電脳遊客

万卜人

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第七回 悪党弁天丸の追跡の巻

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 地獄耳の雷蔵は、ぼんやりと立っている吉弥を見上げた。
「そこの、でかいの!」
 声を掛けられ、吉弥は吃驚したように目を剥き出した。
「あちし、かえ?」
 雷蔵は忙しく、点頭した。
「そうじゃ! 他に、お前さんのような〝でかぶつ〟が、おるものか! ちょっと、儂をお前さんの肩に乗せておくれ。儂は、これ、この通りの老人。とぼとぼ歩くのは、敵わんからの!」
 吉弥は、雷蔵の命令に不承不承、頷いた。大きな身体を折り曲げるようにして屈みこむと、ひょいと片手で雷蔵の襟首を持ち上げ、肩に乗せる。
 雷蔵は、座り心地を確かめるように身じろぎをすると、吉弥の首に細い腕を絡ませ、しがみついた。
「さあ、行くのじゃ!」
 乗馬気分で、吉弥の耳をぐいと掴んで、方向を指し示す。吉弥はあまりに高飛車な老人の態度に、文句を言う機会を失い、大人しく歩き出した。
 雷蔵は機嫌よく、手にした杖を鞭代わりに、ぴしゃっ、ぴしゃっ! と吉弥の肩を軽く叩いている。
 俺と、玄之介、晶の視線が合った。お互い、可笑しさを噛み殺し、吹き出さないように必死だ。
 雷蔵の向かった先は、石川島灯台である。
 六角二層の建物で、下半分が裾広がりになっていて、上の灯台部分には、窓が開いている。ここから夜間、灯を点し、夜間の航行をする舟の安全を図ったという。寄場人足によって、建設された建物だ。
 建物は実に大きい。高さ五丈は軽くある。
 本当の石川島灯台は、こんな大きな建物ではなかったはずだ。だが、こちらの灯台は、見上げるほど巨大で、圧し掛かるように聳えていた。
 見上げる玄之介は、首を捻って呟いた。
「遠くから見た際は気付かなんだが、石川島灯台は、このように大きな建物だとは聞いておりません!」
 顔には、ありありと「考証間違いである!」と不満が一杯に溢れている。
 吉弥の肩に、悠然と跨っている雷蔵は、時折、通りすぎる人足に軽く頷いてやる。
 人足たちは雷蔵を見ると、ぴょこぴょこと小腰を屈め、愛想笑いを浮かべて通りすぎてゆく。
 雷蔵は玄之介の文句に「ふん!」と鼻を鳴らして顔を顰めた。
「当たり前じゃ! 灯台を建てるとき、儂が設計図に手を加えて、倍の高さに指示しておいたのじゃ! お主は《遊客》じゃな?」
 玄之介は、雷蔵の言葉に目を剥いた。
「そ、そうで御座るが……」
 雷蔵は皮肉そうに、軽く笑った。
「時々、お主のような知ったかぶりの《遊客》がおる! 何が何でも、自分たちの知っている江戸が総てだと思い込んでいる馬鹿者よ! ここは、我らの江戸じゃ! お主たちの江戸ではないわい!」
 雷蔵の逆襲に、玄之介は黙り込んでしまった。
「さあ、ここで良い!」
 ぴょん、と雷蔵は吉弥の肩から飛び降りると、灯台に入るため、戸を開いた。
 くるりと振り返ると、俺たちに向かい、苛々と手足を舞わしている。
「何をボケッとしておるのじゃ! さあ、早く入らんか!」
 雷蔵は実に短気だ。俺たちは老人の気紛れに、大人しく従う。
 内部に入ると、灯台部分に上がる階段があって、その他は小屋にあったのと同じような書類が、所狭しと置かれている。
 雰囲気は、紅葉山文庫に似ていた。だが、こちらのほうが遥かに雑然としていて、何がどこに置かれているのか、雷蔵本人ですら把握できていないのではないかと、思われた。
 早くも玄之介は好奇心を刺激された様子で、手近の紙束を摘んで、しげしげと見入っている。
「これは天気の記録らしいですな……。ふむ、晴れ時々曇り……一日雨、富士山に傘雲を見ゆ……。何でまた、このような記録を?」
「観天望気に決まっておろうが! そんなもの、後にせい!」
 階段の途中で、雷蔵はかっかとした様子で、じたばたと足踏みを繰り返した。
 身軽な足取りで階段を上がる雷蔵に従い、俺たちは二階へと登っていく。二階と言っても、建物自体の高さが、四、五階分はあるので、階段は長々と続いている。
 体重のある吉弥は、長い階段を、ひいはあと、喘ぎながら登っていく。俺の目の前に、吉弥の巨大な尻が揺れている。いつ押し潰されるかと思うと、あまり気分の良い眺めではない。
 灯台の二階には、照明を点すための大きな火皿が据えられ、菜種油の匂いが籠もっていた。
 その他は、雷蔵の住居になっているのか、いくつかの生活道具が置かれ、窓には遠眼鏡が設置されている。遠眼鏡の先には、江戸の町が望見できた。
 じろじろと無遠慮な視線を、玄之介は雷蔵の住まいに注ぐと、居住まいを正した。
「さて」と畏まって口を開く。ぐっと雷蔵を睨み据えるようにして、俺に尋ねた。
「そこの御仁が、鞍家殿の申される〝話が判る悪党〟だとか。どのような悪党なので御座るか?」
 俺と雷蔵の目が合う。雷蔵は、俺がどう返事をするか、興味津々である。
「まあ、知能犯ってやつだな。最初は、辻占いで客の手相を見て、いい加減な与太を作って、金を騙し取っていた。その内、それに飽き足らず、寺を乗っ取り、怪しげな宗教を、善男善女に吹き込んで荒稼ぎだ」
「何を言うか!」
 雷蔵は、かっとなって叫んだ。
「儂は唯の一人たりとも、騙すなどと悪行はしておらん! 騙されたというのは、あっちの勝手な言い掛かりじゃ!」
 俺は爆笑した。
「それじゃ、なぜ寄場人足なんかに落ちぶれているんだ? あんた、最後は鼠講にも手を出していたろう?」
 雷蔵は思い切り顔を顰め、そっぽを向く。腕組みをして、ぶすりと呟く。
「まったく、お主という奴は、口が悪いのう……。もう少し、老人を労わるという礼儀を知らんのか?」
 俺は頭を掻いた。
「すまんな。俺は《遊客》でね。こんな武士のなりをしているが、礼儀作法は空っきり、身についていねえのよ!」
 俺は玄之介に説明した。
「この雷蔵は、悪党には珍しく、人殺しとか、押し込みのような荒仕事とは、縁がない。それで、お縄になっても、寄場送りになるのがせいぜいで、こんな歳になるまで生きながらえてきた。まあ、かなり珍しい悪党の部類に入る」
 玄之介は好奇心を丸出しに、雷蔵を見詰める。
「それで、話が判るとは?」
「雷蔵の商売だ。地獄耳の……という通り名で判るように、こいつは、あらゆる情報を集めている。人足たちが、こいつにいやにペコペコしていたのを見たろう?」
 玄之介は思い出したように頷いた。
「雷蔵は人足たちに、出所した後の身の振り方、誰に会って、どんな話をすれば良いか、事細かに指示してやる。雷蔵の言うとおりにすれば、寄場を出ても、後の生活は驚くほど上手く行く。だから人足たちは、雷蔵には下手に出るのさ。臍を曲げられたら、知恵を借りれなくなるからな」
 玄之介は驚きに顎を上げた。
「なぜ、そのような情報を集められるので御座る?」
「こいつのおかげよ!」
 雷蔵は口を挟み、窓に向けられている遠眼鏡を指さす。
 その時、刻を告げる、鐘の音が遠くから響く。雷蔵はひょい、と首を伸ばして窓に目をやった。
 窓から見える江戸の町の一角に、きらきらとした光が瞬いている。光はある一定の法則に従って点滅を繰り返した。
「いかん! 時間だ!」
 ひょこひょこと遠眼鏡に近づくと、接眼鏡に目を押し当てた。手探りで懐から帳面を取り出すと、矢立から筆を取り出し、遠眼鏡に目を当てたまま、何か書き込んでいる。
「ふむ……何と! 八百屋の猫に仔猫が生まれたとな! ほほほ……、お上を批判する落首が書かれたか……。面白い、面白い……」
 上機嫌に遠眼鏡から目を離す。満足そうに、手元の帳面に眼を落とす。
 呆気に取られている玄之介に、俺は解説してやった。
「雷蔵のやっていたのは、鏡の反射を利用した通信だ。つまり、光通信だな」
 玄之介は目を光らせた。
「内通者がいると? 何と、大胆な!」
 雷蔵は手を振った。
「そんな大袈裟な! 猫に仔猫が生まれたのが、そんなに大変な謀反かの?」
「まあ、それは……」
 玄之介は不満そうに唇を曲げる。
 俺は話を続けた。
「出所した人足のうち、気の利いた奴が雷蔵の考案した光の信号で、江戸で起きた様々な出来事を報せてやる。雷蔵は、そんな雑多な情報から、有用な情報を選り分け、ここで働く人足に、有利な知恵を貸してやる。ここでじっとしているだけで、雷蔵は、江戸のどこの誰よりも、市中については詳しい情報を手に入れているのさ」
 雷蔵は、にんまりと誇らしげに笑った。
「この灯台を、二倍の大きさにさせたのも、儂の仕事に役立てるためじゃ! 高ければ、高いほど、遠くがよく見えるからのう!」
 言葉を切ると、俺をじっと見詰める。
「お主、儂に会いに来たのは、これで二回目じゃな! 前回は、五日前だったが……」
 俺は、あんぐりと口を開け、尋ね返した。
「何だと……。俺が、以前に、お前さんに会いに来ただと?」
 雷蔵は頷いた。
「左様。その時は、江戸の悪党たちが不穏な動きをしていると言っておったが。何か掴めたのかね?」
 俺は、茫然自失していた。
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