65 / 68
第十回《暗闇検校》の正体の巻
五
しおりを挟む
ゆらり──と《暗闇検校》は立ち上がった。するすると流れるような動作で、気配は一切、感じない。やや前屈みの姿勢になり、俺の目をしげしげと見詰める。
俺は、動けなくなっていた。
金縛りだ!
指一本、意のままにならない! 全身が痺れ、棒立ちでいるのが精一杯だ。
どうしたのだ?
俺だけではなく、吉弥、玄之介、晶の三人も動けなくなっている。全員が《暗闇検校》の瞳を、魅入られたように見詰めている。
俺は悟った。これは《暗闇検校》の気迫なのだ。俺たちが江戸NPCに使う気迫と同じ力が、呪縛となって俺たちを縛り上げている。
そうか……江戸NPCが感じる、《遊客》への圧倒的な力は、こう感じるのだな!
火祭りの豆蔵騒ぎで出会った、久蔵という江戸NPCを思い出す。あいつは《暗闇検校》のために、自殺すらしてみせた。
《遊客》すら意のままにする強烈な気迫である。悪党とはいえ、江戸NPCにとっては、抵抗すべくもない圧倒的な力であろう。
「儂ら……儂の中には、幾人もの創立者が存在しておるので、こう呼ぶぞ……いつか、現実世界へ脱け出る日を、夢見ておった! この仮想現実はな、どんなに現実そっくりにできておっても、所詮は、まやかし……。現実を体験した記憶を持つ儂らにとって、ここの暮らしは耐え難い……。儂らの目は、見えておって、見えておらん! 耳は聞こえておって、聞こえてはおらん!」
俺は老人を見詰め、聞き返した。どうにか、言葉は喋れそうだ!
「それで《暗闇検校》か! この仮想現実の江戸を、暗闇とあんたは呼ぶのか?」
老人は、ゆっくりと頷いた。
吉弥が「ふん!」と鼻を鳴らす。
「なあーにが、暗闇だい! あちしはこの江戸が気に入っている! まやかしだって? それがどうした? まやかしだろうが、何だろうが、あちしはこの江戸で生きているんだ……。あんたの勝手な理屈で、否定されたくはないね!」
晶が言葉を絞り出す。
「どうして、お兄ちゃんを捕まえたの?」
ぎろっ、と老人が晶を睨んだ。
「あいつは、初心者だった。捕まえるのは、わけはなかった。理由が知りたいか? 現実世界へ戻るには、肉体が必要だ。《遊客》を捕まえ、本体に逆接続すれば、儂らが乗っ取れると考えたのだが……うまく行かなかった!」
俺は仰天した。部屋の、寝椅子を見て、呟く。
「それで、この接続装置か! 仮想現実接続装置を、こっち側から使えば、現実世界接続装置になるって目論見なんだな?」
「そうだ、しかし、所詮は別人。回線を繋いでも、向こうの接続装置が拒否しおった!」
《暗闇検校》の口調は、悔しそうであった。失敗を認めるのが、いかにも厭そうである。
複数の《遊客》が合体し、知力、精神力が増した自分が失敗したと認めるのは、口惜しいのかもしれない。
「しかし──」と、《暗闇検校》は、俺を見て、意味深な目つきになる。
厭な予感がする……。
「お主は元々、儂らの中に合体した創設者。判っておろうが、鞍家二郎三郎も創設者。つまりは──」
「そんな、馬鹿な!」
恐怖のあまり、俺は絶叫した。
「あんたは、この江戸で二百年も過ごしてきている。すでに仮想人格は、まるっきりの別人だ! それに、何人もの人格が合わさっているのに、俺の本体を乗っ取るなど、不可能だ!」
《暗闇検校》は、にんまりと笑った。
「そうだな……。確かに、お主の言葉は真実ではある。が、真実の一端にしか、過ぎぬ! 儂らは合体した複合人格だが、逆に本来の人格を解放させるのも、可能だ。儂らの中の、鞍家二郎三郎だけを切り離し、お主と合体させれば、どうだな? さらには、そこにいる大工原晶、松原玄之介の仮想人格に、儂らの仮想人格が合体すれば、現実世界の肉体に乗り移れるのだよ!」
「ひいーっ!」と、晶と玄之介が恐怖の悲鳴を上げた。
俺は必死に叫んだ。
「現実世界へ脱出しろ! 緊急接続のプログラムを呼び出せっ!」
「はあっ、はあっ、はあっ!」
《暗闇検校》は、息の抜けるような笑い声を上げた。
「ここは、儂の結界だ! お主らがノコノコやってくるのを待って、結界を再び作っておいたと、なぜ気付かぬ?」
俺は愕然となった。そうだ、以前、俺はこいつに殺されている。その時も、結界で邪魔され、現実世界へ戻れなかったのだ!
目の前の老人の姿が、ぶわっとピントがぼけるように滲んだ。半透明の、幽霊のような姿に分裂する! こいつらが、合体していた仮想人格なのだ!
俺、晶、玄之介三人分の幽霊が、老人の身体から抜け出てくる。ゆらゆらと、漂うような動きで、近づいてきた! 幽霊の動きは、じれったいほどに、のろくさい。
その時、俺は自分を捕えている呪縛が、ほんの少し緩むのを感じていた。
そうか! 奴が合体していた仮想人格が分裂したから、その分だけ気迫の力が弱まったのだ!
が、未だに強烈で、粘つくような動きで、後じさりするのがやっとだ。俺が逃れるのが早いか、幽霊の動きが早いか。
やはり、あっちのほうが、少しばかり早そうだ。
駄目だ、追いつかれる! このままでは、俺は二百年も生きてきた幽霊に乗っ取られてしまう!
吉弥が動いている!
腰の長大な刀を、引き抜こうとしていた!
なぜだ? なぜ、吉弥は動ける? しかも、はっきりと抵抗の意思を示している!
無言のまま、吉弥は刀を抜き、気合を高めていた。
「ぐおおおおっ!」
猛獣のような唸り声を上げ、吉弥は刀を振り被り、《暗闇検校》に斬り懸かった!
俺は、動けなくなっていた。
金縛りだ!
指一本、意のままにならない! 全身が痺れ、棒立ちでいるのが精一杯だ。
どうしたのだ?
俺だけではなく、吉弥、玄之介、晶の三人も動けなくなっている。全員が《暗闇検校》の瞳を、魅入られたように見詰めている。
俺は悟った。これは《暗闇検校》の気迫なのだ。俺たちが江戸NPCに使う気迫と同じ力が、呪縛となって俺たちを縛り上げている。
そうか……江戸NPCが感じる、《遊客》への圧倒的な力は、こう感じるのだな!
火祭りの豆蔵騒ぎで出会った、久蔵という江戸NPCを思い出す。あいつは《暗闇検校》のために、自殺すらしてみせた。
《遊客》すら意のままにする強烈な気迫である。悪党とはいえ、江戸NPCにとっては、抵抗すべくもない圧倒的な力であろう。
「儂ら……儂の中には、幾人もの創立者が存在しておるので、こう呼ぶぞ……いつか、現実世界へ脱け出る日を、夢見ておった! この仮想現実はな、どんなに現実そっくりにできておっても、所詮は、まやかし……。現実を体験した記憶を持つ儂らにとって、ここの暮らしは耐え難い……。儂らの目は、見えておって、見えておらん! 耳は聞こえておって、聞こえてはおらん!」
俺は老人を見詰め、聞き返した。どうにか、言葉は喋れそうだ!
「それで《暗闇検校》か! この仮想現実の江戸を、暗闇とあんたは呼ぶのか?」
老人は、ゆっくりと頷いた。
吉弥が「ふん!」と鼻を鳴らす。
「なあーにが、暗闇だい! あちしはこの江戸が気に入っている! まやかしだって? それがどうした? まやかしだろうが、何だろうが、あちしはこの江戸で生きているんだ……。あんたの勝手な理屈で、否定されたくはないね!」
晶が言葉を絞り出す。
「どうして、お兄ちゃんを捕まえたの?」
ぎろっ、と老人が晶を睨んだ。
「あいつは、初心者だった。捕まえるのは、わけはなかった。理由が知りたいか? 現実世界へ戻るには、肉体が必要だ。《遊客》を捕まえ、本体に逆接続すれば、儂らが乗っ取れると考えたのだが……うまく行かなかった!」
俺は仰天した。部屋の、寝椅子を見て、呟く。
「それで、この接続装置か! 仮想現実接続装置を、こっち側から使えば、現実世界接続装置になるって目論見なんだな?」
「そうだ、しかし、所詮は別人。回線を繋いでも、向こうの接続装置が拒否しおった!」
《暗闇検校》の口調は、悔しそうであった。失敗を認めるのが、いかにも厭そうである。
複数の《遊客》が合体し、知力、精神力が増した自分が失敗したと認めるのは、口惜しいのかもしれない。
「しかし──」と、《暗闇検校》は、俺を見て、意味深な目つきになる。
厭な予感がする……。
「お主は元々、儂らの中に合体した創設者。判っておろうが、鞍家二郎三郎も創設者。つまりは──」
「そんな、馬鹿な!」
恐怖のあまり、俺は絶叫した。
「あんたは、この江戸で二百年も過ごしてきている。すでに仮想人格は、まるっきりの別人だ! それに、何人もの人格が合わさっているのに、俺の本体を乗っ取るなど、不可能だ!」
《暗闇検校》は、にんまりと笑った。
「そうだな……。確かに、お主の言葉は真実ではある。が、真実の一端にしか、過ぎぬ! 儂らは合体した複合人格だが、逆に本来の人格を解放させるのも、可能だ。儂らの中の、鞍家二郎三郎だけを切り離し、お主と合体させれば、どうだな? さらには、そこにいる大工原晶、松原玄之介の仮想人格に、儂らの仮想人格が合体すれば、現実世界の肉体に乗り移れるのだよ!」
「ひいーっ!」と、晶と玄之介が恐怖の悲鳴を上げた。
俺は必死に叫んだ。
「現実世界へ脱出しろ! 緊急接続のプログラムを呼び出せっ!」
「はあっ、はあっ、はあっ!」
《暗闇検校》は、息の抜けるような笑い声を上げた。
「ここは、儂の結界だ! お主らがノコノコやってくるのを待って、結界を再び作っておいたと、なぜ気付かぬ?」
俺は愕然となった。そうだ、以前、俺はこいつに殺されている。その時も、結界で邪魔され、現実世界へ戻れなかったのだ!
目の前の老人の姿が、ぶわっとピントがぼけるように滲んだ。半透明の、幽霊のような姿に分裂する! こいつらが、合体していた仮想人格なのだ!
俺、晶、玄之介三人分の幽霊が、老人の身体から抜け出てくる。ゆらゆらと、漂うような動きで、近づいてきた! 幽霊の動きは、じれったいほどに、のろくさい。
その時、俺は自分を捕えている呪縛が、ほんの少し緩むのを感じていた。
そうか! 奴が合体していた仮想人格が分裂したから、その分だけ気迫の力が弱まったのだ!
が、未だに強烈で、粘つくような動きで、後じさりするのがやっとだ。俺が逃れるのが早いか、幽霊の動きが早いか。
やはり、あっちのほうが、少しばかり早そうだ。
駄目だ、追いつかれる! このままでは、俺は二百年も生きてきた幽霊に乗っ取られてしまう!
吉弥が動いている!
腰の長大な刀を、引き抜こうとしていた!
なぜだ? なぜ、吉弥は動ける? しかも、はっきりと抵抗の意思を示している!
無言のまま、吉弥は刀を抜き、気合を高めていた。
「ぐおおおおっ!」
猛獣のような唸り声を上げ、吉弥は刀を振り被り、《暗闇検校》に斬り懸かった!
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

荷車尼僧の回顧録
石田空
大衆娯楽
戦国時代。
密偵と疑われて牢屋に閉じ込められた尼僧を気の毒に思った百合姫。
座敷牢に食事を持っていったら、尼僧に体を入れ替えられた挙句、尼僧になってしまった百合姫は処刑されてしまう。
しかし。
尼僧になった百合姫は何故か生きていた。
生きていることがばれたらまた処刑されてしまうかもしれないと逃げるしかなかった百合姫は、尼寺に辿り着き、僧に泣きつく。
「あなたはおそらく、八百比丘尼に体を奪われてしまったのでしょう。不死の体を持っていては、いずれ心も人からかけ離れていきます。人に戻るには人魚を探しなさい」
僧の連れてきてくれた人形職人に義体をつくってもらい、日頃は人形の姿で人らしく生き、有事の際には八百比丘尼の体で人助けをする。
旅の道連れを伴い、彼女は戦国時代を生きていく。
和風ファンタジー。
カクヨム、エブリスタにて先行掲載中です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

声劇・シチュボ台本たち
ぐーすか
大衆娯楽
フリー台本たちです。
声劇、ボイスドラマ、シチュエーションボイス、朗読などにご使用ください。
使用許可不要です。(配信、商用、収益化などの際は 作者表記:ぐーすか を添えてください。できれば一報いただけると助かります)
自作発言・過度な改変は許可していません。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる