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Study1.転入の朝
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しおりを挟む緑の森にストロベリーを乗せた小さな辻馬車は駆けていく。
──あっちに見えるのが、この地方で一番大きな湖で。こっちに見えるのが、あの有名作家の生家で。まるで観光客に対する扱いのように御者は甲斐甲斐しくストロベリーに説明をしてくれた。
点在する民家の造りは全て石造りのどっしりとした佇まい。古い家屋には植物の蔦がびっしりと絡みつき牧歌的で可愛らしい雰囲気がある。
それに牧場も多い。長閑な秋晴れの空の下、草地に放牧された羊や牛の群れが頻りに草を食べていた。そんな牧草地帯を横切って、葉が黄色く色付き始めた銀杏並木を抜けると、小高い丘の上に古びた屋敷が見えてくる。
「あそこがこの地方の領主モリナス伯爵の屋敷だよ。あんたと同じくらいの歳頃の御令嬢と御令息がいらっしゃる」
すかさず御者は説明を入れ、親しみやすい笑みをストロベリーに向けた。
遠くの小高い丘に見える石造りの外観は一見、他の民家と変わらない。しかし、遠目でも大きな屋敷だとはよく分かる。伯爵──爵位階級で言えば第四位。とは言え、庶民である商人からしても雲の上のような存在に違いない。
(貴族のお嬢様とお坊ちゃまか……優雅に暮らしてるんでしょうね)
屋敷を呆然と眺めながらストロベリーは他人事のように思った。
……そうして馬車に揺られる事、一時間と少し。陽が西の空にだいぶ傾いた頃、ようやく目的地に辿り着いた。
御者の手を借りて、馬車を降り立ったストロベリーは息を飲む。
蔓薔薇の巻き付いた黒ずんだ鉄柵の校門。その正面には先程見た民家や伯爵邸同様の立派な石造りの校舎が佇んでいた。
校舎までの間には綺麗に芝が敷き詰められており、噴水がある様は美しい庭園のよう。更に敷地奥には、石造りの円錐屋根の鐘塔──教会らしき建物も見えた。
ストロベリーは御者に丁寧に礼を言って、校門をくぐり校舎へ向かう。その最中、直ぐに教職員らしき妙齢の女性が優雅に歩み寄って来た。
「ストロベリー・クレセントですね。私はこの学院の教職員のアーサと申します。レディ・アーサとお呼び下さいませ。貴女の転入を心から歓迎致します」
見惚れる程の丁寧な所作でお辞儀だった。ストロベリーもふんわりとした二段レースのスカートの裾を摘まんで慌てて正しい一礼をする。それから、レディ・アーサに案内されストロベリーは校舎の中へと進んでいった。
通された応接間で待つ事、数分……。
白髪がチラつく初老女性の校長は、やってくるなり学院内の規則や校則の説明した。
──髪型は原則的に自由だが淑女らしいもの。制服は着崩してはいけない事。鐘が鳴るまでに教室に居なければ出席扱いにならない事、それから……。
途切れる事も無くペラペラと話を続ける校長に流石に旅の疲れでストロベリーは眠くなり始めてしまった。しかし、転入早々に寝る訳にはいかない……。それも校長の前で。
ストロベリーはスカートの上から必死に自分の太股を抓って眠気を飛ばそうと試みたが、思いも寄らない校長の発言にストロベリーの眠気は一気に覚めた。
「知っての通り、この学院は女学院です。お父様、お兄様、弟様などの家族以外は敷地内に入れてはなりません」
(──女学院?)
もはや思考は停止した。あんぐりと口を開いてしまえば、不思議そうに校長は小首を傾げる。
「どうなされたのですか?」
「いえ何でもありません! おなかの音が鳴ってしまったので焦って……取り乱してしまいました。申し訳ないです、続けて下さい」
慌てて咄嗟の嘘をつくが、頭の中は混沌としていた。
良い所の坊ちゃんを捕まえて婚約破棄計画。これが一気に積んでしまったのだ。他に転入先が無いからと慌てて願書を送付した事が間違いだっただろう。否や、色白マッチョハゲの伯爵オッサンから逃げたいばかりに、送られてきた案内さえ、ろくに目を通さなかった事が災いしたのか……ストロベリーの脳内には様々な後悔が駆け巡る。
(私の馬鹿ぁ──!)
