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第三回 江戸入府早々の尾行と、意外な珍客に鞍家二郎三郎大慌ての巻
一
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矢口の渡しから少し歩くと、海沿いに街道が南北に走っている。東海道である。
《遊客》が最初に上陸する地点でもあり、《遊客》目当ての遊郭、旅籠、茶屋などが、街道沿いに、ずらりと立ち並んでいる。本来はもっと北寄りの地点に立ち並んでいるはずだが、いつの間にか、こうなった。
歩き出すと、わっ、とばかりに、俺の周りに客引きが取り付き、袖を引っ張り、抱きつき、通せんぼをして、何とか自分の店へ足を向けて貰おうと、必死に掻き口説く。
「旦那、旦那! うちへおいでなされ! 酒は灘の生一本! 肴はたんとありますし、女もつきますぜ! 夜通し騒いで、パアーッと騒ぎましょう!」
「何を言ってんだい! この旦那は、うちのお客だい! さあさあ、ボヤボヤしてると日が暮れちまう。うちは湯屋で御座い!《遊客》がたに特別に、湯女の泡踊りとまいりましょうや! 知ってますぜ、《遊客》の旦那がたは、泡まみれになって女と戯れる趣味が御座りましょう?」
「旦那は女が趣味じゃなさそうだ。こっちの陰間はいかがです? 前髪残した、艶っぽい美少年が、旦那をお待ちだ!」
俺は腹が立ってきて、思い切り叫んだ。
「うるせえっ! 俺は急いでいるんだ! そこをどけえっ!」
俺の叫び声に、取り巻いた客引きは一斉に飛び退いた。全員、顔を真っ白にさせ、恐怖の表情を浮かべている。
《遊客》が心底むかっ腹を立てると、江戸のNPCには太刀打ちできない。〝気〟が物理的な圧力となって発散され、酷い場合、気の弱いNPCでは気絶すらさせる。
俺は、ふっと息を抜くと衣文を繕い、ゆっくりと歩き出した。客引きたちは、たじたじとなって、もう、近づこうとはしない。
と、渡しの方向から別の《遊客》たちが、物珍しげな視線を周囲に当てながら、いかにもお上りさんらしい物腰で歩いてくる。
客引きは新たな獲物を見つけたとばかりに、さあっと勢いよく、そちらへ殺到する。たちまち起きる喧騒に、《遊客》たちは目を見開き、棒立ちになっていた。
見ていると、一人が客引きに手を引っ張られ、旅籠の入口に消えていった。一丁上がりである。
渡しの側では、女忍者──晶が心細そうに立ち尽くしている。
俺は強いて無視して背を向けた。これから晶が江戸でどんな羽目に陥るか、予想はつかないが、もう、俺には関わりのない人物である。顔を会わせる機会もなかろうと、思っていた。が、もちろん、俺は大いに間違っていたのだが……。
早足になって、その場を立ち去った。
いつの間にか、日差しが傾いてきている。急がないと、高輪の大木戸が閉まる。
街道を北上すると、鈴ヶ森刑場が見えてくる。本物の江戸の歴史では、八百屋お七、丸橋忠弥、天一坊、鼠小僧次郎吉、平井権八、白木屋お駒が処刑された刑場であるが、仮想現実の江戸では一人たりとも処刑の実績はない。実は処刑については、複雑な事情があって、江戸の各処刑場──小塚原、大和田、板橋とともに四箇所にあるが、未だ処刑そのものは実施されていない。
理由は「仮想現実のNPCといえども、人権を尊重しなければならないという」人権委員会が存在するからだ。
どのような理由があれ、生身の人間を串刺し、磔、火炙りなどの残酷な刑罰を施すのは許されないという勧告があって、今は敲きや、首から下を土に埋める晒し刑などが実施されている。晒し刑のときは、大勢見物人が出て、それは賑やかだ。
磔や、火炙りの刑罰に代わるのは、消去刑である。犯人の、存在そのものを、この仮想現実のデータから消去してしまうのだ。苦痛もなく、一滴の血も流れないが、死刑には変わらない。ある意味、人間の尊厳そのものを否定する、残酷な処刑と言える。
俺たち創設メンバーは、仮想現実の刑法は、現実の刑法と一緒くたにできないと交渉を続けているのだが、人権委員は頑として首を縦にはしない。
