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三郎太の巻
六
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姫の身体を抱き上げているというのに、三郎太は飛ぶように闇を走っていく。
微かにぺたぺたという足音が前方から聞こえ、それを頼りに、源二は後を追う。
もとより源二とても、姫を抱き上げて走る程度はなんでもない。しかし、今の三郎太と同じ速度で走れるかどうか、若いころならともかく現在では自信がなかった。
姫はずっと押し黙ったままだ。抱き上げられたとき、悲鳴すら上げなかった。
しばらく無言の時が流れた。
「いつまで走るつもりじゃ? 第一、ここは、どこら辺なのじゃ?」
とうとう沈黙に耐えかね、源二が口を開いた。
「夜明け前には、安全な所に着く。今、走っているのは、山の中だ」
暗闇から三郎太の平静な声が響いている。姫を抱き上げ、さらに飛ぶように走っているというのに、その声に震えは微塵も感じとれなかった。
山の中……。
源二は空を見上げた。
雲はない。一面の星空に、時折は梢が通りすぎ、ちらちらと見え隠れする。確かに、山の中を走っているようである。
「しかし、妙じゃな」
「何が?」
「村の連中のことだ。金が欲しいというのは判る。じゃが、旅の者を襲ってまで手にしたいと思うとは。わしは、この辺りを知っておるが、それほど人気が悪い場所ではなかったように思う」
「緒方上総ノ介という領主を知っておるか?」
三郎太の言葉に、源二はちょっと首を捻った。
「上総ノ介? 聞いた覚えがある。この辺りを治めておる領主じゃな。じゃが、もう八十に近い歳ではなかったか?」
「その息子のほうだ。息子が家督を相続して、上総ノ介を襲名した。この息子がえらく働き者でな。ちまちまと、あちこちに出張っては、領地を稼いでおる。そのため、出来星の家臣が増えて、郎党を募るため流れ者が続々と集結した。以来、この辺りは無宿人、やくざなどの集まる村になったのさ」
源二は驚いた。
「おぬし、何者じゃ? ただの河童にしては、ちと物を知り過ぎておる」
「なに、おれも少々あちこちを流れ歩いているから、こんなことも耳に入るようになったんだ」
そう言えば……と、源二の胸にある疑問が湧き上がった。
「おぬし、なぜあんな所で倒れておった。河童があんなところで暮らしているなど、聞いた覚えがないわ」
「探していたのだ」
「何を?」
「河童だ。おれたちは、この近くの河童淵という所に住んでいる。だが、他の場所に住んでいる仲間のことは、何も知らぬ。おれたちは年々、数を減らしている。原因は色々考えられるが、同じところで仲間同士で暮らしていて、血が薄まったと、おれは考えた。そこで、他の場所に住んでいる河童を探しに旅に出たのだ」
「それで、見つかったのか。仲間は」
いや──と、三郎太は否定した。
「どこにも、他の河童はおらなんだ。おれは、それこそ、北から南まで探し歩いた。が、河童の噂は、欠片もなかった」
三郎太の声には沈痛な響きがあった。
源二は三郎太のある口調が気がかりになった。
「おぬし、時々ふっと妙な口振りになるのう。時折、京に来る、南蛮人のような喋り方になる」
はっ、と闇の中で三郎太の息を呑む気配があった。再び口を開いた三郎太は、用心深い口調になっていた。
「そんなに似ているか? その……南蛮人とやらに」
「ああ、こうして闇の中を走っていると、お前が河童だということを忘れ、南蛮人と話しているような気になるわい。おい、どうした? なぜ黙る」
三郎太は、それきり黙りこくっている。沈黙は硬く、手に触れそうであった。
源二も口を噤み、走ることに専念していた。
微かにぺたぺたという足音が前方から聞こえ、それを頼りに、源二は後を追う。
もとより源二とても、姫を抱き上げて走る程度はなんでもない。しかし、今の三郎太と同じ速度で走れるかどうか、若いころならともかく現在では自信がなかった。
姫はずっと押し黙ったままだ。抱き上げられたとき、悲鳴すら上げなかった。
しばらく無言の時が流れた。
「いつまで走るつもりじゃ? 第一、ここは、どこら辺なのじゃ?」
とうとう沈黙に耐えかね、源二が口を開いた。
「夜明け前には、安全な所に着く。今、走っているのは、山の中だ」
暗闇から三郎太の平静な声が響いている。姫を抱き上げ、さらに飛ぶように走っているというのに、その声に震えは微塵も感じとれなかった。
山の中……。
源二は空を見上げた。
雲はない。一面の星空に、時折は梢が通りすぎ、ちらちらと見え隠れする。確かに、山の中を走っているようである。
「しかし、妙じゃな」
「何が?」
「村の連中のことだ。金が欲しいというのは判る。じゃが、旅の者を襲ってまで手にしたいと思うとは。わしは、この辺りを知っておるが、それほど人気が悪い場所ではなかったように思う」
「緒方上総ノ介という領主を知っておるか?」
三郎太の言葉に、源二はちょっと首を捻った。
「上総ノ介? 聞いた覚えがある。この辺りを治めておる領主じゃな。じゃが、もう八十に近い歳ではなかったか?」
「その息子のほうだ。息子が家督を相続して、上総ノ介を襲名した。この息子がえらく働き者でな。ちまちまと、あちこちに出張っては、領地を稼いでおる。そのため、出来星の家臣が増えて、郎党を募るため流れ者が続々と集結した。以来、この辺りは無宿人、やくざなどの集まる村になったのさ」
源二は驚いた。
「おぬし、何者じゃ? ただの河童にしては、ちと物を知り過ぎておる」
「なに、おれも少々あちこちを流れ歩いているから、こんなことも耳に入るようになったんだ」
そう言えば……と、源二の胸にある疑問が湧き上がった。
「おぬし、なぜあんな所で倒れておった。河童があんなところで暮らしているなど、聞いた覚えがないわ」
「探していたのだ」
「何を?」
「河童だ。おれたちは、この近くの河童淵という所に住んでいる。だが、他の場所に住んでいる仲間のことは、何も知らぬ。おれたちは年々、数を減らしている。原因は色々考えられるが、同じところで仲間同士で暮らしていて、血が薄まったと、おれは考えた。そこで、他の場所に住んでいる河童を探しに旅に出たのだ」
「それで、見つかったのか。仲間は」
いや──と、三郎太は否定した。
「どこにも、他の河童はおらなんだ。おれは、それこそ、北から南まで探し歩いた。が、河童の噂は、欠片もなかった」
三郎太の声には沈痛な響きがあった。
源二は三郎太のある口調が気がかりになった。
「おぬし、時々ふっと妙な口振りになるのう。時折、京に来る、南蛮人のような喋り方になる」
はっ、と闇の中で三郎太の息を呑む気配があった。再び口を開いた三郎太は、用心深い口調になっていた。
「そんなに似ているか? その……南蛮人とやらに」
「ああ、こうして闇の中を走っていると、お前が河童だということを忘れ、南蛮人と話しているような気になるわい。おい、どうした? なぜ黙る」
三郎太は、それきり黙りこくっている。沈黙は硬く、手に触れそうであった。
源二も口を噤み、走ることに専念していた。
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