廻り捲りし戀華の暦

日蔭 スミレ

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第壱章 紫だちたる雲の細くたなびきたる

壱之弐

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 輪廻転生。そんな言葉が人の世界の教えにあるそうだ。魂は巡り巡る。その思想は獣の特徴を持つ非ず者も同様であり、これは紛れもない事実だった。

 狐に狸、いたちいぬや猫など……そういった獣の物の怪は、一度獣として死した後に化けて『妖』と成る。或いは、長く生きた上で『瑞獣すいじゆう』に成るかのどちらかの道を辿っていた。

 妖は『輪廻』瑞獣すいじゆうは『転化』……と、事の成立に違いが生じるが、見てくれだけで言うならば、大差は無い。だが、その格は雲泥の差であった。序列で表すとするならば、瑞獣すいじゆうは神に仕える神獣と並んで高貴な存在で神に程近く頂点に立っていると言えるだろう。一方獣の妖と言うと、鬼や天狗てんぐ達に元が人だった妖を挟んで、その下に位置付けされる。
 しかし双方の起源はただの獣だ。転化しようが化けて輪廻しようが、双方共に獣の頃の記憶を受け継いでいる事が当たり前だった。

 だが、キネの場合そういった過去の記憶が皆無に等しかった。
 
 ……キネが輪廻を果たしたのは未だ最近。昨年の夏の終わりの事だった。
 初めて目にしたものが曇天だった。大粒の豪雨が叩き付け暴風が吹き荒れる中、鼻腔をつんざく土の臭いにキネは目を覚ました。
 その時の事で覚えている事は多くない。夏の雨とは言え、全身ずぶ濡れになっていた所為で、とてつもなく寒かった事だけはよく覚えている。だが、その時から『誰かに会いたくて仕方ない』と思う不可解な本能があった。

 その時、キネは藤の装飾が施された金のかんざしを大事に握りしめていたそうだ。その話はその時に助けてくれた恩人であり、後に親友になった狸の妖の少女”タキ”から聞かされた。

 タキの話によれば、北側に流れる沢の近くで起きた地滑りの野次馬に来たら、たまたま輪廻したてのキネを見つけてしまったそうだ。
 それから数日を経て、タキに輪廻の事や記憶の事などを聞かされた。そこでキネは記憶を持たぬ自分の異常さを初めて思い知ったのだ。同時に、妖気を纏わぬ不自然をタキに言われたのである。

 通常、妖は誰もが妖気を纏っている。獣の妖だって輪廻を果たせば、当たり前のように妖気を纏うものだ。そもそも妖気とは──妖が己の身を守る為に妖術を扱う必要不可欠な力である。狐ならば、人に化ける他に狐火を扱う等の妖術変換が出来るものだとタキは言った。
 キネはタキに習って、狐狸こりの得意とする変化術が出来るかと試したものだが、幾度やろうが案の定不可能だった。

 ──過去を何も覚えていないのだから自分の名だって分からない。それどころか妖気は皆無で妖術を扱えない。もはや何故生まれ変わったのかも分からない程。突きつけられた現実は絶望だけだった。

 自分が何者かもわからない。何故、輪廻したかも分からない──だから結局、タキのツテを使って山に住まう妖達に聞いて回る他は無かった。
 処女雪の如く白々とした雪白せつぱくの毛並みに漆黒に色付いた耳の頂に尾の先端。それから藤色の丸い瞳──キネの容姿はさぞ珍しいのか山の妖の誰もがぎょっとした目で見ていた。
 そもそも一般的な狐の妖と言えば、黄や灰、黒の毛並みが殆どらしい。そんなに強い特徴的ならばと誰かがきっと知っていると期待は高まった。それなのに、誰もが『知らない』と首を横に振った。

 そうして最後に残された希望は同種の狐のみとなった。だが、『それだけは絶対に止めた方が良い』とタキに止められてしまったのである。

 その理由は非常に単純なものだった。

 そもそも狐は群れをなす生き物ではないからだ。寄り添う者は、つがいと子だけ。妖になってしまえば、尚更閉鎖的になり孤高となる。その上、総じて性質は狡猾で気性も荒い。妖気も持たないのだから、争いになれば厄介な上で危険だとタキに強く咎められた。
 それを聞いて、流石に危ないだろうとは思った。下手をすればタキにも危害が及ぶ恐れさえある──それを直ぐに理解して、キネは同種に探りを入れる事を直ぐに諦めた。

