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第十回《暗闇検校》の正体の巻
八
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「して《暗闇検校》と申す悪党は、完全に死んだのじゃな? すると、これで、そちの事件は解決とあいなったのか?」
火盗改方頭の、酒巻源五郎の屋敷である。俺と玄之介、晶は源五郎の前に座っていた。玄之介は畏まって、事件のあらましを報告していた。
玄之介の、几帳面とさえいえる細かい報告に、源五郎は何度も頷き、聞き入っている。
目の前に玄之介が書き上げた報告書を広げ、膝に扇子を立てて軽く目を閉じている。
俺は長時間は、座っていられず、よっこらしょと立ち上がると、縁側に出て空を見上げた。
今日も江戸は日本晴れで、抜けるような青空に、白い雲が流れている。電脳空間では、天候には、あまりバラエティがない。
晴天では、一週間ローテーションで、必ず同じ位置に白い雲が浮かぶ。注意深い《遊客》なら、それが八日前に見た雲と同じ形だと看破するだろう。
俺は玄之介を振り返り、口を開いた。
「ああ。俺がこの目でしっかりと、《暗闇検校》の最後を見届けたよ。もう二度と、あんな騒ぎは起こらないだろう」
「重畳である。三人とも、ご苦労であった。おお、そうじゃ! 吉弥と申す芸者も、そちらと共に活躍したと聞いておる。いずれ、お上から、お褒めの言葉が賜るであろう!」
源五郎は上機嫌であった。
何しろ、町奉行所と協力し合ってであるが、江戸全域に蔓延る、悪党を一掃したのである。歴代の火盗改方頭としては、前代未聞の大手柄であった。
「それでは、お頭。拙者は、これにて……」
玄之介が四角く型通りに頭を下げ、源五郎が頷いたのを見て、俺は廊下に出た。軽い足音が追ってきて、晶と玄之介の二人が俺に並ぶ。
「どうしたのよ? 何だか、ご機嫌斜めね」
晶の軽口に、俺は「ふむ?」と曖昧な返事をした。玄之介は晶に同意して、尋ねかけた。
「左様、鞍家殿は、あまり嬉しそうでは御座らんな! 何か、屈託でも?」
「そんなんじゃ、ねえよ……」
俺にも、自分の気持ちは判らない。《暗闇検校》の事件が解決して、晴々とした気分になっても良さそうであるが、なぜか俺は憂鬱なままだった。
源五郎の屋敷を出て、江戸の町を歩くと、あちこちから槌音や、鋸などで木材を加工する音が聞こえてくる。人足の、威勢の良い掛け声がして、焼失した商家や、長屋の再建が始まっていた。
江戸の町人は、大火事という災難に、逞しく立ち上がろうとしていた。
それを見て、俺の胸に感慨が湧き上がる。
本当に、江戸の町に悪党は必要なのか?
晶が、前方を指差し、歓声を上げた。
「あっ! 新しい江戸写し絵が掛かっているわ! 今度、見に行かなくちゃ!」
芝居小屋には、演目の巨大な看板が掛かっている。通りすぎる町人たちは、看板を見上げ、興味深そうに眺めている。
芝居小屋の前に一人の侍が立っていて、晶の声に振り返った。
ぽっちゃりとした身体つきの、若い侍である。
晶の兄、大工原激だ。
手に、何か絵草紙を持っている。激は絵草紙に熱心に見入りながら、こちらに近づいてきた。俺に向かって、会釈する。
「どうも、鞍家さん。色々、お世話になって……」
俺は答えてやった。
「こっちこそ。君の報告で、荏子田多門らの集団自殺が防げた。礼を言うよ」
《暗闇検校》によって捕えられていた激は、現実世界に帰還した後、すぐに警察に俺の報告を届けたのである。
安楽死装置を仕掛けていた荏子田多門は、作動する寸前に警察によって装置を停められ、集団自殺を図ったとして拘束された。もちろん、他の荏子田多門と共に集団自殺しようとしていた連中も、同じである。
荏子田多門は、裁判所通達により、一年間の仮想現実接続を禁止された。こちらの江戸でも、荏子田多門は永久に入府を禁止され、江戸所払いの刑を宣告されている。
激は、手元の絵草紙を捻くっていると、俺の視線に気付き、恥ずかしそうに懐に仕舞った。
兄の仕草に、早くも晶が食いつく。
「ね、ね! 何を買ってきたの?」
激は困ったような顔を見せたが、それでも素直に妹に絵草紙の表紙を見せてやった。
