電脳遊客

万卜人

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第六回 大立ち回りの捕り物と、一つの手懸りの巻

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 豆蔵らしき小柄な男と、弁天丸の二人は、まるっきり辺りを警戒する様子もなく、のんびりとした表情で、小屋に近づいていく。時折、何か冗談を言い合っているのか、天を仰いで笑い声を上げた。
 呑気なものだ。
 俺は源五郎の横に戻っていた。
 源五郎は厳しい表情になり、すっくと立ち上がると、手にした篠竹の指揮棒を握りしめる。配下の与力、同心、手先たちは、源五郎の下知や今かと、緊張を漲らせていた。
「源五郎……」
 俺は源五郎に、そっと声を掛けた。源五郎は、俺をちらとも目にせず、真っ直ぐ前を見たまま、口の端で囁き返した。
「何じゃ? 用があるなら、手早く申せ!」
「あの豆蔵らしき男が連れている奴……あれが、弁天丸だ!」
 源五郎は、きっと俺を見た。
「何と! それでは、お主を水死体にした《暗闇検校》の手下であるか!」
 俺は頷いた。
「そうだ。奴は泳がせたい」
 源五郎は、くしゃっと、苦い笑いを浮かべる。
「ふむ……。そちらの捜査に、役立てたいと申すのだな? 弁天丸を見逃せと?」
「できるかね?」
 源五郎は少し考え込んでいたが、すぐに蹲っている手先に声を掛けた。
「全員に申し渡すのじゃ! あれなる弁天丸とやら、不自然に思われぬよう、逃して泳がせるのじゃと……。行け!」
 手先は無言で頷くと、腰を屈めた姿勢のまま、背後の部下たちに小声で源五郎の指示を伝えていく。
 全員に伝え終わったところで、源五郎はさっと指揮棒を振り上げた。
 小屋に二人が近づいていく。
 豆蔵が、小屋の戸を叩いた。すぐに、がらりと戸が開き、子分らしき数人の男たちが顔を見せる。
 豆蔵の体が小屋の中に入り、後から弁天丸が戸を潜ろうとした瞬間、源五郎は叫んだ。
「懸かれ──っ!」
 途端に「うおーっ!」と、全員が雄叫びを上げ、走り出す。
 俺たちの声に、弁天丸が棒立ちになって、こちらを振り返った。
 両目が飛び出るほど見開かれ、がっくりと顎が下がり、驚愕の表情を浮かべた。
 殺到する源五郎と、配下の群れに、弁天丸は一瞬怯みを見せる
 それでも、肩に担いだ長大な刀を鞘から抜いて、構えるまでは感心だった。
 が、普段から剣術の稽古などしていないのだろう。剣先が重く、正眼に構えるのがやっとである。
 ふらふらと剣先が円を描いている。もちろん、円月殺法などではない。
 弁天丸の背後から、豆蔵と手下たちが姿を現した。
 源五郎は、特注らしき巨大な十手を構え、走りながら高々と叫ぶ。
「《火祭りの豆蔵》と、その一味ども! 火付盗賊改方、酒巻源五郎である! 神妙に縛につけ!」
「おおっ!」と豆蔵は立ち竦んだ。が、すぐに背後の手下を振り返る。
「畜生、手が回ったぜ! お前ら、返り討ちだ!」
 口早に叫ぶと、こちらも、すらりと腰の刀を抜き放った。
 奇妙に甲高く、まるで子供が叫んでいるようだ。顔は真っ黒な髭を生やし、どんぐり目玉の、いかにも悪党面だが、声は全然似合わない。
 どこから見つけてきたのか、戦国時代そのままの、鎧兜を身につけている。鎧は緋縅で、兜は鍬形という、古色蒼然とした代物だ。多分、盗品だろう。
 弁天丸とは違い、豆蔵はずっしりと腰が据わって、中々手強そうだ。生憎なことに、背丈が子供くらいしかなく、五月人形に見える。
 もっとも、顔は悪党らしく、思い切り悪どく、まん丸な両目に、獅子鼻で、真っ黒な髭が顔の半分を占めている。
