苺月の受難

日蔭 スミレ

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Study3.潜入者”ラケル・モリナス”

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 ──何故、姉の身代わりに学院に居るのか。その明確な理由を彼はハッキリと教えてくれなかった。ただ、理由の一つとして”姉に纏わる事”を調べるのに丁度良かったからと言う。

 ペタルミル地方には図書館が無い。だが、この学院には埃が積もる程の古書が沢山眠る大きな図書館があるから──と。しかし、図書館ならば王都にも行けばこの国最大の大図書館がある。いちいち、今にも崩れそうな橋を渡るような真似をしなくても済む筈ではないのかと指摘すれば、彼は直ぐに首を横に振った。

 この地を納める伯爵家の令嬢だ。入学の事は領地の人間や社交界にさえ知られている。その上で入学辞退となれば近隣だからこそ、学院関係者がその理由を家まで聞きに来るだろうと彼は語った。尚、この件においては彼の父に当たる伯爵さえも容認しているそうで……。

「……貴方のお姉さんは重大な伝染病を患っていて、それを知られるのがマズイとか?」

「それに近いよ。お家柄的にも大騒ぎになるだろうし、家の外には絶対漏らしたくないんだ」

 ──本物のレイチェルは、にわかに信じられないような事態に苛まれて存在しないに近しい。と、彼は震えた声で言う。

 その言葉から想定出来る事態と言えば、危篤状態或いは行方不明だった。
 だが、本当にそうだとしたら、いずれ分かってしまうだろう。彼が身代わりとなる二年のうちでどうこう出来る問題ではないに違いない。
 その点をストロベリーは追求しようとしたが『どうにかしないといけない』と、彼は切羽詰まった顔で首を横に振るう。たったそれだけで、事の深刻さは理解出来た。これ以上は、あまり踏み込むべきではないだろう──と、潜在的に理解してストロベリーは詮索を止めた。

「学院に居れば、纏わる調べ物が出来るの。僕が身代わりで卒業出来れば、この経歴もレイのものになる。その上、お嬢様学院だ。僕の花嫁候補も探せるしね」

 ──だから一石三鳥くらいお得。と、ラケルは苦笑交じりに言う。だが、その笑顔が無理に取り繕ったもので”冗談”だと見破るのは容易かった。

 そんな話の後、ストロベリーは早退して一人で寮に帰った。レディ・アーサから貰った早退許可書を寮母に渡すと、彼女は心底心配した事に何だか罪悪感を覚えた。
 ただ寝不足なだけで別に身体に悪い所なんて何も無い。寮母に”少し休めば大丈夫”と答えて、ストロベリーは部屋に着くなり昨日入りそびれたシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。
 一つ寝返りを打てば、自分の机の上に飾ったカスミ草の花束が見える。ストロベリーは暗澹とした大きな溜息を一つ吐き出した。

(レイ先生……私、とんでもない秘密を背負う事になっちゃった。この先に幸運が少しでもあると良いけれど……)



 ──リンゴン。と、繰り返し鳴る鐘の音にストロベリーは瞼を持ち上げた。
 終業を知らせる鐘だろうか。窓からは茜がさしている事から夕刻だと悟り、ストロベリーはベッドから起き上がった。

 昼過ぎに寮母が訪れてミルクで炊いた甘い粥を運んでくれた。『食器は後で取りに来るから、廊下に出して置けば良い』と告げた寮母の帰り際、ストロベリーは、別の口実をつけてある物を貸して欲しいと頼んだのである。
 恐る恐る部屋のドアを開くと足元にはそれがあった。それを拾い上げたストロベリーは、静かに自室のドアを閉めた。

「苺ちゃんただいま~。ん、何してるの?」

 愛らしい少女の作り声が部屋に響いたのは、それから間もなくしてからだった。
 ストロベリーはその声に振り向く事も無く、黙々と床にしゃがんで作業をしていた。

「何、して……るの?」

 同じ質問を間近で言ったラケルを余所に、ストロベリーは「よし出来た」とフンと一つ鼻を鳴らす。
 ベッドとベッドの合間──その床を二分して真っ赤なテープが真っ直ぐに。自分に宛てられたベッド側に立ったストロベリーは腕を組み、帰ってきたラケルをジッと睨む。

「どうしたの、これ」

 足元に一直線に引かれたテープを見ながら、困惑してラケルは言う。

「寮母に”トランクが壊れたからテープを貸して”ってそんな口実で借りたの」

「……で、それでこれは何の境界線?」

 相変わらずな作り声でラケルは尋ねる。すると、ストロベリーはキッと目を尖らせて彼を真っ正面から射貫いた。

「……ねぇ、貴方。昨日私の頬にキスしたよね?」

「うん、したけど……挨拶のつもりだったけど。それがどうしたの?」

「スキンシップが過ぎるわ。秘密の約束も守る。貴方が私に危害を加えないとは言った事は信用したい。だけど、異性として警戒してる事は忘れないで欲しいってだけ」

 ──消灯時間の後に、こっちに入ったらタダじゃおかない。と、その旨をピシャリと言えば、彼は頤に手を当てて『なるほど』と短い相槌を打つ。

「まぁ、こんな格好をしているけど別に女装愛好者って訳でもないし、苺ちゃんと同じ十七歳。年齢に相応した欲がちゃんとある事は認めるよ。いい対策だとは思う。だけど……」

「”だけど”じゃない! これくらいの自衛はさせて! そうじゃないと私の心が微塵も休まらない!」

 それをピシャリと告げるが、彼は尚も『だけど……』と再び口走り、ストロベリーは眉をグイと釣り上げた。

「確かに私、詰め物してる貴方より胸も随分と貧相だし、女としての魅力なんて微塵も無いのは認めるわ! いいわよいいわよ! 自意識過剰でも何とでも言えば良いじゃない!」

 顔を真っ赤にして怒鳴るが、ラケルは首をユルユルと振ってある方向を指し示す。

「だけど……そのフリルが沢山くっついたドロワーズとかスリップとか下着とかさぁ、私の見える場所に置いてていいの? ねぇ」

 平坦な調子の少女の作り声でラケルは言う。そんな彼の指出した先を見ると、入浴後に机の上にほったらかしにしていた自分の下着があった。
 堪らず、ストロベリーは自分の下着をかき集めて自分の後に隠す。

「ご、ご忠告──」

 ──どうもありがとう。と、全てを言い切る前だった。境界を踏み言って、ラケルはやんわりとストロベリーの唇を手で塞ぐ。それに少し驚いてしまい、よろけると彼に腰を支えられた。

「それで宜しい。見える場所に置いておくと、僕が欲情して君の下着を頭に被って小躍りするかも知れないから片付けようね? あとこの寮は壁が薄いから大声禁止。気をつけて」

 外耳を舐めるように囁く声は、先程の少女のものとは違う、掠れた異性の声で──。 
 驚嘆してパッと顔を上げると、彼は優しい顔で笑んでいた。だが、そのアイスブルーの瞳は微塵も笑っておらず……。

 しかし今『下着を頭に被って小躍りするかも知れない』と言っただろう。目を見れば人の真剣さは分かるものだ。嘘か本当かは見抜けやしない。だが、何となくやりかねないように思えてしまった。

「変態、最っ低……」

 思ったままを伝えれば『そりゃどうも』と、彼はクスクスと笑いを溢した。
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