89 / 106
世之介の変身
5
しおりを挟む ただただショックだった。
現れてくれるなと思っていたリアスが来た。
それだけでなく、彼が謎の女性と密会しているという事実を、この目で見る日が来てしまったことが。
ここからは彼らの横顔しか見えないが、一瞬だけ見えた女性は異国情緒溢れる妖艶な雰囲気を纏った人物のようだった。
きっと、あの見た目だけで男性を陥落させるなど、彼女にとっては容易いことだろうと想像させるほどの余裕も感じる。
見間違いであることを祈って、もう一度彼らを一瞥する。だが、視界に映るのは間違いなく、愛する夫と少しあどけなさ残るエキゾチックな面立ちの美女の姿だった。
――まさか彼女と会うために、ここに来ていたの?
何を話しているかははっきりと聞こえないが、後方から時折女性の楽しそうな笑い声が聞こえる。
そのたびに、この女性はきっとリアスに好意を持っているのだと思い知らされた。
眉目秀麗、高身長、細身ながら鍛え抜かれた精悍な身体を持つリアスは、声も良いうえ賢さまで兼ね備えている。
しかも、彼のまさに黄金比と言えるほど、左右対称の完璧な顔の左目の下には、人間味を感じる小さな可愛いほくろがあるんだから、ほっとけない気持ちも分かる。
それでいて、優しくて健気なうえに真面目だから好きになっちゃうわよね……分かるわ。
――どうしたらいいの……?
あまりのショックに自分が何を考えているのかもよく分からなくなり、ユアンさんの顔を見る。
刹那、ある言葉が脳内でリフレインした。
『ああ、あのときはエリーゼ様への片想いで、恋煩っていたんです。まさに、今のような感じでしたよ』
――まさか、リアスの不調は恋煩い……?
新しく好きな人が出来たから、最近おかしかったのだろうか。そう考えると何だか辻褄があってしまうことに、とても嫌な気持ちが込上げる。
でも、でも……もしかしたら仕事の話をしているだけかもしれない。だって、彼は決して不倫なんてするような人ではないもの。
仮にほかに好きな人ができたとしても、絶対に私との関係を精算してから関係を持つ。
私の知るラディリアス・ヴィルナーとは、そういう男なのだ。
そう思った矢先、彼らの会話の一部が明瞭に耳に入ってきた。
「そんなに好きになって大丈夫? ふふっ」
「本能だから仕方ない……。好きなんて言葉じゃ足りないくらい愛してるよ」
ポタリっ……。
固く握り締めた手の甲に水滴が落ちる感覚がした。
ゆるゆると震える拳を広げ、そっと頬に触れる。すると、氷のように冷たくなった指先が涙で濡れた。
「エリーゼ様」
決して周囲には聞こえない、細心の注意を払ったユアンさんの声が耳に届く。
ハッとユアンさんに集中すると、青筋を立て、見たこともないほど怖い顔をした彼が口を開いた。
「あなた次第です。乗り込みますか? もしそうでしたら、私は全力であなたの味方になりましょう」
さあ、どうする――そんな視線でユアンさんが見つめる中、私は力なく首を横に振った。
「突入しません。もしするにしても、もう少し状況証拠を集める必要があるわ。それに……場所が悪すぎよ」
どれだけショックであろうと、感情任せに今すぐ勢いで突入しても、ろくな事にならないということだけは理解できる。
悪いことはあれど、良いことなど何も無いのだ。
すると、そんな私の意図が伝わったのだろう。
依然としていつもの色気など台無しなほど厳しい顔つきのままではあるが、ユアンさんは少し冷静さを取り戻した。
「確かにその通りです。すみません、少々頭に血が上っておりました」
「……」
大丈夫だとでも言ってあげた方が良いのは分かっている。だが、そんな声掛けをするほどの余裕は、今の私にはなかった。
「っ……! 二人が席を立ちました」
神妙な面持ちのユアンさんが、囁き声で報告してきた。
「一緒にですか?」
「はい。ただ……」
ユアンさんの返事と重なるように、カランカランと店の扉のベルが鳴る。きっと二人が出て行った音だろう。
私はユアンさんの返事を聞く前に、思い切って二人の動向を追うべく背後に振り返った。
すると、一部ガラス張りになった店内に置いてある観葉植物の隙間から、別れる二人の姿が見えた。
「どうやらここで解散みたいですね」
恐ろしいほどに冷静なユアンさんの声が耳に届く。その声を聞き、私は彼の方へと振り返った。
「っ……」
振り返った私の顔が、きっと酷く情けないものだったのだろう。ユアンさんは私の顔を見るなり、痛ましげに表情を歪めた。
「エリーゼ様、今日は戻りましょう。私はあの女をつけますので、母と一緒に先にお帰りください」
「ええ……お願いします」
何とか彼の言葉に返事をした私は、ユアンさんとともに店を出ることになった。
幸い女性は、喫茶の目の前の建物に入っていった。
そのため、ユアンさんは女性を見失うこと無く、私をメリダさんが待つ馬車まで送ってくれた。
