【R18】業火に躍る堕落のサンサーラ

日蔭 スミレ

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第三章 繋がる記憶

3-1 初めての友達

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 城の外に出てから早いこと二週間が経過した。
 シュリーは相変わらずこの世界に留まり続けていた。スパルナの件は未解決のまま。当然のように気が重たい。だが、それに反して嬉しい事や楽しい事は沢山あったもので……シュリーは持ち前の明るさを取り戻しつつあった。
 その尤もな要因は友達が出来た事だろう。

「シュリー! そっちの畑のトマトも収穫しちゃって!」

 燦々とした陽光が降りしきる田畑に愛らしい少女の声が響く。

「分かったわ!」

 溌剌とした返答をしたシュリーはたわわに実ったトマトをもぎ取った。
 手に持つ籠には、トマトにニガウリ。小ぶりなキュウリのカンドゥリと様々な野菜がたっぷり。これだけ収穫すれば流石に重たくなり腕も疲れてくる。シュリーは持ち手を変えて額に滲んだ汗を拭った。

「大量ね!」

 朗らかな声と共に、ニガウリの葉のカーテンから現れたのは二週間程前に共に踊った少女だった。色白の肌は陽光の下では眩い程に輝かしい。艶のある長い栗毛を後ろで束ねてはいるものの、彼女も額から汗を滲ませている。
 彼女が持つ籠の中には、シュリーの籠の比では無い程に沢山の野菜が詰め込まれていた。

「アンビカさんもいっぱい取ったわね?」

 彼女の籠を覗きつつシュリーは笑む。しかし彼女はムッと頬を膨らませた。

「もう敬称なんて水くさいって何度言わせるのよ。私とシュリーは一緒に踊った仲じゃない! せめて”アンビカちゃん”って呼んで欲しいわ」

 彼女は頬を膨らませてプイと横を向く。もう何度目になるだろうか……シュリーは眉尻を下げた。

「誰に対しても敬うこと。どうにも癖なのよ。ごめんねアンビカ」

 シュリーは素直に謝る。アンビカは機嫌を直したのか、再びシュリーに向き合いパッチリとした大きな瞳を向けた。その瞳は草木と同じ緑色。翠玉さえ彷彿させる何処か高貴な輝きを持っている。何度みても思う。本当に可愛いらしい。しかし、何がそんなに可愛いかと言えば、顔だけではなく。自分より背丈も低い事もあるだろう。

「でもね、次に言ったらもういい加減に怒るんだから! 私が親しみ込めてるのに、そんな接し方されたら壁でも作られてるみたいで悲しいもの!」

 ここまできっぱりと言われると困ってしまう。それでも”親しみを込めている”と言われると照れくさくも嬉しく思えてしまうもので……。シュリーは頬を赤らめつつ、複雑な面を浮かべた。

 ──彼女、アンビカと仲良くなったのは、初めて外に出た翌日に遡る。

 翌日もイシャンが外出した後、シュリーは部屋の外の景色を眺めてぼんやりと過ごしていた。そんな中、叩扉が響いて出てみれば、苦行僧サドゥに似た柄悪シタール奏者を連れて彼女が尋ねて来たのである。 

「昨日、驚かせちゃったみたいで謝りに来たの! まさかイシャン君の婚約者だったとはね。現世うつしよの人間って言っても全く私達と変わらないんだもの! 判別出来ないわ。イシャン君から聞いてるかもだけど、こっちはルドラ。ディーヴァの副族長。で、私はその妻のアンビカよ」

 そう言ってアンビカは背伸びをして、柄悪シタール奏者──ルドラの頭を強引に下げさせたのであった。

 全くもって初耳だった。あの後、湯浴みを済ませて早めに床に入った事もあり、イシャンが何時帰ってきたかも分からなかったのだ。そうして明朝。朝食を取った彼は早々に出掛けてしまったのだから、そんな話に一切ならなかったもので……。

 しかし、副族長にその妻と……。聞いてシュリーが唖然としたのは言うまでも無い。可憐な少女に柄が悪すぎる男。と、あまりに極端な組み合わせな事な事もあるだろう。

 その後「今は暇?」とアンビカにかれ、連れられて行かれた先は畑だった。

 ──ディーヴァの生活は自給自足。族長や副族長、その配偶者も率先して作物の栽培や狩猟に参加するとアンビカは言った。
 そんなイシャンも頻繁に狩猟に参加しているそうで……今日は、北方にある茶畑の手入れに行っているそうだ。
 族長が自ら働くとは初耳だった。だからこそ、こんなにも朝早くに出掛けて、日が暮れて帰ってくる事には納得出来てしまった。しかしこれを聞くと、シュリーは複雑に思った。自分は今の今まで何の苦労もせずタダで飯を食べていた事になってしまう。

