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第三章 初陣
七
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だが、死は訪れなかった。
「ぐえっ!」とくぐもった悲鳴に、誾千代が目を開くと、敵武者の横腹に、深々と槍が突き刺さっていた。
槍を突き入れていたのは、コゲラの重蔵だった。全身を投げ出し、全体重を槍に乗せ、敵武者の横腹にぐりぐりと、槍を突き入れていた。
ぐいっ、と重蔵は、敵武者の横腹に突き刺さった槍を、引き抜いた。
「がはっ!」
どっとばかりに、敵武者の横腹から、鮮血が噴き出した。すとん、と敵武者の膝から力が抜け、尻餅をついて、その場に蹲った。
敵武者の驚愕が、誾千代に痛いほど、伝わってきた。敵武者の、数々の戦いの記憶が、誾千代の想念に映し出されていた。敵武者の回想に、無数の敵の死が映し出されていた。
真っ暗な絶望感が、誾千代に突き刺さった。誾千代は、何とか敵武者の断末魔の足掻きに巻き込まれまいと、必死に心を閉ざした。
「馬鹿な……拙者が雑兵に、このように……まさか……」
ぶつぶつと呟きながら、敵武者は、最後の力を振り絞って、誾千代を見上げた。
「頼む……! せめて、介錯してくれぬか! 雑兵の手に掛かって、死にとうは、ない……っ!」
誾千代は、ただ竦んでいた。目の前で、一人の人間が、たった今、息を引き取ろうとしている! 敵武者の想念に、眼前の誾千代が映し出され、蒼白な自分の顔色を、否がおうにも、意識させられていた。
竦んだままの誾千代を見て、敵武者はぶるぶると震える指で、鎧通を腰から抜き放った。目を閉じ、何とか鎧通を両手で持ち上げ、首にあてがった。
しかし、持ち上げるだけで力を使い果たしたのか、震える両手から、ぽろり、と鎧通が零れ落ちた。その間にも、敵武者の横腹からは、どぼどぼと大量の血液が流れ落ちていた。
「御免! 拙者、城戸甚兵衛知正が、介錯つかまつる!」
のしのしと大股で甚兵衛が近づき、敵武者の背後に立った。甚兵衛は太刀を抜き放ち、頭の上に振り被った。
「かたじけない……!」
敵武者は感謝の視線を甚兵衛に向けると、目を閉じた。
ばさりっ、と甚兵衛が太刀を振り下ろした。ごろり、と敵武者の首が落ち、ころころと誾千代の目の前に転がってきた。
転がってきた敵武者の首を、誾千代はまじまじと見詰めた。敵武者の首は、まだ意識があった。誾千代には、それが判った。
敵武者の目が、誾千代を睨んでいた。
視界が暗闇に包まれ、ようやく、敵武者は死んだ。死の一部始終を体験させられ、誾千代は全身の血液が、凍りつきそうだった。
無言で重蔵が近づき、恐る恐る、甚兵衛に話し掛けた。
「もし……、甚兵衛殿、この首は、いかが、いたしましょう?」
甚兵衛は重蔵に向かって、顔を綻ばせた。
「お主が槍をつけたのじゃ! お主の手柄にするが、良いぞ」
重蔵の顔が、ぱっと明るく弾けた。
「感謝いたしますぞ! 見れば、さぞかし名のある将で御座いましょう! それでは……」
いそいそと首に近づき、布で包んで腰にぶら提げた。相手が武将の場合、首を腰からぶら提げる。これが足軽のような雑兵だったら、鼻を切り取り「これだけ敵を仕留めた」と主張するための、証拠にする。
誾千代は、重蔵が包んだ布を見て、呆れた。
「重蔵、お主が包んだ布は、褌ではないか!」
誾千代の指摘に、重蔵は図太く鼻を擦って、頷いた。
「参候! 何しろ儂は足軽で御座いますからな。中々、上等の布など、持ち合わせて御座いません。まあ、首になった敵で御座いますから、少々臭くとも、不平不満は申しますまい……」
わあっ、という喚声に、誾千代が周囲を見回すと、秋月軍が後退を始めていた。道雪軍の、杏葉紋の旗印が、秋月軍を攻め立て、追撃している。
誾千代が率いた一軍が、秋月軍の中陣を突き破り、形勢が一気に、道雪軍に有利に働いた結果だ。
甚兵衛が声高らかに、宣言した。
「御味方の大勝利で御座る!」
秋月軍は中州の丘から追い落とされ、後に累々と、敵兵の死体が残された。
その時、彌七郎が下馬し、ひょこひょことした歩き方で、地面に倒れ臥している死体に近づいた。
小腰を屈め、死体の匂いを嗅ぐように、顔を近づけた。
ちょい、と指を伸ばし、死体に触った。
ぐっと力を込めるが、死体であるから、反応はない。
当たり前だ。
「うひゃっ!」
彌七郎は、奇妙な叫び声を上げ、両目を煌かせた。ぴょん、と小さく跳躍すると、ぴょこぴょこと死体の間を飛び回って、一人一人を検分していた。
「死んでおる! 死んでおる! うひゃひゃひゃ……、皆、死んでおる!」
節をつけて唄うように呟き、手足を奇態な角度で動かし、舞い踊った。