「奥様、まさかっ……」
馬車で待機していたメリダさんは、きっと店から出てきたリアスと女性を見たことだろう。
そして今、私とユアンさんの表情とその情報を照らし合わせ何かを察したのか、いつも温和なその表情を悲痛に染めた。
彼女は私が馬車に乗り込むと、嘆きながら私の手を包み撫でてくれた。
ただ、女性といるリアスを目の前にしても私にはまだ彼を信じたい気持ちがあった。
だからだろう。
そのメリダさんの優しく慰めるような手の温かみを感じるたび、私の心はひどく痛んだ。
現れてくれるなと思っていたリアスが来た。
それだけでなく、彼が謎の女性と密会しているという事実を、この目で見る日が来てしまったことが。
ここからは彼らの横顔しか見えないが、一瞬だけ見えた女性は異国情緒溢れる妖艶な雰囲気を纏った人物のようだった。
きっと、あの見た目だけで男性を陥落させるなど、彼女にとっては容易いことだろうと想像させるほどの余裕も感じる。
見間違いであることを祈って、もう一度彼らを一瞥する。だが、視界に映るのは間違いなく、愛する夫と少しあどけなさ残るエキゾチックな面立ちの美女の姿だった。
――まさか彼女と会うために、ここに来ていたの?
何を話しているかははっきりと聞こえないが、後方から時折女性の楽しそうな笑い声が聞こえる。
そのたびに、この女性はきっとリアスに好意を持っているのだと思い知らされた。
眉目秀麗、高身長、細身ながら鍛え抜かれた精悍な身体を持つリアスは、声も良いうえ賢さまで兼ね備えている。
しかも、彼のまさに黄金比と言えるほど、左右対称の完璧な顔の左目の下には、人間味を感じる小さな可愛いほくろがあるんだから、ほっとけない気持ちも分かる。
それでいて、優しくて健気なうえに真面目だから好きになっちゃうわよね……分かるわ。
――どうしたらいいの……?
あまりのショックに自分が何を考えているのかもよく分からなくなり、ユアンさんの顔を見る。
刹那、ある言葉が脳内でリフレインした。
『ああ、あのときはエリーゼ様への片想いで、恋煩っていたんです。まさに、今のような感じでしたよ』
――まさか、リアスの不調は恋煩い……?
新しく好きな人が出来たから、最近おかしかったのだろうか。そう考えると何だか辻褄があってしまうことに、とても嫌な気持ちが込上げる。
でも、でも……もしかしたら仕事の話をしているだけかもしれない。だって、彼は決して不倫なんてするような人ではないもの。
仮にほかに好きな人ができたとしても、絶対に私との関係を精算してから関係を持つ。
私の知るラディリアス・ヴィルナーとは、そういう男なのだ。
そう思った矢先、彼らの会話の一部が明瞭に耳に入ってきた。
「そんなに好きになって大丈夫? ふふっ」
「本能だから仕方ない……。好きなんて言葉じゃ足りないくらい愛してるよ」
ポタリっ……。
固く握り締めた手の甲に水滴が落ちる感覚がした。
ゆるゆると震える拳を広げ、そっと頬に触れる。すると、氷のように冷たくなった指先が涙で濡れた。
「エリーゼ様」
決して周囲には聞こえない、細心の注意を払ったユアンさんの声が耳に届く。
ハッとユアンさんに集中すると、青筋を立て、見たこともないほど怖い顔をした彼が口を開いた。
「あなた次第です。乗り込みますか? もしそうでしたら、私は全力であなたの味方になりましょう」
さあ、どうする――そんな視線でユアンさんが見つめる中、私は力なく首を横に振った。
「突入しません。もしするにしても、もう少し状況証拠を集める必要があるわ。それに……場所が悪すぎよ」
どれだけショックであろうと、感情任せに今すぐ勢いで突入しても、ろくな事にならないということだけは理解できる。
悪いことはあれど、良いことなど何も無いのだ。
すると、そんな私の意図が伝わったのだろう。
依然としていつもの色気など台無しなほど厳しい顔つきのままではあるが、ユアンさんは少し冷静さを取り戻した。
「確かにその通りです。すみません、少々頭に血が上っておりました」
「……」
大丈夫だとでも言ってあげた方が良いのは分かっている。だが、そんな声掛けをするほどの余裕は、今の私にはなかった。
「っ……! 二人が席を立ちました」
神妙な面持ちのユアンさんが、囁き声で報告してきた。
「一緒にですか?」
「はい。ただ……」
ユアンさんの返事と重なるように、カランカランと店の扉のベルが鳴る。きっと二人が出て行った音だろう。
私はユアンさんの返事を聞く前に、思い切って二人の動向を追うべく背後に振り返った。
すると、一部ガラス張りになった店内に置いてある観葉植物の隙間から、別れる二人の姿が見えた。
「どうやらここで解散みたいですね」
恐ろしいほどに冷静なユアンさんの声が耳に届く。その声を聞き、私は彼の方へと振り返った。
「っ……」