 小屋の中から手下たちが豆蔵の声に応じ、わっとばかりに吐き出された。どいつもこいいつも、性悪の心根が顔に出た、どぎつい顔つきをしている。
 豆蔵と手下たちは、さっと小屋の周りに散開して、俺たちを迎え討つ構えを取る。
 俺は真っ直ぐ、弁天丸に向かって走り出していた。
 先頭を走る、俺の姿を、弁天丸は認めたようだった。が、見知った様子ではなかった。俺が高輪の大木戸で、逆に弁天丸に暗示を掛けた時、俺を忘れるよう指示していたから、俺の顔は、記憶から、ぽっかりと抜け落ちているのだ。
 俺は走りながら、鞘から刀を抜いた。俺の刀には刃はない。完全な鈍らだ。
 しかし、この騒ぎでは、弁天丸が気がつく訳がない。弁天丸は「くわーっ!」と奇妙な叫びをあげ、長さ五尺はありそうな、長大な刀を振り上げた。そのまま、俺に向かって振り下ろす。
 が、あまりに長すぎ、重すぎる。弁天丸の動きは、俺にはスローモーションにしか見えない。
 俺はさっと手にした刀を旋回させ、弁天丸の刃を、刀の腹で、真横から払った。
 きいーん! という、歯の浮くような甲高い音がして、弁天丸の手から、刀が弾き飛ばされる。
 俺の手許が、急に軽くなっていた。
 気がつくと、俺の刀が、半分からぽっきりと折れている!
 ちぇっ! 無謀だったか?
 俺の刀は、わざと鈍らにしているだけあって、あまり上等な業物ではない。打ち合ったら、簡単に折れてしまうのだ。
 すとっ、と軽い音を立て、弁天丸の刀が、近くの地面に突き刺さった。弁天丸の視線が、俺の折れた刀と、地面に突き刺さったままの自分の刀を、忙しく往復する。
 さっと弁天丸は横っ飛びになると、自分の刀を目掛けて走り出す。
 俺は、そうはさせじと、弁天丸の前へ飛び出した。半分になったが、まだ武器はある。
 俺の姿に、弁天丸は踏鞴を踏んだ。
 俺は、弁天丸の刀を素早く地面から抜き取り、持ち上げた。
 重っ! 十キロ近い。普通の刀は、重くても一・五キロ程度なのに。
 何て重さだ。こんな重量のある武器を、普段から持ち歩くなど、正気ではない! これでは、まともに打ち合うなど不可能だ。
 しかし弁天丸は、俺の手に自分の刀が移ったのを見て、絶望を顕わにした。
 俺は弁天丸の手が届かぬ距離に、刀を投げ捨てた。こんなもの、荷物になるだけだ!
 じりじりと、弁天丸は後じさりを始める。
 弁天丸の背後では、源五郎と部下たちが、豆蔵らと戦いを繰り広げている。
「きゃあっ!」と黄色い悲鳴が上がった。
 何事かと、そちらを見ると、晶が背後から、豆蔵の手下に羽交い絞めにされているところだった。
 熊のような身体つきの、巨体が、小柄な晶の身体を、背後から、がっしりと掴まえている。
 あの馬鹿娘!
 俺の注意が逸れたのを見てとり、弁天丸は逃走に懸かった。
 戦いの輪の隙間を狙い、逃げ出そうとする。
「あっ! 待ちやがれっ!」
 俺は弁天丸の背中に叫んだ。
 懐から、かねて用意の、卵の殻を掴み出す。それを弁天丸の背中に投げつけた。
 ぱしーん、と軽い音を立て、卵の殻は弁天丸の背中で弾けた。ぱっと、弁天丸の背中に、白い粉が舞い散る。
 弁天丸は、気がついていない。
 俺は北叟笑んだ。あれで、どこにいても、弁天丸の居所はたちどころに知れる!《遊客》だけが使用できる、マーキング弾なのだ!
 源五郎の部下たちは、指示を守って、弁天丸を不自然に思えないよう、見逃している。
 弁天丸は、命からがら、やっとの思いで逃げ出したと思い込んでいるだろう。よもや、故意に逃がされているなどと、考えが及ぶまい。
 俺は、晶の救出に向かった。
 まったく、面倒事を引き起こすのが、あの娘の趣味なんだろうか?
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