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帝国
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ノックの音に、ネリーはびくりと顔を上げた。
彼女の返事もまたずドアが開かれ、タビア女史が姿を現した。背後に近衛隊長を従えている。
「ネリー、すぐわたしとともに宮殿へまいるのです」
質問はあとだ、といわんばかりにタビア女史はネリーを立たせ、部屋を出て行った。訳がわからぬまま、ネリーは女史の後について廊下に出る。近衛隊長の鋭い視線に、ネリーは身をすくませた。
急ぎ足のふたりに小柄なネリーはほとんど駆け足になった。なんどか質問しようとしたのだが、女史の厳しい顔つきにあきらめた。
やがて通路はネリーの知らない区画に入り込んだ。いままで宮殿の、こんな奥深くへ入り込んだことはなく、ネリーはますます怖ろしくなっていった。
ここは謁見室へ通じる通路ではないかしら……。そう思っていると、通路にはいままで見たことのないほどの衛兵が武器をかまえ、数メートルおきに立っている。
厳重な警戒の雰囲気に、ネリーの足は遅くなっていく。
はやくなさい、と女史は何度もしかりつけた。
やがて通路は行き止まりになり、ドアの前にネリーは見知った顔を認めた。
フーシェ内務大臣であった。
ネリーの顔を見た大臣は、こっちこっちというように手招きをした。
彼女の背中を抱きかかえんばかりに大臣は部屋へ招き入れる。
なにがなんだか判らないうち、ネリーは部屋の中に入っていた。
そう大きな部屋ではない。真正面におおきな窓を背にした机があり、その椅子にひとりの老人が座っていた。
老人は優しげな目つきでネリーを見た。
その顔をしげしげと見たネリーは、ふいにその顔が会議室にかけられた皇帝の肖像画と似ていることに気づいた。いや、似ているどころではない。本人である。
ネリーは気が遠くなった。
皇帝は椅子から立ち上がり、机を回ってネリーの前へと歩み寄ってきた。
彼女の顔を眺め、大臣を見る。
「これが、その娘かね?」
さようでございます、と大臣は頭をさげた。
ふむ、そうか……と皇帝はうなずいた。
上体を折り曲げ、顔をネリーに近づける。
「ネリー、というんだな。お前」
はい……と答える。皇帝は手を伸ばし、ネリーの頭をなでた。
「ネリーとは仲良くしておったのじゃろう? ん?」
「は……はい……! プリンセスはいつもわたしにお優しくしてくださいました」
そうか、と皇帝は眉をさげた。頬に皺がきざまれ、笑顔になる。
「あれのことについては知っているだろう。しょうしょう跳ねっかえりではあるが……。あれは母親似でな。あれの母親も同じような性格をしておった。しかし頭は悪くはない。むしろ賢い、といっていい。だからわしはあれが王宮を飛び出したとしても、そう心配はしておらん」
意外な皇帝の言葉に、ネリーは目を丸くした。
「だが心配なことはある。あれが外を飛び回っておることが帝国を快く思っておらん連中に知られることだ。わかるな?」
ネリーは何度もうなずいた。
「そうだ、したがってサンドラを探すことも秘密にしておかなければならんのだ。その間、彼女の不在を誰にも知られないようにしなくてはならない」
皇帝の話がどこへ向かっているのか、ネリーにはさっぱり見当がつかなかった。
「そこでだ、お前……ネリーというのじゃな。お前にサンドラの身代わりを勤めてもらいたいのじゃよ」
「わ、わたくしが……?」
となりで内務大臣がうなずいた。
「そうだ。お前ならレディ・サンドラと同い年であるし、背格好も似ている。遠目には、じゅうぶん身代わりで通る。頼む! うんと言って欲しい」
ネリーの瞳は救いを求めるように部屋の中をさまよった。
タビア女史の厳しい顔、内務大臣の必死な表情、皇帝の優しげな顔にうかぶやや心配げな顔に、ネリーはうつむいた。
