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Kapitel3─鏡像世界の二つの生き物

3-2.強引な身支度

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 それから約十分後。
 お仕着せのドレスを纏ったままのベルティーナは腕を組み、脱衣所の前で目を細めていた。
 
「……で、暇が出来たからって、ミラン王子が急遽私をお出かけに誘いに来た。そこまでは良いわ。だけど」
 
 ──入浴まで済ませて、めかし込む必要があるのか? と、呆れ混じりに言った途端に狼と狼、三人の侍女達はギョっとした面で一斉にベルティーナに視線を向けた。
 
「ベル様……畑仕事のまま行くのです?」
 
 流石にそれはちょっと……と、声を出したのは双子の片割れのどちらか。
 
「べ、ベルティーナ様。相手は婚約者で殿方ですよ……? 何が起きても良いようにお肌も綺麗に整えておく事って大事では無いですか?」
 
 そう言ってハンナはギョっとした面持ちのまま、ベルティーナをジッと見据えた。
 
「……なにを今更。逆に聞きたいけど何が起きるというのよ? ほぼ毎朝、私が寝床に入る前に私の部屋に来てるのよ。二人きりで過ごしてる事は存知よね?」
 
 ピシャリと尤もな事実を言うと、ハンナはモフモフとした狼耳をヘタリと下げた。
 
「ねぇ。イーリス、と二人、何が起きるの?」
 
「しっ! 聞いちゃダメ。ロートスって本当お子様なんだから!」
 
 恐らくロートスの方はハンナの言わんとしている事を未だよく分かっていないのだろう。流石に、これ以上の発言は良くないだろうと思ったのか、ハンナはやれやれと首を横に振る。
 
「多分、そう遠くに行く訳でもないでしょうに。貴女が言うような事にはならないと思うけれど。だから、着替えるだけで良いじゃない?」
 
 そもそも、夕刻に起きたつい数時間前に一度軽く湯浴みも済ませているのだから面倒にさえ思えてしまう。それに水の無駄使いだろうとさえ思えてしまうもので。
 それできっぱりと拒否出来たとベルティーナは思ったものだが……。
 ハンナが突然「少し耳を貸して下さい」なんて言い出すものだから、ベルティーナが仕方なしにハンナに近付いた──その途端だった。
 ハンナはギュッとベルティーナを抱き寄せ、取り押さえたのである。
 
「ベルティーナ様の無頓着な王女様らしからぬ所って私は本当に大好きですが、流石に今回ばかりは言うこと聞いて下さいよ?」
 
 ──お時間も無いので強硬手段に出ます。と宣言するや否や、ハンナは吠えるように双子の猫侍女に呼びかける。
 
「ほら、イーリス、ロートス! 早くベルティーナ様の召し物を脱がせて頂戴!」
 
 対して、双子の猫侍女達は明るい一つ返事を。その一拍後にベルティーナのエプロンやドレスを脱がせ始めたのである。
 
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 貴女達、流石にこれは無礼よ! 不敬すぎるわ!」
 
 本当に思わぬ展開である。ベルティーナは目を白黒とさせて喚くが、彼女達はもうお構いなしだった。
 
「何を仰るのですベルティーナ様。無礼も何も……以前、堅苦しい態度取らなくて良いなんて言ったの、ベルティーナ様じゃないですか?」
 
 少しふて腐れた調子でハンナは言う。
 だが、事実以前に”王女らしい扱いなんてされてこなかったものだから馬鹿と丁寧に接しなくたって良い”と自分は言っただろう……。
 
「貴女本当に言うようになったわよね……」
 
 この台詞はもう何度目やら。ベルティーナは眉を寄せて、自分を取り押さえるハンナに言えば、彼女は黄金きんの瞳を細めて少しばかり狡猾に笑んで見せた。
 
「ええ、当然ですよ? 狼は狡賢くて意地悪なんですから」
 
 しかし、本当によく言うようになったと思う。初めと言えばオドオドとするばかりだったというのに……。

 自分も随分と変わった気がするとベルティーナは思った。
 こんな騒々しいのは嫌いだった筈なのに。何でも他人の好意だって撥ね除けて拒んでいた筈なのに。心の奥底で凍り付いたものが緩やかに解けていくような感覚さえするもので……決して嫌とも思えなかった。寧ろ嬉しく思えてしまうもので。
 
