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第三回 江戸入府早々の尾行と、意外な珍客に鞍家二郎三郎大慌ての巻
四
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長屋からぐるりと回って、材木置き場を通り過ぎると、成覚寺の通用門に出る。成覚寺はそう規模の大きな寺ではないが、それでもちゃんと庫裏があって、右横が本堂である。
本堂に近づくと、やってるやってる! 読経の声が聞こえてきた。ぷん、と抹香の匂いが辺りに漂っている。
本堂には、長屋の連中がずらりと背を向け、神妙に和尚の読経に合わせ、気の利いた奴は、数珠など持ち出し、盛んに手を擦り合わせている。
お経を上げているのは、住職の界撰とかいう、何だか痒そうな戒名の坊主である。頭が大きく、汗掻きで、読経を上げている後頭部からびっしりと汗を噴き出させている。
俺は、わざと、朗らかな大声を上げた。
「誰か、のたくり長屋で死人が出たのかね? 線香でも上げさせて貰おうか?」
全員、ぎょっとした表情で、一斉に振り返る。俺の顔を認め、皆、まったく同じタイミングでぽかりと大口を開けたのは、見物であった。
「ひえーっ!」
入口近くに座っていた、縫い物を請け負って生業にしている、おたね婆さんが年に似合わない甲高い悲鳴を上げて仰け反った。
「伊呂波の旦那だ! 化けて出なすった!」「どうか、迷わず、成仏しておくんなせえ……!」「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
口々に勝手な戯言を叫んでいる。
浄土宗の寺だというのに、何を血迷ったのか、「南無妙法蓮華経!」と声を張り上げている奴もいる。
もっと酷いのは、住職の界撰だ。なぜか界撰は、俺を見るなり、さっと右手の指先を額から両肩にやり、十字を切る仕草をする。多分、住職は隠れ切支丹なのだ。
本堂は、一瞬にして大騒ぎになった。
俺はニヤニヤ笑いを浮かべ、履物を脱ぐと、大股で本堂に上がりこんだ。
仏壇近く座り込んでいるのは、大家の要蔵だ。歳は六十近くだが、まだまだ元気で、肌艶も良い。
が、今の要蔵は、顔色を蒼白にして、俺を見るなり、ずりずりと尻を擦るようにして遠ざかる。
俺は大家に、たっぷりと顔を拝ませてから、座り込んだ。
「化けて出た訳じゃあ、ねえよ。ほれ、この通り、あんよもちゃんと二本あらあな」
要蔵は胡乱な目付きで、じろじろと俺の全身をとっくりと眺めた。さすが大家をやっているだけあって、一番先に冷静さを取り戻した。
「本当に、伊呂波の旦那で? 生きていなさるんで?」
「悪いかね?」
問い返すと、ぶるっと顔を横に振った。
「と、とんでもねえ。しかし、あっしらは、ちゃーんと伊呂波の旦那の死体を見たんで……」
俺は頷いた。
「あれは、俺の兄貴だ。双子の兄が、実はいたんだ。上方で、剣の修行をしていたが、この度、江戸へ俺を訪ねに来ると、報せがあった。まさか来る早々、水死体になるとは思っても見なかったが……」
「双子の兄さん……!」
俺の言葉に、本堂の長屋の連中は、一斉に安堵の声を上げた。
長屋の連中以上に、俺は安堵していた。
何とか、うまく丸め込めそうだ。双子の兄とは、いかにもちぐはぐな言い訳だが、他に妙案はなかった。
ま、それでも俺には、《遊客》としての気迫がある。
俺はぐっと両目に力を入れ、長屋の全員の顔を、一人一人じっくり見据えた。俺の視線が注がれると、皆、ぽかんとした表情になって、俺の言葉を鵜呑みにする構えになった。
厄介なのは、本堂の隅に固まっている三人の子供だ。子供は素直な目で、物事を見るから、俺の苦しい言い訳を頭から信じるとは思えない。
が、子供の両親から「伊呂波の旦那は生きている。死んだのは双子の兄さんだ」と言い聞かせれば、何とかなるだろう。
「それじゃあ、兄のために、線香を上げさせてくれ。妙な具合になったが、俺が喪主で葬式の続きをやろうや!」
結局、そうなった。
やれやれ、ひと安心だ。
本堂に近づくと、やってるやってる! 読経の声が聞こえてきた。ぷん、と抹香の匂いが辺りに漂っている。
本堂には、長屋の連中がずらりと背を向け、神妙に和尚の読経に合わせ、気の利いた奴は、数珠など持ち出し、盛んに手を擦り合わせている。
お経を上げているのは、住職の界撰とかいう、何だか痒そうな戒名の坊主である。頭が大きく、汗掻きで、読経を上げている後頭部からびっしりと汗を噴き出させている。
俺は、わざと、朗らかな大声を上げた。
「誰か、のたくり長屋で死人が出たのかね? 線香でも上げさせて貰おうか?」
全員、ぎょっとした表情で、一斉に振り返る。俺の顔を認め、皆、まったく同じタイミングでぽかりと大口を開けたのは、見物であった。
「ひえーっ!」
入口近くに座っていた、縫い物を請け負って生業にしている、おたね婆さんが年に似合わない甲高い悲鳴を上げて仰け反った。
「伊呂波の旦那だ! 化けて出なすった!」「どうか、迷わず、成仏しておくんなせえ……!」「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
口々に勝手な戯言を叫んでいる。
浄土宗の寺だというのに、何を血迷ったのか、「南無妙法蓮華経!」と声を張り上げている奴もいる。
もっと酷いのは、住職の界撰だ。なぜか界撰は、俺を見るなり、さっと右手の指先を額から両肩にやり、十字を切る仕草をする。多分、住職は隠れ切支丹なのだ。
本堂は、一瞬にして大騒ぎになった。
俺はニヤニヤ笑いを浮かべ、履物を脱ぐと、大股で本堂に上がりこんだ。
仏壇近く座り込んでいるのは、大家の要蔵だ。歳は六十近くだが、まだまだ元気で、肌艶も良い。
が、今の要蔵は、顔色を蒼白にして、俺を見るなり、ずりずりと尻を擦るようにして遠ざかる。
俺は大家に、たっぷりと顔を拝ませてから、座り込んだ。
「化けて出た訳じゃあ、ねえよ。ほれ、この通り、あんよもちゃんと二本あらあな」
要蔵は胡乱な目付きで、じろじろと俺の全身をとっくりと眺めた。さすが大家をやっているだけあって、一番先に冷静さを取り戻した。
「本当に、伊呂波の旦那で? 生きていなさるんで?」
「悪いかね?」
問い返すと、ぶるっと顔を横に振った。
「と、とんでもねえ。しかし、あっしらは、ちゃーんと伊呂波の旦那の死体を見たんで……」
俺は頷いた。
「あれは、俺の兄貴だ。双子の兄が、実はいたんだ。上方で、剣の修行をしていたが、この度、江戸へ俺を訪ねに来ると、報せがあった。まさか来る早々、水死体になるとは思っても見なかったが……」
「双子の兄さん……!」
俺の言葉に、本堂の長屋の連中は、一斉に安堵の声を上げた。
長屋の連中以上に、俺は安堵していた。
何とか、うまく丸め込めそうだ。双子の兄とは、いかにもちぐはぐな言い訳だが、他に妙案はなかった。
ま、それでも俺には、《遊客》としての気迫がある。
俺はぐっと両目に力を入れ、長屋の全員の顔を、一人一人じっくり見据えた。俺の視線が注がれると、皆、ぽかんとした表情になって、俺の言葉を鵜呑みにする構えになった。
厄介なのは、本堂の隅に固まっている三人の子供だ。子供は素直な目で、物事を見るから、俺の苦しい言い訳を頭から信じるとは思えない。
が、子供の両親から「伊呂波の旦那は生きている。死んだのは双子の兄さんだ」と言い聞かせれば、何とかなるだろう。
「それじゃあ、兄のために、線香を上げさせてくれ。妙な具合になったが、俺が喪主で葬式の続きをやろうや!」
結局、そうなった。
やれやれ、ひと安心だ。
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