 希望は何一つ残っていなかった。それなのに『誰かに会いたくて仕方ない』という想いだけが根強く募った。藤の簪を見ると、それは尚更に強いと化し焦燥さえ覚えた。
 だが、それが”誰”かも一向に分からない。深く考えてみるが、その輪郭は微塵も掴めなかった。その想いをタキに告げてみたものだが、彼女が困った顔をするものだから、キネはそれ以上言うのを止めた。唯一無二の存在だ。だから、困らせてはいけない。と、そう思ったから。
 対してタキが言ってくれた事は、極めて前向きなものだった。
『一から始めろ。幸いにも言葉が分からないやらの幼体返りしている訳でも無い。これから無から始めれば良い。狐だろうが少しは面倒を見てやるから』と、彼女は朗らかに言ってくれた。
 そんなタキがあまりに眩しくて、その時キネは今まで以上に彼女の存在を尊く思った。

 ──狐は狡猾で高慢、狸は臆病な癖に傲慢。その性質は非常に相性が悪く、化かし合いになる事を危惧して関わる事を避ける……と、その時には、この事実をキネは理解していた。

 だから何故、彼女がここまでしてくれるのか不思議で仕方なく思って、キネは思い切ってそれを尋ねてみた。だが、その答えはあまりにもあっさりしたものだった。
『いくら狐とは言え、見捨てるのは寝覚めが悪かった。放っておけねぇだろ普通』
 確か、そんな口調だっただろう。

 ──だが、きっとそれはタキだったからだろう。と、キネは思う。紛れもない事実、キネから見ても、タキもタキでかなりの変わり者だった。
 狸という生き物は少数の群れで行動するものらしい。それは妖になっても変わらない。否や、妖ともなれば大きな群れとなって行動する事が多いそうだ。タキも一応は群れに属しているとは聞いたものの、キネの見てきた彼女はほぼ単独行動だった。

 群れに帰るのは満月と新月の日のみ。それ以外と言えば、彼女は殆どキネと共にいた。
 タキは謂わば、はみ出し者だった。だが、彼女の性格から察するに、群れから避けられている訳にも思えない。むしろ勝手に放浪しているように窺えた。
 それに『狸は臆病』だなんて言葉を彼女の口から幾度も聞いていたものだが、キネから見た彼女は微塵もそんな風に思えやしなかった。寧ろ勇敢と言っても過言では無い。図体が大きな酔っ払いの大鬼を邪険に扱うわ、ちょっかいをかけてきた烏天狗からすてんぐに喧嘩を売るわ……と、なかなかの粗暴さを見せられてきたのだ。

 タキはキネよりも小柄で細かった。だが、所作だけではなく風貌も勇ましく中性的だっただろう──その装いは、肩まで胸をさらしで覆い巻き、着物を着崩して利き手側の右肩口を露出した着こなしだった。それでもやはり華奢なもので、上腕半ばまで覆う長い腕貫うでぬきから出た二の腕は白くか細い。狸の毛色らしい枯色かれいろの毛髪は、毛先に向けて漆黒に変わる神秘的なもの。それを高く一本に結い上げた風貌は凜として勇ましいとしか形容できぬまい。
 そんな容姿と立ち振る舞いの所為で、彼女は幾分も大きく見えてしまった。

 それを言ってみれば『そんな狸らしからぬ事を由来して「タヌキ」の間を抜いて「タキ」という名』だと彼女は言った。よって、狐らしからぬ間抜け──お揃いだと、名無しの狐に名を与えたのはタキだった。

 不名誉な名ではあるが、大好きな親友のつけてくれた名だ。お揃いだと思えばこれほどまでに嬉しい事は無かった。いつもつかず離れず傍に居てくれた、掛け替えのない存在だった。
 だからこそ、離れ離れになった今、キネはとてつもなく心細く思っていた。

