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第肆章 火桶の火も灰がちになりてわろし
肆之壱
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庭をぐるりと囲う笹垣の近くには、ちらほらと曼珠沙華の茎が立つ。
同じ花の芽吹きを見るのはこれで二度目。本格的な秋が訪れて、自分が輪廻して一年経過した事を季音はしみじみと悟った。
この一年で様々な事があった。寝間着の浴衣姿のまま縁側に腰掛けた季音は曼珠沙華の茎が午後の風に揺れる様をぼんやりと眺めていた。
……葉月の終わり頃から季音の体調は著しく崩れた。
初めの不調は目眩だった。それから間もなくして、立ちくらみを起こして吐き気に見舞われる事が増えた。それに最近は、身体は妙に熱っぽくて怠い。それなのに、身体の芯から凍てつくように冷える事があり、指先が痺れて動かなくなる事がある。この症状は主に夜半に起きる事が多く、状態が酷ければ龍志に背や肩を摩られて眠る事もあった。
今日も今日で寝起きから体調が悪く、午前は床で過ごしていたのだ。正午を回って、少しは芳しくなったものだが、やはり身体はだるくて動き回れそうにない。とは言え、元は人とは言え今の自分は妖だ。人に比べれば、身体の作りは頑丈なものに違いない。だからきっと、この不調は命に別状が無いものだと分かっていた。
不調に対する心当たりはない。だが、重要な記憶を戻そうとする事による因果ではないのかと窺える節はある。以前より、記憶の奥底に深く手を伸ばすと、拒むように頭痛が起きていた。だから、極力考えないようにはしたが、それでも突っかかりはどうしても感じてしまい考える事は多かった。それに明かな不自然を季音は今更のように悟ってしまったのである。
『忘れたなら忘れたままで良い』と、心に住まう狐は言っただろう。龍志に関しても『初めからやり直せば良い』と、過去の自分、藤香を深く話す事はしなかった。
──以前、お前に恩を着せられた狐の魂が黄泉に旅立つあんたに同化して背後霊にでもなったとでも思え。雑に言おうが馬鹿と丁寧に言おうが、そうとしか形容できぬまい。と、狐は言ったが事の真相においては『知る必要も無い』と答えたのだ。
この因果こそが、忘却の彼方に葬られた大事な事だろうとは理解出来る。
言われた当初から潜在的に不穏は感じていた。きっと苦汁を舐めるような辛辣なものだろうと思える。それもきっと、狐と詠龍が深く絡んでいるのだろうと憶測が立つ。
陰陽師と狐──その関係だけで言えば、間違いなく因縁はあるだろう。
式を従えて、非ず者を『祓い』『封じ』『滅する』事が出来る彼は、妖からすれば相当な脅威の存在に違いない。
だが、彼女は”幸せに成る事を望む”と言った。確かに、彼女は見たところ悪意もないのだから善良な存在に思う。とは言え、陰陽師の妻が狐に憑かれて輪廻するなどどう考えてもおかしいだろう。そもそも、会った事を言うなと釘を刺された事も矛盾しているように思う。しかし、これ以上の連想は、酷く頭が痛み叶いもしなかった。
当然のように、探りを入れたい気持ちはあった。だが、自分との邂逅を他者に言えば庭に閉じ込めると彼女は言ったのだから、訊くのであれば彼女しかないだろうと思えた。しかし、彼の告白に答えて以来、彼女は声をかける事も無くなってしまったのだ。頭痛に苦しみながらも真相を聞こうと幾度もかけたものだが、彼女はうんともすんとも答えない。ここまで音沙汰も無ければ、あれはまるで一夜限りの不思議な夢のようにさえ感じてしまった。
