驚嘆と憂いを混ぜた複雑な面を浮かべていた。
どうしてもこうしても無いだろう。言ったままである。ストロベリーは直ぐに前を向く。
「……もしこの先に亡骸があったとしたら、しっかりと埋葬してあげたいって思うのは普通の感性じゃないの?」
「そうじゃなくて……その」
しどろもどろにラケルは言った。しかし、彼が何を言いたいのかも分からなかった。それが妙にじれったくて、ストロベリーは彼をさし置いて一人残雪の上を駆け出した。
滴り落ちた血量は追う程にどっと増え始める。図書館を横切り中庭を抜け──やがて校舎の奥に佇むこぢんまりとした教会の付近へ。
「待って、苺ちゃん!」
反対した癖に追いかけて来ただろう。背後からラケルの少女の作り声が響くが、ストロベリーはもう振り向く事もしなかった。
血痕を辿る事やがて教会の真正面に……。そこでようやく血の雫が途切れ、血痕を残したであろう正体を悟ったストロベリーはたちまち背筋が凍てつくような悪寒を覚えた。
それは真っ黒な毛並みの兎だった。ただそれが横たわっていただけなら未だ良い。五・六歳程度と思しき赤々と燃えるような髪の少女が兎の耳を握りしめてぶら下げるように持っていたのだから……。
「──何をしてるの!」
思わず悲鳴に近しい声を上げると、少女はスカートをひらりと揺らして振り向いた。
ぱっちりと釣り上がった瞳が印象的な可愛らしい少女だった。纏う装束は生成り色の生地にふんだんのレースを施した聖女のドレスで──清き装束で身を包んだ幼き少女が、こんなに残虐な行為をするようには思いたくもなくて……。
戦慄を覚えたストロベリーはたちまち顔を強ばらせた。
「あなた、誰ですか?」
小首を傾げて、彼女の方が今度は問いかけてきた。しかし、悪い事をしているといったそぶりもなく彼女は純粋そのものの瞳でストロベリーの方をジッと射貫く。
「ストロベリー・クレセント。ここの学院の生徒だけど。そういう貴女は誰なの?」
率直に聞けば、彼女はニンマリと悪戯気に笑んだ。
「知らない人に名前を教えちゃダメっていわれてまーす」
自分は名乗ったのに、どういう事だ。何とも生意気な子だと思ってしまい、ストロベリーは怪訝に眉根を寄せた。
それと同時にラケルは遅れてやってきた。だが、幼い少女を一瞥すると彼は一つ溜息を溢す。
「この子確か、このトリニティー教会のシスターの一人娘だよ。名前は知らないけど……なかなかに癖の強い子だって聞いたことがあるよ」
レイチェルはポソポソと耳打ちを入れた。まず教会の名前なんて初めて知ったが……女の子の情報においては即納得してしまった。それを知ると妙な不安を掻き立てられるもので、ストロベリーは一つ息をついた後に唇を開く。
「その子をどうするの?」
率直に聞けば、彼女はニンマリと笑う。
笑う……否や、嗤うと言った方が正しいだろうか。幼さには見合わない妖艶な笑みを含ませて、彼女は血濡れた小さな黒兎をぐっと高く持ち上げると──
「悪い子を横取りで捕まえた。だからママに頼んでスープにしてもらう」
ほくそ笑むような笑いを浮かべたのだ。
その言葉一つで、ストロベリーの血の気は一気に失せた。
──食うと。聖少女がこれを食うと。信じられないような残酷な言葉だった。
確かに子供とは無知故に残酷なものだ。だが、いくら何でも度が過ぎているだろう。まして聖職者の娘だ。道徳が無さ過ぎるだろう。ストロベリーはたちまち憤激を覚えた。
馬鹿な事を言わないで。と、叱責しようとした矢先だった──少女の小さな手の中で黒兎が途端にジタバタと暴れるものだからストロベリーは目を瞠る。その途端だった。
「ねぇ、ちょっと良いかな?」
ぽつりと響く声は少女の作り声。言葉を切り出したラケルは少女に近付くと、彼女に視線を合わせてしゃがみ込む。
「……ねぇ。黒い兎って教会的に最低最悪な象徴だと思わない?」
ラケルは諭すよう穏やかに切り出した。
──兎は繁栄の象徴。その繁栄の象徴が穢れと喪を意味する黒。つまり……。
「……衰退、滅亡」
ぽつりと、対義を答えるや否や少女の顔はたちまち曇り始めた。
「そう。正解。そういえば私、貴方の名前を聞いてなかったわ。ねぇ、お名前は?」
先程尋ねても言いやしなかった。しかし、彼女は「ガミリィ」と自らを名乗って、レイチェルから視線を反らすとふて腐れたのか頬を膨らませた。
「ねぇガミリィ。穢れの象徴を聖職者の娘が食べるなんて言ったらお母様がひっくり返ると思うの。娘は異端の邪教崇拝者かも知れない、悪魔に憑かれてると疑うかも知れない」
穏やかな声色でラケルはゆったりと語り始めた。
邪教崇拝は魔女とされる。少し昔の時代なら火あぶりは当たり前。それから串刺しに、熱した鉄の靴を履いて踊らされる拷問も。無論、今もこの地方には魔女裁判の制度は残ってると。そうして、全てを語り終えた後──
「それでも良いの?」
と、釘を刺すように彼は尋ねる。
するとガミリィは、今にも泣き出しそうな顔で首をブンブンと横に振った。
「そう。貴女は賢くて良い子だね。お願い、その兎を手放して。私達が貴女に穢れの象徴が近付かないように責任を持って森の奥地に返すから」
──だから、安心して。と、宥めるようにラケルが言う。すると、ガミリィは今にも泣きそうな顔で黒兎をレイチェルに手渡した。
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