刑場の周りには、店は一軒も立ち並んでいない。江戸の町人は、刑場に対し、極めて強い恐怖心を抱いている。なぜなら、俺たちは刑場を設定するとき、NPCだけが感じる恐怖の結界を張り巡らせたのだ。この結界に近づくと、江戸の町人は、曰く言いがたい恐怖の感情に襲われる。実際に恐ろしい刑罰が実施されていないに関わらず、江戸の町人は、刑場に引っ張られるような羽目に陥るのは一生御免だと、心の底から感じているのだ。
俺は平気で、刑場の側を通り過ぎる。足取りは、駆け足に近い。
急ぎ足になると、俺は恐ろしいほどの速度で歩ける。疲れも知らず、脇目も振らず、ひたすら歩く。途中の旅人は、俺と行き逢うと、吃驚したように飛び退いた。俺の通過した後は、突風が舞っていたろう。
ようやく、高輪の大木戸が見えてきた。
門は閉まっていない。
道路の両側に高々と石塁が築かれ、どっしりとした木製の門が聳えている。本来の歴史では、火災で何度も焼失しているが、江戸を創建するとき、わざわざ門を作っている。
初めて江戸に入る《遊客》たちの「大木戸って、どこに木戸があるの?」という素朴な質問に応える目的である。広重などの浮世絵などでも、江戸末期には石塁しか残っていないのだが、そこは方便だ。
大木戸の周りにも、茶屋が立ち並び、賑わいを見せている。こちらは《遊客》目当てというより、江戸の町人相手で、目を吊り上げた客引きの姿は見掛けない。
木戸を通りすぎるとき、気になる人物を見掛けた。
ほっそりとした細面の若い男で、女物の着物を身に纏って、肩には呆れるほど長大な刀を担いでいる。
あまりに長すぎ、背中に背負うのも、腰に佩くのも不可能だ。だから肩に担いでいるのだろうが、いかにも重そうである。
気になるのは、男の目付きだ。陰険で、いわゆる三白眼というやつで、何か魂胆がありそうである。
これは俺の偏見ではない。俺たち《遊客》は、自分に向けられた視線に悪意があれば、はっきりと見分けられる。一種の読心術であるが、テレパシーの類ではない。しかも曖昧さは微塵もなく、誤解もありえない。
あいつは俺に、何か含むものがありそうだ。
俺は、わざと視線を外し、素知らぬ顔を保ちつつ通りすぎた。
背後で、奴がゆっくりと歩き出す気配を感じる。じりじりと後頭部に、奴の憎悪を込めた視線を感じている。俺には奴の一挙手一投足が、くっきりと脳裏に浮かんでいた。
早速の手懸りが、向こうから、わざわざお出ましだ……。
俺はニヤリと笑いを浮かべた。
《遊客》が最初に上陸する地点でもあり、《遊客》目当ての遊郭、旅籠、茶屋などが、街道沿いに、ずらりと立ち並んでいる。本来はもっと北寄りの地点に立ち並んでいるはずだが、いつの間にか、こうなった。
歩き出すと、わっ、とばかりに、俺の周りに客引きが取り付き、袖を引っ張り、抱きつき、通せんぼをして、何とか自分の店へ足を向けて貰おうと、必死に掻き口説く。
「旦那、旦那! うちへおいでなされ! 酒は灘の生一本! 肴はたんとありますし、女もつきますぜ! 夜通し騒いで、パアーッと騒ぎましょう!」
「何を言ってんだい! この旦那は、うちのお客だい! さあさあ、ボヤボヤしてると日が暮れちまう。うちは湯屋で御座い!《遊客》がたに特別に、湯女の泡踊りとまいりましょうや! 知ってますぜ、《遊客》の旦那がたは、泡まみれになって女と戯れる趣味が御座りましょう?」
「旦那は女が趣味じゃなさそうだ。こっちの陰間はいかがです? 前髪残した、艶っぽい美少年が、旦那をお待ちだ!」
俺は腹が立ってきて、思い切り叫んだ。
「うるせえっ! 俺は急いでいるんだ! そこをどけえっ!」
俺の叫び声に、取り巻いた客引きは一斉に飛び退いた。全員、顔を真っ白にさせ、恐怖の表情を浮かべている。
《遊客》が心底むかっ腹を立てると、江戸のNPCには太刀打ちできない。〝気〟が物理的な圧力となって発散され、酷い場合、気の弱いNPCでは気絶すらさせる。
俺は、ふっと息を抜くと衣文を繕い、ゆっくりと歩き出した。客引きたちは、たじたじとなって、もう、近づこうとはしない。
と、渡しの方向から別の《遊客》たちが、物珍しげな視線を周囲に当てながら、いかにもお上りさんらしい物腰で歩いてくる。
客引きは新たな獲物を見つけたとばかりに、さあっと勢いよく、そちらへ殺到する。たちまち起きる喧騒に、《遊客》たちは目を見開き、棒立ちになっていた。
見ていると、一人が客引きに手を引っ張られ、旅籠の入口に消えていった。一丁上がりである。
