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Kapitel3─鏡像世界の二つの生き物

3-6.魔性の者の弱点

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 二人での外出から三日後──その日、ベルティーナは吹き荒ぶ風の音で目を覚ました。
 天蓋のベールを開き、柱時計で時刻を確認すると昼の一時程を示している。
 ベッドから起き上がったベルティーナは窓辺に近付きカーテンを開くと空は抜けるような快晴だった。
 
 しかし、こうも風が強い事は珍しいように思う。
  ナハトベルグに来て既に二ヶ月が経過した。当然のように雨が降る日もあったが、ここはヴェルメブルグと気候はさほど変わらない。しかし、こんなに風が強く吹く事は今までに一度も無かっただろう。
 ベルティーナはカーテンを閉じて再びベッドに戻る。
 未だ起きるには早すぎるだろう。ベルティーナは瞼を伏せるが、こんなにも風が煩いともう一度眠りに落ちる気にもなれやしなかった。早々と二度寝を諦めたベルティーナはもう一度起き上がり、いそいそとお仕着せに着替え始めた。
 
 ────随分と早いけれど、庭の様子でも見に行こうかしら。
 
 早二ヶ月だ。植えたハーブ類はだいぶ育っている。それに、観賞用と植えた毒花も根付いてはいた。
 
 ────トリカブトにおいては、全草有毒。別に花が咲かなくても収穫したって大丈夫そうよね。沢山植え付けたんですもの。何株か間引いたとしても大丈夫でしょう。そろそろ行動に移したとしても……。
 
 そう思うが、ベルティーナは直ぐに眉根を寄せた。
 早く起きたからこそ侍女達に何をするのか等聞かれず作業出来る絶好な機会だとは思う。だが、今更のように、製油を抽出する為に使うフラスコやランプなどの備品を一切持って来なかった事を思い出したのだ。
 しかし、これは侍女達の協力を仰げば近しいものの調達くらい出来るだろうとは思う。
 だが、それ以上にどうにもそんな気にならなくなって来てしまったのだ。
 無論、十七年も自分を幽閉させる運命を辿らせた恨みは忘れていない。しかし、女王が迎えに来たあの日に抱いた薄暗い思想には至らなくなってしまったのだ。
 
 ────どうしたものかしらね……私ってば。
 
 ベルティーナはこめかみを揉んで、思考を巡らせる。けれど”保留にしよう”と早くも結論が出た。
 
 少しばかり浮かぬ面のままベルティーナは一人、部屋を出た。
 こちらの時間では現在は真夜中に当たる。今は使用人達も皆眠っている時間だ。誰一人として廊下を歩んでいない様は何だか新鮮に思えて、ベルティーナは少し興味深げに辺りを見渡して歩くが、自力で昇降機を動かせない事を直ぐに思い出して眉を寄せた。
 
 年々内に秘めたる魔力は高まってるとは言われていた。それに今は確実に魔性の者に近付きつつある。とは言え、魔力を外に発する事が出来ないのか、昇降機を自分で動かせないのであった。ならば、階段で下るしかないだろう。だが、階段へと続く扉を触れると、就寝中の安全上の問題か硬く施錠されている事に気付きベルティーナはたちまち眉を寄せた。
 
 …………私、本当に今日は何だか抜けているわね。寝起きだったからかしら。
 
 困ったものだ……と、眉間を揉んでいた矢先だった。
 
「何やってんだベル……こんな真っ昼間に」
 
 後ろから聞き慣れた低い声が響きベルティーナがぱっと後ろを向くと、そこには案の定ミランが立っていた。
 彼は寝間着の簡素な服装のまま。眠たげな瞼を擦ってベルティーナの方を見つめていた。

「風が煩くて眠れないから早起きして庭の様子でも見に行こうとしただけよ。だけど……」
 
「階段の扉施錠されてるし、自力で昇降機が動かせないって思い出したって?」
 
 眠そうでありながらも、ミランは言わんとしている事を的確に言う。ベルティーナが素直に頷くと、彼はやれやれと首を横に振った。
 
「この風だ。外に出てもろくに作業にもならんと思う。止めておいた方がいいと思うが……」
 
「作業するかどうかさておき。苗もだいぶ育って丈が大きくなってるの。風で倒れてないかって思ってね。庭の様子を見に行こうとしただけよ。そんなに言うなら出ないけれど……眠れないのよ」
 
 少しばかりふて腐れてベルティーナが言うと、ミランは僅かに唇を綻ばせて笑った。
 
「しょうがないな。着い行くから少し待ってろ……」
 
 そう言うなり、彼は颯爽ときびすを返して部屋に戻っていった。
 それから幾何か。戻ってきたミランは普段通りの毛皮の装いに着替えて姿を現した。しかし、未だ髪がはねている。その様が何だか滑稽でベルティーナは笑みつつ背伸びして、彼の乱れた髪を手櫛で整えた。
 
「別に昇降機を動かせればいいのよ……」
 
 流石に、こんな事の為だけに彼まで起きる必要も無いだろうに。そう思いつつ、ベルティーナが眉をひそめると、ミランは直ぐに首を横に振るう。
 
「そうはいかない。俺の立場としちゃ、流石に白昼に婚約者を一人で外に出すのはどうかと思うからな。一応俺の部屋にリーヌ書き置きを残したし……まぁ大丈夫だろ」
 
「晩に仕事は?」
 
 さっぱりとベルティーナが訊けば「あるけど夜半過ぎからだし支障は無い」だなんて彼はあっさりと返した。
 ならば好意に甘えても良いだろうか……。そう思いつつ、二人は昇降機に乗り庭園へと向かう。
 
