廻り捲りし戀華の暦

日蔭 スミレ

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第参章 風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず

参之肆

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 宴会は月が真上に届く夜半近くまで続いた。
 その間、タキとは色んな話が出来た。再会した当初は微塵も話に耳なんて傾けてもくれもしなかったのに、彼女はしっかりと話を聞いてくれた。どうやら龍志とも和解したようで彼女は少し狡猾に笑ったり、嗜虐的な面を見せる彼に笑って突っかかったりなど、いつも通りのタキの顔を見せてくれた。

 しかし、意外だった事と言えば……蘢が酒にめっぽう弱かった事だ。盃(さかずき)たった一杯で潰れてしまい、彼は直ぐさま社の隅で龍志に寝かしつけられた。

 また、朧とタキはかなり強いようだが、夜が更ける頃にはいいかんじに酔いも回って、二匹で何やら妖術の話など妖にしか分からないような話題に花を咲かせていた。
 完全に蚊帳の外、取り残された季音と龍志は顔を見合わせる。

「この様子じゃ明日片付けすりゃいいか。寝る前に風呂くらい入りたいし戻るか」

 そうして、季音と龍志は未だ熱心に話し込んでいるタキと朧にひと声をかけてボロ屋に戻って来た。
 それから風呂を済ませて、もうすぐ丑の刻も過ぎる深夜にも関わらず龍志は茶を沸かしてくれた。

「酒より茶の方がなんか落ち着くな」

 湯飲み茶碗を片手で掴んで、龍志はズッと茶を啜る。その隣で季音も熱々の茶をゆっくりと飲んだ。

「龍志様は普通にお酒が飲めるじゃないですか」

「まぁそうだが、鬼と狸の妖の飲んだくれ二匹比べりゃ強くもない。それに鬼の酒っていうものは、人には如何せん強すぎる。あんなもの誤魔化して飲まないと潰れるわ」

 無理無理といったそぶりで手を払って彼は言う。だからあんなにチビチビと舐めるように飲んでいたのかと妙に納得してしまった。

 ──鬼の酒、それは不思議なもので朧の持つ酒樽は無限に酒が沸くそうだ。確かに言われてみれば、あの宴会は彼の酒を延々と飲んでいた。しかし飲んでも飲んでも尽きない程に酒樽から酒は出ていた事を季音は改めて思い出す。しかも、面白い事に注ぐ毎に味も変わるものだ。果たしてどのようなまやかしか……その辺りは一切不明らしい。

「アレは人が飲んでも別に害はない。強いだけでただの酒だ。あんな便利なものがあるからあいつ年中飲んだくれてるんだよ」

 話し終えた龍志はふと笑って、再び湯飲みに口を付ける。
 季音は先の宴会で酒に対する古い記憶を呼び覚ました事を思い浮かべた。

 過去の彼、詠龍に心配気な顔で見られた事から、相当なやらかしをしたのだと思えてしまう。蘢のように潰れて眠るなら良いが──そんな風に思ったと同時に何だか恥ずかしく思えて季音は一人で顔を紅く染めた。

「どうした?」

「あの……詠龍様の時、私が酔っ払った所見てるんですよね」

「ああ、まぁ……そうだな」

 告げた途端に、龍志の頬に朱が差した。たったそれだけで嫌な予感がしてしまうもので、季音も釣られて更に赤々と顔を染める。

「私……何を、なさったのですか」

「ああ、なかなかに大胆な事を。挙げ句に寝たが」

 彼にしては歯切れが悪かった。まともに言わないという事は龍志──否や、詠龍にしても恥ずかしい事だったのだろうか。

「その……私、本当に詠龍様の妻だったのですよね」

 思わず訊けば、彼は顔を紅く染めたまま無言で一つ頷いた。それから、仕切り直すように彼は薄い唇を開く。

「……そうだよ。時間が結構経っちまったけどお前から返事を聞いてないなかったな」

 言われた言葉に季音は目を瞠った。

「返事……」

 何の事か直ぐに分かったが、妙な胸騒ぎを鎮めようと季音は彼の言葉を復唱する。それでも、ドクドクと嫌な程に胸が高鳴った。

「忘れてないよな。俺と夫婦になってくれるか? 命がけで幸せにすると誓う」

 じっと真っ直ぐに見つめられて、季音は唇を噛んだ。
 途方も無く嬉しいと思えてしまった。好意はあるのだから。潜在的に好きで仕方が無いとずっと思っていたのだから。
 しかし、思ってしまうのは本当に自分で良いのだろうかと。彼は人で自分は妖なのだから。
 その途端だった──。脳裏に響いたのは、久しく聞いた艶やかな声色だった。

『あんたの幸せを妾は望む──』

 その言葉に背中を押さえるかのようだった。まるで封じられた思いの扉を開いたかのよう。季音の桜色の唇は自然と開く。

「宜しくお願いします」

 そう言って、季音は丁寧に手をつき頭を垂れて彼に礼をする。
 顔を上げた途端だった。抱き寄せられたのも束の間、頤を摘まみ上げられた。
 そうして、当然のように押しつけられたのは彼の唇で──。


 ──その晩、季音は逃亡を企てたあの夜、彼に言われた『男の床に入ったのは初めてではないだろう』と言われた本当の意味を今更のように思い出した。昔昔……彼が詠龍だった頃、今のこれとはまた違った意味で何度か同じ床に入った事があったのだから。
 凍えるような寒さの晩に抱きしめて寝てくれた事、咳をすれば背を摩ってくれた事……自分を組み敷く彼を見上げて、季音は温かくもどこか物悲しい記憶を思い出した。



 赤々とした曼珠沙華まんじゆしやげの群生の中、ぽつりと佇む藤棚の四阿あずまや
 煙管の煙をくゆらせる狐は藤色の瞳を細めて煙を吐き出す。

「……よかったのぅ、さぞ幸せだろうね。深く繋がり幸せに、幸せになるんじゃ」

 ──ああ悍ましい、憎い。そんな言葉を付け添えて。
 彼女は薄紅の唇を歪めて妖艶にほくそ笑んだ。
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