彌七郎の奇行を、誾千代、甚兵衛、重蔵たちは、茫然と見守っていた。
「ぐえっ!」とくぐもった悲鳴に、誾千代が目を開くと、敵武者の横腹に、深々と槍が突き刺さっていた。
槍を突き入れていたのは、コゲラの重蔵だった。全身を投げ出し、全体重を槍に乗せ、敵武者の横腹にぐりぐりと、槍を突き入れていた。
ぐいっ、と重蔵は、敵武者の横腹に突き刺さった槍を、引き抜いた。
「がはっ!」
どっとばかりに、敵武者の横腹から、鮮血が噴き出した。すとん、と敵武者の膝から力が抜け、尻餅をついて、その場に蹲った。
敵武者の驚愕が、誾千代に痛いほど、伝わってきた。敵武者の、数々の戦いの記憶が、誾千代の想念に映し出されていた。敵武者の回想に、無数の敵の死が映し出されていた。
真っ暗な絶望感が、誾千代に突き刺さった。誾千代は、何とか敵武者の断末魔の足掻きに巻き込まれまいと、必死に心を閉ざした。
「馬鹿な……拙者が雑兵に、このように……まさか……」
ぶつぶつと呟きながら、敵武者は、最後の力を振り絞って、誾千代を見上げた。
「頼む……! せめて、介錯してくれぬか! 雑兵の手に掛かって、死にとうは、ない……っ!」
誾千代は、ただ竦んでいた。目の前で、一人の人間が、たった今、息を引き取ろうとしている! 敵武者の想念に、眼前の誾千代が映し出され、蒼白な自分の顔色を、否がおうにも、意識させられていた。
竦んだままの誾千代を見て、敵武者はぶるぶると震える指で、鎧通を腰から抜き放った。目を閉じ、何とか鎧通を両手で持ち上げ、首にあてがった。
しかし、持ち上げるだけで力を使い果たしたのか、震える両手から、ぽろり、と鎧通が零れ落ちた。その間にも、敵武者の横腹からは、どぼどぼと大量の血液が流れ落ちていた。
「御免! 拙者、城戸甚兵衛知正が、介錯つかまつる!」
のしのしと大股で甚兵衛が近づき、敵武者の背後に立った。甚兵衛は太刀を抜き放ち、頭の上に振り被った。
「かたじけない……!」
敵武者は感謝の視線を甚兵衛に向けると、目を閉じた。
ばさりっ、と甚兵衛が太刀を振り下ろした。ごろり、と敵武者の首が落ち、ころころと誾千代の目の前に転がってきた。
転がってきた敵武者の首を、誾千代はまじまじと見詰めた。敵武者の首は、まだ意識があった。誾千代には、それが判った。
敵武者の目が、誾千代を睨んでいた。
視界が暗闇に包まれ、ようやく、敵武者は死んだ。死の一部始終を体験させられ、誾千代は全身の血液が、凍りつきそうだった。
無言で重蔵が近づき、恐る恐る、甚兵衛に話し掛けた。
「もし……、甚兵衛殿、この首は、いかが、いたしましょう?」
甚兵衛は重蔵に向かって、顔を綻ばせた。
「お主が槍をつけたのじゃ! お主の手柄にするが、良いぞ」
重蔵の顔が、ぱっと明るく弾けた。
「感謝いたしますぞ! 見れば、さぞかし名のある将で御座いましょう! それでは……」
いそいそと首に近づき、布で包んで腰にぶら提げた。相手が武将の場合、首を腰からぶら提げる。これが足軽のような雑兵だったら、鼻を切り取り「これだけ敵を仕留めた」と主張するための、証拠にする。
誾千代は、重蔵が包んだ布を見て、呆れた。
「重蔵、お主が包んだ布は、褌ではないか!」
誾千代の指摘に、重蔵は図太く鼻を擦って、頷いた。
「参候! 何しろ儂は足軽で御座いますからな。中々、上等の布など、持ち合わせて御座いません。まあ、首になった敵で御座いますから、少々臭くとも、不平不満は申しますまい……」
わあっ、という喚声に、誾千代が周囲を見回すと、秋月軍が後退を始めていた。道雪軍の、杏葉紋の旗印が、秋月軍を攻め立て、追撃している。
誾千代が率いた一軍が、秋月軍の中陣を突き破り、形勢が一気に、道雪軍に有利に働いた結果だ。
甚兵衛が声高らかに、宣言した。
「御味方の大勝利で御座る!」
秋月軍は中州の丘から追い落とされ、後に累々と、敵兵の死体が残された。
その時、彌七郎が下馬し、ひょこひょことした歩き方で、地面に倒れ臥している死体に近づいた。
小腰を屈め、死体の匂いを嗅ぐように、顔を近づけた。
ちょい、と指を伸ばし、死体に触った。
ぐっと力を込めるが、死体であるから、反応はない。
当たり前だ。
「うひゃっ!」
彌七郎は、奇妙な叫び声を上げ、両目を煌かせた。ぴょん、と小さく跳躍すると、ぴょこぴょこと死体の間を飛び回って、一人一人を検分していた。
「死んでおる! 死んでおる! うひゃひゃひゃ……、皆、死んでおる!」
節をつけて唄うように呟き、手足を奇態な角度で動かし、舞い踊った。
彌七郎の奇行を、誾千代、甚兵衛、重蔵たちは、茫然と見守っていた。
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