 ────そんな私が、毒花の王女ベラドンナね……。
 
 陰で囁かれていた通称を思い出し、ベルティーナは思わず笑んでしまった。


 
 素っ裸になって浴室に押し込まれてしまえば、もう湯浴みする以外に選択なんて無かった。
 そうしてベルティーナが湯浴みを済ませ、背中の大きく開いたアンダードレス一枚で部屋に戻ると、三人の侍女達はやる気に満ち溢れた面で待ち構えていた。
 クローゼットは全開に開けられており、鏡台の前にはズラリと化粧道具が並んでおり、もう見るからに準備は万端だった。
 
「さてさてベル様、ベル様が大好きな紫のドレスを吟味しておきましたよ!」
 
 そう言って、双子の片割れはハンガーラックにズラリとドレスを並べ始めた。
 しかし、幾度見たって奇抜なものばかりだ。それも独特なデザインが多い上、背中や脚と露出が多いものばかり……。
 ベルティーナは眉をヒクつかせて、目を細めてそれらを眺めた。これらドレスはミラン王子が選んだものだと聞いている。今更ながらに思うが彼の趣味だろうか……なんて思考も過ぎる。
 しかし、慣れもあるのか……一度着てしまえば以前のような激しい抵抗も感じないもので、ベルティーナは前回着たものと同じドレスを選んだ。
 
「あれっ、ベル様これって前に着たやつじゃないです? お気に召したのです?」
 
「いいえ。一度着ている方が抵抗が無いだけよ。それに前回は直ぐに部屋に戻ったものだし。丁度良くなくて?」
 
 ──ただの消去法。と、きっぱりと答えると、双子の猫侍女達は納得したかのように頷き、ドレスを衣紋掛けから外した。



 黒に紫。大きな蝶をあしらった変形バッスルドレスを召し込み、化粧を施して髪を高く結い上げたベルティーナは、夫婦の部屋を繋ぐ通路を塞ぐベールの前で一つ息をつく。
 
「ねぇ……このドレスやっぱり少し破廉恥じゃなくて……」
 
 やはり二度目でも片脚の露出の広さには少し恥ずかしいと思えてしまった。ベルティーナが目を細めてハンナに訊くと、彼女は直ぐにブンブンと首を横に振る。
 
「とても似合ってます。妖艶で耽美たんびですよ?」
 
「じゃあ別の質問。ハンナ、貴女だったらこのドレスを着られるかしら?」
 
 少し意地の悪い質問をしてみた。すると、ハンナは少しばかり困却した顔を見せる。
 
 ────ほらやっぱり。破廉恥なんだわ。
 
 そんな風に思うが、困った顔を浮かべていたハンナは頤に手を当ててジッとベルティーナを見据えて直ぐに首を横に振った。
 
「……それは多分無理ですね。だって、これらドレス、きっと妖艶で高慢そうなベルティーナ様を更に引き立たせるような雰囲気できっと仕立てられていますもの」
 
 ハッキリと言われてベルティーナは目を瞠る。妖艶で高慢。褒め言葉にしては不器用過ぎるだろうが……似合うように出来ていると言われると、全く嫌な気はしなかった。しかしどう答えて良いかも分からない。ベルティーナが困却して顔をしかめた途端だった。
 
「わぁああ! ハンナ凄いです! そうです! 左右非対称のドレスってナハトベルグの若年齢層向けのドレスでは一般的なデザインですが、限られた人しか似合わないのです。可愛いより……妖しい美しさのあるお姉さんに似合うかんじです! 事前に手に入れたベル様の肖像を元にミラン様が似合いそうなドレスを厳選して仕立屋が作っているんですよ!」
 