振り返った私の顔が、きっと酷く情けないものだったのだろう。ユアンさんは私の顔を見るなり、痛ましげに表情を歪めた。
「エリーゼ様、今日は戻りましょう。私はあの女をつけますので、母と一緒に先にお帰りください」
「ええ……お願いします」
何とか彼の言葉に返事をした私は、ユアンさんとともに店を出ることになった。
幸い女性は、喫茶の目の前の建物に入っていった。
そのため、ユアンさんは女性を見失うこと無く、私をメリダさんが待つ馬車まで送ってくれた。
「奥様、まさかっ……」
馬車で待機していたメリダさんは、きっと店から出てきたリアスと女性を見たことだろう。
そして今、私とユアンさんの表情とその情報を照らし合わせ何かを察したのか、いつも温和なその表情を悲痛に染めた。
彼女は私が馬車に乗り込むと、嘆きながら私の手を包み撫でてくれた。
ただ、女性といるリアスを目の前にしても私にはまだ彼を信じたい気持ちがあった。
だからだろう。
そのメリダさんの優しく慰めるような手の温かみを感じるたび、私の心はひどく痛んだ。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
INNER NAUTS(インナーノーツ) 〜精神と異界の航海者〜
SunYoh
SF
ーー22世紀半ばーー
魂の源とされる精神世界「インナースペース」……その次元から無尽蔵のエネルギーを得ることを可能にした代償に、さまざまな災害や心身への未知の脅威が発生していた。
「インナーノーツ」は、時空を超越する船<アマテラス>を駆り、脅威の解消に「インナースペース」へ挑む。
<第一章 「誘い」>
粗筋
余剰次元活動艇<アマテラス>の最終試験となった有人起動試験は、原因不明のトラブルに見舞われ、中断を余儀なくされたが、同じ頃、「インナーノーツ」が所属する研究機関で保護していた少女「亜夢」にもまた異変が起こっていた……5年もの間、眠り続けていた彼女の深層無意識の中で何かが目覚めようとしている。
「インナースペース」のエネルギーを解放する特異な能力を秘めた亜夢の目覚めは、即ち、「インナースペース」のみならず、物質世界である「現象界(この世)」にも甚大な被害をもたらす可能性がある。
ーー亜夢が目覚める前に、この脅威を解消するーー
「インナーノーツ」は、この使命を胸に<アマテラス>を駆り、未知なる世界「インナースペース」へと旅立つ!
そこで彼らを待ち受けていたものとは……
※この物語はフィクションです。実際の国や団体などとは関係ありません。
※SFジャンルですが殆ど空想科学です。
※セルフレイティングに関して、若干抵触する可能性がある表現が含まれます。
※「小説家になろう」、「ノベルアップ+」でも連載中
※スピリチュアル系の内容を含みますが、特定の宗教団体等とは一切関係無く、布教、勧誘等を目的とした作品ではありません。
EX級アーティファクト化した介護用ガイノイドと行く未来異星世界遺跡探索~君と添い遂げるために~
青空顎門
SF
病で余命宣告を受けた主人公。彼は介護用に購入した最愛のガイノイド(女性型アンドロイド)の腕の中で息絶えた……はずだったが、気づくと彼女と共に見知らぬ場所にいた。そこは遥か未来――時空間転移技術が暴走して崩壊した後の時代、宇宙の遥か彼方の辺境惑星だった。男はファンタジーの如く高度な技術の名残が散見される世界で、今度こそ彼女と添い遂げるために未来の超文明の遺跡を巡っていく。
※小説家になろう様、カクヨム様、ノベルアップ+様、ノベルバ様にも掲載しております。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/sf.png?id=74527b25be1223de4b35)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/sf.png?id=74527b25be1223de4b35)
日本VS異世界国家! ー政府が、自衛隊が、奮闘する。
スライム小説家
SF
令和5年3月6日、日本国は唐突に異世界へ転移してしまった。
地球の常識がなにもかも通用しない魔法と戦争だらけの異世界で日本国は生き延びていけるのか!?
異世界国家サバイバル、ここに爆誕!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
妹が憎たらしいのには訳がある
武者走走九郎or大橋むつお
SF
土曜日にお母さんに会うからな。
出勤前の玄関で、ついでのように親父が言った。
俺は親の離婚で別れた妹に四年ぶりに会うことになった……。
お母さんに連れられた妹は向日葵のような笑顔で座っていた。
座っていたんだけど……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる