戦国姫城主、誾千代の青春

万卜人

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第五章 急使

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 丹生島城より、宗麟、道雪、紹運の三人が、護衛の兵、百名を引き連れ、立花城へ到着した。立花城では、俄かに人数が増え、収容するための部屋割りに、甚兵衛が大童になって、城内を駆け回っていた。
 道雪は誾千代の顔を見て「御苦労!」と一言、声を掛け、そのまま宗麟、紹運と共に、大広間に進んだ。誾千代は、道雪の広い背中を見ながら、後に続いた。
 宗麟が上座にどっかりと腰を降ろすと、道雪、紹運も、宗麟を囲むように腰を落ち着けた。宗麟は緊張しているのか、真っ二つに引き裂かれそうな顔つきで、口許に手をやり、爪をがしがしと、噛んでいた。
「右府が、日向守に殺されるとは、信じられぬ! いったいなぜ、日向守は、主君を弑するなど、いたしたのであろう?」
 宗麟は大声で、叫んでいた。両目は充血し、眉間には深々と皺が刻まれている。一遍に、十も、二十も年を重ねたように、目の周りに、黒々と隈が浮いていた。
 誾千代は、宗麟の心から、焦りの感情を受け取っていた。同時に、深い憂慮も。憂慮の中心は、やはり島津が念頭にあるらしく、宗麟の想念に、丸に十字の、島津の紋所が浮かんでいた。
 道雪は、宗麟の顔を真っ直ぐ見詰め、重々しく口を開いた。
「殿、今、我らが額を寄せたは、日向守の理由をあれこれ、推察するためではなく、これから、我らがどう、動くべきかで、御座ろう。まずは、続報を待つべきでありましょう」
「判っておる!」
 宗麟は渋面を作り、腕を組んだ。
 筑前は、中央からあまりに遠い。後に「本能寺の変」と呼ばれる異変が伝わったのは、十日後であった。これでも、当時としては、驚異的に早かった。
 宗麟は、九州の有力領主の中では、割合、中央の情報に敏感で、陸路だけでなく、海路も利用して、京の情報収集に努めていた。
 いち早く九州において、宣教師と接触を持った理由の一つに、火薬を製造する原料の、硝石を独占する目的があった。が、宣教師と度々、接触を重ねるうち、基督教を信仰するようになったのは、宗麟の新しいもの好きの、性格もある。
 立花城に、宗麟が腰を落ち着けてすぐ、続報が続々と舞い込んできた。京からの情報は、陸路、海路と、次々に逓伝され、赤間関から立花城へともたらされた。
「どうやら、諸将は、情勢眺めの様子で御座るな。明智日向守が主君を討つ、などと、大それた行いに出た以上、軽々しく、動けないので御座ろう」
 京からの手紙に目を通し、道雪は呟いた。
 誾千代は、父親に質問を投げ掛けた。
「明智は、天下を取れるでしょうか?」
「できまいな」
 道雪は、きっぱりと否定した。
「何と申しても、明智は主殺しと後ろ指差される行状を、仕出かしたのじゃ。いかに明智が上手く立ち回ったとしても、必ずや、主君の仇討ちという名目で、明智を討つ者が現れる。首尾よく明智を討ち果たせば、その者が次の天下に一番乗りじゃ!」
 道雪の言葉に、じっと耳を傾けていた宗麟は、ぐっと身を乗り出した。
「では、何者が名乗りを上げるのであろう?」
「はて」
 道雪は宗麟の質問に、首を傾げた。
「明智が右府殿を討とうと考えし理由の一つに、麾下の将が皆、遠方にあり、京に大軍を持っていたのは、明智一人のみと、聞き及びまする。急報が達しましても、すぐに仇討ちは、できますまい」
「猿殿には、できますぞ!」
 頓狂な声が響き、一同は「えっ?」と声の方向に顔を捻じ向けた。
 大広間の入口に、彌七郎がちょこんと顔を覗かせ、薄ら笑いを浮かべていた。
 宗麟は一声「ふむ」と唸ると、彌七郎に向かって、丁寧に話し掛けた。
「彌七郎殿、その〝猿〟殿とは、誰を指すのじゃ?」
 彌七郎はひょこひょこと、小走りに大広間に駆け込むと、ぺたりと遠慮会釈なく、宗麟の目の前に座り込んだ。
「言うまでもなく、織田右府殿の、一番の家来、羽柴筑前守で御座る。筑前守は右府殿の神速を尊ぶ精神を、最も受け継ぐ一番弟子。必ずや、あっと驚くほどの速さで京に一番乗りを果たし、明智日向守を討ち果たすでありましょう!」
 彌七郎は宗麟に向かって、立て板に水と流暢に話しかけていた。誾千代の前では、つっかえつっかえ、一言以上を喋るにも、大汗を掻く始末なのに。
「これ! 彌七郎!」
 紹運が眉を顰め、彌七郎を叱った。
 誾千代が紹運の心を探ると、彌七郎の行動に非常に驚き、焦っていた。察するに、紹運は彌七郎の実父として、息子が主君の宗麟に対し、あまりに馴れ馴れしいと、苦く感じているようだ。
「第一、筑前守は、毛利と決戦中じゃ! 毛利は名だたる中国筋の実力者。中々、筑前守といえど、決着はつかぬわい」
 彌七郎は、シュンとなって項垂れた。
 道雪は誾千代に目配せをした。父親の目付きに、何やら二人だけで話したい気持ちを読み取り、誾千代は早々に大広間を引き下がって、自室で父親を待ち受けた。
 程なく道雪が姿を現し、誾千代に命じて人払いをして、口を開いた。
「其方の寝所に姿を現した忍者、確か、佐田彦四郎と申したな?」
「はい、そのように、名乗りました……父上、まさか、彦四郎が父上の御前に?」
「いや」と道雪は軽く、首を横に振った。
「じゃが、宗麟様の配下に、以前、毛利に仕えていた者がおってな、その者が、佐田彦四郎なる者を、見知っておったわい」
 誾千代の胸は、つい弾んでいた。自分の心に渦巻く、奇妙な衝動に、誾千代は不思議に思った。
「では、彦四郎は、毛利の家来なのでしょうか?」
「そうは申しておらぬ。じゃが、毛利とは、深く繋がっておるようじゃな。過ぐる天正六年、上月城を羽柴筑前守が攻略した際、彦四郎は忍者の一党を率いて、玄妙な働きをしたそうじゃ。人呼んで〝狐狸の変化〟なる異名を響かせておるようじゃ」
 誾千代は、大きく息を吸い込んだ。道雪は、誾千代の顔を、じっと見詰めて、口を開いた。
「彦四郎とやら、目眩ましを得意とする忍者らしい。そのような胡乱な輩は、なるべくなら近付けたくはない。誾千代! 約束してくれ。もしも、彦四郎が再び、其方の目の前に姿を現したなら、すぐに父を呼ぶのだ。よいか、あのような忍者に、心を移してはならぬ!」
 誾千代は、他人の心を読み取る能力を持つ宿命ゆえ、滅多に他人に自分の感情を読み取らせないよう、顔色を変えずにいられる特技を持つ。父親の前で、誾千代は自分の顔色が毛ほども変わっていない自信はあったが、やはり親子らしく、深々と道雪は自分の心を読み取っているのでは、と疑った。
「承知いたしました。彦四郎が姿を見せたなら、すぐに父上を御呼びいたします」
 誾千代は微かに視線を落とし、父親に返事をした。
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