 
 ……一方、龍志との出会いは、藤の簪とキネの愚図さが災いして起きた事だった。
 満月の日だからと、群れに戻ったタキの不在時、ぼんやりと藤の簪を眺めていた時にからすに襲われて簪を盗まれてしまったのだ。
 輪廻した時から持っているものだ。つまり、自分の過去を繋ぐ為の唯一の手がかりである。
 そんな大事なものを、たった一羽のからすに盗まれて紛失してしまったのだ。 

 そうして、からすを追いに追って木に登り巣から簪を奪還したまでは良かっただろう。
 だが、キネはあまりに無我夢中で人里近い麓の方まで降りてきてしまった事に気付きもしなかったのだ。その上、烏の巣が崖に切り立って生える老木だった事も。
 つまり、簪の奪還は見事に成功したものの、老木の枝木が折れてキネは真っ逆さまに崖に転落したのだ。そこで夕刻、通りかかった龍志に助けられたのである。

 転落した経緯を当然のように彼に問われたが、とてもではなく言えたものではなかった。だが、彼はタキに少しに似てさっぱりとした性質なのだろう。適当にはぐらかせば、特にその事に対して触れるような真似をしなかった。

 しかし、恩人とは言え、相手が人という事にキネは困却した。ましてや、彼に会った途端に『彼こそが自分が会いたかったと思う相手』だと分かってしまった事を悩ましく思えた。何せ彼に会ってからというものの、不可解な本能は綺麗さっぱりと消えてしまったのだ。思わず初対面で『会いたかった』なんて言ってしまった記憶は朧気にあるが、彼も特にそれを聞く事も無かった。

 だが、相手は人だ──いくら自分の記憶の鍵を握っている可能性があとは言え、気安く聞けたものではなかった。

 そもそも今日の妖と人の間柄は、垣根を隔てて隣り合う程度で無駄な干渉をしない。古き昔は、人を騙すなどの悪戯や悪事を頻繁に働く妖も多く存在したそうだが、最近ではそういった行動に出る者が居ない。何故かと言えば、人の中には非ず者の魂を封じたり滅する”神に通じるの力”を持つ者がいると妖達もよく知っていたからだ。つまり、妖にとっての人は最も警戒すべき相手だと言っても過言ではない。だからこそ、妖側は余程の事が無ければ人前に姿を現さず一切の干渉をしなかった。

 それに、人という生き物は謎が多い。妖の認識では野蛮とさえ言われているのだ。だが、龍志はキネが想像した人とは随分とかけ離れていた。

 人は妖に対して、もっと恐ろしい形相を見せると思っていたのに、彼の態度は随分と凪いだものだった。その理由を恐る恐る尋ねてみれば『何度か見た事があるから別に』と随分とさっぱりとした口調で返された。
 甲斐甲斐しく介抱される様から、自分に対して敵意を微塵も持っていないのだと分かりキネは素直に安堵した。だが、だいぶ動けるようになって礼を言った矢先の事である。
『礼を言う。つまり、恩があると』確かそんな風に言われただろう。それから間髪入れずに言われた言葉は『恩は身体で返して貰おう』と。

 一応は──否やどう見たって自分は雌だ。その言葉から、初めこそは厭らしい要求でもされるのかと焦った。だが、それはキネの勘違いだった。

 手渡されたものは、小汚い雑巾に藺草の箒。『家事をしろ』と要求されたのである。
 確かに恩はあるだろう。否やありすぎるだろう。有無を言う隙も無くキネはその要求を飲む他無かった。

 そこで、キネは龍志の意地悪で嗜虐的な顔を知ってしまったのだ。

 美味しい飯も毎日三食も出してくれるのだからろくに文句も言えないが、毎日毎日、トロいだの愚図だの言われて尻尾を掴まれなかった日は無いだろう。しかし、飯をくれる恩ばかりが膨れ上がっている気がしてならない。まさか自分は騙されているのだろうか……と、疑わしくも思った。もしや意地の悪い鬼か天狗てんぐが人にでも化けているのか……とさえ考えたが、自分だって一応は妖だ。妖気皆無とは言え、他者の妖気は察知する事くらいは出来る。だから、彼がただの人だと理解していた。
 縁側の向こう側、鍬で庭の地面を耕し始めた彼の広い背を見つめてキネは溜息を一つ溢す。
 ……果たして私が山に帰れる日が来るのだろうか。と、彼女は心の中で独りごちた。
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