激の買い求めたのは『南総里見八犬伝』の最新刊であった。もちろん、アニメ絵風の、絵草紙である。
江戸では、アニメ絵草紙が大流行{おおはやり}である。絵師として入府した《遊客》により、江戸にアニメ絵が導入されて以来、様々な講談や、軍記物が新しい絵柄で売り出されている。ほとんどが、《遊客》の手により描かれているが、ぼつぼつ江戸町人による、アニメ絵の絵草紙も表れていた。
その絵草紙を目当てに、《遊客》も集まってきていて、今までの豪傑、英雄、女剣士などの割合は、少なくなってきている。
写し絵を上演している小屋の周りには、アニメ絵草紙を目当てに《遊客》が集まっていて、絵草紙屋が軒を連ねている。
それらを、きらきらとした目で眺めていた晶が、不意に大声を上げた。
「ねえ、あたし、絵草紙を描いてみたい!」
晶の発言に、俺たちはキョトンとして顔を見合わせた。
嬉しそうな顔になったのは、兄の激だ。
「そりゃ良いなあ! まるで同人誌みたいじゃないか!」
晶は「わが意を得たり」とばかりに、大いに頷く。
「あたしも、現実世界で同人誌の経験があるのよ。岡っ引きの仕事は、これから暇になるでしょ。だから、やってみようと思うの!」
俺は肩を竦めた。
やれやれ……。どんな絵草紙ができあがるのやら……。
目を転じると、遠くから巨漢の山賊か、相撲取りかと思える大男が近づいてくる。大男の周囲には、数人の芸者風の女たちが纏わりつくようにして歩いていた。
「伊呂波の旦那!」
大男が、辺りに響き渡るような大声を上げ、片手を上げて振り回す。真っ黒な顎鬚を蓄え、のしのしと歩いてくる姿に、周りの町人が慌てて身を引いた。
晶が、大男の顔を見て、眉を顰めた。
「あんた……もしかして?」
大男は、にこにこと笑顔を見せた。
「そう、あちし! 吉弥改め、吉兵衛と申す。以後、お見知りおき願いたい」
晶は、驚きのあまり、仰け反っていた。
「吉弥姐さん! ど、どうして……?」
吉弥改め、吉兵衛と名乗った大男は、困ったように項を掻いた。
「あれから、あちし、完全に本来の自分に戻っちまって……。それで、あの活躍で、男の自分として生きて行くのも、良いんじゃないかと思い出してね。それで、こんな格好にしてみたんだ。そうしたら……」
周囲に纏わりついていた芸者らしき女たちが、漣めくような笑い声を上げる。
「吉ちゃんが、こんなになって、吃驚したのはもちろんだけど、改めて見ると、中々男らしいわあ。それに、芸者の経験もあるから、あたしたち女心も判ってくれて、一緒にいると安心できるの!」
一人が色っぽく説明しながら、吉兵衛の腕を抓る。
「吉ちゃん! 浮気したら承知しないから!」
抓られた吉弥は、「痛え!」と叫んだ。だが、結構これで嬉しがっているのか、擽ったそうな顔をしている。
そんな吉弥を見ているうち、俺の胸に一つの考えが纏まり始めていた。
《遊客》たちを引き寄せるため、悪党が本当に必要なのか? もしかしたら……。
ふうむ?
周りの女たちから、一人の女が、俺を熱心に見詰めているのに気付いた。
俺は、一瞬にしてその女が、《遊客》だと見抜いた。《遊客》同士だけが感じる、感覚で、言葉では説明しようがない。
俺の視線に気付き、吉弥……吉兵衛が思い出したように説明した。
「ああ、紹介するのを忘れていた! これはあちしの……いや、俺の……」
言い淀んだ吉兵衛に、晶がパンと手を叩く。
「もしかしたら、吉弥姐さんが現実世界で残った、本当の……?」
「猫奴と申します」
女は、言葉どおり、猫類のような瞳をしている。
よく見ると、瞳孔が猫のように縦になっていた。顔つきも、猫を思わせる、逆三角形の顔立ちだった。
真っ赤な口紅を引いた唇から、舌がちょろりと覗く。ぺろりと、自分の唇を舐め、じいーっ、と俺の顔を見詰めてくる。
「うふん……。吉兵衛に以前から聞いていたけど、あちし好みの良い旦那だねえ……」
するり、と一歩前に進み出る。ぴとっ、と俺の側に身を擦り寄せ、囁きかけた。
「今晩、お暇?」
「うわっ!」
俺は飛び退いた。
姿形は、確かに浮世絵から抜け出てきたような徒っぽい良い女だが、猫奴の身動きに、俺は以前の吉弥を見て取っていた。
そそくさと、俺はその場から一人、歩き去っていた。
「ちょっと! 旦那!」
背後から、猫奴が叫んでいる。