心の中で叫び喚くが、もはや後の祭りである。
その後と言えば、校長の話など全く頭に入ってこないものでストロベリーは完全に『早速不運に苛まれた』と、自分を呪った。
長々とした校長の話が終わった頃、ストロベリーは今にも灰になってしまいそうな程に目が据わっていた。
早朝から綺麗に二つに結った赤々とした髪も全て白髪になってしまいそうな程。折角の門出だからと召し込んだ小花が散らされた桃色のドレスもまるでただの飾りのよう。彼女の心はもう身体の中に入っていないようだった。
次は寮の説明だから少し待っていなさい。と、校長は退席して間もなく二つ軽やかな叩扉が響く。鈴の鳴るような愛らしい声で『失礼します』と挨拶した後に、応接間に入って来たのは蜜色の髪をした少女だった。
──スラリと長い手足で細い曲線。背は自分よりも少し高いだろうか……首元には空色のスカーフ。上品なフリルを袖や胸元にあしらった生成り色の襟付きブラウスに枯色のコルセット。ふわりと裾に広がるスカートは丘陵を思わせる深い緑と土色のチェック柄。そんな装いの彼女は、意気消沈したストロベリーを見るなりアイスブルーの瞳を細めて優しい笑みを溢す。
「うちの校長の話って長いでしょ……お疲れ様ぁ」
鈴の鳴るような愛らしい声でそう言って、彼女はやれやれといったそぶりで首を振る。
確かに物凄い長かった。だが、そっちではない。とは言え『共学の学院でロマンスを捕まえて縁談破棄する為に──』なんて根深い話は言えたものではない。狼狽えながらも、ストロベリーは自分の前に歩み寄って来た彼女に直ぐに会釈した。
「私、貴女のルームメイトになるレイチェル・モリナスだよ。宜しくね。寮の案内するから一緒に行こう?」
モリナス……どこかで聞いた姓だが、今はハッキリと思い出せやしなかった。
ストロベリーは自分の名を名乗った後、トランクを持って立ち上がろうとするなり、彼女の手と自分の手が触れ合った。
「いいよ。お疲れだろうし私が持つよ?」
親しみやすい笑顔で微笑む彼女がまるで聖女のようにさえ思えてしまった。
「ありがとう……」
ストロベリーは素直に礼を言う。すると、彼女はふふと微笑んだ後にストロベリーの頬に顔を寄せた。
──一瞬、唇が頬に触れただろう。まるで濡れた花弁のよう。しっとりとしたものが押しつけられたような感触は確かにあった。
ぼやけた頭の中でそれを理解すると、いくら相手が同性でもたちまち羞恥が込み上げてくる。ストロベリーは真っ赤になって彼女を見ると、彼女はまたクスクスと笑みを溢し始めた。
「ねぇ、貴女を苺ちゃんって呼んでもいい? 名前の通り苺みたいに素敵な髪色だもの」
「そ、それは構わないけど……い、今のは?!」
唇の触れた頬に手を当てて、ストロベリーは真っ赤になってレイチェルを見つめた。
すると、彼女はきょとんとした面持ちをして小首を傾げる。
「ただの挨拶だよ。お疲れみたいだし、元気の出るおまじない? 苺ちゃんってば反応が可愛いね。さぁ行こう。寮の案内は任せて」
ニコリと微笑んで、彼女はトランクを持ってくれる。
「……っ、よ宜しく」
未だ頭の中は混乱していた。狼狽えた返答しか出やしない。それでも、彼女はふふ。と柔らかい笑顔を浮かべるばかりだった。
(もしかして……同性が恋愛対象とか、そっちの子?)
──男子禁制、女子校だ。そんな人が一人二人や居たっておかしくはないだろう。
疑念を抱きながらも、ストロベリーはレイチェルと一緒に応接間を後にした。
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