……考えれば体調は悪化する。だが、思い出すべきだと本能的に思う。日々滞りしかなかった。それでも、なるべく季音は体調を正す事に専念しようと思った。
何故かと言えば、体調を悪化させてからというものの龍志の様子が少しばかりおかしいのだ。流石に調子が悪い時に尻尾を引っ張る程に非道で無い事は分かってはいたが、嗜虐心を含む顔を向けないどころか変な冗談も小言も言う事も無くなってしまったのだ。ただただ心配をするばかりで、まるで毒気が抜けてしまったかのようだった。
まして、床に伏せる自分を看る彼の面といえば、痛ましい程に深刻だったからだ。そんな態度の変化から相当な心配をかけている事は痛い程に理解出来る。
その全ては過去の自分に原因しているだろう。
床に伏せる自分を覗き込む龍志の顔を見た途端に、瓜二つの詠龍の顔と過去の自分の姿が自然と浮かび上がったのだ。彼は人でありながら前世の記憶を確と継いでいる。きっと病で死した時に見送っているのだろう。だからこそ、彼は不安なのだと分かった。
……しかしそれでも、本当にこのまま己の因果を思い出せず幸せに生きて良いものか。
血の気の薄い顔を上げた季音は竹林の上高く飛ぶ鳶を眺めて、ほぅと一つ溜息を吐き出した。
鳶が高く飛べば翌日晴れると言う。だが、その日の夕刻から雨が降った。その所為もあって気温は下がり、案の定、季音は酷い冷えに悩まされ龍志と同じ床で眠っていた。
そろそろ寝るか。と、一つ接吻を落とされて彼は裸火を吹き消す。しんと静まり返った闇に包まれるが、それでも彼は背を摩る手を止めず、季音の身体を包み込むように抱きしめていた。
こうして頬を寄せて抱き寄せられているだけで途方も無く幸せに思えてしまう。心の奥底に沈下している滞りも僅かに解かれていく感覚がした。
──身体が悪いだけで出来ない事は多すぎた。毎朝の掃除も出来ない。草取りも出来ない。
彼の格言通りには出来ない事も嫌だった。毎日楽しみだった湯浴みも三日に一度程の頻度まで落ちて、湯で身体を拭くくらいしか出来ない。龍志に漢字の読み書きを教わる事も無くなってしまった。それに、外に出れないのだから社に行く事も出来なかった。時より調子が良い時にタキが来てくれるが、彼女も気遣っているのか会うのは僅かな時間だった。
境内裏でタキと密やかに恋の話をしたり、タキと朧の鍛錬を蘢と眺めて彼と他愛の無い会話をする事も出来ない。朧が蘢をからかって彼がふて腐れるように怒っている様を見るのだってもうずっと無かった。
数ヶ月間当たり前だった日常が、『出来ない』『無い』となってしまう事はあまりにも歯痒かった。だからこそ、何としてでも早く回復したいと願った。
背を摩られて、寒さもだいぶ良くなり身体の奥から熱が再び蘇る。やがて、眠気に誘われて季音が微睡み始めた矢先だった──隣から酷い嗚咽と咳き込みが聞こえて、季音の意識は直ぐに現に戻った。
「龍志様?」
同じ床に入っているのだから彼しかいないだろう。痛ましい咳は止まらず、季音は身体を引き摺って裸火をつけた。
「どうなさったのですか」
ぽっと明るくなった夜半の闇の中、季音は龍志に問いかける。だが、彼の姿を見た途端季音の背筋は凍てついた。布団に横たわった彼は玉のような汗をかいていた。依然、咳き込んだままの彼の唇からは鮮血が溢れ出ている。それは彼が咳き込む程布団に飛び散り、赤々とした染みを広げる。
「龍志様!」
何が起きたのだろう。どうして急にこんな事になったのだろう。症状こそ違うが、まさか自分は病が移ったとでも言うのだろうか……季音は状況が微塵も理解出来ずに彼の名を呼ぶ。龍志は、緩やかに瞼を持ち上げて僅かに唇を動かした。
──大丈夫だ。そう言ったのだろう。確とそれを読み取るが、どう見ても大丈夫という状況ではないだろう。しかし、どう処置すれば良いかも分からず季音は青ざめた。
「蘢様と朧様を呼んできます。おタキちゃんも何か知恵があるかもしれません」
──待っていて下さい。と念を押して、季音は痛む身体を引き摺ってボロ屋を飛び出して社へ向かった。
「蘢様! 蘢様!」
境内に着くや否や、季音は泣きそうな声で蘢の名を叫ぶ。
台座に鎮座する石像に抱きつく勢いで触れるや否や、彼は石像から本来の姿に戻した。
「こんな夜半にどうなさったのですか……貴女は体調が悪いのでしょう」
明らかな異常を感じたのだろうか。普段はツンとしているものだが、彼は抱きつく季音を厭う事もなく穏やかに問いかけた。
「龍志様が、酷い咳で吐血を……私、どうしたら良いか分からなくて助けて、助けて下さい」
思い出しながら告げた途端に、眦が熱くなった。鼻の奥がツンとして、直ぐに視界が霞む。熱い雫がぼろぼろと濁流のように溢れ落ちて、季音はしゃくり上げるように嗚咽を溢した。だが、視界の先の蘢の緩やかに下降する目の輪郭が大きく開いた事だけは分かった。
「何だ何だ、龍がどうした?」
騒ぎに気付いたのだろう。社の方から朧の声がしたが、彼はピタリと立ち止まった。
「……季音殿、少しここで待っていて下さい。大丈夫だと思います。タキ殿。季音殿をお願い出来ますか? 直ぐに戻りますから。朧殿、同行お願いします」
安堵させるように季音の背を摩って、蘢がそれを告げたや否や彼と朧はボロ屋の方へと向かっていった。
どうして突然こんな事になったのだろう。キネは懐にしまった藤の簪を纏めてぎゅっと握りしめてその場にへたりと崩れ落ちた。
「おキネ、とりあえず落ち着け。蘢に言われた通り大人しく待とう。お前も身体が今はあんま良くないのは知ってる。とりあえず、社の中に行こう」
背後から静かに諭すタキの声が聞こえてきた。キネは黙って頷き、溢れ落ちる涙を拭った。
同じ花の芽吹きを見るのはこれで二度目。本格的な秋が訪れて、自分が輪廻して一年経過した事を季音はしみじみと悟った。
この一年で様々な事があった。寝間着の浴衣姿のまま縁側に腰掛けた季音は曼珠沙華の茎が午後の風に揺れる様をぼんやりと眺めていた。
……葉月の終わり頃から季音の体調は著しく崩れた。
初めの不調は目眩だった。それから間もなくして、立ちくらみを起こして吐き気に見舞われる事が増えた。それに最近は、身体は妙に熱っぽくて怠い。それなのに、身体の芯から凍てつくように冷える事があり、指先が痺れて動かなくなる事がある。この症状は主に夜半に起きる事が多く、状態が酷ければ龍志に背や肩を摩られて眠る事もあった。
今日も今日で寝起きから体調が悪く、午前は床で過ごしていたのだ。正午を回って、少しは芳しくなったものだが、やはり身体はだるくて動き回れそうにない。とは言え、元は人とは言え今の自分は妖だ。人に比べれば、身体の作りは頑丈なものに違いない。だからきっと、この不調は命に別状が無いものだと分かっていた。
不調に対する心当たりはない。だが、重要な記憶を戻そうとする事による因果ではないのかと窺える節はある。以前より、記憶の奥底に深く手を伸ばすと、拒むように頭痛が起きていた。だから、極力考えないようにはしたが、それでも突っかかりはどうしても感じてしまい考える事は多かった。それに明かな不自然を季音は今更のように悟ってしまったのである。
『忘れたなら忘れたままで良い』と、心に住まう狐は言っただろう。龍志に関しても『初めからやり直せば良い』と、過去の自分、藤香を深く話す事はしなかった。
──以前、お前に恩を着せられた狐の魂が黄泉に旅立つあんたに同化して背後霊にでもなったとでも思え。雑に言おうが馬鹿と丁寧に言おうが、そうとしか形容できぬまい。と、狐は言ったが事の真相においては『知る必要も無い』と答えたのだ。
この因果こそが、忘却の彼方に葬られた大事な事だろうとは理解出来る。
言われた当初から潜在的に不穏は感じていた。きっと苦汁を舐めるような辛辣なものだろうと思える。それもきっと、狐と詠龍が深く絡んでいるのだろうと憶測が立つ。
陰陽師と狐──その関係だけで言えば、間違いなく因縁はあるだろう。
式を従えて、非ず者を『祓い』『封じ』『滅する』事が出来る彼は、妖からすれば相当な脅威の存在に違いない。
だが、彼女は”幸せに成る事を望む”と言った。確かに、彼女は見たところ悪意もないのだから善良な存在に思う。とは言え、陰陽師の妻が狐に憑かれて輪廻するなどどう考えてもおかしいだろう。そもそも、会った事を言うなと釘を刺された事も矛盾しているように思う。しかし、これ以上の連想は、酷く頭が痛み叶いもしなかった。
当然のように、探りを入れたい気持ちはあった。だが、自分との邂逅を他者に言えば庭に閉じ込めると彼女は言ったのだから、訊くのであれば彼女しかないだろうと思えた。しかし、彼の告白に答えて以来、彼女は声をかける事も無くなってしまったのだ。頭痛に苦しみながらも真相を聞こうと幾度もかけたものだが、彼女はうんともすんとも答えない。ここまで音沙汰も無ければ、あれはまるで一夜限りの不思議な夢のようにさえ感じてしまった。
……考えれば体調は悪化する。だが、思い出すべきだと本能的に思う。日々滞りしかなかった。それでも、なるべく季音は体調を正す事に専念しようと思った。
何故かと言えば、体調を悪化させてからというものの龍志の様子が少しばかりおかしいのだ。流石に調子が悪い時に尻尾を引っ張る程に非道で無い事は分かってはいたが、嗜虐心を含む顔を向けないどころか変な冗談も小言も言う事も無くなってしまったのだ。ただただ心配をするばかりで、まるで毒気が抜けてしまったかのようだった。
まして、床に伏せる自分を看る彼の面といえば、痛ましい程に深刻だったからだ。そんな態度の変化から相当な心配をかけている事は痛い程に理解出来る。
その全ては過去の自分に原因しているだろう。
床に伏せる自分を覗き込む龍志の顔を見た途端に、瓜二つの詠龍の顔と過去の自分の姿が自然と浮かび上がったのだ。彼は人でありながら前世の記憶を確と継いでいる。きっと病で死した時に見送っているのだろう。だからこそ、彼は不安なのだと分かった。
……しかしそれでも、本当にこのまま己の因果を思い出せず幸せに生きて良いものか。
血の気の薄い顔を上げた季音は竹林の上高く飛ぶ鳶を眺めて、ほぅと一つ溜息を吐き出した。
鳶が高く飛べば翌日晴れると言う。だが、その日の夕刻から雨が降った。その所為もあって気温は下がり、案の定、季音は酷い冷えに悩まされ龍志と同じ床で眠っていた。
そろそろ寝るか。と、一つ接吻を落とされて彼は裸火を吹き消す。しんと静まり返った闇に包まれるが、それでも彼は背を摩る手を止めず、季音の身体を包み込むように抱きしめていた。
こうして頬を寄せて抱き寄せられているだけで途方も無く幸せに思えてしまう。心の奥底に沈下している滞りも僅かに解かれていく感覚がした。
──身体が悪いだけで出来ない事は多すぎた。毎朝の掃除も出来ない。草取りも出来ない。
彼の格言通りには出来ない事も嫌だった。毎日楽しみだった湯浴みも三日に一度程の頻度まで落ちて、湯で身体を拭くくらいしか出来ない。龍志に漢字の読み書きを教わる事も無くなってしまった。それに、外に出れないのだから社に行く事も出来なかった。時より調子が良い時にタキが来てくれるが、彼女も気遣っているのか会うのは僅かな時間だった。
境内裏でタキと密やかに恋の話をしたり、タキと朧の鍛錬を蘢と眺めて彼と他愛の無い会話をする事も出来ない。朧が蘢をからかって彼がふて腐れるように怒っている様を見るのだってもうずっと無かった。
数ヶ月間当たり前だった日常が、『出来ない』『無い』となってしまう事はあまりにも歯痒かった。だからこそ、何としてでも早く回復したいと願った。
背を摩られて、寒さもだいぶ良くなり身体の奥から熱が再び蘇る。やがて、眠気に誘われて季音が微睡み始めた矢先だった──隣から酷い嗚咽と咳き込みが聞こえて、季音の意識は直ぐに現に戻った。
「龍志様?」
同じ床に入っているのだから彼しかいないだろう。痛ましい咳は止まらず、季音は身体を引き摺って裸火をつけた。
「どうなさったのですか」
ぽっと明るくなった夜半の闇の中、季音は龍志に問いかける。だが、彼の姿を見た途端季音の背筋は凍てついた。布団に横たわった彼は玉のような汗をかいていた。依然、咳き込んだままの彼の唇からは鮮血が溢れ出ている。それは彼が咳き込む程布団に飛び散り、赤々とした染みを広げる。
「龍志様!」
何が起きたのだろう。どうして急にこんな事になったのだろう。症状こそ違うが、まさか自分は病が移ったとでも言うのだろうか……季音は状況が微塵も理解出来ずに彼の名を呼ぶ。龍志は、緩やかに瞼を持ち上げて僅かに唇を動かした。
──大丈夫だ。そう言ったのだろう。確とそれを読み取るが、どう見ても大丈夫という状況ではないだろう。しかし、どう処置すれば良いかも分からず季音は青ざめた。
「蘢様と朧様を呼んできます。おタキちゃんも何か知恵があるかもしれません」
──待っていて下さい。と念を押して、季音は痛む身体を引き摺ってボロ屋を飛び出して社へ向かった。
「蘢様! 蘢様!」
境内に着くや否や、季音は泣きそうな声で蘢の名を叫ぶ。
台座に鎮座する石像に抱きつく勢いで触れるや否や、彼は石像から本来の姿に戻した。
「こんな夜半にどうなさったのですか……貴女は体調が悪いのでしょう」
明らかな異常を感じたのだろうか。普段はツンとしているものだが、彼は抱きつく季音を厭う事もなく穏やかに問いかけた。
「龍志様が、酷い咳で吐血を……私、どうしたら良いか分からなくて助けて、助けて下さい」
思い出しながら告げた途端に、眦が熱くなった。鼻の奥がツンとして、直ぐに視界が霞む。熱い雫がぼろぼろと濁流のように溢れ落ちて、季音はしゃくり上げるように嗚咽を溢した。だが、視界の先の蘢の緩やかに下降する目の輪郭が大きく開いた事だけは分かった。
「何だ何だ、龍がどうした?」
騒ぎに気付いたのだろう。社の方から朧の声がしたが、彼はピタリと立ち止まった。
「……季音殿、少しここで待っていて下さい。大丈夫だと思います。タキ殿。季音殿をお願い出来ますか? 直ぐに戻りますから。朧殿、同行お願いします」
安堵させるように季音の背を摩って、蘢がそれを告げたや否や彼と朧はボロ屋の方へと向かっていった。
どうして突然こんな事になったのだろう。キネは懐にしまった藤の簪を纏めてぎゅっと握りしめてその場にへたりと崩れ落ちた。
「おキネ、とりあえず落ち着け。蘢に言われた通り大人しく待とう。お前も身体が今はあんま良くないのは知ってる。とりあえず、社の中に行こう」
背後から静かに諭すタキの声が聞こえてきた。キネは黙って頷き、溢れ落ちる涙を拭った。
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