電脳ロスト・ワールド

万卜人

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現実の味

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 洋子は食事を諦めた。とてもじゃないが、食えたものではない。
 仮想現実で大部分を過ごす多くの人は、この食事でも満足できるのだが、洋子は今日ようやく初めて接続した初心者である。何か、買いに行こうと思ったのだ。
 それでも家を出る前、洋子は簡単な身づくろいを済ませ「買い物に行ってくる」と母親に書置きを残し、外へ出た。
 もし仮想現実が普及する前の人間が、街の様子を一目でも見たら、「ここは廃墟か」と驚くだろう。
 ほとんどの家は壁に罅が走り、屋根は穴が空いて、それを簡単なビニール・シートなどで覆う応急修理で済ませている。ビルもまた壁は薄汚れ、街路には亀裂ができて、そこから雑草がぼうぼうに生い茂る。公園の木々は手入れもされず、地面が剥き出しのところは頭も隠れそうな丈の長い草に一面どこまでも占領されていた。しかし、洋子にしてみれば、子供の頃から見慣れている風景なので、何の感慨も起こらない。
 住宅街から少し離れた幹線道路沿いに、洋子の目当てのコンビニがあった。
 買い物を選び、カウンターに向かうと、遠隔操作義体ウォルドゥの店員が接客してくれる。機械のボディに、顔の辺りにモニターがあり、そこから仮想現実から接続された店員の顔だけが映し出されている。
 弁当と、飲み物の代金を払い、洋子は買い物袋を下げ、近くの公園に向かった。
 ベンチに座り込み、買い物の弁当を広げ、ぼんやりと夕日を眺めながら食べはじめる。
 美味しい……。
 たとえ大量生産の、無人工場で作られた弁当であっても、本物の素材、本物の食べ物は、洋子の空腹を満たしてくれる。
 夕日が空を染め上げる。
 廃墟のような街の景観はシルエットとなって夕空に沈み、醜い細部は影になって見えなくなる。それが仮想空間で見た、景色と重なる。
 洋子は食べ終えた弁当と飲み物の容器をまとめ、屑篭に投げ入れた。容器は、ほんの少しの亀裂でも自然分解する素材でできているから、数日中には跡形もなく土に溶け込むだろう。
 客家二郎のことを考える。あの名前は、本名なのだろうか?
 ほとんどの仮想現実で過ごす分身は、外国風の名前を名乗っているのが普通だそうだ。だから洋子は、分身にタバサという名前を与えた。
 二郎……。どう考えても、日本人の名前である。仮想現実接続装置には、自動翻訳機能がついているから、日本人であるという確証はないが。
《ロスト・ワールド》に挑もうとしている、あの客家二郎を考えるうち、洋子の胸にも新たな決意が育っていた。
 そうだ、あたしも何か挑戦できるものを見つけよう。それが何か、今は皆目、見当もつかない。でも、二郎と知り合ったことが、きっかけとなるかもしれない。
〝ロスト〟は確かに脅威だが、ただ怖がったとしても、意味がない。第一、死ぬわけじゃないのだ。単に三日分の記憶が失われるだけじゃないか……。
 ベンチから立ち上がり、洋子は家に帰る道筋を辿った。
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