 そう言って、キャッキャと双子の侍女の片割れ──恐らくイーリスの方が言うが、これまた初耳があった。
 
 しかし、肖像まで描かれていたとは……。
 
 そんなの全くもって身に覚えは無い。この国の者が姿を眩まして描いていたのか、それとも母国の絵描きが想像で描いていたのか……。
 
「ねぇ、それってどんな肖像かしら……気になるわね」
 
 全く自分の知らぬ場で肖像を描かれていたのだ。呆れたように目を細めてベルティーナが言うとハンナは直ぐに首を横に振る。
 
「そんな事より、多分ミラン王子が待ちくたびれていると思いますよ?」
 
 ハンナが言った矢先だった。
 自分の目の前のベールがパサリと開きベルティーナは驚嘆して目を丸く開く。
 案の定姿を表したのは、ミランで……。
 しかし、こうも近付くと本当に彼は長身なのだと思いベルティーナは威圧され一歩後退するが、すぐに彼に手を取られた。
 
「……うん。流石に待ちくたびれたから迎えに来た。部屋も布二枚と少しの通路挟んで直ぐだしな。話し声、筒抜け」
 
 淡々と言うなり、ミランはベルティーナの手を引いた。
 しかし、手を握られるなんて初めてだろう。以前は拒否したものだが、こうもいきなり取られるなんて思いもせず……初めからとなれば当然のように拒否もしにくい。 
 それでも何故かそこまで不快に思わず、ベルティーナはそれを拒めなかった。
 
「それじゃあ行ってくる。婚前の王女様だ。朝までには返すから」
 
 それだけ告げて、ミランはベルティーナの手を引いて部屋を出た。





 ベルティーナとミランは城下の街へ続くプラタナス並木を歩んでいた。
 夜なのだから、周囲は暗々とした闇に包まれているものの、並木には発光球体がついている事から周囲が仄かに明るく見える。
 
 人間の世界で言えば、夜は静謐に包まれる時だ。だが、正反対の暮らしをするナハトベルグでは、現在が真昼と同じ。人の声や弦楽器の音色と賑やかな音が溢れかえっていた。
 小高い丘の上に佇むナハトベルグ城ではあるが、意外にも城下は近い。それは先日の拉致騒動の件の時にベルティーナも知った事ではあるが、城まで続く坂道を下って直ぐに大きな通りに面していた。その左右には様々な店が軒を連ねており、そこがナハトベルグの街の一番栄えた場所だと確か双子の猫侍女は言っていた。
 
 ────思えば、あの子達。この城下の出身で治安は良いと言っていた筈よね。そうは言ってたけれど……まさかあんな事態に陥るなんて。
 
 ベルティーナは先日の拉致事件の事を事を思い出し眉をひそめた。その表情を悟ったのだろうか。隣を歩むミランはピタリと止まり、神妙そうに首を傾けた。
 
「ベルどうかしたか? やっぱり出掛けるのは嫌か?」
 
「いいえ……少し先日の事を思い出しただけよ。私につけてくれた双子達はこの城下の出身で、ここは治安の良い街だって聞いていたけれど」
 
 何故あんな事が起きたのか。その旨を訊けば、ミランは相槌を打ちつつ、ゆったりとした歩調で歩み始めた。
 
「……魔性の者だって人間と同じだ。誰もが良い奴な訳が無い。人間にひたすら無関心な奴だっていれば恨めしいと思う奴だっている。ベルを呪った妖精やこの前の小悪党共が良い例だ。人の数だけ色んな考えの奴が居て当然。だからああいう奴らだって居るんだ。”同じ人間”だろうが戦争を起こしたりするもんだろ?」
 
