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第十話 リテーク出しの逆襲!
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どでん! と目の前に置かれた料理の鉢を見詰め、市川たちは顔を見合わせた。
城の広間らしき場所に案内され、一同は床に延べられた絨毯に車座になって座る。随員や護衛の兵も同席できるような、縦横十メートル以上もある、巨大な絨毯だ。床に、直に座るのは、中近東風である。
絨毯の真ん中に、数人の人間によって運ばれたのは、巨大な鉢であった。
中を覗き込むと、何やら得体の知れない煮込み料理が、ぐらぐらと地獄の釜のごとく煮え立っている。
つん、とドぎつい香辛料の匂いが漂っている。
ドットは陽気に叫んでいた。
「さあさあ! どうぞ、お召し上がりになって頂きたい! ほどなく、摂政閣下と、姫君が渡らせられますので……! その間、腹塞ぎの食事でも……」
料理は、各自が渡された碗に勝手によそって食べる形式らしい。鉢の中に煮え立っているスープらしきものと、後は炒めた米、火を通した根菜、付け合せの野菜などである。
どれも香辛料がたっぷり使われている。相当に辛そうだ!
市川は原画マンになってすぐ、韓国に出張した経験がある。日本のアニメの、それもテレビ・アニメは、ほとんど韓国、中国、東南アジアなどに発注している。
理由は、毎週五十本以上も放映されるアニメを、国内のアニメーターだけでは捌ききれないからだ。国内のアニメ関係者の人数は、約三千人で、この数字はこの四十年、ほぼ変わらない。
なぜか。それは、アニメの制作予算が低く押さえられているからである。そのため、新人アニメーターは安い給料で働かざるを得ない。
市川の聞いた話だが、ある古参アニメーターが、市役所に税金の申告に立ち寄ったおり、役人が「この収入で暮らして行けますか? 生活保護を申請なさったらどうです?」と真剣に提案されたそうだ。嘘のような、本当の話である。
動画一枚が、百円ほどで、どんなに手が速いアニメーターでも、一ヶ月に二千枚を越えるのは稀だ。ましてや新人のうちは、千枚に達するのも、難しい。従って、入ってきてもすぐに辞める人間が多いため、国内のアニメ関係者の人数は横這い状態を続けている。
この人数で、毎週の放映を切り抜けるなど、無理な話だ! 従って、国外発注である。
しかし、肝心な絵のニュアンス、演出の細かい部分は、単に絵コンテや、原画を送っただけでは、どうしても齟齬が生じる。そこで、やはり市川のような国内のメイン・スタッフが常駐して、現場のスタッフを監督する必要があるのだ。
市川は数回、韓国に出張した。その際、現地の激辛料理をたっぷり腹に詰め込んだものだった。
最初はまるで慣れなかったが、そのうち舌が辛さに耐性ができると、逆に日本食は物足りなくなってくる。
目の前の料理から発散してくる、強烈な香辛料の香りは、韓国出張を思い出させた。
恐る恐る、市川は碗の中に、鉢のスープをよそった。スープはどろりとして、真っ黒な色をしている。細かな肉の細片が浮かび、あとは豆などが煮込まれていた。
スプーンを使って、口に運ぶ。
市川を、他の全員が「結果や如何に?」と興味津々に見守っていた。
「うん!」と市川は頷く。
もぐもぐと口の中で噛みこみ、飲み込んだ。
「旨い! 辛さは、普通だな……」
ほっと安堵の空気が流れ、一同は我先に料理をよそい、口にする。一気に、広間は和やかな雰囲気になった。
もう一杯、お替りしようとした刹那、市川の脳天から延髄に掛け、恐ろしいばかりの衝撃が駆け抜けた!
「くわあああああっ!」
市川は、ぴょん、とその場で胡坐の姿勢のまま飛び上がった。
ぼおおおっ! と、市川の口から火炎放射器のように、炎が飛び出す。辛いものを口に含んだときの、アニメの定番表現だ。
辛い! なんてものではない!
何かのエッセイで「辛さに肛門が開く」という表現を目にした記憶があるが、まさに今の衝撃を言い表している。
「かああああっ!」「きいいいいっ!」「けええええっ!」と、全員がカ行の叫び声を上げ、七転八倒していた。
どっと市川の全身に、熱い汗が音を立てて噴き出してくる。額から、顎から、首筋から、滝のように汗を流し、市川は悶えつつ、踊りを踊るように手足をじたばたさせていた。
ちら、と市川は視界の隅で三村を見る。
何と、三村は皆の騒ぎをよそに、悠然と料理を平らげている。ほんの少し、顔色が赤みを帯びているが、まるで平気だ!
あいつの舌は、鋼鉄製か?
市川は必死になって、付け合せの生野菜を口いっぱいに頬張った。それで、少しは口の中の炎を消し止める。
じゅう──っ! と、市川の口から、白い煙が大袈裟に噴出する。他の全員も、同じように蒸汽を大量に噴き上げていた。
ふうっ、と大きく息を吐き出し、市川は顔を上げた。
その時、広間の奥から、煌びやかな色彩の一団が入室してきた。
ドットが大声を上げた。
「バートル国摂政、ターラン大公閣下と、エリカ姫のお出まし──!」
エリカ姫?
市川、新庄、洋子、三村、山田の五人は、ぎょっとなって、そちらに注目した。
緋色に金色の刺繍を施した派手派手しい衣装を纏った、ターラン大公らしき老人と、その手を引いている水色のドレスを身に着けた少女が静々と近づいてくる。二人の背後からは、護衛の兵士がずらりと従っていた。
少女の顔を見て、市川は密かに頷く。
やはり、エリカ……あの、エリカ・ターナと名乗った、田中絵里香をモデルにしたキャラクターである。
「あれは……王子殿下を狙った、女暗殺者ではないですか?」
三村の側に近侍していた騎馬隊長が、呆気に取られた表情を浮かべていた。
「ようこそ、いらっしゃった! わがバートル国は、皆様を歓迎いたしますぞ!」
朗らかな声を上げ、ターラン大公と紹介された太った老人が着座した。その右横に、問題のエリカ姫がしとやかに腰を降ろす。
新庄は、あんぐりと口を開け、エリカ姫をじろじろと無遠慮に眺めていた。
ちら、とエリカ姫の視線が新庄の顔に当てられたが、すぐ逸れる。エリカ姫の視線は、三村に向けられていた。
三村の視線と、エリカ姫の視線が絡み合う。
市川は、息を飲み込んだ。
城の広間らしき場所に案内され、一同は床に延べられた絨毯に車座になって座る。随員や護衛の兵も同席できるような、縦横十メートル以上もある、巨大な絨毯だ。床に、直に座るのは、中近東風である。
絨毯の真ん中に、数人の人間によって運ばれたのは、巨大な鉢であった。
中を覗き込むと、何やら得体の知れない煮込み料理が、ぐらぐらと地獄の釜のごとく煮え立っている。
つん、とドぎつい香辛料の匂いが漂っている。
ドットは陽気に叫んでいた。
「さあさあ! どうぞ、お召し上がりになって頂きたい! ほどなく、摂政閣下と、姫君が渡らせられますので……! その間、腹塞ぎの食事でも……」
料理は、各自が渡された碗に勝手によそって食べる形式らしい。鉢の中に煮え立っているスープらしきものと、後は炒めた米、火を通した根菜、付け合せの野菜などである。
どれも香辛料がたっぷり使われている。相当に辛そうだ!