 しかし案の定、外は猛烈な風だった。
 下から吹き上げる風に、スカートの裾が捲り上がりそうになる。ベルティーナがスカートを押さえつつおぼつかない足取りで歩んでいれば、ミランはジトリと目を細めてベルティーナを一瞥した。
 
「やっぱり部屋に戻れば……あわよくば俺の部屋で二度寝してけば」
 
「は? 嫌よ」
 
 言われた言葉にベルティーナは目を細めて即答した。
 
「即答されると流石に傷つく……」なんて彼は溢すものだが、ベルティーナは目を細めたままそっぽ向く。
 
「どうせ結婚したら俺の部屋が寝室になるから同じベッドで寝る事になるがな。だから俺に抱き枕にされる予行演習して慣れた方が良いんじゃねぇの……」
 
 続け様にミランに言われて、ベルティーナは更に目を細めた。
 抱き枕に……。つまり彼に羽交い締めにされて眠る事になるのだと。
 自分達は婚約者同士。いずれ夫婦になった時には同じ部屋で生活し、同じ部屋で過ごす事になるものだと理解していたが……。そこまで深々と想像がしたことが無い。
 しかし、想像しなければ良かったとベルティーナは直ぐに思った。
 夫婦が一緒に寝る……つまり、ただ寝るだけでは無いとは分かる。何せ、相手は”匂いが堪らない”等と獣の雄みたいな発言をする相手だ。当然のように、そういう気はあるのだと分かっている。
 
 ────あぁ、考えなければ良かったわ。
 
 脳裏に途方も無く浅ましい想像が抜けきれず、ベルティーナは顔を真っ赤に染めて俯いてしまった途端だった。
 
「想像したの?」
 
 ミランが少しばかり意地悪く言う様にベルティーナは思いっきり唇を拉げた。
 
「してないわよ!」
 
 ──馬鹿じゃないの! なんて、憎まれ口を付け添えて。ベルティーナは向かい風さえお構いなしに、ミランを追い越して庭園に向かって歩み出した。
 
 そうして間もなく。庭園に着いた訳だが……風が強いからといって普段と何ら変わりが無かった。
 しかし、いつも以上に緑が濃く見えるような気がする。何せ、いつも庭園に来る時刻と言えば早くて黄昏時だ。こうも太陽が真上にある時に来た事も無いもので、昼の輝かしい程の緑の景色にベルティーナは息を呑む。しかし、それは隣に立つミランも同様だった。
 
「すげぇな……白昼に出歩いた事なんて殆ど無いが何もかも色が濃い」
 
 そう言って、彼は城の方に視線を向けて目を糸のように細めた。
 黒砂岩に紫水晶の結晶を混ぜて積み上げて出来たかのようなナハトベルグ城──白昼の太陽の下、城は淡い紫の光を放ちキラキラと光っているようにも見える。それはあまりにも美しく思いベルティーナも同じように見とれてしまった。
 
「そうね。私も庭園に来るのは早くて黄昏時ばかりだから、同じ事を思ったわ」
 
 そう言って、ベルティーナはミランを一瞥しようとするが──その視線が反らせなくなった。
 光を受けた立派な巻き角や目元に散らされた鱗は妖しい青白い光を反射していたのだ。
 確か初対面の時にも見た光景でもあるが……こうも煌々とした太陽光の下でまじまじとミランの姿を見た事も初めてだったからだろう。その光はとてつもなく妖しくも美しいもので、ベルティーナは息を呑み食い入るように彼を見つめてしまった。
 
 しかし……。
 
「……そんなジッと見て求愛か? ここ外なんだがな。随分と大胆で……」
 
 なんて、ミランが意地悪く言うものだからベルティーナは慌てて目を反らした。
 
「違うわよ。こうも太陽光が燦々とした場所で貴方を見たのは初めてで……」
 
 ──角と鱗が綺麗だと思って見とれた。と、素直な言葉を不機嫌そうに言えば、彼はクスクスと笑みを溢した。
 
「そう。ありがとな」
 
 そう言った彼の横顔もあまりに綺麗なもので……。ベルティーナはまた見とれてしまいそうになるが、からかわれるのも癪に思い直ぐに顔を背けた。
 
「ねぇ。今更になるけれど……貴方、日光を浴びて大丈夫なの?」
 
 ベルティーナは目を細めたまま彼を一瞥した。 
 
 闇に生きる魔性の者は太陽の光に弱い。そんな言葉を本で見かけた事もあるものだが……。彼はまたもクスクスと笑いを溢す。
 
「日光なんぞ微塵も支障は無い。それに、魔性の者が日光がダメだとか聞いた事も無いけど」
 
 そう、はっきりと言われてしまいベルティーナは何度も瞬きした。
 ならば、何故に彼らはあえて夜に活動するのか。昼の方が視界だって良いのではないか。全くもって謎過ぎる。しかし……。
 
「ただな。こうも燦々とした太陽光の下って、魔性の者はどうにも目が利かなくなるんだ。焦点が合わないというのか……夜に比べて確実に視力が下がっているとは思う」
 
 ──眩しすぎるし。なんて、ばつが悪そうに言って、彼が眉の下で手の庇を作るものだから、ベルティーナは眉をヒクつかせた。
 
 ────やっぱりダメじゃない。
 
 ベルティーナは呆れた吐息を溢しつつ、ミランの袖をクイと引く。
 
「それなら良い場所を知ってるわ。いらっしゃいミラン」
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