2 / 106
序章 温故知新
2
しおりを挟む
指導教授は学生のファイルを受け取り、自分の端末に読み込ませ、モニターに映し出して黙って眺めている。
学生は微かな興奮に、顔が火照るのを感じていた。
いよいよだ……。いよいよ今日、この時、結果が出る……。
指導教授は前年に助教授から昇進して、教授になったばかりである。したがって、与えられた研究室も新しく、運び込まれた様々な資料や、機材で室内は乱雑を極めている。
年齢は、そう若くはない。四十代前半か。それでもこの年齢で、助教授から正教授に昇進するのは、稀な例外だと噂されている。
鶴のように痩せていて、髪の毛はかなり薄くなっているのが、教授を年齢以上に老けて見せている。落ち窪んだ眼窩から、二つの大きな目玉が、学生の提出したファイルの中身をチェックしている。
教授の骨のような指先が、モニターの一部を指し示した。
「この静止画像は? 大分、古いもののようだが……」
ようやく口を開く機会を得て、学生はやや前のめりの姿勢になって話し出した。
「ええ、当時の雑誌をスキャンして取り込んだものです。それは──」と教授の背後から腕を伸ばした。指先を写真の中央に当てる。
「当時〝族〟と呼ばれた若者グループの集会場面です。中央に立っている〝ツナギ〟の男がグループのリーダーです。リーダーは〝頭〟とか〝酋長〟とか呼ばれていたようです。どうも雑誌の保存状態が悪く──なにしろ昭和時代は、百年以上の大昔ですから──読み取れない部分もあって、用語にはあまり自信はないのですが」
腕組みをしてモニターに見入っている教授の横顔を見て、学生の口調は尻すぼみになった。教授の横顔には、ありありと不満が表れている。
「君には別の課題を与えてあったはずだが。昭和時代の交通状況と、自動車の若者世代普及についての研究……だったね。確か」
ぎろり、と教授は鋭い目付きで学生を睨んだ。学生は首を竦めた。教授の視線には「なぜ自分の提示した課題を進めない?」と非難が込められている。
「ええ。教授の提示された研究を進めているうち、当時の若者風俗に興味が移りまして」
学生は必死になって唇を舌で湿し、説明を続けた。
「〝ツッパリ〟〝ヤンキー〟と呼ばれる若者の一群が地方都市を中心に存在したのです。若者たちは、思い思いにバイクや車を改造して、当時の重要な風俗を形成していました。〝ツッパリ〟〝ヤンキー〟と呼ばれる一団は、当時の大きな社会問題を引き起こしましたが、文化にも大きく影響を与えていたことは、はっきりしています。ですから──」
学生の説明を、教授は手を振って遮った。
「もういい! 君は脱線した。わたしの提示した課題を無視してね。これでは、卒業は無理だな。諦めることだ」
教授の口調は辛辣で、突き放すものだった。学生の額に薄っすらと汗が噴き出す。
「それでは……?」
教授は微かに顎を引いた。
「そう。わたしの提示した課題を真っ直ぐ、真面目に進めることが、君の卒業の絶対条件となる。判るね?」
「はい、判りました」
学生は弱々しく答えた。
学生は微かな興奮に、顔が火照るのを感じていた。
いよいよだ……。いよいよ今日、この時、結果が出る……。
指導教授は前年に助教授から昇進して、教授になったばかりである。したがって、与えられた研究室も新しく、運び込まれた様々な資料や、機材で室内は乱雑を極めている。
年齢は、そう若くはない。四十代前半か。それでもこの年齢で、助教授から正教授に昇進するのは、稀な例外だと噂されている。
鶴のように痩せていて、髪の毛はかなり薄くなっているのが、教授を年齢以上に老けて見せている。落ち窪んだ眼窩から、二つの大きな目玉が、学生の提出したファイルの中身をチェックしている。
教授の骨のような指先が、モニターの一部を指し示した。
「この静止画像は? 大分、古いもののようだが……」
ようやく口を開く機会を得て、学生はやや前のめりの姿勢になって話し出した。
「ええ、当時の雑誌をスキャンして取り込んだものです。それは──」と教授の背後から腕を伸ばした。指先を写真の中央に当てる。
「当時〝族〟と呼ばれた若者グループの集会場面です。中央に立っている〝ツナギ〟の男がグループのリーダーです。リーダーは〝頭〟とか〝酋長〟とか呼ばれていたようです。どうも雑誌の保存状態が悪く──なにしろ昭和時代は、百年以上の大昔ですから──読み取れない部分もあって、用語にはあまり自信はないのですが」
腕組みをしてモニターに見入っている教授の横顔を見て、学生の口調は尻すぼみになった。教授の横顔には、ありありと不満が表れている。
