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第弍章 闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる
弍之弍
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その翌日から社の修繕作業が始まった。
早朝から龍志は木材を何往復もして運び、社の前へ積み立てる。そんな彼の装いは、上に纏うものは長手甲だけ──と、健康的に引き締まった素肌を大いに晒した軽装だった。
「さて野郎共、絶好の修繕日和だ」
龍志は戯けた調子で言う。
しかし、蘢は遠くを見つめ、朧は二日酔いか地面に座って青白い顔で俯いていた。
「とりあえず前に言った通り、俺と朧は外装。蘢と季音は中の掃除や床の修繕をやってくれ。中はさほど時間はかからないだろうが、中が終わった後は外の手伝いに回ってもらいたい。修繕は出来れば梅雨前には必ず終わらせたいとは思う」
さらりとした龍志は述べると、青い顔をした朧は『質問』と挙手した。
「おい龍。梅雨入りって事は良いところ、あと一週間あるか無いか分からないだろ」
げっそりとした朧は青い顔を上げて唇をひん曲げた。
確かに朧が言う事も一理あるだろう。現在は皐月も終わり。水無月となれば確実に梅雨は始まってしまう。外板を外してしまえば、雨でも降れば内部の水漬しは免れないだろう。
一週間で修繕……無謀だろう。そんな風に思って季音は不安気に龍志の方を向いた。
「出来るかじゃない、やるんだよ。神が消えたとは言え、俺の式がたった一匹になっても護り続ける社が朽ちていく様を見ていくのもいい加減に嫌なものなんでな。だいぶ落ち着いた頃合いだったのと一匹居候も増えた事で人手が増えから、やろうと思った」
龍志は蘢と季音を交互に見て穏やかに言う。
しかし、龍志の言葉に蘢は複雑な表情を浮かべて直ぐに俯いてしまった。そのまま、社に向かって一礼して。蘢は無言のまま竹箒を持って社内部に足早に入っていった。
「相変わらず可愛気の無いワンコだな」
蘢の背中が見えなくなると、朧は溜息交じりに言った。
「神が消えた社……」
季音は復唱して呟く。龍志は蘢の向かった社の入り口を見つめながら穏やかに切り出した。
「昔々の話だ。辛い仕事だとは思うが、あいつに決して一匹ではない事は分からせたい」
──風化した社に対の居ない狗。どこか感じる物悲しさに季音は初めて見た時には畏怖さえ覚えた。今ではもう見慣れやしたが、それでも社を見れば、どこか悲しく感じてしまう。
龍志の言葉からその裏側を改めて思い知った季音は物憂げな面で彼を見上げた。
「何が……あったのですか」
思わず訊けば、『言えたものじゃない』と、龍志はきっぱりと首を横に振った。やはり踏み込んではいけない事だろう。季音は承知に黙って頷いた。
「と……話を戻すが、蘢にはお前達と打ち解けて欲しいとは思ってる。これは命令だ。特に朧。お前と蘢は俺の使役下の式同士だしな。だが、まずは手始めはお前だ」
そう言って、龍志は季音の方に穏やかな視線を向けた。
──朧に比べりゃお前は三割未だマシなんだから大丈夫だろ。頼んだ……と、そんな風に付け足して。龍志は季音の肩を叩いて、雑巾と水の張った桶を手渡した。
不安ではないと言えば嘘だ。何せ相手は自分よりも雲泥の格差を持つ生き物だ。それも、きっと確実に好かれてはいない。
「……分かりました、行ってきます」
季音は少し不安気に言って、蘢の後を追った。
初めて踏み入れた社内部は案の定、埃臭かった。幾らか側面の戸や窓を開かれており、差し込む陽光に舞う埃がよく見えて無性に鼻がムズムズとしてしまう。とは言え、龍志の言った通りに内部の風化はそこまでひどいものでは無かった。