渡しの側では、女忍者──晶が心細そうに立ち尽くしている。
俺は強いて無視して背を向けた。これから晶が江戸でどんな羽目に陥るか、予想はつかないが、もう、俺には関わりのない人物である。顔を会わせる機会もなかろうと、思っていた。が、もちろん、俺は大いに間違っていたのだが……。
早足になって、その場を立ち去った。
いつの間にか、日差しが傾いてきている。急がないと、高輪の大木戸が閉まる。
街道を北上すると、鈴ヶ森刑場が見えてくる。本物の江戸の歴史では、八百屋お七、丸橋忠弥、天一坊、鼠小僧次郎吉、平井権八、白木屋お駒が処刑された刑場であるが、仮想現実の江戸では一人たりとも処刑の実績はない。実は処刑については、複雑な事情があって、江戸の各処刑場──小塚原、大和田、板橋とともに四箇所にあるが、未だ処刑そのものは実施されていない。
理由は「仮想現実のNPCといえども、人権を尊重しなければならないという」人権委員会が存在するからだ。
どのような理由があれ、生身の人間を串刺し、磔、火炙りなどの残酷な刑罰を施すのは許されないという勧告があって、今は敲きや、首から下を土に埋める晒し刑などが実施されている。晒し刑のときは、大勢見物人が出て、それは賑やかだ。
磔や、火炙りの刑罰に代わるのは、消去刑である。犯人の、存在そのものを、この仮想現実のデータから消去してしまうのだ。苦痛もなく、一滴の血も流れないが、死刑には変わらない。ある意味、人間の尊厳そのものを否定する、残酷な処刑と言える。
俺たち創設メンバーは、仮想現実の刑法は、現実の刑法と一緒くたにできないと交渉を続けているのだが、人権委員は頑として首を縦にはしない。
刑場の周りには、店は一軒も立ち並んでいない。江戸の町人は、刑場に対し、極めて強い恐怖心を抱いている。なぜなら、俺たちは刑場を設定するとき、NPCだけが感じる恐怖の結界を張り巡らせたのだ。この結界に近づくと、江戸の町人は、曰く言いがたい恐怖の感情に襲われる。実際に恐ろしい刑罰が実施されていないに関わらず、江戸の町人は、刑場に引っ張られるような羽目に陥るのは一生御免だと、心の底から感じているのだ。
俺は平気で、刑場の側を通り過ぎる。足取りは、駆け足に近い。
急ぎ足になると、俺は恐ろしいほどの速度で歩ける。疲れも知らず、脇目も振らず、ひたすら歩く。途中の旅人は、俺と行き逢うと、吃驚したように飛び退いた。俺の通過した後は、突風が舞っていたろう。
ようやく、高輪の大木戸が見えてきた。
門は閉まっていない。
道路の両側に高々と石塁が築かれ、どっしりとした木製の門が聳えている。本来の歴史では、火災で何度も焼失しているが、江戸を創建するとき、わざわざ門を作っている。
初めて江戸に入る《遊客》たちの「大木戸って、どこに木戸があるの?」という素朴な質問に応える目的である。広重などの浮世絵などでも、江戸末期には石塁しか残っていないのだが、そこは方便だ。
大木戸の周りにも、茶屋が立ち並び、賑わいを見せている。こちらは《遊客》目当てというより、江戸の町人相手で、目を吊り上げた客引きの姿は見掛けない。
木戸を通りすぎるとき、気になる人物を見掛けた。
ほっそりとした細面の若い男で、女物の着物を身に纏って、肩には呆れるほど長大な刀を担いでいる。
あまりに長すぎ、背中に背負うのも、腰に佩くのも不可能だ。だから肩に担いでいるのだろうが、いかにも重そうである。
気になるのは、男の目付きだ。陰険で、いわゆる三白眼というやつで、何か魂胆がありそうである。
これは俺の偏見ではない。俺たち《遊客》は、自分に向けられた視線に悪意があれば、はっきりと見分けられる。一種の読心術であるが、テレパシーの類ではない。しかも曖昧さは微塵もなく、誤解もありえない。
あいつは俺に、何か含むものがありそうだ。
俺は、わざと視線を外し、素知らぬ顔を保ちつつ通りすぎた。
背後で、奴がゆっくりと歩き出す気配を感じる。じりじりと後頭部に、奴の憎悪を込めた視線を感じている。俺には奴の一挙手一投足が、くっきりと脳裏に浮かんでいた。
早速の手懸りが、向こうから、わざわざお出ましだ……。
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