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第弍章 闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる
弍之壱
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「さて唐突だが……社の修繕を行おうと思う」
新緑の香る昼下がりの縁側で、龍志は唐突に切り出した。
「本当に唐突ですね」
龍志の隣に腰掛けた蘢は湯飲みを持ちながら赤い瞳を丸く開く。
季音はその様子を少し離れた後方で傍観していた。
「昨日麓に降りた時に大工に声かけられてな。木材がだいぶ余っているそうで……要るか? なんて聞かれたもので。追々少しはどうにかしてやろうとは思ってたものだから」
暖かい陽光が眩しいのだろう。龍志は目を細めて切り返した。
ここへ来て二年。初めて聞いた事だった。
「……龍志様の生まれはここじゃないのですか?」
思わず訊いてみたが、季音は即座に口を噤む。
直ぐに感じた蘢の視線が妙に痛かったからだ。悪い事を訊いたつもりは無いが、向けられる視線の冷たさに畏怖を覚えてしまったのだ。それは初対面が災いしているだろう。
「言っていなかったか。俺の生まれはもっと南東だ。ここに来たのは二年程昔だな」
一方龍志はそんな事はお構いなしにと、季音の問いにさらりと答えた。
「……そうなんですね。どんな場所だったのですか」
聞いておいてどう反応して良いかも分からなくなってしまう。季音はありきたりな質問を彼に投げかけた。
──何やら、龍志は家出してきたらしい。
出身は、この黒羽と言われるこの地より二つ離れた海沿いの潘。松川という地で生まれ育ったらしい。生家は、吉河神社という神社仏閣だそうだ。
神社の敷地内に寺も存在する何とも不思議な環境で育ったそうで、そこの神社の方の次男として彼は生まれたらしい。
だが、様々な自己都合絡んで家出したそうで、黒羽の地に二年程前に居着いたそうだ。そこで見つけたのがこの廃社だ。山の地主と交渉したところ、この廃れ様故にタダで譲ると言われてここで暮らすようになったのだと彼はざっくりと経緯を語る。
「流れ着いた余所者とは言え、そこそこ名の知れた社の出身の証明は出来るし、お陰様で麓の村の人間の信頼を得るのは簡単だったな。祈祷だとか神職らしい依頼も受けているが、百姓の手伝いや大工の手伝いの労力と食い物の交換で生計得てるようなものだ」
──麓は老人がやたらと多いもので、若い男の手が少ないからな。なんて付け添えて、龍志はさっぱりとした口調で告げた。
陰陽師の仕事が中心ではなかったのか。そんな風に思って、季音がおずおずと視線を龍志に向けたと同時、蘢は大袈裟な溜息を一つ吐き出した。
「それで……社の修繕は主殿が一人で行うのですか。いかにも貧弱な狗と狐を助手にするには頼りないとは思うのですが。まさかとは思いますが、あの者に手伝って貰うのですか?」
蘢は赤々とした瞳をジトリと細めて、季音と龍志交互に眺めてまた一つ溜息を吐き出した。
──あの者。きっと他にも式神が居るのだろう。季音は、少し身構えて龍志の方を向いた。
蘢のようなツンツンとした神獣が二匹に増えてしまえば、更に居心地が悪く感じてしまうものだ。自分の立場なんて皆無に等しいだろう。
不安のざわつきが顔に出てしまったのだろうか。龍志は季音の顔を見ると、途端に噴き出すように笑った。
「お前らひ弱組には内部の掃除でもしてもらう予定だ。意外にも柱がしっかりしているお陰もあって内部は未だマシだ。床板の腐食も予想より酷くはなかった。外板の張り替えや補強が中心になるから力仕事だしな。あいつに頼る他無いだろ」
「呼ばないで下さいよ……未だ季音殿の方がマシですよ」