蘢は早速掃き掃除を初めていた。しかし、季音がやって来た事が分かると直ぐに蘢は近寄って、箒を立てかけると季音の手から雑巾と水桶を取り上げた。
妖如きが社に入るな──そう言いたいのだろうか。
無言の行動だ。結局の所、何を言いたいのかは分からない。だが顔が強ばっている事から、なんとなく初対面の時を思い出してしまい季音が困却の表情を浮かばせたと同時だった。
「……拭き掃除、恥ずかしいでしょう」
少し間を置いた後、ぽつりと言った彼の言葉に季音は目を瞠る。
「いくら僕でも流石に目のやり場に困るので季音殿は掃き掃除をして下さい」
考えてもいなかった応えだった。
季音は思わず『えっ』と言葉を発すると彼は太い眉を寄せてそっぽを向く。
「いいから黙って従ってください……僕は主殿のように辱めて悦ぶ変態じゃないので、異種とは言え雌にそんなはしたない格好をされても困ります。尻尾持ってる意味では妖も神獣も同じですから少しは分かります」
「あ、ありがとう蘢様……」
とりあえず礼しか言えなかった。手渡された箒を受け取って、季音は深々と頭を下げた。
※※※
「ところで龍。あの気難しい犬っころと狐の嬢ちゃん一緒で大丈夫だったのか?」
作業開始して間もなく。張り替える板を選別している最中、朧に言われて龍志は首を傾げた。
「平気だろ。寧ろいかにも体力的に貧弱そうな二匹に外の仕事を任せられるか? その為にお前呼んだようなものだが……」
最もな事を龍志がしれっと告げると、朧は『ちげぇよ』と首を横に振った。
「お前から前に少し話は聞いてるが、犬っころの件においても、大昔のあの嬢ちゃんも何かしら絡んできた事なんだろ……今の嬢ちゃんにそんな面影も見えやしないが」
朧は慎重に言う。一方、龍志は朧の方を一瞥した後、何食わぬ顔で板の選別を再開した。
「おい、龍……」
「……確かにそうだ。だが、今のあれは別の生き物と言っても過言じゃない。何もかも、どれもこれも全部覚えていないからな」
龍志は朧には目もくれず、あっさりとした口調で切り返す。
(あれじゃまるで……)
心の中でぽつりと呟いて、龍志は瞼を伏せた。
早朝から龍志は木材を何往復もして運び、社の前へ積み立てる。そんな彼の装いは、上に纏うものは長手甲だけ──と、健康的に引き締まった素肌を大いに晒した軽装だった。
「さて野郎共、絶好の修繕日和だ」
龍志は戯けた調子で言う。
しかし、蘢は遠くを見つめ、朧は二日酔いか地面に座って青白い顔で俯いていた。
「とりあえず前に言った通り、俺と朧は外装。蘢と季音は中の掃除や床の修繕をやってくれ。中はさほど時間はかからないだろうが、中が終わった後は外の手伝いに回ってもらいたい。修繕は出来れば梅雨前には必ず終わらせたいとは思う」
さらりとした龍志は述べると、青い顔をした朧は『質問』と挙手した。
「おい龍。梅雨入りって事は良いところ、あと一週間あるか無いか分からないだろ」
げっそりとした朧は青い顔を上げて唇をひん曲げた。
確かに朧が言う事も一理あるだろう。現在は皐月も終わり。水無月となれば確実に梅雨は始まってしまう。外板を外してしまえば、雨でも降れば内部の水漬しは免れないだろう。
一週間で修繕……無謀だろう。そんな風に思って季音は不安気に龍志の方を向いた。
「出来るかじゃない、やるんだよ。神が消えたとは言え、俺の式がたった一匹になっても護り続ける社が朽ちていく様を見ていくのもいい加減に嫌なものなんでな。だいぶ落ち着いた頃合いだったのと一匹居候も増えた事で人手が増えから、やろうと思った」
龍志は蘢と季音を交互に見て穏やかに言う。
しかし、龍志の言葉に蘢は複雑な表情を浮かべて直ぐに俯いてしまった。そのまま、社に向かって一礼して。蘢は無言のまま竹箒を持って社内部に足早に入っていった。
「相変わらず可愛気の無いワンコだな」
蘢の背中が見えなくなると、朧は溜息交じりに言った。
