電脳遊客

万卜人

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第九回 荏子田多門との対決の巻

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 多門によって創り出された弁天丸のコピーは、俺たち《遊客》と同等の能力どころか、遥かに凌駕する実力だった。
 無言で刀を素早く繰り出し、右、左、正面と振り回す。恐ろしい速度で切っ先が旋回し、俺たちは防戦するだけで、精一杯だった。
 速い!
 自分の身長より長い刀を振り回しているのに、まるで重みを感じさせない。弁天丸にとっては、玩具の刀を振り回しているのと同じなのだ。
 軽々と扱っている弁天丸の筋肉は、見かけと大違いで、信じられない爆発的な力を秘めている。
 ただ、コピーの弁天丸は、一切、剣術の基本を修得していないのが、救いだ。無茶苦茶に振り回すだけで、剣術の動作からは懸け離れている。
 しかし力任せではあるが、嘘のような腕力が、長大な刀を小刀ほどの軽さにしているのだ。
 吉弥と玄之介二人が、弁天丸一人に、きりきり舞いさせられている。
 吉弥は弁天丸と同じ長大な刀を両手に構え、玄之介は十手を使って、弁天丸の攻撃を防いでいた。
 晶は、吉弥と玄之介の背後に控え、隙を狙っているが、あまり役に立ってはいない。
 俺は目標を多門一人に絞った。
 喚き声を上げ、多門に向かってトンファを振り被る。把手を握り、トンファの先を多門に突き出した。
 多門はまったく防ぐ様子はなく、棒立ちになって待ち構えるだけだ。ニヤニヤと、意地の悪そうな笑いを浮かべている。
 俺は、いきなり全身から、力が抜けているのを感じていた。
 何だ! 俺の手足は、出し抜けに糖蜜の中に突っ込んだように、重くなる。一歩、前へ出るのさえ、渾身の力を振り絞る必要があった。
 重い! 見えない蜘蛛の糸に絡み捕られたように、俺は脱力感に襲われていた。
 もはや、立っているのさえ、やっとだ。
「ほう」と、多門は唇を窄める。
「あっさり倒れるかと思ったが、意外としぶといな、二郎三郎君! 何が起きたか、知りたいだろう?」
 俺は必死になって喘いでいた。一歩、一歩が太股までタールに浸かっているようだ。頭が物凄く重い。首から、数十トンの重石がぶら下がっているようだ……。
 俺の懐から拳銃が床に落下する。床に落ちた拳銃は、ぴしゃんと物凄い音を立てた。たった一尺ほどの落下なのに、まるで数丈もの高さから落ちたように、素早い落下だった。
 はっ、と俺は頓悟した。
 何と、多門は、俺の周りだけ、重力を強めていたのだ! 脱力感は、そのせいだ。
 俺の目を見て、多門は頷いた。
「その通りだよ。貴様の身体は、五倍の重力が掛かっている。背中に、五人分の重みを乗せている感想は、どうだね?」
 くい、と多門は指を立て、落下した拳銃を指さす。
 拳銃がふわりと、多門が指先を引っ掛けたかのように、宙に浮いた。ふわふわと拳銃は宙を漂い、そのまま多門の手の中に納まった。
 多門は拳銃を捻くり、大仰に顔を顰めて見せた。
「このような武器を持ち込むとは、弁天丸とか申す悪党、どこから手に入れたのか? 後でじっくりと吟味いたそう……」
 てんで多門の奴、支配者気取りだ。
 がくり! と、とうとう膝が重みに耐え切れず、折れ曲がった。俺は慌てて、手にしたトンファを杖にする。もし、このまま重みに負けて、がっくり膝を突いたら、確実に骨折する。
 たった数十センチの落下は、今の状態では数十メートルから飛び降りた、同じ衝撃を膝に伝える。骨折どころの騒ぎではない。
 何とか、全身の力を振り絞り、怪我をしないよう、俺は膝をついた。ただ、それだけの動作に、俺は全身から汗を迸らせていた。
 俺の惨状を見て、晶が走り寄って来た。
「ねえ! 大丈夫?」
「来るなっ!」
 俺は大声で叫んだが、遅かった。多門の仕掛けた、局所的な重力勾配に、晶も囚われてしまう。急激な重みに、晶はすとん、と尻餅をつく。
「きゃっ!」
 ぺたんと尻をつき、立ち上がろうとする。だが、足掻くだけで、一寸も、持ち上がらない。晶は何が起きているか理解できず、ただ両目を見開いているだけだ。
「立つな! 怪我をするぞ!」
 俺の忠告に、晶はがくがくと頷いた。尻餅をついただけで、充分に異常を感じている。恐らく、酷い打撲を感じているのだ。
 多門は「ほっほっほっほっ……」と上機嫌に、梟のような笑い声を上げた。
「貴様は、俺を嫌っていたなあ……。いや、それを言うなら、江戸創設に関わった、総てのメンバーから、俺は嫌われていた。しかし、俺は耐えた! 耐えて、耐えて、耐え抜いて、いつか俺がこの江戸の支配者になる日を夢見ていたのだ! 礼を言うよ。お前が創設の際、果たした役割のせいで、江戸は俺の思う理想の仮想現実となった……」
 晶は、どうにかこうにか、首を挙げ、多門を睨む。
「この人が果たした役割って、何よ!」
 俺は多門を睨みつけた。頼む! 口に出すな! 俺の果たした役割など、聞かせて貰いたくはない!
 しかし多門は、すらすらと答えてしまう。
「聞きたいか? よし、教えてやろう。いいか、我々の創設した江戸は、仮想現実に幾つもある江戸のうち、最も人気がある。なぜか、判るかね?」
 晶は魅入られたように、多門を見詰めている。多門は、俺たちを捕えているという自信に、うずうずと笑いを浮かべながら喋り続けた。
 俺はちらりと、戦っている吉弥と、玄之介を見やる。二人とも、多門の呼び出した弁天丸に、悪戦苦闘していた。ぎりぎりで弁天丸の攻撃を受け流しているが、押し捲られているのは明らかだ。ただ、俺の「チャンスを待て!」という言葉をあてにして、必死になって踏み止まっているのだ。
 多門は余裕綽々に、話を続けた。
「それは江戸のNPCが、実に人間らしい性格を持ち合わせているからだ。他の仮想現実のNPCは、まるで人形のように、決まり切った受け答えしかできない。こちらのNPCは、生き生きとしていると、《遊客》たちには、専らの評判なのだよ!」
 多門の口調は誇らしげで、自信に溢れている。多門の瞳が煌いた。
「なぜか、判るかね? そこで今にも倒れそうな二郎三郎のお陰だよ」
 俺は言葉も出せず、ただ多門の顔を睨みつけているだけだ。何か喋ると、それだけで全身に圧し掛かっている重みに、挫けそうになる。
 とうとう多門は、暴露を開始した。
 俺の一番、聞きたくなかった話である。
「創設者全員の、思考パターンをコピーし、雛形にしてNPCを作り上げたのだ! 本物の人間そっくりなのも道理! 元々、モデルは本物の人間なんだからなあ! 創設者たちの思考パターンを基本にして、あとはプログラムで、ランダムに江戸町人、侍、僧侶、神官などに振り当てた。そこで、鞍家二郎三郎君の登場だ! 奴は特別な思考パターンを持っていた。二郎三郎の思考パターンが振り分けられた役割は、何か判るかな?」
 呆然となっていた晶は、俺を見てポカンと口を開ける。唇が声もなく動いて「まさか」と呟く。
 多門は仰け反って笑った。
「そうさ! 鞍家二郎三郎の思考パターンは、江戸の悪党たちの雛形になっている。つまり、江戸に出現する、総ての悪党は、鞍家二郎三郎がいなければ、存在しないのだ! しかし、もう悪党は必要ない。江戸に多数の《遊客》を集めるために必要だったが、これからは用無しだ。俺が総ての悪党を掃討してやる!」
 晶は、俺を気味悪そうに見詰める。俺の顔に、今まで目にした悪党共の影を見出そうとしているのかもしれない。
 俺は晶に構わず、やっと声を絞り出す。
「それがどうした? 人間、誰でも、悪の部分はある。俺は少しばかり反抗的で、独立心が旺盛と評価されて、悪党の原型パターンを提供したに過ぎない。俺を非難する、お前は何だ! 現実世界から逃げ出すために、大勢の人間を巻き添えにしようとしている、卑怯者じゃないか!」
 多門の顔が、見る見る険しくなる。
「よく言った……。覚悟は良いな?」
 す──、と指先が上がる。
「死ね……! 鞍家二郎三郎。お前は、俺の江戸には必要のない存在だ!」
 途端に、今まで圧し掛かってきた、数十倍と思われる重力が、俺を打ちのめす。俺はもう、膝立ちすらできず、床に腹這いになる。全身の骨、関節が、みしみしと軋み、あらゆる場所の毛細血管が、ぴしぴしと千切れる苦痛が襲ってくる。
 悲鳴すら、上げられない。
 と──、出し抜けに、重圧がふっと消滅した。俺はぱっと顔を挙げ、深々と息を吸い込んだ。
 見上げると、多門の顔が驚きに歪んでいる。両目がキョトキョトと落ち着きなく動いていた。
「どっ、どうしたっ? なぜ結界が破れた?」
 辺りを見回すと、部屋が奇妙に歪んでいる。壁が傾ぎ、天井が撓んでいる。遠近感がおかしくなって、まともに立っていられない。
「弁天丸が消えたぞっ!」
 玄之介が大声を上げていた。気がつくと、玄之介と吉弥は、誰もいない空間を、呆気に取られて見詰めている。
 ばりばりばり……、と何かが猛烈に衝突しているような、けたたましい音が聞こえている。
 それまでの広大な室内は、いつの間にか、当たり前の、天守閣の最上階であれば、こうであろうという狭さになっていた。それまでなかった外側に開く窓が現われ、江戸の夜景が広がっているのが見える。
 窓外には、工事中の竹櫓が見えている。
 ばきばきばきと、竹櫓を押し破り、巨大な丸い物体が、天守閣を掠めて飛行していた。
 丸い物体の下には竹篭がぶら下がって、火皿に炎が上がっている。丸いのは、熱気球である。
 竹篭から酷い皺くちゃの老人がぴょい、と顔を出した。鼻の上に眼鏡を架け、それでも足りないのか、額にもう一組の眼鏡を載せている。
 情報屋の雷蔵だ!
 雷蔵の熱気球が、天守閣にぶつかり、結界のバランスが崩れたのだ!
 俺が待っていたのは、これだったのだ!
 卓に天守閣が見え、接近する奇妙な丸い物体を見て、あれは雷蔵の熱気球ではないかと推測したが、どんぴしゃりだ!
 多門は完全に狼狽しきって、おろおろと周囲を見回している。顔色がどす黒く変色し、眉間に深々と皴が刻まれている。端正な顔立ちは掻き消え、変わりに同一人物とは思われない、別の表情が現われていた。
 下顎がぷっくりと脹れ、目の下にでれんとした弛みが現われた。弛みは黒々として、見るからに悪人顔である。
 多門は、俺を憎々しげに睨みつける。食い縛った口許から、乱杭歯が覗く。よほど仮想現実で長く過ごしていたのだろう。
 本人と仮想人格が懸け離れているほど、変貌はあっという間に起きる。今ここに見えているのは、多門の本来的に持っている外見なのだ。結界を保っている限り、多門はデザインした仮想人格の姿でいられる。結界が崩れたため、変身が解けたのだ。
「くそう……くそう……! なぜだ! なぜ、俺の邪魔をする? 俺は、ただ、この江戸で、理想の生活をしたかっただけなのに!」
 多門は怒号し、両手を振り上げた。悔しさに、全身がぶるぶる震えている。
 さっと懐に手を入れ、俺から取り上げた弁天丸の拳銃を構える。
 銃口は、俺を真正面に狙っていた。
 俺の額に脂汗が滲んだ。
 今、結界は消滅している。つまり、拳銃は、役立たずではないのだ!
 多門の指先が、銃爪に掛かった!
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