廻り捲りし戀華の暦

日蔭 スミレ

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第壱章 紫だちたる雲の細くたなびきたる

壱之陸

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  ※ ※ ※

 その晩。龍志は一人、廃社の境内の方へ向かって行った。
 華やかな桃の花の香が漂う弥生の夜半は未だ真冬の如く空気が凍てつき吐く息は白い。

 ──ここへ来て早約二年が経過するだろう。

 春近付く寒空を見上げて龍志はふとそんな事を思った。
 この二年は笹垣をこしらえたり、人が一人住めるようにと境内裏手にあるぼろ屋の修繕を行う事が精一杯で社の管理は一切行ってもいなかった。

 そもそも、ここにはもう神は存在しない。それは龍志もよく理解していた。それでも、後々少しは修繕を行うべきだろう。と、そんな事を思って、今にも崩れ落ちそうな社を横目に歩むとやがて正面口へと辿り着く。
 殆ど朱色の剥がれた鳥居の向こう。丸々と太った金色の満月が浮かび上がっていた。
 ボロ屋からの道のりは影だからこそ、そこまで気にもならなかった。否や、二年も居着いているのだから、深々と気にかける事も無かったのだろう。月明かりの元では、神の存在しない社の荒んだ輪郭は尚更に際立ち悲愴的に映ってしまった。
 一つ息を吐き出して龍志は、たった一匹で佇むいぬの前まで歩み寄る。

「悪い。言い方がキツ過ぎた。おい蘢、ふて腐れるなよ?」

 苔の張り付いたいぬの額を龍志はコツコツと甲で軽く叩く。すると、瞬く間に台座に座っていたいぬは煙の如く消え失せ龍志の前に蘢が姿を現した。

 なんとも子供じみたむくれ面だった。
 蘢は龍志の方に視線を向けもせず、ツンとそっぽを向く。

「謝っているだろ。だけどな、事実俺は詠龍だが今は違う。あいつが急激にあれもこれもと思い出して混乱するかも知れないだろ。未だ呼びにくいならあるじなり他の呼び方しろ」

 龍志は一つ大きな溜息を溢した。

主殿あるじどの……」

 歯切れの悪く蘢は言って、彼はやっと龍志と視線を合わせた。

「いい子だ」

 龍志は、蘢のふわふわと逆毛立つ髪を撫でる。少しは心地よさそうなそぶりを見せるものだが、未だ彼の面は腑に落ちないような複雑な感情を乗せていた。

「……しかし、お前も複雑だよな。合わせてもらって悪いなとは思ってる」

 しれっとした調子で呟けば『お互い様でしょう』なんて、蘢はそっけなく返した。
 一応は納得してくれただろう。詫びる為に来たのだ。取り敢えずはもう大丈夫か──と、龍志は直ぐに踵を返した矢先だった。再び蘢が自分を呼ぶものだから、龍志は神妙に眉を寄せた。

「……本当に貴方は、自分が決めた通りになさるのですか?」

 蘢の言葉はやはり歯切れが悪かった。それを言った彼の面は、やはり何処か浮かないもので龍志は少しだけ息苦しささえ覚えてしまった。

「愚問だな。俺はあいつを命がけで幸せにする」

 ふわふわと逆毛立った蘢の髪をワシャワシャと撫で回して、龍志は笑い混じりに答えた。すると、能面の如く無表情だったイヌタデはようやく口角を緩めて仕切り直すように口を開く。

「そもそもですけど……その策略を本気で実行するならば、主殿は……あの娘に好かれている自信はあるのですか?」

「さぁな。まぁ『好きだとは思う』と言われたから多分嫌われちゃいない。だが、陰陽師と割れた時点でもそうだが、色々やらかした所為で相当びびられてるとは思うがな」

「今朝もそんな事言ってましたが、一体何をなさったんですか……」

 怪訝な瞳を向けて蘢は問う。対して昨晩の件サラリと述べれば、蘢は更に目を細めた。

「……それ、完全にダメじゃないですか。不潔ですよ。女子おなごの心理なんぞ僕にはよく分かりませんが、多分……肉欲の権化とでも思われてるのがオチです」

「そうか? まぁ神職者も人の雄だしな。坊主じゃないから煩悩はあるし爛れた事も考える」

 ──お前の前代の主人も同じだろ。と、鼻で笑ってやれば、蘢はやれやれと首を横に振った。
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