電脳遊客

万卜人

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第十回《暗闇検校》の正体の巻

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 ゆらり──と《暗闇検校》は立ち上がった。するすると流れるような動作で、気配は一切、感じない。やや前屈みの姿勢になり、俺の目をしげしげと見詰める。
 俺は、動けなくなっていた。
 金縛りだ!
 指一本、意のままにならない! 全身が痺れ、棒立ちでいるのが精一杯だ。
 どうしたのだ?
 俺だけではなく、吉弥、玄之介、晶の三人も動けなくなっている。全員が《暗闇検校》の瞳を、魅入られたように見詰めている。
 俺は悟った。これは《暗闇検校》の気迫なのだ。俺たちが江戸NPCに使う気迫と同じ力が、呪縛となって俺たちを縛り上げている。
 そうか……江戸NPCが感じる、《遊客》への圧倒的な力は、こう感じるのだな!
 火祭りの豆蔵騒ぎで出会った、久蔵という江戸NPCを思い出す。あいつは《暗闇検校》のために、自殺すらしてみせた。
《遊客》すら意のままにする強烈な気迫である。悪党とはいえ、江戸NPCにとっては、抵抗すべくもない圧倒的な力であろう。
「儂ら……儂の中には、幾人もの創立者が存在しておるので、こう呼ぶぞ……いつか、現実世界へ脱け出る日を、夢見ておった! この仮想現実はな、どんなに現実そっくりにできておっても、所詮は、まやかし……。現実を体験した記憶を持つ儂らにとって、ここの暮らしは耐え難い……。儂らの目は、見えておって、見えておらん! 耳は聞こえておって、聞こえてはおらん!」
 俺は老人を見詰め、聞き返した。どうにか、言葉は喋れそうだ!
「それで《暗闇検校》か! この仮想現実の江戸を、暗闇とあんたは呼ぶのか?」
 老人は、ゆっくりと頷いた。
 吉弥が「ふん!」と鼻を鳴らす。
「なあーにが、暗闇だい! あちしはこの江戸が気に入っている! まやかしだって? それがどうした? まやかしだろうが、何だろうが、あちしはこの江戸で生きているんだ……。あんたの勝手な理屈で、否定されたくはないね!」
 晶が言葉を絞り出す。
「どうして、お兄ちゃんを捕まえたの?」
 ぎろっ、と老人が晶を睨んだ。
「あいつは、初心者だった。捕まえるのは、わけはなかった。理由が知りたいか? 現実世界へ戻るには、肉体が必要だ。《遊客》を捕まえ、本体に逆接続すれば、儂らが乗っ取れると考えたのだが……うまく行かなかった!」
 俺は仰天した。部屋の、寝椅子を見て、呟く。
「それで、この接続装置か! 仮想現実接続装置を、こっち側から使えば、現実世界接続装置になるって目論見なんだな?」
「そうだ、しかし、所詮は別人。回線を繋いでも、向こうの接続装置が拒否しおった!」
《暗闇検校》の口調は、悔しそうであった。失敗を認めるのが、いかにも厭そうである。
 複数の《遊客》が合体し、知力、精神力が増した自分が失敗したと認めるのは、口惜しいのかもしれない。
「しかし──」と、《暗闇検校》は、俺を見て、意味深な目つきになる。
 厭な予感がする……。
「お主は元々、儂らの中に合体した創設者。判っておろうが、鞍家二郎三郎も創設者。つまりは──」
「そんな、馬鹿な!」
 恐怖のあまり、俺は絶叫した。
「あんたは、この江戸で二百年も過ごしてきている。すでに仮想人格は、まるっきりの別人だ! それに、何人もの人格が合わさっているのに、俺の本体を乗っ取るなど、不可能だ!」
《暗闇検校》は、にんまりと笑った。
「そうだな……。確かに、お主の言葉は真実ではある。が、真実の一端にしか、過ぎぬ! 儂らは合体した複合人格だが、逆に本来の人格を解放させるのも、可能だ。儂らの中の、鞍家二郎三郎だけを切り離し、お主と合体させれば、どうだな? さらには、そこにいる大工原晶、松原玄之介の仮想人格に、儂らの仮想人格が合体すれば、現実世界の肉体に乗り移れるのだよ!」
「ひいーっ!」と、晶と玄之介が恐怖の悲鳴を上げた。
 俺は必死に叫んだ。
「現実世界へ脱出しろ! 緊急接続のプログラムを呼び出せっ!」
「はあっ、はあっ、はあっ!」
《暗闇検校》は、息の抜けるような笑い声を上げた。
「ここは、儂の結界だ! お主らがノコノコやってくるのを待って、結界を再び作っておいたと、なぜ気付かぬ?」
 俺は愕然となった。そうだ、以前、俺はこいつに殺されている。その時も、結界で邪魔され、現実世界へ戻れなかったのだ!
 目の前の老人の姿が、ぶわっとピントがぼけるように滲んだ。半透明の、幽霊のような姿に分裂する! こいつらが、合体していた仮想人格なのだ!
 俺、晶、玄之介三人分の幽霊が、老人の身体から抜け出てくる。ゆらゆらと、漂うような動きで、近づいてきた! 幽霊の動きは、じれったいほどに、のろくさい。
 その時、俺は自分を捕えている呪縛が、ほんの少し緩むのを感じていた。
 そうか! 奴が合体していた仮想人格が分裂したから、その分だけ気迫の力が弱まったのだ!
 が、未だに強烈で、粘つくような動きで、後じさりするのがやっとだ。俺が逃れるのが早いか、幽霊の動きが早いか。
 やはり、あっちのほうが、少しばかり早そうだ。
 駄目だ、追いつかれる! このままでは、俺は二百年も生きてきた幽霊に乗っ取られてしまう!
 吉弥が動いている!
 腰の長大な刀を、引き抜こうとしていた!
 なぜだ? なぜ、吉弥は動ける? しかも、はっきりと抵抗の意思を示している!
 無言のまま、吉弥は刀を抜き、気合を高めていた。
「ぐおおおおっ!」
 猛獣のような唸り声を上げ、吉弥は刀を振り被り、《暗闇検校》に斬り懸かった!
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