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第二章 切支丹大名
三
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やはり彌七郎は、道雪の想念にあるような、若侍ではなかった。
実際に顔を会わせた聟は、やっと少年の域を脱しつつある年頃だ。手足は細く、頭が大きい。鉢開きの頭に、ほっそりとした顎をしている。両目は、おどおどと落ち着きなく、周囲を見回していた。
すとんと、出し抜けに彌七郎は、誾千代の側に座り込んだ。座り込むと同時に、上目遣いに誾千代を窺っている。
厭な目付きだ……。誾千代は一遍で、この少年に嫌悪感を覚えていた。
誾千代は彌七郎の心に探りを入れていた。探りを入れた瞬間、思わず伸ばしていた心の触手を引っ込めていた。誾千代が嫌悪感を覚えた理由の大半は、彌七郎が伝えてきた心の感触にあった。
これが十二歳の、少年の心だろうか。思わず、誾千代は疑ったほどだ。
干乾び、僅かの潤いも感じなかった。まるで荒野だ。
幾つかの光景が、彌七郎の想念に浮かんでいた。多くは今まで育ってきた城で経験した事柄だろうが、大半が誾千代には吐き気を覚えるほど、殺伐としていた。
彌七郎の視界に、猫や、犬、それも生まれたばかりの仔猫、仔犬が映っている。彌七郎の手が動き、仔猫や、仔犬の首に両手が巻きついていた。両手に力が込められ、小さな生き物の首を締め上げていた。
小さな生き物が舌を突き出し、絶命する様子を、彌七郎は冷静に観察していた。同時に、湧き上がる快感。
彌七郎はこれら、小動物を我が手に掛け、殺す楽しみを堪能していた。しかも、何度も。
誾千代を見る彌七郎の視界に、誾千代の裸体が浮かんでいた。彌七郎の想念に、裸体の誾千代が全身を縛られ、甚振られる光景が浮かんでいた。ふつふつと湧き上がる期待感に、誾千代は大慌てで、彌七郎の心から退散した。
本当に、彌七郎は、今のような光景を実現させるつもりなのだろうか?
誾千代の全身に、ねっとりとした冷や汗が浮かんでいた。
思わず息を詰めていた自分に、誾千代はゆっくりと息を吸い込み、動悸を収めようと、腹に力を入れた。
これが十二歳の少年の、想念だろうか? もう一度、誾千代は先ほどの問い掛けを、自らの心にしていた。
「誾千代姫……いかが致したかな?」
甲高い、宗麟の声に、誾千代は我に帰った。
宗麟は「けけけけ……」と、鳥のような笑い声を上げた。
「さすがの姫も、聟殿を前にしては、ぼんやりとなるのかのう……。のう、道雪殿。聟殿の将来は、楽しみではないかな?」
宗麟に話題を振られ、道雪は畏まった。
「まさに! 彌七郎殿は、兵法については、実に詳しく存じておられると、噂で耳に致しております」
「兵法とな? それは、興味深い!」
ぐっと、宗麟は乗り出し、両目を輝かせた。
兵法、という言葉が道雪の口から発せられた刹那、彌七郎の想念が、ぱっと、輝きを増した。実際の彌七郎の様子も、一変して、胸を張り、頬に赤みが差した。
「それがし、兵法については、少々学んでおります! 道雪殿の幾たびの大戦、大いに興味深く、お聞き致しております」
誾千代は、初めて彌七郎の肉声を耳にした。十二歳の少年らしく、声変わり前の、細く、高い声だった。思ったよりはきはきとしている、と誾千代は感想を持った。
宗麟は熱意を顔に表し、笑顔になった。
「左様か! どのように耳にしておるか、ここで講じてみよ!」
「御命令とあらば……」
誾千代は密かに呆れた。対面の場が、いつの間にか、兵法の講義に変わっている。
そっと、父親の様子を盗み見ると、何と道雪は微苦笑を口に浮かべ、聟となる彌七郎に対し、惚れ惚れとした表情を浮かべていた。よほど父は、目の前の少年に期待感を持っているらしい。
彌七郎は一歩すっと前へ膝をにじらせ、背を反らして息を吸い込んだ。
「では、講じまする。私が講じまするは、ここにおわします戸次道雪殿の、立花城奪還の戦いで御座います。時は永禄十二年、所は多々良浜において、対するは毛利の大将、小早川中務大輔殿!」
おう……! と大広間に居並ぶ家臣たちから、一斉に歓声が沸き上がった。
誾千代は、この場に居合わす全員の心から、戦いに対する熱っぽい想念を受け取っていた。一座の注目を浴び、彌七郎は得意そうだった。
「多々良浜において、毛利方は対陣を続け、立花城を守備しており、大友勢は何としても、この多々良浜を抜くため、決死の戦い。この戦いの先陣に立ったのは、戸次道雪殿! 道雪殿の死に物狂いの猛戦により、さしもの小早川中務大輔殿も堪らず、立花城へと退散いたします」
彌七郎は上体を揺らし、唄うように戦いの様子を物語っていく。大広間の全員が、魅入られたように、十二歳の少年の講義に、聞き入っていた。
ぱん! と彌七郎は、ここが肝心とばかりに、膝を手の平で打った。
「多々良浜において小早川勢は退却しましたが、立花城は堅固な城であり、攻めるに難く、守るに易い難城となります。ここにおいて、大友宗麟様が仕掛ける計略! この計略、孔明の兵略もかくやと思われる見事なもの!」
宗麟の名前が出て、大広間に拍手が巻き起こった。当の宗麟も、頬を赤らめ何度も頷いていた。
「孫子の兵法に、遠交・近攻の策が御座います。この時、宗麟様が採ったのは、この計略で御座いました。周防の大内太郎左衛門殿に兵を与え、反旗を上げさせる計略により、毛利氏は筑前より撤退、立花城は大友氏に奪還される結果となったのであります!」
わあっ、と全員が腰を浮かし、やんやの喝采を上げた。皆、彌七郎の講義に、酔っていた。
興奮の渦中にある、大広間で、誾千代はただ一人、身を固くしていた。真っ直ぐ前を見たまま、唇を噛みしめ、両手を膝に置いて身じろぎもしなかった。
全員、溢れるような好意を、彌七郎という少年に寄せているが、この十二歳の少年がどのような仮面を被っているか、見抜いているのは自分一人だと、改めて、確信したからだ。 暗然とした将来に、誾千代は寒気を感じていた。
実際に顔を会わせた聟は、やっと少年の域を脱しつつある年頃だ。手足は細く、頭が大きい。鉢開きの頭に、ほっそりとした顎をしている。両目は、おどおどと落ち着きなく、周囲を見回していた。
すとんと、出し抜けに彌七郎は、誾千代の側に座り込んだ。座り込むと同時に、上目遣いに誾千代を窺っている。
厭な目付きだ……。誾千代は一遍で、この少年に嫌悪感を覚えていた。
誾千代は彌七郎の心に探りを入れていた。探りを入れた瞬間、思わず伸ばしていた心の触手を引っ込めていた。誾千代が嫌悪感を覚えた理由の大半は、彌七郎が伝えてきた心の感触にあった。
これが十二歳の、少年の心だろうか。思わず、誾千代は疑ったほどだ。
干乾び、僅かの潤いも感じなかった。まるで荒野だ。
幾つかの光景が、彌七郎の想念に浮かんでいた。多くは今まで育ってきた城で経験した事柄だろうが、大半が誾千代には吐き気を覚えるほど、殺伐としていた。
彌七郎の視界に、猫や、犬、それも生まれたばかりの仔猫、仔犬が映っている。彌七郎の手が動き、仔猫や、仔犬の首に両手が巻きついていた。両手に力が込められ、小さな生き物の首を締め上げていた。
小さな生き物が舌を突き出し、絶命する様子を、彌七郎は冷静に観察していた。同時に、湧き上がる快感。
彌七郎はこれら、小動物を我が手に掛け、殺す楽しみを堪能していた。しかも、何度も。
誾千代を見る彌七郎の視界に、誾千代の裸体が浮かんでいた。彌七郎の想念に、裸体の誾千代が全身を縛られ、甚振られる光景が浮かんでいた。ふつふつと湧き上がる期待感に、誾千代は大慌てで、彌七郎の心から退散した。
本当に、彌七郎は、今のような光景を実現させるつもりなのだろうか?
誾千代の全身に、ねっとりとした冷や汗が浮かんでいた。
思わず息を詰めていた自分に、誾千代はゆっくりと息を吸い込み、動悸を収めようと、腹に力を入れた。
これが十二歳の少年の、想念だろうか? もう一度、誾千代は先ほどの問い掛けを、自らの心にしていた。
「誾千代姫……いかが致したかな?」
甲高い、宗麟の声に、誾千代は我に帰った。
宗麟は「けけけけ……」と、鳥のような笑い声を上げた。
「さすがの姫も、聟殿を前にしては、ぼんやりとなるのかのう……。のう、道雪殿。聟殿の将来は、楽しみではないかな?」
宗麟に話題を振られ、道雪は畏まった。
「まさに! 彌七郎殿は、兵法については、実に詳しく存じておられると、噂で耳に致しております」
「兵法とな? それは、興味深い!」
ぐっと、宗麟は乗り出し、両目を輝かせた。
兵法、という言葉が道雪の口から発せられた刹那、彌七郎の想念が、ぱっと、輝きを増した。実際の彌七郎の様子も、一変して、胸を張り、頬に赤みが差した。
「それがし、兵法については、少々学んでおります! 道雪殿の幾たびの大戦、大いに興味深く、お聞き致しております」
誾千代は、初めて彌七郎の肉声を耳にした。十二歳の少年らしく、声変わり前の、細く、高い声だった。思ったよりはきはきとしている、と誾千代は感想を持った。
宗麟は熱意を顔に表し、笑顔になった。
「左様か! どのように耳にしておるか、ここで講じてみよ!」
「御命令とあらば……」
誾千代は密かに呆れた。対面の場が、いつの間にか、兵法の講義に変わっている。
そっと、父親の様子を盗み見ると、何と道雪は微苦笑を口に浮かべ、聟となる彌七郎に対し、惚れ惚れとした表情を浮かべていた。よほど父は、目の前の少年に期待感を持っているらしい。
彌七郎は一歩すっと前へ膝をにじらせ、背を反らして息を吸い込んだ。
「では、講じまする。私が講じまするは、ここにおわします戸次道雪殿の、立花城奪還の戦いで御座います。時は永禄十二年、所は多々良浜において、対するは毛利の大将、小早川中務大輔殿!」
おう……! と大広間に居並ぶ家臣たちから、一斉に歓声が沸き上がった。
誾千代は、この場に居合わす全員の心から、戦いに対する熱っぽい想念を受け取っていた。一座の注目を浴び、彌七郎は得意そうだった。
「多々良浜において、毛利方は対陣を続け、立花城を守備しており、大友勢は何としても、この多々良浜を抜くため、決死の戦い。この戦いの先陣に立ったのは、戸次道雪殿! 道雪殿の死に物狂いの猛戦により、さしもの小早川中務大輔殿も堪らず、立花城へと退散いたします」
彌七郎は上体を揺らし、唄うように戦いの様子を物語っていく。大広間の全員が、魅入られたように、十二歳の少年の講義に、聞き入っていた。
ぱん! と彌七郎は、ここが肝心とばかりに、膝を手の平で打った。
「多々良浜において小早川勢は退却しましたが、立花城は堅固な城であり、攻めるに難く、守るに易い難城となります。ここにおいて、大友宗麟様が仕掛ける計略! この計略、孔明の兵略もかくやと思われる見事なもの!」
宗麟の名前が出て、大広間に拍手が巻き起こった。当の宗麟も、頬を赤らめ何度も頷いていた。
「孫子の兵法に、遠交・近攻の策が御座います。この時、宗麟様が採ったのは、この計略で御座いました。周防の大内太郎左衛門殿に兵を与え、反旗を上げさせる計略により、毛利氏は筑前より撤退、立花城は大友氏に奪還される結果となったのであります!」
わあっ、と全員が腰を浮かし、やんやの喝采を上げた。皆、彌七郎の講義に、酔っていた。
興奮の渦中にある、大広間で、誾千代はただ一人、身を固くしていた。真っ直ぐ前を見たまま、唇を噛みしめ、両手を膝に置いて身じろぎもしなかった。
全員、溢れるような好意を、彌七郎という少年に寄せているが、この十二歳の少年がどのような仮面を被っているか、見抜いているのは自分一人だと、改めて、確信したからだ。 暗然とした将来に、誾千代は寒気を感じていた。
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