市川は原画マンになってすぐ、韓国に出張した経験がある。日本のアニメの、それもテレビ・アニメは、ほとんど韓国、中国、東南アジアなどに発注している。
理由は、毎週五十本以上も放映されるアニメを、国内のアニメーターだけでは捌ききれないからだ。国内のアニメ関係者の人数は、約三千人で、この数字はこの四十年、ほぼ変わらない。
なぜか。それは、アニメの制作予算が低く押さえられているからである。そのため、新人アニメーターは安い給料で働かざるを得ない。
市川の聞いた話だが、ある古参アニメーターが、市役所に税金の申告に立ち寄ったおり、役人が「この収入で暮らして行けますか? 生活保護を申請なさったらどうです?」と真剣に提案されたそうだ。嘘のような、本当の話である。
動画一枚が、百円ほどで、どんなに手が速いアニメーターでも、一ヶ月に二千枚を越えるのは稀だ。ましてや新人のうちは、千枚に達するのも、難しい。従って、入ってきてもすぐに辞める人間が多いため、国内のアニメ関係者の人数は横這い状態を続けている。
この人数で、毎週の放映を切り抜けるなど、無理な話だ! 従って、国外発注である。
しかし、肝心な絵のニュアンス、演出の細かい部分は、単に絵コンテや、原画を送っただけでは、どうしても齟齬が生じる。そこで、やはり市川のような国内のメイン・スタッフが常駐して、現場のスタッフを監督する必要があるのだ。
市川は数回、韓国に出張した。その際、現地の激辛料理をたっぷり腹に詰め込んだものだった。
最初はまるで慣れなかったが、そのうち舌が辛さに耐性ができると、逆に日本食は物足りなくなってくる。
目の前の料理から発散してくる、強烈な香辛料の香りは、韓国出張を思い出させた。
恐る恐る、市川は碗の中に、鉢のスープをよそった。スープはどろりとして、真っ黒な色をしている。細かな肉の細片が浮かび、あとは豆などが煮込まれていた。
スプーンを使って、口に運ぶ。
市川を、他の全員が「結果や如何に?」と興味津々に見守っていた。
「うん!」と市川は頷く。
もぐもぐと口の中で噛みこみ、飲み込んだ。
「旨い! 辛さは、普通だな……」
ほっと安堵の空気が流れ、一同は我先に料理をよそい、口にする。一気に、広間は和やかな雰囲気になった。
もう一杯、お替りしようとした刹那、市川の脳天から延髄に掛け、恐ろしいばかりの衝撃が駆け抜けた!
「くわあああああっ!」
市川は、ぴょん、とその場で胡坐の姿勢のまま飛び上がった。
ぼおおおっ! と、市川の口から火炎放射器のように、炎が飛び出す。辛いものを口に含んだときの、アニメの定番表現だ。
辛い! なんてものではない!
何かのエッセイで「辛さに肛門が開く」という表現を目にした記憶があるが、まさに今の衝撃を言い表している。
「かああああっ!」「きいいいいっ!」「けええええっ!」と、全員がカ行の叫び声を上げ、七転八倒していた。
どっと市川の全身に、熱い汗が音を立てて噴き出してくる。額から、顎から、首筋から、滝のように汗を流し、市川は悶えつつ、踊りを踊るように手足をじたばたさせていた。
ちら、と市川は視界の隅で三村を見る。
何と、三村は皆の騒ぎをよそに、悠然と料理を平らげている。ほんの少し、顔色が赤みを帯びているが、まるで平気だ!
あいつの舌は、鋼鉄製か?
市川は必死になって、付け合せの生野菜を口いっぱいに頬張った。それで、少しは口の中の炎を消し止める。
じゅう──っ! と、市川の口から、白い煙が大袈裟に噴出する。他の全員も、同じように蒸汽を大量に噴き上げていた。
ふうっ、と大きく息を吐き出し、市川は顔を上げた。
その時、広間の奥から、煌びやかな色彩の一団が入室してきた。
ドットが大声を上げた。
「バートル国摂政、ターラン大公閣下と、エリカ姫のお出まし──!」
エリカ姫?
市川、新庄、洋子、三村、山田の五人は、ぎょっとなって、そちらに注目した。
緋色に金色の刺繍を施した派手派手しい衣装を纏った、ターラン大公らしき老人と、その手を引いている水色のドレスを身に着けた少女が静々と近づいてくる。二人の背後からは、護衛の兵士がずらりと従っていた。
少女の顔を見て、市川は密かに頷く。
やはり、エリカ……あの、エリカ・ターナと名乗った、田中絵里香をモデルにしたキャラクターである。
「あれは……王子殿下を狙った、女暗殺者ではないですか?」
三村の側に近侍していた騎馬隊長が、呆気に取られた表情を浮かべていた。
「ようこそ、いらっしゃった! わがバートル国は、皆様を歓迎いたしますぞ!」
朗らかな声を上げ、ターラン大公と紹介された太った老人が着座した。その右横に、問題のエリカ姫がしとやかに腰を降ろす。
新庄は、あんぐりと口を開け、エリカ姫をじろじろと無遠慮に眺めていた。
ちら、とエリカ姫の視線が新庄の顔に当てられたが、すぐ逸れる。エリカ姫の視線は、三村に向けられていた。
三村の視線と、エリカ姫の視線が絡み合う。
市川は、息を飲み込んだ。
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