 ──現世うつしよか来た。様々な事実を聞かされ困却していた。とは言っても、知ってしまうと対価を払わずのうのうとしていた事には流石に申し訳なく思えた。
 それから、これまでの罪滅ぼしと言わんばかりにシュリーはアンビカに頼んで毎日のように外で畑仕事を手伝うようになった。
 そうして自然と打ち解けて、今ではすっかり仲良しに……。事の経緯を思い出しつつ、シュリーが額に滲んだ汗を拭った。

 しかし思う。引きこもっているよりも充実しすぎている。寧ろ清々しい気持ちにさえなれる。だが、本当に自分はこれで良いのかと滞りは感じるもので……。シュリーは悩ましげに吐息を溢す。

「なぁに、ため息ついちゃって」

 直ぐにアンビカにかれるが、上手く答えられやしない。しかし胸の内を話して良いかも分からない。『何でも無い』とシュリーが首を横に振ると、彼女は不思議そうに小首を傾げた。

「イシャン君と上手くいってないの?」

 ──そうじゃない。少なからず彼に関わる事だが問題はそこじゃない……。
 そうは思うが、何から話して良いかも分からない。シュリーが眉を寄せると彼女は一つ吐息を溢す。

「ねぇ。汗だくになって気分も悪いでしょうし、水浴びに行かない?」

 さっぱりするわよ! なんて朗らかに言って、アンビカは籠を置く。すると、シュリーにも籠を下ろすように促した。

「さ、こっちこっち」

 彼女は満面の笑みを咲かせて、シュリーに着いてくるように手招きした。
 畑を出て、草の群れの合間に出来た獣道を抜けること幾何か。辿り着いた先は川だった。
 部屋の窓から望む景色の中に川がある事は知っていたが、ここまで澄み切ったものとは思いもしなかった。
 清流は陽光を受けてキラキラとした光を反射する。底が透ける程に透明な水の中には魚が泳ぐ姿も見えるもので、シュリーは思わず目で追った。
 早速、アンビカはサリーを纏ったままズブズブと川の中へ入り顔を洗う。存外、岸よりすぐ先は深いのだろう。彼女が立ちながら泳いでいる様を横目に見つつ、シュリーはあるものを探した。

(ここが神聖なる川に繋がっているとは思わないけど……川に来たならば……)

 それでも。と、シュリーは周囲を見渡すと、めぼしいものが見つかるのは早かった。シュリーは黄色の花をつけた野草を摘むと水面に流して手を合わせた。
 やはり川に来ると、姉を偲びたくなってしまった。──異界に来た。悩みつつも元気にしている。それでも友達が出来た。と、近状報告を心の中で告げ合掌を解く──
 その途端、バシャリと顔面に水がかかってシュリーは目を丸く開く。

「早くシュリーもおいでよー気持ちいいよ!」

 アンビカはまたも水面に腕を滑らせ、バシャバシャとシュリーに向かって水をかけてきた。
 あっと言う間にずぶ濡れだ。しかし、こうもやられっぱなしだと、妙に腹立たしく思えてしまう。シュリーはスッと立ち上がるとザブザブと川に入り、アンビカに向けて水をかける。

「ちょ、ちょっと! 激しいってば!」

「アンビカが先にやったじゃないの!」

 何とも子供じみているが、それでも楽しくなってしまう。全力で笑ったのも久しいもので……。満面の笑みを咲かせたシュリーはアンビカと水の掛け合いを一頻ひとしきり楽しんだ。
 怒濤の水掛け終了から間もなく。二人は岸辺に上がって、ずぶ濡れのまま岩に腰掛けていた。これだけ天気も良ければ着たままでもサリーは乾くだろう。燦々とした陽光に目を細めて、シュリーは空を仰ぐ。

「シュリー、そういえばさっき川に花を流して手を合わせてたけど……」

 かれてシュリーは頷いた。

「あれね。私、姉さんを亡くしててね。こっちではそういう風習があるかは不明だけど、川は輪廻の場所だと現世うつしよでは言うの。私の生まれた国──アムリタの民はお墓を持たない。川がお墓みたいなものよ。だから、やっておきたいって思ってね」

 ──今となっては自分が現世うつしよで死んだも同然だからこんな行動は滑稽にさえ思えるが……。なんて続けて告げるが、アンビカは首を横に振るう。

「ううん。何もかもこっちと同じだから驚いたの。死者の灰と遺骨は火葬の後に川に流す。そしてこの川の先、限りなく広い大海原から輪廻に向かう。だから死者を偲びに川を訪れる人だって居るわ?」

 ──そういう事なら、今度からはちゃんと花を摘んで行きましょう。と、アンビカは優しく笑む。

「ね。ちょっと話を戻すけど、シュリーの悩みって絶対にイシャン君絡みよね。何を悩んでたかは分からないけど、少しはすっきりした?」

 事実少し気分が晴れやかにはなっただろう。シュリーが頷くと、アンビカは安堵したのか水紅色の唇を綻ばせた。

「そうそう。実は、私とルドラとイシャン君。みんな歳は違うけど幼馴染みなんだ」

 アンビカは、穏やかに言って視線を川に向ける。
 幼馴染み。そんなの初耳だった。確かに彼女がイシャンを「君」とつけて呼ぶ時点で仲が良い事は窺えたものだが……。

 ────歳の順は、二十四歳のイシャン君。二十二歳のルドラ、そして十八歳の私の順。そうね、私からすればイシャン君は優しいお兄さんってかんじよ。
 そう言って、アンビカは再びシュリーの視線を向けて愛らしく笑む。

「長いことずっと一緒だったから知ってるけど、イシャン君って不思議でね。何考えてるか分からない所があるのよ。適齢になっても縁談は全部蹴るし、いつまでも結婚しないんだもの。男は二十になれば結婚して当然。そんなイシャン君が現世うつしよに介入してまで連れてきたシュリーだもの。きっと本気で好きなんだと思うのよね」

 ──ちょっと羨ましい。なんて、少し拗ねたように付け添えるものだからシュリーは目を丸くした。

「もしかして、アンビカ……」

 スパルナ同様にイシャンに好意を持っていたのかと思えたもので、シュリーが眉をひそめる。すると彼女はケラケラと声を出して笑った。

「違う違う。私、イシャン君の事をそんな風に思った事は一度も無いわよ? さっき”お兄さんみたい”って言ったじゃない?」

「でもどうして羨ましいだなんて……。アンビカはルドラ様の結婚は望ましいものじゃなかったの?」

 慎重に言葉を選びつつくと、アンビカは直ぐに首を横に振った。

「ディーヴァの婚礼って男が女を選ぶの。適齢を過ぎても結婚しない男は年配者が痺れを切らして縁談をあれこれ持ってくるけどね。まぁルドラはね……族長を決める武闘の前に私を選んだのよ。”イシャンをこてんぱにして族長の妻にしてやる。だからテメェは俺の妻に成れ”ってね」

 武闘は三年前と聞いた。つまりアンビカは十五歳でルドラに嫁いだ事となる。随分若い花嫁だと思うが、それでもアムリタの女の婚姻は比較的早いもので、下手をすれば十歳になる前に嫁ぐ程もいる。だからシュリーは別に驚きもしなかった。

「まぁ副族長って現在を察すれば武闘の結果はお察しだけどね」

 アンビカは戯けてぺろりと舌を見せた後、更に続けた。

「ルドラとの婚姻はとても嬉しかったわ? 子供の頃からずっと見てたって言ってくれたんだもの。嬉しかったわよ。初対面はああだったから、シュリーも分かってるかもだだけど、ルドラって威圧的で喧嘩早いし口が本当悪くて偉そうだけどまぁ……」

 頭を抱えつつアンビカが言うが、それでも彼女の頬が朱に色付く様を見るからに、彼女がルドラを好いている事は容易に悟れた。

「……そ、そういう訳で私は彼の伴侶になれた事は誇らしく思うの」

 ──ただね、世界まで飛び越えて、そんな愛され方って素敵って思ったから言っただけ。そう付け添えて。アンビカは膝を抱えた。
 しかし、それから数拍後。急に何か思い出したのか、アンビカは慌ててシュリーに向き合う。

「ね、シュリー。ふと思ったけど、シュリーが悩んでるのってもしかして、スパルナちゃんの事じゃない?」

 あっさりと核心を射貫かれて、シュリーは硬直した。
 しかし何故分かるのだろうか……。
 アンビカは『図星ね』と言うなりケラケラと愛らしい笑い声を溢す。

「だってあの子、昔からイシャン君にべったりだったもの。確か、ルドラと歳は同じくらいだけど……そりゃもう昔は雛鳥みたいに後を追いかけてたのよ。主従とはいえ、べったりの度合いがねぇ……」

 懐かしむようにアンビカが言うが、シュリーは少し心苦しくなった。

「そうなのね……。でも私、突然やって来て横からイシャン様を奪ったみたいなものになるのかしらね……」

「そうね。スパルナちゃんからしたら、そうかも知れない。だけど絶対ありえないわ。あの子がイシャン君に抱く気持ちは恋心じゃないわよ」

 ──絶対違う。と、サラリとアンビカは今一度告げるが、それでもシュリーはどうにも気が晴れなかった。

 そう。横から奪った事に対して、アンビカは決して否定しなかったのだから……。
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