【R18】業火に躍る堕落のサンサーラ

日蔭 スミレ

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第五章 堕落のサンサーラ

5-3 拉致の理由、姉の願い

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 牢獄から出されたシュリーは、彼女の後をついてアスラの集落を歩んでいた。
 しかし、アスラの集落は、予想外な程に活気があった。
 窟の中という暗い環境下ではあるが、決して陰鬱な印象を感じさせない。整備はしっかりと行き届いており、通路の脇には蝋燭が灯されていて仄かに明るかった。香を焚いている事もあるだろう。にゅうこうの優美な香りが窟全体に広がっており、こんな状況下であってもシュリーは僅かに心が綻んだ。

「こっちよ。いらっしゃい」

 ルタに促され、狭い窟を通されると今度は閑散と開けた場所にやって来た。そこは、妙に明るいもので、シュリーは直ぐに上を見上げる。ここは天井が無く空洞だった。望むものは満天の夜空。煌々と光る黄金の月が、優しい光を落としていた。
 あまりの美しさにシュリーは息を飲んだ。ディーヴァの集落で過ごしたうちでは、夜に外に出た事など無い。アムリタの大都市の薄汚れた空とは違う。しかしどことなく懐かしく思えてしまった。こんな夜空を見たのは何時だろうか……。

 ふと、過るのは幼き日。故郷の農村に居た頃──夜半目が覚めて、外の憚りに行くのが怖くて、姉のルタによく付き添ってもらった。暗い場所は怖い。けれど、空を見あげれば広大で美しいと教えてもらった事があった。それによく似ている。シュリーは立ち止まり呆然と空を見上げてしまった。

「シュリー、どうかしたの」

 先行くルタに穏やかに言われて、シュリーは直ぐに首を横に振る。

「何でもないわ。ただ空が綺麗だと思っただけ。妙に懐かしくて……」

 言って間もなく、ルタはシュリーに歩み寄り、同じように空を見上げた。

「そうね、私もアスラの集落に来た時同じ事を思ったわ。とても懐かしいわね。……流石もう一人で外の憚りには行けるわよね?」

 笑い混じりに言われて、シュリーは少しばつの悪そうな顔をした。だが、これで嫌でも確信する。本当の姉に違いないと……。

「本当に姉さんなのね」

「何度も言わせないで。私よ」

 呆れたように言って直ぐ。ルタはシュリーの手を握って、ゆったりと歩み始めた。 
 閑散と開けた空洞は思ったよりも長かった。
 暫く歩めば、篝火かがりびの並んだ通路に差し掛かる。その両脇には池があり、水面の上に睡蓮の花が綻んでいる。水面の中に映し出された橙の炎がぼんやりと揺らいでおり──とてつもなく美しい夜を映し出す。
 ディーヴァが城ならばこちらは宮殿遺跡のようにさえ思う。しかし、どちらも甲乙つけがたい美しさがあるだろう。
 ディーヴァの女を攫う他、物を強奪するだの聞いていたものだから、彼らは荒さみ切った原初的な生活を送っているものかと思ったが、真実は全く違った。それに活気もあるもので、どこからともなく女達の談笑する声や子供が笑う声が聞こえてくる。

 穴の開いた天井を抜けると、再び窟の中へ……。暫く歩くと縫い物をする女達見えてくる。見る限り、ヴァルナ族の数は少ないだろう。ナーガが十人程で、ヴァルナが二人程しか居ない。年齢層はバラバラだ。自分と歳も変わらなそうな若い娘も居れば、恰幅の良い中年の女やか細い老婆も居る。しかし、ここでもやはり皆、和気藹々と会話に花を咲かせ、各々が仕事をしていた。しかし、ルタの姿が見えると、皆持ち場を離れてわらわらと二人に近付いて来た。

「あらまぁ。奥で粉引きしていた子に聞いたけど、これが噂の妹さん?」

「本当にルタそっくり。べっぴんさんじゃない。本当にルタと見間違えちゃいそう」

 各々が好き勝手に喋ってかしましい。まるで、ディーヴァのハヌマーン族の集まりのようだとシュリーは思った。やはり、敵意無く接される事が不思議に思えてしまい、シュリーは複雑な面で彼女達の顔を一人ずつ見る。本当に全く敵意を感じられない。それどころか、人懐こい顔で面白そうにシュリーを見るだけで……。

「全く。お喋りしてないで、手を動かさないと族長に怒られるわ。それ、男達の衣類でしょう?」 

 呆れた調子でルタは言うと、彼女達は一気にばつの悪そうな顔をした。

「まぁ、そうなんだけど。戦だなんだって族長一派の男達だけが盛り上がってるだけじゃない。ディーヴァはディーヴァで良いじゃ無い」

 ──ねぇ? なんて、恰幅の良いナーガ族の女に同意を求められて、シュリーは困惑した。

「そうよそうよ。確かに男達が狩りに行ってくれるのはありがいけど、女に子守だ家事を全部押しつけてさ! 戦なんか別にどうだって良いじゃない。男はなぁんにもしないんだから! 争ったって、魔族が神さん達に叶いっこないでしょうに」

「ルタも戦士なんか止めてこっちで布でも繕ってお喋りしてればいいのに」

 各々は好き勝手に喚く。しかし、戦士と──シュリーは思わずルタを見ると、恰幅の良い中年のナーガ族はシュリーの肩をポンと叩いた。

「あら、あんたは姉さんの恐ろしさを知らないのかね?」

 シュリーは小首を傾げる。すると、ナーガ族の女は長い爪でシュリーを指し示し不敵な笑みを見せた。

「あんたの姉さんは、アスラじゃ屈指の戦士さ。戦乙女、紅一点だね。美しさに惑わされたら最後──恐ろしい不幸に苛まれる。おっかない女だよ」

 言われた言葉にシュリーは眉を寄せる。途端に思い出すのは、魘され苦しむアンビカと断末魔の悲鳴を上げるスパルナで……。シュリーは複雑な面を貼り付けたまま何も答えられなかった。方や、ルタは眉間を揉んで深い吐息を一つ吐き出す。

「そんな話はどうでもいいでしょう。私達の痩せた領地の収穫だけじゃ皆が満足に食っていけない。ディーヴァを襲う他に無いでしょう。だから戦士は必要。別に私は人を不幸にさせたくてしてるわけじゃないわ」

 ──私は自分に出来る事をしているだけ。これだって、アスラへの恩返し。と、キッパリとルタが告げると、皆押し黙ってしまった。 
 シュリーは依然として、何も言葉が出せなかった。

「行きましょう」サリーの裾を引かれて、シュリーは黙ってルタの後に続いた。



 歩むこと暫く、ルタとシュリーは洞窟を出た。外に出ると、風に乗って硫黄の匂いが鼻につく。ふと、匂いの元を視線で辿ると、岩肌の斜面の向こうに、山頂が仄かに明るい山の姿が見えた。明るい所為か、煙が風に靡いているのがよく見える。
 見覚えのある山だ。シュリーはふと眼下に視線を向ける。月明かりに照らされて黒々とした森林の向こう。遙か遠くにディーヴァの城がぼんやりと見えた。

(あの山の麓だったのね……)

 シュリーは、後を振り返りアスラの集落の入り口を見つめた。あんなにも香を焚いていたのは硫黄に匂いを消す為だろう。何もこんな場所に暮らさなくても良いだろうとは思う。だが、領地が分断されたのは、やはり抗争だ。遙か昔、神々のものとされた不死の霊薬を巡って抗争し、この火山地帯を原初のアスラ達を閉じ込めたのが始まりだとイシャンから聞いた事を思い出す。

「ここも、人が来るわ。もう少し人気が無さそうな場所に行くわよ」

 そう言って、ルタはシュリーの腕を掴むと掌にたちまち黒い蓮の花は萌え始める。
 何か恐ろしい幻術をかけるのでは……。畏怖にシュリーが顔を強ばらせるが「ちゃんと掴まってなさい」と、示唆して直ぐ。ルタは蓮の花をクシャリと握り潰した。ふわりと、青紫の光を光らせ、黒い花弁は舞う。一枚、二枚……と身体に触れると、スッと二人の身体はたちまち薄れ消失した。
 真っ暗な闇の中──深淵に放り込まれるような感覚だった。だが、視界が開けるのは直ぐだった。
 初めに感じたのは尋常では無い蒸し暑さ。その元凶を探り、見下ろすしたと同時──眼下に広がる恐ろしい光景にシュリーは悲鳴を上げた。 
 赤々とした溶岩が底でブチブチと泡を立てて煮えているのだ。

「ね……姉さん?」

 まさか自分をここに突き落とす為に連れてきたのではないだろうか。恐れ戦き、シュリーは咄嗟に火口から離れるとルタはケラケラと笑みを溢す。

「ここならば絶対に誰も来ないだろうって思うだけよ」

 そう言って、ルタは目を細めて火口を見下ろした。確かに、誰も来ないだろう。いくらディーヴァでは”野蛮”と言われているアスラ族でもこんな場所に好き好んで来る者が居れば、相当気が触れているだろうと思える。

「何もこんな場所じゃなくても……」

 シュリーは目を細めてルタを睨む。ルタは苦笑いを浮かべつつ首を横に振った。

「この火山って、現世うつしよに繋がっている知ってるかしら?」

 確か、そんな話を”あるべき場所に還る”と言った時、イシャンから聞いた事があった。シュリーが頷くと、ルタは悲しげな微笑むを浮かべた。

「そう。さっき言ったお願い事がもしかしたらここならば叶うと思ったから……」

「……ここなら叶うって」

「……シュリー。私とここから一緒に身を投げて死んで欲しいの」

 まるで、明日の天気を伺うように優しい口調で言われたものだから、シュリーは一瞬理解出来なかった。しかし、ここから身を投げて死のうと……。とんでも無い告白だ。冗談だろうか。否や、冗談にしては性質が悪すぎる。シュリーはたちまち顔を強ばらせて首を横に振った。

「……いくら姉さんの頼みとは言え、嫌よ。冗談にしては性質が悪すぎるわ」

 ハッキリと告げると、ルタは俯き──「冗談な訳が無い」と怒鳴った。
 怒鳴られるなんて初めてだった。しかし何故……どうして。姉が考えている事が理解出来ず、畏怖を覚えたシュリーは二歩、三歩姉から距離を取った。
 しかし、姉はシュリーを追ってジリジリと歩み寄る。本当に突き落とし兼ねないと、思えてしまう。

「……神々や幸運に愛された貴女には何も分からないでしょうね。こうすれば、ディーヴァの族長の奥方を殺す事になって、私はアスラに恩返しも出来る」

 それから一拍、二拍と経てルタは再び形の良い唇をゆったりと開いた。


 ────私が死んでいる事は、貴女だって分かっているでしょう。
 私が死んだから、貴女が寺院に奉納されたようなものだしね。
 私はね、奉納された歳が歳だったし直ぐに後援者パトロンと寝たわ。だけど、ろくに性技の教育さえされなかったの。満足もさせず、痛みに悲鳴を上げるばかりしか出来なかった。それが気に食わなかったのでしょうね。後援者パトロンに酷い暴行を受けたの。それも一度だけじゃなく、その後援者パトロンだけじゃない。十回も二十回も……散々な目に遭ったわ。そうして、月日が経って……私、誰の子かも分からない子供を孕んだの。その上、感染症にかかってしまったの。髪の毛は抜けて、目や喉の粘膜は爛れて、本当に酷い状態で……。その上、腹は日に日に膨らんで……。醜いって、こいつはもう後援者パトロンに出せない、役立たずと僧侶に散々に摂関されたわ。
 だから寺院を飛び出した。だけど、私に体力なんかもう無かったわ。川辺で二日ほど過ごしているうちに、命が尽きた。だけど、死にきれなかったのかしら。私は肉体を失い、悪鬼になって現世うつしよに留まり続けていた。私をこんな目に遭わせた、両親も親戚も本当に許せなかった。だから取り憑いて祟り殺したわ。だけど、それでも恨みが尽きなかったの。本当に気持ちが悪かった。どうすれば気持ちが晴れるか分からなかった。そうしてフラフラと彷徨い続けていた時に、一緒に来ないかって……私に声をかけてくれた人がいた。それが、現世うつしよに降り立っていた今の夫。アスラの副族長──カリシュと、ルタは静かに語る。
 

 変死と伝えられた死の真実を聞きシュリーは言葉を失った。あまりに凄惨過ぎる。それに、病で立て続きに両親や親戚死んだ事も不思議には思ったが、姉のが祟っていたとは思いもしなかった。あの優しい姉が……。
 しかし、おかしいだろう。手を差し伸べてくれた夫が居るにも関わらず、何故死を選ぼうとするのか……。シュリーは何も言えず、ただ視線を落とし、ルタの言葉の続きを待った。それから暫くして、再びルタは言葉を紡ぎ出す。

「……どうして死にたいかは、果たしたって恨みは消えないからよ。彷徨う悪鬼から夫の介入で輪廻して、アスラのヴァルナ族になっただけ。身体に残った感触も魂だって何もかも引き継いでいる。喉の奥に絡まる噎せ返る程の精液の臭いも、目を焼き尽くすような痛みも、腹の中で蠢く胎児だって覚えてる。自分が命尽きた事で子を殺した残った罪悪だって痛い程に覚えてるの……」
 気持ちが悪い。と、悲鳴を上げルタは途端に喉を掻きむしる。すると、瞬く間に彼女の姿は一変した。

 ──かろうじて姉だと分かる原形を留めているものの、まともに見ていられる姿ではない。目は赤く爛れ、唇は分厚く腫れ、口元にはブチブチと無数の水疱が出来ている。髪の油気も無くなっており、白髪交じりの髪──その醜悪な姿はとても齢十九の娘に見えやしない。

「私は再び現世うつしよに行けば、魂は消滅すると聞いたわ。だけど怖くて出来ないの……死にたいのに、死んでいるのに……また死ぬことが怖いの。だから……だから……」

 ──お願いだから私と死んで欲しい。と、ルタは大粒の涙を溢し、シュリーに縋り付き懇願した。
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