アニメのお仕事

万卜人

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第九話 回想のアフレコ・ダビング

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 場面は夜中の住宅街になった。街灯の明かりの下を、絵里香が肩を怒らせ、大股に歩いている。目には怒りが燃え、口許はきゅっと引き絞られていた。
 新庄のナレーションが被った。
「絵里香は在学中に、雑誌の編集部にアルバイトとして入り込んだ。『蒸汽帝国』を掲載している漫画雑誌の編集部で、木戸の知り合いという関係で、原稿の回収の役目を絵里香は任された」
 絵里香は三階建ての、外階段のついた集合住宅玄関に立つ。目を上げ、窓に明かりが灯っているのを確認すると、勢いよく階段を駆け登っていった。
 ドアの前に立ち、インタホンを押す。
 室内でチャイムが鳴っているが、返事はなかった。絵里香はドアの覗き穴を睨んだ。
 ふっと覗き穴が暗くなる。
 絵里香は叫んだ。
「純一っ! そこに隠れていないで、開けなさいよっ! いるんでしょっ?」
 さっと覗き穴が明るくなった。
 穴に目を押し当てていた木戸が、慌てて身を引いたのだ。
 絵里香は思い切り、ドアを蹴飛ばした。
 がん! もう一度。ぐわん! と、大袈裟な音が深夜の住宅街に響く。
「開けないと、朝まで続けるからね!」
「わ、判った……」
 蚊の鳴くような心細い声が聞こえ、開錠音がして、僅かにドアが開く。
 絵里香はドアノブを両手で握りしめ、閉じられないよう、力任せに開く。
 わわっ、と木戸が外へ飛び出してきた。どてん、と見っともなく転ぶと、青ざめた顔を絵里香に向ける。
「え、絵里香……」
「入るわよっ!」
 返事も待たず、絵里香は土足のまま、ずかずかと木戸の仕事部屋へと踏み込んでいく。
 木戸の部屋は、乱雑で、足の踏み場もない。仕事部屋は、アシスタントのために、何組もの机と椅子が置いてあったが、今は木戸一人だけだ。
 窓際にある木戸の机に駆け寄ると、描きかけの原稿用紙を取り上げた。ペンも入っておらず、下書きのままである。
「どういう訳? 今夜中に原稿を完成させる約束よね? あたし、編集長に直に命令されているのよ。何が何でも、あんたのところから、原稿を持ってこいって! 一枚も完成していないじゃないの!」
 絵里香の詰問に、木戸はぺたりと座り込み、小さく身を縮こまらせているだけだった。ゆっくりと何度も首を振った。
「お……おれ、描けねえ……。先を続けられないんだ。話が思い浮かばねえっ!」
 絵里香の頭に、音を立てて血が逆流した。
「何、子供のような言い訳、しているのっ? 祐介の原作があるでしょうっ!」
 木戸の顔がくしゃくしゃと歪んだ。
「もう、ねえよ……祐介の原作は、終わってるんだ……。後を続けようと、精一杯、必死に考えた。でも、どうやっても、おれには話を作るって才能がないんだ……」
 だんっ! と絵里香は足踏みした。
「それじゃ、原作を、他の人に任せるって、手があったじゃないの? 何で、それを言い出さないの? もう、完全に手遅れよ!」
 うわあああ……と、木戸は手放しで泣き喚いた。絵里香は呆然となって、木戸の机を引っ掻き回した。一枚でも、完成原稿が隠れてないかと思ったのだ。
 抽斗を開けた絵里香は、身を強張らせた。全身が嫌悪感に震える。
「これ、何?」
 引き出しには、一杯に絵里香の似顔らしき原画が詰め込まれている。
 絵里香の横顔、正面顔、笑顔、憂い顔。
 挙げ句……。
 絵里香は一枚の原画を手にした。
 ヌードであった。絵里香の顔をした、女性のヌード画が描かれている。
「あんた、仕事をそっちのけで、こんな馬鹿な真似をしていたのっ?」
 項垂れた木戸は返事もしない。
 と、木戸の顔がゆっくりと持ち上がる。両目には、奇妙な熱情が浮かんでいた。
「絵里香……」
 膝まづいた姿勢のまま、ずりずりと絵里香に近寄っていく。絵里香は総毛立った。
「近寄らないでっ!」
 木戸は両手を差し伸べ、必死の勢いで絵里香に掻き口説く。
「絵里香、おれは、君が好きだ! そりゃ、君が祐介を好きだったのは知っている。でも、もう、祐介はこの世にいない。なあ、絵里香、おれと……」
「それ以上、言わないでっ! 聞きたくないっ!」
 絵里香は両耳をきつく両手で押さえると、目を閉じて叫んでいた。
 木戸は構わず続ける。
「なあ、おれ、君がいれば、漫画も描けるんじゃないかと思うんだ。おれ、一人ぼっちなんだ……。なあ、頼む……おれと……、おれと一緒になって……」
 絵里香はぐわっ、と足先を蹴り上げた。爪先が、まともに木戸の顎に命中する。木戸は「わあ!」と悲鳴を上げ、引っくり返った。
 床に仰向けになった木戸に、絵里香はきっと指先を突きつけた。
「もう、あんたなんか、顔も見たくないっ! あんたは、祐介の原作を汚したのよ! 絶対、許さないからねっ!」
 一息に捲し立てると、絵里香は大股に木戸の側を通り抜け、出口に向かう。
「絵里香……待ってくれ……!」
 背中に、木戸の泣き声のような叫びが追い縋る。だが、絵里香は一瞥もせず、駆け出していた。
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