「君には別の課題を与えてあったはずだが。昭和時代の交通状況と、自動車の若者世代普及についての研究……だったね。確か」
ぎろり、と教授は鋭い目付きで学生を睨んだ。学生は首を竦めた。教授の視線には「なぜ自分の提示した課題を進めない?」と非難が込められている。
「ええ。教授の提示された研究を進めているうち、当時の若者風俗に興味が移りまして」
学生は必死になって唇を舌で湿し、説明を続けた。
「〝ツッパリ〟〝ヤンキー〟と呼ばれる若者の一群が地方都市を中心に存在したのです。若者たちは、思い思いにバイクや車を改造して、当時の重要な風俗を形成していました。〝ツッパリ〟〝ヤンキー〟と呼ばれる一団は、当時の大きな社会問題を引き起こしましたが、文化にも大きく影響を与えていたことは、はっきりしています。ですから──」
学生の説明を、教授は手を振って遮った。
「もういい! 君は脱線した。わたしの提示した課題を無視してね。これでは、卒業は無理だな。諦めることだ」
教授の口調は辛辣で、突き放すものだった。学生の額に薄っすらと汗が噴き出す。
「それでは……?」
教授は微かに顎を引いた。
「そう。わたしの提示した課題を真っ直ぐ、真面目に進めることが、君の卒業の絶対条件となる。判るね?」
「はい、判りました」
学生は弱々しく答えた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
夜空に瞬く星に向かって
松由 実行
SF
地球人が星間航行を手に入れて数百年。地球は否も応も無く、汎銀河戦争に巻き込まれていた。しかしそれは地球政府とその軍隊の話だ。銀河を股にかけて活躍する民間の船乗り達にはそんなことは関係ない。金を払ってくれるなら、非同盟国にだって荷物を運ぶ。しかし時にはヤバイ仕事が転がり込むこともある。
船を失くした地球人パイロット、マサシに怪しげな依頼が舞い込む。「私たちの星を救って欲しい。」
従軍経験も無ければ、ウデに覚えも無い、誰かから頼られるような英雄的行動をした覚えも無い。そもそも今、自分の船さえ無い。あまりに胡散臭い話だったが、報酬額に釣られてついついその話に乗ってしまった・・・
第一章 危険に見合った報酬
第二章 インターミッション ~ Dancing with Moonlight
第三章 キュメルニア・ローレライ (Cjumelneer Loreley)
第四章 ベイシティ・ブルース (Bay City Blues)
第五章 インターミッション ~ミスラのだいぼうけん
第六章 泥沼のプリンセス
※本作品は「小説家になろう」にも投稿しております。
鋼月の軌跡
チョコレ
SF
月が目覚め、地球が揺れる─廃機で挑む熱狂のロボットバトル!
未知の鉱物ルナリウムがもたらした月面開発とムーンギアバトル。廃棄された機体を修復した少年が、謎の少女ルナと出会い、世界を揺るがす戦いへと挑む近未来SFロボットアクション!

異世界で農業を -異世界編-
半道海豚
SF
地球温暖化が進んだ近未来のお話しです。世界は食糧難に陥っていますが、日本はどうにか食糧の確保に成功しています。しかし、その裏で、食糧マフィアが暗躍。誰もが食費の高騰に悩み、危機に陥っています。
そんな世界で自給自足で乗り越えようとした男性がいました。彼は農地を作るため、祖先が残した管理されていない荒れた山に戻ります。そして、異世界への通路を発見するのです。異常気象の元世界ではなく、気候が安定した異世界での農業に活路を見出そうとしますが、異世界は理不尽な封建制社会でした。
VRおじいちゃん ~ひろしの大冒険~
オイシイオコメ
SF
75歳のおじいさん「ひろし」は思いもよらず、人気VRゲームの世界に足を踏み入れた。おすすめされた種族や職業はまったく理解できず「無職」を選び、さらに操作ミスで物理攻撃力に全振りしたおじいさんはVR世界で出会った仲間たちと大冒険を繰り広げる。
この作品は、小説家になろう様とカクヨム様に2021年執筆した「VRおじいちゃん」と「VRおばあちゃん」を統合した作品です。
前作品は同僚や友人の意見も取り入れて書いておりましたが、今回は自分の意向のみで修正させていただいたリニューアル作品です。
(小説中のダッシュ表記につきまして)
作品公開時、一部のスマートフォンで文字化けするとのご報告を頂き、ダッシュ2本のかわりに「ー」を使用しております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる