電脳遊客

万卜人

文字の大きさ
上 下
49 / 68
第八回 老中荏子田多門の陰謀の巻

しおりを挟む
 大木戸に戻ると、吉弥が途方に暮れた顔で、ぼんやりと佇んでいた。俺たちを見ると、遮二無二がーっと走って来て、俺にむしゃぶりついた。
「ああ! 伊呂波の旦那! どうしよう、大木戸が閉まっちまったよう!」
「は、離せっ!」
 俺は渾身の力を奮って、俺の肩をぐわしっ、と掴んだ吉弥の腕を振り払った。
 吉弥は万力のような恐ろしい力で、俺の肩を掴んでいる。プロレス技のショルダー・クローだ。外さないと、肩の骨が砕けるかと思うほどだった。
 吉弥を見ると、碁盤の板のような巨大な顔が、塗りたくった白粉の下から青ざめているのが、はっきりと判る。だらだらと汗が噴き出て、白粉がだんだら模様になっていた。
「あたしの家は、高輪の大木戸を潜った所にあるんだよう! 帰れなくなっちまった!」
 吉弥は、全身を捩りながら、泣き声を上げた。吉弥の醜態を見て、俺は顔を顰めた。
「落ち着けっ! お前の家は、品川にあるだけじゃないんだろう? 深川へ行けばいいじゃないか!」
「そうだけどさ……」
 俺は奇妙に思った。高輪の大木戸が閉められて、なぜ吉弥は、こんなに慌てているんだろう?
 吉弥はすでに〝ロスト〟している《遊客》だ。俺たちが慌てているのは判る。だが、吉弥が慌てている理由が、さっぱり判らない。
 それを問い掛けると、吉弥の顔が、たちまち真赤になった。だんだらに縞模様に残った白粉の下から、真っ赤になった吉弥の顔は、実に珍妙な眺めであった。
「あんたたちと同じ、あちしだって〝ロスト〟は困っている事態なんだ……。もし、このままだと、本当に江戸にいる《遊客》全員が〝ロスト〟しちまうのかえ?」
 俺が「そうだ」と答えると、吉弥は「どうしよう!」と頭を抱えた。
 晶が、ぱちり、と指を鳴らした。
「もしかしたら、吉弥姐さん、知っている《遊客》の心配をしているんじゃない?」
 吉弥は、ぎょっとなって、顔を上げた。
 俺は静かに尋ね掛けた。
「そうなのか、お前の知り合いの《遊客》を心配しているのか? 俺じゃないな。俺を心配しているなら、真っ先に俺の〝ロスト〟するまでの残り時間を聞くはずだからな!」
 吉弥の顔が、くしゃくしゃと歪んだ。
 深く頷く。
「そうなんだ……。あちしの、大事な《遊客》のお人が、このままじゃ〝ロスト〟しちまう。あちしと、おんなじになっちまう!」
「誰だ、そいつは?」
 吉弥は言うまいかどうか、迷っている。が、ぐっと顔を挙げ、口を開いた。
「もう一人のあちしだよ! つまり、オリジナルのあちしが、この江戸に来ているんだ! 昔の、あちしと同じ、仮想人格でね……」
 俺たちは顔を見合わせ、吉弥を睨んだ。
 俺は、げっそりとなっていた。
「て、こたあ、つまり……」
 じろじろと吉弥を睨むと、吉弥は俺の凝視に身を小さく……いや、それは不可能なので、拗ねたように、背中に手を回す。
「あちしが〝ロスト〟してしばらくして、もう一人のオリジナルのあちしが、もとのあちしと同じ仮想人格で、この江戸にやって来た。普通、同じ仮想人格は同じ仮想現実で並存できないけど、あちしはすでに今のこの身体になっちまって、別の仮想人格となっていたんだ。オリジナルのあちしは、この江戸に愛着を持っていたから、のこのこやってきて、あちしを見つけて、えらく魂消たみたいだった」
 こんな緊迫した場面に拘わらず、俺は「ぷっ」と吹き出していた。二人の吉弥が顔を見合わせている情景を思い浮かべてしまったからだ。
 もちろん、もう一人の吉弥は、本人がこうなりたいであろう、喜多川歌麿か鈴木春信が描くような、笠森お仙ふう浮世絵美人であるが。
 吉弥は、くつくつと笑っている俺を、じろりと睨んで、後を続けた。
「オリジナルのあちしは、ちょくちょくこっちへ訪ねて来て、現実世界のニュースを教えてくれた。といっても、あちしの家族とか、もともとの知り合いの消息とかだけど。あちしたちは、結構うまくやっていたんだ!」
 恐怖に、吉弥の両目が一杯に見開かれた。
「どうしよう! このままじゃ、本当のあちしが、この江戸でまた〝ロスト〟しちまう! あちしが、二人になっちまうんだ!」
 俺は、うっかり吉弥が二人になった場面を想像して、心底ぞっとなった!
 冗談じゃない!
 吉弥が一人でも面倒なのに、これが二人になったら、どんな酷い状態になるか、考えたくもなかった。
 俺は声を張り上げた。
「行こう! 江戸城へ! 何としても、江戸に張り巡らされた結界を消すんだ!」
 全員、深く頷いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

荷車尼僧の回顧録

石田空
大衆娯楽
戦国時代。 密偵と疑われて牢屋に閉じ込められた尼僧を気の毒に思った百合姫。 座敷牢に食事を持っていったら、尼僧に体を入れ替えられた挙句、尼僧になってしまった百合姫は処刑されてしまう。 しかし。 尼僧になった百合姫は何故か生きていた。 生きていることがばれたらまた処刑されてしまうかもしれないと逃げるしかなかった百合姫は、尼寺に辿り着き、僧に泣きつく。 「あなたはおそらく、八百比丘尼に体を奪われてしまったのでしょう。不死の体を持っていては、いずれ心も人からかけ離れていきます。人に戻るには人魚を探しなさい」 僧の連れてきてくれた人形職人に義体をつくってもらい、日頃は人形の姿で人らしく生き、有事の際には八百比丘尼の体で人助けをする。 旅の道連れを伴い、彼女は戦国時代を生きていく。 和風ファンタジー。 カクヨム、エブリスタにて先行掲載中です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

声劇・シチュボ台本たち

ぐーすか
大衆娯楽
フリー台本たちです。 声劇、ボイスドラマ、シチュエーションボイス、朗読などにご使用ください。 使用許可不要です。(配信、商用、収益化などの際は 作者表記:ぐーすか を添えてください。できれば一報いただけると助かります) 自作発言・過度な改変は許可していません。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...