廻り捲りし戀華の暦

日蔭 スミレ

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第肆章 火桶の火も灰がちになりてわろし

肆之弍

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 ……それから社の中で待機する事、どれ程の時間が経過しただろう。
 布団をかぶせて、冷え切った身体をタキはずっと摩ってくれていた。だが、タキはその間、特に何も語りかける事もなかった。流れる時間は幽玄のよう。とてつもなく長く思えてしまった。不安ばかりが渦巻く。指先は氷のように冷たくなり震えは収まらなかった。

 ────どうか無事でありますように。

 冷えた手を摺り合わせて、季音は嗚咽を溢しながらひたすらに祈り続けた。
 直ぐ戻ると言ったものの、蘢と朧が社に戻って来たのは随分と時間が経過してからだった。
 二匹の帰りに居ても立ってもいられなかった。季音は彼らが戻ってくるや否や、背にかけていた布団を払い二匹の元へと駆け寄った。

「──龍志様は!」

「大丈夫です。命に別状はありません」

 静かな口調で蘢は告げた。それを聞いて、胸の中に波立つ不安の渦は僅かに凪ぎ、季音は安堵に大きく息を吐き出した。

「……それより、貴女の具合は大丈夫ですか? 未だ顔色が優れません」

 ──どうか無理なさらないで下さい。と、蘢は季音の背を宥めるように摩る。

「私は大丈夫です」 

「……ならば、少しだけ折入った話をしても良いでしょうか? とりあえず座りましょう」

 蘢は季音に肩を貸して座るように促した。傍らで佇む朧とタキにも目を配り、皆座るように彼は穏やかに示唆する。

 社の中に四匹は円座した。裸火の頼りない明かりだけの仄暗い社の中、神殿を背に座した蘢は正座して季音に視線を送る。

「……もう単刀直入に言ってしまいすが。季音殿、お気づきでしょうか? 今の貴女は妖気を纏っています。貴女はこれがどういう事か分かりますか」

 静かで穏やかな口ぶりだった。だが、じっと季音を見つめる蘢の眼光は強く研ぎ澄まされていた。言われた言葉を季音は瞬時に理解する事が出来なかった。否や、自分でも信じられなかったからだろう──無い筈のものがあると。季音は蘢の言葉を改めて認識すれば、たちまち大きく目を瞠る。

「うそ……そんな、私が? どうして?」

 思わず疑念を口に出すと、蘢は首を横に振った。

「貴女が駆けつけた時からそれをしかと感じました。朧殿もタキ殿も感付いている筈です」

 蘢が朧とタキに視線を送ると、胡座をかいた彼らは視線も向けずにただ黙って頷いた。

「それをどうやって手にしたかきっと無自覚でしょうが、どう考えても主殿の精気に違いないのです。それを存分に取り入れた事によって妖気になって表に出ていると窺えます。あくまで……仮説ですが、身体を壊した季音殿は、回復の為に本能的に主殿の精気を奪ったのかも知れません。しかし、精気を奪う手段としては……今の季音殿にはそんな手段に及べないとは思いますし主殿もそんな真似は出ないとは存じます」

 ──狐の妖は人の男と肌を重ねて精気を奪う。きっとこれを蘢は言いたいのだと直ぐに理解出来た。だが、心を通わせてから幾度と龍志と肌を重ねた事はあるが、そのような事は今までに一度も無かったのだ。それに、体調を崩してからというものの、彼と肌を重ねてもいない。

 何故今だろう……自分はどうやって彼から精気を奪ったのか……季音は俯き黙考した。
 まさか肌に触れただけで奪ったとでも言うのだろうか。だが、繋がるように触れた事には一つだけ心当たりはある。寝る前に彼が触れるだけの接吻くちづけを落とした事だけで……。

「まさか……」

 はっと顔を上げた季音はその旨をぽつりと言う。すると、蘢はたちまち顔を赤くしてそっぽを向いた。
 訪れたのは無言の静謐だった。だが、一つ咳払いして仕切り直した蘢は目を瞳を細めて再び季音の方に向き合った。

「……その可能性はありえますね。ですが何故、今日の今日でこのようになったかは僕にも検討がつきません。貴女の不調も関係してそうですけど詳しい因果は分かりません。”主殿に接吻くちづけされそうになったら暫くは拒む”としか対処しようもありませんね」

 呆れているのか怒っているのかは不明だった。だが、未だ顔が赤いのだから羞恥もあるのだろう。そんな蘢を見ていると釣られるように羞恥が込み上げてきてしまう。合意に季音はただ無言で頷いた。
 しかし、人の精気を奪うなど本当に自分が出来るのだろうか? だが、出来ない訳ではないだろう直ぐに季音は思い正した。
 ……以前は妖術を使ったのだ。その件も絡んで、あの庭で出会った狐の所行だろうと想像も容易い。確かにここ最近、自分は異常な迄に体調が悪いが、別に死ぬほどのようなものではないだろうと理解していた。それなのにどうして、彼から精気を奪ったのだろうか。そこまで深刻なものでは無いと思うのに。

 ────どうして……?

 咄嗟に心の奥底に尋ねてみるが、やはり返答は皆無だった。
 その代わりにズキリと急激に頭が痛んだ。それはまるで、訊く事を拒んでいるようで──季音は絶え間無く続く鈍痛に咄嗟にこめかみを押さえた。

「おい、大丈夫か」

 隣に座するタキに問われて、季音は無言で頷く。
 今は深く考えるべきではないだろう。これ以上体調が悪くなっても困るだけだ。季音は思考する事を止めた。すると次第に痛みは和らぎ、嘘のように痛みはスッと消え去ってしまった。
 たったそれだけで、考える事も訊く事を拒んでいる事を確信した。
 いったい自分の身に宿る彼女は何を隠しているのだろうか。どうして何も教えもしないのだろう……腑に落ちず季音は一つ溜息を溢す。

「取り敢えず、話は以上です。季音殿も戻ってゆっくりと休んで下さい。精気の件は一過性なので心配には及びません。それに主殿は神通力を持ち合わせている所為か常人以上に精気は満ち溢れています。はっきり言って、妖並の生命力のある超人だと言っても過言ではないので、二日も経てば普段通りになると思いますよ」

 ──だから、大丈夫です。と、念を押すように蘢は告げた。
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