「そうね……戦争ばっかりやってた国の王女だもの。いくら幽閉されていたからと言って分からなくも無いわ」
 
 ベルティーナは母国を思い出して呆れつつ、さっぱりと答えた。
 
「リーヌから聞いたとは思うが、俺は女王の息子。王子ではあるが、護衛の長。この国の番人。国を守る事が勤めなんだ。人間の世界で言う所、騎士団長や兵長とでも言えばいいのか……まぁ、ベル達を拉致したあいつらは、無賃飲食だの女を誘拐しただの相当目に余る行動が多くてな。名の知れた小悪党だよ。決着をつけられて丁度良かったと言えば丁度良かったが……」
 
「それで、あの後あの品性の欠片も無い小悪党共はどうなったというの?」
 
 思えば処遇については詳しく聞いてもいなかった。ベルティーナがミランを一瞥すると、「見張り塔ベルグフリートの中に閉じ込めている」と彼は目を細めて言った。
 
「つまり終身刑か処刑……?」
 
「まさか。数ヶ月で釈放する気でいる。そういえば、力ある者に必ず従う決闘の掟をベルは聞かなかったか?」
 
 問われて、いいえとベルティーナは首を横に振った。
 
「敗者は勝者に……強き者に従う。そういう掟でしょう? だけど、従うフリをして闇討ちされるなんて恐れは無くて?」
 
「いいや、そんな筈は無い。そう出来ないようにする為の幽閉期間だ。魔性の者は基本的には自由気ままな性質な所為か極度の閉所恐怖症が多い。この前見たかもしれないが、俺らの本来の姿って図体がかなり大きいからな。あんな場所に幽閉されりゃ大抵改心される。いつまで経っても従う気が無ければベルの言ったように終身刑なり処刑にするだろうがな」
 
 ──そもそも、あいつは酷いアル中だ。酒が完全に抜けきれば割とまともになるんじゃねぇの。なんて、面倒臭そうに付け添えて。ミランはやれやれと首を横に振った。
 
「そういえば、最も強き者が王になると聞いたけど……王位は直系に受け継がれるものかしら。その理論でいくと、貴方の母……ヴァネッサ女王は……」
 
 そんな話しを出すと、隣を歩むミランはクスクスと笑い声を溢し始めた。
 
「何がおかしくて?」
 
 思わず、ジトリと目を細めてミランを睨んでやるが、彼は優しく目を細めてベルティーナの方を一瞥する。
 
「いや。淡々と喋って寡黙なベルがこんなに話しかけてくれるようになって嬉しくてな。それに鉄仮面みたいに無表情だったのにさ。結構、色んな顔が出来るんだな?」
 
 言われてベルティーナはぽかんと口を開けてしまった。確かに、それは自分でも大いに自覚出来る。だが、ミランだってそれを言える立場では無いだろう。
 初めこそは、本当に全く感情が読み取れもしなかった。見かけは乱暴そうなのに、とてつもなく陰湿な人かと思った程で……。
 
「貴方が言えた事では無いわよ?」
 
 刺々しく言ってやると、ミランはこめかみを揉んで唇を拉げる。
 
「その理由は前にも言っただろ。俺なりに色々気を遣った結果というのか……」
 
「それでいて、性別不詳の美人な幼馴染みとは大の仲良しで。同じ指輪までするくらいですもんね? 当人に教えるなんて、本当に余計な事をしてくれて」
 
 思い出すとまた少し腹が立ってきた。「貴方の所為で恥をかいた」とピシャリと言ってやると、ミランはジトリと目を細めてベルティーナをまた一瞥した。
 
「だけど、それは完全にベルの勘違いだろ? リーヌには悪りぃけど、正直今まで生きてきた中で一番面白かったから、つい口が滑った」
 
 言われて、少しムッとしてしまうが、数拍すると不思議と唇に笑みが乗るもので、二人は顔を見合わせたと同時に笑ってしまった。
 
「何はともあれ……ベルと仲良く出来そうで良かった。本当に今更だけどこれから親しくなれたら嬉しい。宜しくな」
 
「ええ、お手柔らに」
 
 そう言って、ベルティーナは僅かに微笑んだ。



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