電脳遊客

万卜人

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第五回 鞍家二郎三郎江戸城へ登城するの巻

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 紅葉山文庫は、実際の江戸では、歴代将軍や、老中、その他、江戸を統治するための様々な役職の者が閲覧できるよう、資料を保管するための図書館であった。記録は膨大で、今で言う国会図書館にあたる。
 書物奉行は、文庫を管理する役職であるため、識見に優れた優秀な人材が就く。同心もまた、奉行の手足となって働くため、優秀な人材が抜擢された。「甘藷考」を著した、青木昆陽は、有名な書物奉行である。
 建物の内部に入ると、紙の匂いが籠もっているのを感じる。天井にまで達する、巨大な書架がずらりと並び、冊子、巻物などが、箱詰めされ、所狭しと置かれている。反古の類も、大事に保管され、あちこちでは、古い記録を筆写する同心の姿が見られた。
 うろうろしていると、俺たちを案内した吉川という同心が「この素人め!」と言いたそうな、目つきになる。
「ここは、お上の記録を主に保管して御座る。御両所の所望される、《遊客》の記録は、また別の場所で御座る」
 吉川の声は、囁き声だ。文庫は、しん、と静まり返って、針を一本、床に落とした程度でも、筆写する同心たちに睨みつけられそうだ。
 俺は玄之介の顔を見て、ちょっと驚いた。
 玄之介の奴、文庫に足を踏み入れた時から、まるで夢を見ているような、ふわふわとした顔つきになっている。
「素晴らしい……。ここに、江戸の総ての記録が収められているんですねえ……。ああ、この記録を総て閲覧できたら……!」
 口調は完全に侍から、現代人になっている。
「だって、お前さん。別の江戸で暮らしていたんじゃないのか? そっちの江戸でも、文庫は、あったはずだが?」
 玄之介は首を振った。残念そうな表情を浮かべている。
「そうなんですが、あっちの江戸じゃ、私ごときが、江戸城に参るなど、夢も夢……。何しろ、与力の役職すら、与えてもらえなかったんです。あちらでは、私は、ただの農民でしてね……。侍になるには、厳しい試験が待っているのですよ」
「そりゃ、初耳だ! どんな試験だい?」
「四書五経を修めているのはもちろん、剣道は少なくとも初段の腕前は必要ですし、家系を調べて、実際に江戸時代に侍の祖先がいると証明できないと、侍の身分は与えられなかったのです。私は調べに調べたのですが、とうとう、侍の先祖を確認できませんでした」
 俺はあまりの馬鹿馬鹿しさに、呆れ果てていた。何という硬直した仕組みだろう。
 思わず、大声を上げていたらしく、あちこちから「しーっ!」「この慮外者!」という叱り声が響く。
 吉川は大慌てに俺たちを手招きする。俺と玄之介は、ちょこちょこと盗っ人のような足取りになって、その場を通り過ぎた。吉川の顔は、怒りのため、真っ赤になっていた。
 一言「お静かに!」と囁いただけで、あとは唇を固く引き結び、顎をぐっと上げて歩き出す。
 むろん、足音は立てない。俺たちも、神妙に従った。
 狭い廊下を歩き、俺たちは《遊客》専用の、資料室に入った。
「では、お調べなされよ! 御両所のお調べが終われば、その壁の……」と、指さす。吉川の指差した方向には、天井から紐が一本、垂らしてあった。
「紐を引けば、拙者に伝わり申す。それでは、よしなに……」
 部屋はごく普通の日本家屋であるが、こちらでは小仏関所にあったのと同じ、書見台を模したディスプレイが並んでいる。
 触筆タッチ・ペンを取り上げ、軽く表面に触れると、いくつもの項目が、ずらずらと並んだ。
 江戸に入府する《遊客》たちは、最初、必ず関所を通過しなければならない。その際、人定調査を受けるから、データは直接、電脳空間を介して、文庫に届けられる。そのデータが、示されるのだ。
 玄之介は早くも、背中を曲げ、食い入るようにしてディスプレイに見入っている。
 俺は、江戸城に登城する前、晶と交わした、短い会話を思い出していた。
「あのう……頼まれて欲しいんだ!」
 晶は、もじもじとして、言い難そうに俺の顔を見上げる。瞳に、必死の色が浮かんでいた。
「何だよ? 言ってみろよ」
「できたら、大工原激{だいくばらげき}っていう名前の《遊客》が、こっちに来ているかどうか、調べて欲しいんだ……」
 俺は拍子抜けした。
「それが、お前の頼みってのか? 名前を調べれば良いのか? 他にはないのか」
 晶は「ないわ!」と首を振る。晶の表情は、俺に断られたらどうしようと、思い悩んでいた。俺は頷いてやった。
「そりゃ、いいが……。そいつは誰だ? お前の、これか?」
 親指を立ててやったら、見る見る晶の顔は真っ赤に染まった。地団太を踏んで、怒りの声を上げる。
「そんなんじゃ、ないったら! あたしのお兄ちゃんなんだ!」
 俺は益々、驚いた。
「お前の兄? どういう事情があるんだ?」
 しかし晶は、俺の問い掛けには一切、答えようとはしなかった。
 いったい、晶はなぜ、調べて欲しいと言い出したのだろう。兄というなら、直接、現実世界で聞き質せば良いのに。それができないのは、どんなわけがあるのやら……。
 まあいい。名前を調べるのは簡単だ。
 俺は索引を呼び出し「大工原」という苗字の《遊客》のデータを参照し始めた。
 と、俺の触筆の動きが止まる。
 隣でディスプレイを見詰める玄之介が、軽い呻き声を上げていた。
「何たる事態だ! 訳が判らん……」
 玄之介の呟きに含まれた感情は、完全な戸惑いであった。俺もまた、同じ感情を味わっている。
 俺と玄之介の目が合った。俺は口を開いた。
「お前さんもか? 信じられないが、お互い、同じ考えらしいな」
 玄之介はゆっくり頷き、返事をした。
「そのようで御座る。拙者の考えが確かなら、紅葉山文庫の《遊客》に対する総ての資料が、何者かの手によって、全面的に削除されております!」
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