夜更けのスイート・ロストガーデン~眠れぬ夜のおもてなし~

日蔭 スミレ

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 ……写真を撮った時点で、きっと自分はSNSにあげる事を考えていた部分があった。

 リピートしたい。それでは〝明日なんか来なくていい〟が大きく矛盾する。それに、こんな真夜中にケーキなんて罪深いけど、今日くらいは良いだろうと初めに思った事だって……。

 確かに、暗い海に身を投げる勇気なんて無い。そんな事、怖くてできそうに無い。

 ただ現実に目を向けたくなかっただけだと、そこでようやく気がついた。
 果たして自分はどうしたかったのだろう。何がしたかったのだろう。どうしてこんなに苦しかったのだろう。
 ケーキを頬張りつつ、ぼんやりと自分の思考を探ると、途方も無い未練と心細さに気がついた。

 自分は別れた彼に対して、本当の気持ちをひとつも伝えていなかった。
 どうして? なんで? と、問い糾すだけで、素直な気持ちは何一つ伝えていなかった。
 一方的に別れを告げられて、『この人は何一つ自分の話なんてもう聞いてくれない』と諦めた。ただただそれがショックだった。

 そんな中、交際中の事がふと頭に過ぎる。

 関係が拗れる前はデートでよく色々なカフェに立ち寄った事があった。
 美味しいケーキを突く自分と目の前で珈琲を飲んで笑う彼。そんなシーンを思い出した途端に、『こんな素敵なカフェがあるなら、ここにだって一緒に来たかった』なんて思考が過って、途端に視界が曇り頬が熱くなった。

(あんなお別れ……あんまりだわ。私は何も伝えてない……だけどもう)

 何もかも全てが終わってしまったのだ。二人には未来が無いのだ。全てが既に過去形で、どうする事もできない。
 俯くと、テーブルの上にはたはたと涙の雫が染みを広げた。その途端だった。

「あのぉ、お姉さん。私のケーキが旨いって褒めてくれたから折角だし、これサービスね。って、おい……どうしたんだよ」

 いつの間にやら来ていたのだろう。数枚のクッキーを乗せた小皿を持った少女は紗良の顔を見るなりに目を瞠る。

「え、ちょ。え? なんで泣いて……」

 言い方がかなり引いていた。
 そりゃそうだ。良い大人がケーキを食べながら号泣なんて誰だってどん引きするに決まっている。

「ご、ごめんなさい。大丈夫」

 紗良は寂しいや恥ずかしいやらで感情がもうぐちゃぐちゃで机に突っ伏した。穴があったら入りたい。
 するとぱたぱたと忙しない足音が響き──

「ちょ、ちょっとエマ! 何してるの……」

 顔を上げられないが、先程の女性アンナの声が間近から落ちてきた。

「ごめんなさい。この子が何か失礼を……」

「してねぇよ、見てただろ?」

 エマと呼ばれた少女は、心底不機嫌そうに言って鼻を鳴らす。

「……エマちゃんは何も悪くないです。その、ケーキが本当に美味しくて……ちょっと私、急に色々と思い出しちゃっただけで」

 アンナがおしぼりを渡してくれた。目元を押さえると、ほんのりとミントとレモンの爽やかな香りがする。
 見ず知らずの他人にこんなに親切にしてくれる事に何だか悪い気持ちがする反面で、その優しさが余計に涙腺を緩ませる。

「……他のお客さんもいるのに、ご迷惑かけて申し訳ないです」

「ああ、大丈夫ですよ。長年のお付き合いの常連さんで」

 そう言ってアンナが奥の席の男性に目配せをすると、彼は戯けたように片方の眉を持ち上げ、新聞とカップを持って二階に上がっていった。

 何だか他のお客さんにまで気を遣わせてしまったようで、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。その旨をすぐに謝ると、アンナは首を横に振った。

「二階にはベランダのテラス席もありましてね。喫煙場にもなってるのです。あのお客さん煙草を吸われますし、よくそちらにも行くので……」

「そうそう。室内は禁煙だし。お姉さんは別に気にしないでいいよ。それにあのお客はここの店の事よく知ってるんだわ。ヤニを吸い終わったら温かい二階の個室にもでも行くと思うさ」

 自分より幾分も若い少女にこうも宥められるのは本気で気恥ずかしかった。紗良は、いたたまれない程に顔を真っ赤にして無言で頷く。

「それにですね。こんな真夜中に、ここへやって来るお客さんは何らかの訳アリの方がほとんどなんですよね。表の看板にも出していますけど……私で良ければ、お話を聞かせてくれませんか?」

 ──見ず知らずの他人だからこそ、きっと話せる事もあるかもしれませんから。相談に乗りますよ。
 そんな風に付け添えて、アンナは優しく笑んだ。
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