思わず耳を疑ってしまった。まず蘢に名を言われた事にも吃驚してしまったが、自分の方がマシだと──それも、高貴な狗が言うくらいなのだからどういう事なのだと思ってしまう。
季音は目を丸くして蘢に視線を向けた。
「私の方がマシです、か……?」
「はい。もう一体の式に比べれば貴女の方が三割以上はマシです。季音殿は良い意味では気遣い上手ですが、悪い意味で人の顔色を窺うわ……と、ウジウジしていて腹は立ちますけど、余計な口は挟みませんし女子の鏡のように淑やかですからね。未だ良いです」
早口できっぱりと返されて季音は目を点にしてしまった。
褒められてるのか貶されているのかよく分からない。だが両方だろうとは思う。自然と蘢の方を視線を向けていれば、彼は居心地悪そうに直ぐにそっぽを向いた。
「我が儘言うな。お前の護る社が倒壊するより良いだろ。それに、お前は”まだマシな”季音と一緒だしな。梅雨が来る前にどうにかしたいんだよ。というか、式同士少しは仲良くしろ」
龍志は宥めるように諭すが蘢は未だ不服そうにそっぽを向いていた。
しかし、逆に気になってしまう。いったいどんな式なのだろうと……。
「龍志様、蘢様。その式ってどんな方ですか……」
思った事をそのまま訊くと龍志と蘢は直ぐに顔を併せて一つ頷いた。
「脳みそが筋肉で出来た馬鹿です」
「色々と暑苦しい馬鹿だな」
──馬鹿しか共通点が無い。
二人の言葉はあまりにざっくりとしすぎていて、季音は思わず眉根を寄せた。
「まぁ……呼べばいいか。お前は未だ会った事も無いし会えば直ぐ分かる」
言って、龍志は作務衣の懐から呪符を取り出すも束の間──蘢は子犬が吠えるような甲高い声で非難した。
その反論に構わず、龍志は呪符を指で挟み唇に当てて尊厳たる言の葉を詠唱する。すると、呪符に書かれた『朧』の文字は煙の如く舞い上がったと同時──ゴゥと荒々しい音が絶えず響き始めた。
朱色の煙が大きな影を形成する。やがてそこに姿を現したのは、酒樽を抱えて眠る鮮やかな赤髪の青年だった。
──鬼だろう。側頭部には二本、額には二本立派な角が突き出していていた。山にも鬼はいる事から季音も彼の容姿だけでその種の判別がついた。
「おい、起きろ。昼回ってるぞ」
龍志は横たわる鬼の無骨な肩を揺する。すると、ピタリといびきは止まり、瞼を擦った鬼は薄く瞳を開いた。
「……んだ、龍。何か用事か。おうおう、犬っころもいるじゃねぇか」
細く開いた瞳は山吹の如く鮮明な黄色の瞳をしていた。陽光の反射でそれは僅かに神秘的な金に映り思わず季音は息を飲む。
彼も彼で精悍な顔立ちの青年だった。山で出会った鬼に比べれば、比較するのも雲泥の差といった程に整った顔立ちをしているだろう。その装いも、山の鬼に比べれば粋で洒落ているようにさえ思えた。
装い全体の色合いは鉄黒だった。だが暗ぼったく見えないのは、彼の髪が紅葉のように鮮やかな紅という事もあるだろう。
鉄黒の麻生地に金の風車の刺繍の施された上質な半纏を素肌で纏い野袴に長足袋を合わせた火消しのような装いだ。だが、腰回りに巻かれた帯布は虎毛模様となかなか奇抜で帯飾りも金細工の施された美しいものを着けている。大きく露出した首元を彩る首飾りも獣の牙──と、非常に野性的なものではあるが、深い緑の翡翠を間に挟みどこか気品さえ感じられた。
だが、酒臭くて仕方なかった。それは、山の鬼とさほど変わらないだろう。
漂う酒気に思わず季音は身を竦めるが、同じ所作をしたのは蘢も同時だった。彼は明らかな嫌悪を浮かべて鬼の青年を嫌悪をたっぷり含んだ視線で睨み付ける。
「おん。モフモフが二匹……犬っころお前、子供生んだのか?」
ふわふわとした毛の巻く蘢の尻尾を掴んで、鬼は身体を起こし上げた。その途端、蘢の顔はどっと火を付けたように瞬く間に紅潮した。
「ひっ……僕は雄だ! 酒臭い! 触るな、汚らわしい!」
神獣ではあるが、その感覚は彼も同じなのだろう。その感覚を己の身に思い出した季音は戦慄き肩をブルリと震わせた。
「んなの、わぁてるわ。冗談に決まってるだろ。美人な顔に小皺増えるぞ」
粗暴な口調でそう言って、彼は蘢の尾から手を離す。すると、蘢は素早く鬼から距離を離して自分の尾の毛並みの手入れし始めた。
流石に”尾を持つ”という共通点がある同士で季音は思わず蘢がいたたまれなくて仕方なくなってしまった。だが、彼に対してやはり気安く言葉をかけられるものではない。ただ心配気に視線を向けていれば、ぱちりと蘢と視線が交わった……と思ったら、更に顔を赤々と染めた彼はツンとそっぽを向いた。
そんな蘢の様子を豪快に笑って、鬼は龍志の方を向く。
「んで、龍。何か用か?」
「ああ、いや。追々用事あるもんでな。その件を伝えるのと一応季音に会わせる為にな」
「ああ、件の狐の嬢ちゃんな。どうも。俺は朧」
鬼は自らを朧と名乗って、季音に会釈した。
「……はい。季音と申します」
季音は礼儀正しく手をついて一礼した。
件の──そういった下りから一応は自分の事を知っているのだろう。季音は少し神妙な面で顔を上げて朧の方を向くと彼は親しみやすい笑みを浮かべた。
「俺はもっと高慢ちきな狐の典型を想像したもんだが、本当に龍が言った通りめんこいもんだなぁ……」
顎に手を当てて、ジッと朧は季音を見つめた。
──龍。それは龍志に対する愛称なのだろう。めんこい……即ち可愛いと。龍志がそう言ったのだと時差式に認識して、季音の頬には夥しい熱が攻め寄せた。
「こいつ、神職者の癖に手癖も態度も悪いし、結構嗜虐的な鬼野郎だから気をつけた方がいいぞ。多分泣かれるともっと泣かせたくなるとかそういう容赦無い変態……」
言って、朧は豪快に笑った。
鬼が人を鬼と言う。何だか滑稽に思えてしまうものだが、確かに尻尾を握るわ愚図と言って狡猾に笑う等、その心当たりは沢山ありすぎた。
季音は青ざめて、ギジギシと龍志の方を向けば『そこまで頭はいかれてねぇ』なんて、彼は反吐を出すようにばっさりと切り捨てた。
新緑の香る昼下がりの縁側で、龍志は唐突に切り出した。
「本当に唐突ですね」
龍志の隣に腰掛けた蘢は湯飲みを持ちながら赤い瞳を丸く開く。
季音はその様子を少し離れた後方で傍観していた。
「昨日麓に降りた時に大工に声かけられてな。木材がだいぶ余っているそうで……要るか? なんて聞かれたもので。追々少しはどうにかしてやろうとは思ってたものだから」
暖かい陽光が眩しいのだろう。龍志は目を細めて切り返した。
ここへ来て二年。初めて聞いた事だった。
「……龍志様の生まれはここじゃないのですか?」
思わず訊いてみたが、季音は即座に口を噤む。
直ぐに感じた蘢の視線が妙に痛かったからだ。悪い事を訊いたつもりは無いが、向けられる視線の冷たさに畏怖を覚えてしまったのだ。それは初対面が災いしているだろう。
「言っていなかったか。俺の生まれはもっと南東だ。ここに来たのは二年程昔だな」
一方龍志はそんな事はお構いなしにと、季音の問いにさらりと答えた。
「……そうなんですね。どんな場所だったのですか」
聞いておいてどう反応して良いかも分からなくなってしまう。季音はありきたりな質問を彼に投げかけた。
──何やら、龍志は家出してきたらしい。
出身は、この黒羽と言われるこの地より二つ離れた海沿いの潘。松川という地で生まれ育ったらしい。生家は、吉河神社という神社仏閣だそうだ。
神社の敷地内に寺も存在する何とも不思議な環境で育ったそうで、そこの神社の方の次男として彼は生まれたらしい。
だが、様々な自己都合絡んで家出したそうで、黒羽の地に二年程前に居着いたそうだ。そこで見つけたのがこの廃社だ。山の地主と交渉したところ、この廃れ様故にタダで譲ると言われてここで暮らすようになったのだと彼はざっくりと経緯を語る。
「流れ着いた余所者とは言え、そこそこ名の知れた社の出身の証明は出来るし、お陰様で麓の村の人間の信頼を得るのは簡単だったな。祈祷だとか神職らしい依頼も受けているが、百姓の手伝いや大工の手伝いの労力と食い物の交換で生計得てるようなものだ」
──麓は老人がやたらと多いもので、若い男の手が少ないからな。なんて付け添えて、龍志はさっぱりとした口調で告げた。
陰陽師の仕事が中心ではなかったのか。そんな風に思って、季音がおずおずと視線を龍志に向けたと同時、蘢は大袈裟な溜息を一つ吐き出した。
「それで……社の修繕は主殿が一人で行うのですか。いかにも貧弱な狗と狐を助手にするには頼りないとは思うのですが。まさかとは思いますが、あの者に手伝って貰うのですか?」
蘢は赤々とした瞳をジトリと細めて、季音と龍志交互に眺めてまた一つ溜息を吐き出した。
──あの者。きっと他にも式神が居るのだろう。季音は、少し身構えて龍志の方を向いた。
蘢のようなツンツンとした神獣が二匹に増えてしまえば、更に居心地が悪く感じてしまうものだ。自分の立場なんて皆無に等しいだろう。
不安のざわつきが顔に出てしまったのだろうか。龍志は季音の顔を見ると、途端に噴き出すように笑った。
「お前らひ弱組には内部の掃除でもしてもらう予定だ。意外にも柱がしっかりしているお陰もあって内部は未だマシだ。床板の腐食も予想より酷くはなかった。外板の張り替えや補強が中心になるから力仕事だしな。あいつに頼る他無いだろ」
「呼ばないで下さいよ……未だ季音殿の方がマシですよ」
思わず耳を疑ってしまった。まず蘢に名を言われた事にも吃驚してしまったが、自分の方がマシだと──それも、高貴な狗が言うくらいなのだからどういう事なのだと思ってしまう。
季音は目を丸くして蘢に視線を向けた。
「私の方がマシです、か……?」
「はい。もう一体の式に比べれば貴女の方が三割以上はマシです。季音殿は良い意味では気遣い上手ですが、悪い意味で人の顔色を窺うわ……と、ウジウジしていて腹は立ちますけど、余計な口は挟みませんし女子の鏡のように淑やかですからね。未だ良いです」
早口できっぱりと返されて季音は目を点にしてしまった。
褒められてるのか貶されているのかよく分からない。だが両方だろうとは思う。自然と蘢の方を視線を向けていれば、彼は居心地悪そうに直ぐにそっぽを向いた。
「我が儘言うな。お前の護る社が倒壊するより良いだろ。それに、お前は”まだマシな”季音と一緒だしな。梅雨が来る前にどうにかしたいんだよ。というか、式同士少しは仲良くしろ」
龍志は宥めるように諭すが蘢は未だ不服そうにそっぽを向いていた。
しかし、逆に気になってしまう。いったいどんな式なのだろうと……。
「龍志様、蘢様。その式ってどんな方ですか……」
思った事をそのまま訊くと龍志と蘢は直ぐに顔を併せて一つ頷いた。
「脳みそが筋肉で出来た馬鹿です」
「色々と暑苦しい馬鹿だな」
──馬鹿しか共通点が無い。
二人の言葉はあまりにざっくりとしすぎていて、季音は思わず眉根を寄せた。
「まぁ……呼べばいいか。お前は未だ会った事も無いし会えば直ぐ分かる」
言って、龍志は作務衣の懐から呪符を取り出すも束の間──蘢は子犬が吠えるような甲高い声で非難した。
その反論に構わず、龍志は呪符を指で挟み唇に当てて尊厳たる言の葉を詠唱する。すると、呪符に書かれた『朧』の文字は煙の如く舞い上がったと同時──ゴゥと荒々しい音が絶えず響き始めた。
朱色の煙が大きな影を形成する。やがてそこに姿を現したのは、酒樽を抱えて眠る鮮やかな赤髪の青年だった。
──鬼だろう。側頭部には二本、額には二本立派な角が突き出していていた。山にも鬼はいる事から季音も彼の容姿だけでその種の判別がついた。
「おい、起きろ。昼回ってるぞ」
龍志は横たわる鬼の無骨な肩を揺する。すると、ピタリといびきは止まり、瞼を擦った鬼は薄く瞳を開いた。
「……んだ、龍。何か用事か。おうおう、犬っころもいるじゃねぇか」
細く開いた瞳は山吹の如く鮮明な黄色の瞳をしていた。陽光の反射でそれは僅かに神秘的な金に映り思わず季音は息を飲む。
彼も彼で精悍な顔立ちの青年だった。山で出会った鬼に比べれば、比較するのも雲泥の差といった程に整った顔立ちをしているだろう。その装いも、山の鬼に比べれば粋で洒落ているようにさえ思えた。
装い全体の色合いは鉄黒だった。だが暗ぼったく見えないのは、彼の髪が紅葉のように鮮やかな紅という事もあるだろう。
鉄黒の麻生地に金の風車の刺繍の施された上質な半纏を素肌で纏い野袴に長足袋を合わせた火消しのような装いだ。だが、腰回りに巻かれた帯布は虎毛模様となかなか奇抜で帯飾りも金細工の施された美しいものを着けている。大きく露出した首元を彩る首飾りも獣の牙──と、非常に野性的なものではあるが、深い緑の翡翠を間に挟みどこか気品さえ感じられた。
だが、酒臭くて仕方なかった。それは、山の鬼とさほど変わらないだろう。
漂う酒気に思わず季音は身を竦めるが、同じ所作をしたのは蘢も同時だった。彼は明らかな嫌悪を浮かべて鬼の青年を嫌悪をたっぷり含んだ視線で睨み付ける。
「おん。モフモフが二匹……犬っころお前、子供生んだのか?」
ふわふわとした毛の巻く蘢の尻尾を掴んで、鬼は身体を起こし上げた。その途端、蘢の顔はどっと火を付けたように瞬く間に紅潮した。
「ひっ……僕は雄だ! 酒臭い! 触るな、汚らわしい!」
神獣ではあるが、その感覚は彼も同じなのだろう。その感覚を己の身に思い出した季音は戦慄き肩をブルリと震わせた。
「んなの、わぁてるわ。冗談に決まってるだろ。美人な顔に小皺増えるぞ」
粗暴な口調でそう言って、彼は蘢の尾から手を離す。すると、蘢は素早く鬼から距離を離して自分の尾の毛並みの手入れし始めた。
流石に”尾を持つ”という共通点がある同士で季音は思わず蘢がいたたまれなくて仕方なくなってしまった。だが、彼に対してやはり気安く言葉をかけられるものではない。ただ心配気に視線を向けていれば、ぱちりと蘢と視線が交わった……と思ったら、更に顔を赤々と染めた彼はツンとそっぽを向いた。
そんな蘢の様子を豪快に笑って、鬼は龍志の方を向く。
「んで、龍。何か用か?」
「ああ、いや。追々用事あるもんでな。その件を伝えるのと一応季音に会わせる為にな」
「ああ、件の狐の嬢ちゃんな。どうも。俺は朧」
鬼は自らを朧と名乗って、季音に会釈した。
「……はい。季音と申します」
季音は礼儀正しく手をついて一礼した。
件の──そういった下りから一応は自分の事を知っているのだろう。季音は少し神妙な面で顔を上げて朧の方を向くと彼は親しみやすい笑みを浮かべた。
「俺はもっと高慢ちきな狐の典型を想像したもんだが、本当に龍が言った通りめんこいもんだなぁ……」
顎に手を当てて、ジッと朧は季音を見つめた。
──龍。それは龍志に対する愛称なのだろう。めんこい……即ち可愛いと。龍志がそう言ったのだと時差式に認識して、季音の頬には夥しい熱が攻め寄せた。
「こいつ、神職者の癖に手癖も態度も悪いし、結構嗜虐的な鬼野郎だから気をつけた方がいいぞ。多分泣かれるともっと泣かせたくなるとかそういう容赦無い変態……」
言って、朧は豪快に笑った。
鬼が人を鬼と言う。何だか滑稽に思えてしまうものだが、確かに尻尾を握るわ愚図と言って狡猾に笑う等、その心当たりは沢山ありすぎた。
季音は青ざめて、ギジギシと龍志の方を向けば『そこまで頭はいかれてねぇ』なんて、彼は反吐を出すようにばっさりと切り捨てた。
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