ひと時の沈黙の後、ようやくネリーは顔をあげた。
「はい……わかりました」
彼女の返事もまたずドアが開かれ、タビア女史が姿を現した。背後に近衛隊長を従えている。
「ネリー、すぐわたしとともに宮殿へまいるのです」
質問はあとだ、といわんばかりにタビア女史はネリーを立たせ、部屋を出て行った。訳がわからぬまま、ネリーは女史の後について廊下に出る。近衛隊長の鋭い視線に、ネリーは身をすくませた。
急ぎ足のふたりに小柄なネリーはほとんど駆け足になった。なんどか質問しようとしたのだが、女史の厳しい顔つきにあきらめた。
やがて通路はネリーの知らない区画に入り込んだ。いままで宮殿の、こんな奥深くへ入り込んだことはなく、ネリーはますます怖ろしくなっていった。
ここは謁見室へ通じる通路ではないかしら……。そう思っていると、通路にはいままで見たことのないほどの衛兵が武器をかまえ、数メートルおきに立っている。
厳重な警戒の雰囲気に、ネリーの足は遅くなっていく。
はやくなさい、と女史は何度もしかりつけた。
やがて通路は行き止まりになり、ドアの前にネリーは見知った顔を認めた。
フーシェ内務大臣であった。
ネリーの顔を見た大臣は、こっちこっちというように手招きをした。
彼女の背中を抱きかかえんばかりに大臣は部屋へ招き入れる。
なにがなんだか判らないうち、ネリーは部屋の中に入っていた。
そう大きな部屋ではない。真正面におおきな窓を背にした机があり、その椅子にひとりの老人が座っていた。
老人は優しげな目つきでネリーを見た。
その顔をしげしげと見たネリーは、ふいにその顔が会議室にかけられた皇帝の肖像画と似ていることに気づいた。いや、似ているどころではない。本人である。
ネリーは気が遠くなった。
皇帝は椅子から立ち上がり、机を回ってネリーの前へと歩み寄ってきた。
彼女の顔を眺め、大臣を見る。
「これが、その娘かね?」
さようでございます、と大臣は頭をさげた。
ふむ、そうか……と皇帝はうなずいた。
上体を折り曲げ、顔をネリーに近づける。
「ネリー、というんだな。お前」
はい……と答える。皇帝は手を伸ばし、ネリーの頭をなでた。
「ネリーとは仲良くしておったのじゃろう? ん?」
「は……はい……! プリンセスはいつもわたしにお優しくしてくださいました」
そうか、と皇帝は眉をさげた。頬に皺がきざまれ、笑顔になる。
「あれのことについては知っているだろう。しょうしょう跳ねっかえりではあるが……。あれは母親似でな。あれの母親も同じような性格をしておった。しかし頭は悪くはない。むしろ賢い、といっていい。だからわしはあれが王宮を飛び出したとしても、そう心配はしておらん」
意外な皇帝の言葉に、ネリーは目を丸くした。
「だが心配なことはある。あれが外を飛び回っておることが帝国を快く思っておらん連中に知られることだ。わかるな?」
ネリーは何度もうなずいた。
「そうだ、したがってサンドラを探すことも秘密にしておかなければならんのだ。その間、彼女の不在を誰にも知られないようにしなくてはならない」
皇帝の話がどこへ向かっているのか、ネリーにはさっぱり見当がつかなかった。
「そこでだ、お前……ネリーというのじゃな。お前にサンドラの身代わりを勤めてもらいたいのじゃよ」
「わ、わたくしが……?」
となりで内務大臣がうなずいた。
「そうだ。お前ならレディ・サンドラと同い年であるし、背格好も似ている。遠目には、じゅうぶん身代わりで通る。頼む! うんと言って欲しい」
ネリーの瞳は救いを求めるように部屋の中をさまよった。
タビア女史の厳しい顔、内務大臣の必死な表情、皇帝の優しげな顔にうかぶやや心配げな顔に、ネリーはうつむいた。
ひと時の沈黙の後、ようやくネリーは顔をあげた。
「はい……わかりました」
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