「神が消えた社……」
季音は復唱して呟く。龍志は蘢の向かった社の入り口を見つめながら穏やかに切り出した。
「昔々の話だ。辛い仕事だとは思うが、あいつに決して一匹ではない事は分からせたい」
──風化した社に対の居ない狗。どこか感じる物悲しさに季音は初めて見た時には畏怖さえ覚えた。今ではもう見慣れやしたが、それでも社を見れば、どこか悲しく感じてしまう。
龍志の言葉からその裏側を改めて思い知った季音は物憂げな面で彼を見上げた。
「何が……あったのですか」
思わず訊けば、『言えたものじゃない』と、龍志はきっぱりと首を横に振った。やはり踏み込んではいけない事だろう。季音は承知に黙って頷いた。
「と……話を戻すが、蘢にはお前達と打ち解けて欲しいとは思ってる。これは命令だ。特に朧。お前と蘢は俺の使役下の式同士だしな。だが、まずは手始めはお前だ」
そう言って、龍志は季音の方に穏やかな視線を向けた。
──朧に比べりゃお前は三割未だマシなんだから大丈夫だろ。頼んだ……と、そんな風に付け足して。龍志は季音の肩を叩いて、雑巾と水の張った桶を手渡した。
不安ではないと言えば嘘だ。何せ相手は自分よりも雲泥の格差を持つ生き物だ。それも、きっと確実に好かれてはいない。
「……分かりました、行ってきます」
季音は少し不安気に言って、蘢の後を追った。
初めて踏み入れた社内部は案の定、埃臭かった。幾らか側面の戸や窓を開かれており、差し込む陽光に舞う埃がよく見えて無性に鼻がムズムズとしてしまう。とは言え、龍志の言った通りに内部の風化はそこまでひどいものでは無かった。
蘢は早速掃き掃除を初めていた。しかし、季音がやって来た事が分かると直ぐに蘢は近寄って、箒を立てかけると季音の手から雑巾と水桶を取り上げた。
妖如きが社に入るな──そう言いたいのだろうか。
無言の行動だ。結局の所、何を言いたいのかは分からない。だが顔が強ばっている事から、なんとなく初対面の時を思い出してしまい季音が困却の表情を浮かばせたと同時だった。
「……拭き掃除、恥ずかしいでしょう」
少し間を置いた後、ぽつりと言った彼の言葉に季音は目を瞠る。
「いくら僕でも流石に目のやり場に困るので季音殿は掃き掃除をして下さい」
考えてもいなかった応えだった。
季音は思わず『えっ』と言葉を発すると彼は太い眉を寄せてそっぽを向く。
「いいから黙って従ってください……僕は主殿のように辱めて悦ぶ変態じゃないので、異種とは言え雌にそんなはしたない格好をされても困ります。尻尾持ってる意味では妖も神獣も同じですから少しは分かります」
「あ、ありがとう蘢様……」
とりあえず礼しか言えなかった。手渡された箒を受け取って、季音は深々と頭を下げた。
※※※
「ところで龍。あの気難しい犬っころと狐の嬢ちゃん一緒で大丈夫だったのか?」
作業開始して間もなく。張り替える板を選別している最中、朧に言われて龍志は首を傾げた。
「平気だろ。寧ろいかにも体力的に貧弱そうな二匹に外の仕事を任せられるか? その為にお前呼んだようなものだが……」
最もな事を龍志がしれっと告げると、朧は『ちげぇよ』と首を横に振った。
「お前から前に少し話は聞いてるが、犬っころの件においても、大昔のあの嬢ちゃんも何かしら絡んできた事なんだろ……今の嬢ちゃんにそんな面影も見えやしないが」
朧は慎重に言う。一方、龍志は朧の方を一瞥した後、何食わぬ顔で板の選別を再開した。
「おい、龍……」
「……確かにそうだ。だが、今のあれは別の生き物と言っても過言じゃない。何もかも、どれもこれも全部覚えていないからな」
龍志は朧には目もくれず、あっさりとした口調で切り返す。
(あれじゃまるで……)
心の中でぽつりと呟いて、龍志は瞼を伏せた。
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