俺は一切、振り返らず、その場から一瞬でも早く離れたいと足を速めた。
頭の中では、これからの江戸について、アイディアが渦巻いていた。
火盗改方頭の、酒巻源五郎の屋敷である。俺と玄之介、晶は源五郎の前に座っていた。玄之介は畏まって、事件のあらましを報告していた。
玄之介の、几帳面とさえいえる細かい報告に、源五郎は何度も頷き、聞き入っている。
目の前に玄之介が書き上げた報告書を広げ、膝に扇子を立てて軽く目を閉じている。
俺は長時間は、座っていられず、よっこらしょと立ち上がると、縁側に出て空を見上げた。
今日も江戸は日本晴れで、抜けるような青空に、白い雲が流れている。電脳空間では、天候には、あまりバラエティがない。
晴天では、一週間ローテーションで、必ず同じ位置に白い雲が浮かぶ。注意深い《遊客》なら、それが八日前に見た雲と同じ形だと看破するだろう。
俺は玄之介を振り返り、口を開いた。
「ああ。俺がこの目でしっかりと、《暗闇検校》の最後を見届けたよ。もう二度と、あんな騒ぎは起こらないだろう」
「重畳である。三人とも、ご苦労であった。おお、そうじゃ! 吉弥と申す芸者も、そちらと共に活躍したと聞いておる。いずれ、お上から、お褒めの言葉が賜るであろう!」
源五郎は上機嫌であった。
何しろ、町奉行所と協力し合ってであるが、江戸全域に蔓延る、悪党を一掃したのである。歴代の火盗改方頭としては、前代未聞の大手柄であった。
「それでは、お頭。拙者は、これにて……」
玄之介が四角く型通りに頭を下げ、源五郎が頷いたのを見て、俺は廊下に出た。軽い足音が追ってきて、晶と玄之介の二人が俺に並ぶ。
「どうしたのよ? 何だか、ご機嫌斜めね」
晶の軽口に、俺は「ふむ?」と曖昧な返事をした。玄之介は晶に同意して、尋ねかけた。
「左様、鞍家殿は、あまり嬉しそうでは御座らんな! 何か、屈託でも?」
「そんなんじゃ、ねえよ……」
俺にも、自分の気持ちは判らない。《暗闇検校》の事件が解決して、晴々とした気分になっても良さそうであるが、なぜか俺は憂鬱なままだった。
源五郎の屋敷を出て、江戸の町を歩くと、あちこちから槌音や、鋸などで木材を加工する音が聞こえてくる。人足の、威勢の良い掛け声がして、焼失した商家や、長屋の再建が始まっていた。
江戸の町人は、大火事という災難に、逞しく立ち上がろうとしていた。
それを見て、俺の胸に感慨が湧き上がる。
本当に、江戸の町に悪党は必要なのか?
晶が、前方を指差し、歓声を上げた。
「あっ! 新しい江戸写し絵が掛かっているわ! 今度、見に行かなくちゃ!」
芝居小屋には、演目の巨大な看板が掛かっている。通りすぎる町人たちは、看板を見上げ、興味深そうに眺めている。
芝居小屋の前に一人の侍が立っていて、晶の声に振り返った。
ぽっちゃりとした身体つきの、若い侍である。
晶の兄、大工原激だ。
手に、何か絵草紙を持っている。激は絵草紙に熱心に見入りながら、こちらに近づいてきた。俺に向かって、会釈する。
「どうも、鞍家さん。色々、お世話になって……」
俺は答えてやった。
「こっちこそ。君の報告で、荏子田多門らの集団自殺が防げた。礼を言うよ」
《暗闇検校》によって捕えられていた激は、現実世界に帰還した後、すぐに警察に俺の報告を届けたのである。
安楽死装置を仕掛けていた荏子田多門は、作動する寸前に警察によって装置を停められ、集団自殺を図ったとして拘束された。もちろん、他の荏子田多門と共に集団自殺しようとしていた連中も、同じである。
荏子田多門は、裁判所通達により、一年間の仮想現実接続を禁止された。こちらの江戸でも、荏子田多門は永久に入府を禁止され、江戸所払いの刑を宣告されている。
激は、手元の絵草紙を捻くっていると、俺の視線に気付き、恥ずかしそうに懐に仕舞った。
兄の仕草に、早くも晶が食いつく。
「ね、ね! 何を買ってきたの?」
激は困ったような顔を見せたが、それでも素直に妹に絵草紙の表紙を見せてやった。
激の買い求めたのは『南総里見八犬伝』の最新刊であった。もちろん、アニメ絵風の、絵草紙である。
江戸では、アニメ絵草紙が大流行{おおはやり}である。絵師として入府した《遊客》により、江戸にアニメ絵が導入されて以来、様々な講談や、軍記物が新しい絵柄で売り出されている。ほとんどが、《遊客》の手により描かれているが、ぼつぼつ江戸町人による、アニメ絵の絵草紙も表れていた。
その絵草紙を目当てに、《遊客》も集まってきていて、今までの豪傑、英雄、女剣士などの割合は、少なくなってきている。
写し絵を上演している小屋の周りには、アニメ絵草紙を目当てに《遊客》が集まっていて、絵草紙屋が軒を連ねている。
それらを、きらきらとした目で眺めていた晶が、不意に大声を上げた。
「ねえ、あたし、絵草紙を描いてみたい!」
晶の発言に、俺たちはキョトンとして顔を見合わせた。
嬉しそうな顔になったのは、兄の激だ。
「そりゃ良いなあ! まるで同人誌みたいじゃないか!」
晶は「わが意を得たり」とばかりに、大いに頷く。
「あたしも、現実世界で同人誌の経験があるのよ。岡っ引きの仕事は、これから暇になるでしょ。だから、やってみようと思うの!」
俺は肩を竦めた。
やれやれ……。どんな絵草紙ができあがるのやら……。
目を転じると、遠くから巨漢の山賊か、相撲取りかと思える大男が近づいてくる。大男の周囲には、数人の芸者風の女たちが纏わりつくようにして歩いていた。
「伊呂波の旦那!」
大男が、辺りに響き渡るような大声を上げ、片手を上げて振り回す。真っ黒な顎鬚を蓄え、のしのしと歩いてくる姿に、周りの町人が慌てて身を引いた。
晶が、大男の顔を見て、眉を顰めた。
「あんた……もしかして?」
大男は、にこにこと笑顔を見せた。
「そう、あちし! 吉弥改め、吉兵衛と申す。以後、お見知りおき願いたい」
晶は、驚きのあまり、仰け反っていた。
「吉弥姐さん! ど、どうして……?」
吉弥改め、吉兵衛と名乗った大男は、困ったように項を掻いた。
「あれから、あちし、完全に本来の自分に戻っちまって……。それで、あの活躍で、男の自分として生きて行くのも、良いんじゃないかと思い出してね。それで、こんな格好にしてみたんだ。そうしたら……」
周囲に纏わりついていた芸者らしき女たちが、漣めくような笑い声を上げる。
「吉ちゃんが、こんなになって、吃驚したのはもちろんだけど、改めて見ると、中々男らしいわあ。それに、芸者の経験もあるから、あたしたち女心も判ってくれて、一緒にいると安心できるの!」
一人が色っぽく説明しながら、吉兵衛の腕を抓る。
「吉ちゃん! 浮気したら承知しないから!」
抓られた吉弥は、「痛え!」と叫んだ。だが、結構これで嬉しがっているのか、擽ったそうな顔をしている。
そんな吉弥を見ているうち、俺の胸に一つの考えが纏まり始めていた。
《遊客》たちを引き寄せるため、悪党が本当に必要なのか? もしかしたら……。
ふうむ?
周りの女たちから、一人の女が、俺を熱心に見詰めているのに気付いた。
俺は、一瞬にしてその女が、《遊客》だと見抜いた。《遊客》同士だけが感じる、感覚で、言葉では説明しようがない。
俺の視線に気付き、吉弥……吉兵衛が思い出したように説明した。
「ああ、紹介するのを忘れていた! これはあちしの……いや、俺の……」
言い淀んだ吉兵衛に、晶がパンと手を叩く。
「もしかしたら、吉弥姐さんが現実世界で残った、本当の……?」
「猫奴と申します」
女は、言葉どおり、猫類のような瞳をしている。
よく見ると、瞳孔が猫のように縦になっていた。顔つきも、猫を思わせる、逆三角形の顔立ちだった。
真っ赤な口紅を引いた唇から、舌がちょろりと覗く。ぺろりと、自分の唇を舐め、じいーっ、と俺の顔を見詰めてくる。
「うふん……。吉兵衛に以前から聞いていたけど、あちし好みの良い旦那だねえ……」
するり、と一歩前に進み出る。ぴとっ、と俺の側に身を擦り寄せ、囁きかけた。
「今晩、お暇?」
「うわっ!」
俺は飛び退いた。
姿形は、確かに浮世絵から抜け出てきたような徒っぽい良い女だが、猫奴の身動きに、俺は以前の吉弥を見て取っていた。
そそくさと、俺はその場から一人、歩き去っていた。
「ちょっと! 旦那!」
背後から、猫奴が叫んでいる。
俺は一切、振り返らず、その場から一瞬でも早く離れたいと足を速めた。
頭の中では、これからの江戸について、アイディアが渦巻いていた。
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