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第一章 覚醒
第2話 #悪友 #新感覚
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大学生初日、その午前中は受講の仕方など細かな説明から始まり、その後も大した講義は無く、殆どが説明会の様な時間が過ぎていた。
しかし、盛んにサークル勧誘をしているのがあちらこちらで目立つ。
この大学では部活動では無く、同好会って言うのが多いらしい。
あ、どこでもこんな感じなの?
やはり高校とは大違いだった。
(まあ、とりあえずは昼飯だな……学食を探すか)
大学のパンフにある案内図を開きながら、俺は自分の財布事情をふと思い出した。
すると、途端にちょっとウキウキしてくる。
実は、今日の俺はちょっとしたリッチマンなのだ。
いつもの俺と思ったら大間違いだぞ。
普段よりも大金を持っていると、何でも出来そうな気持になる。
これこそが現金な奴と言うものだろうか。
「なあ悠菜、お前何食べたい?」
「なんでもいい」
(で、ですよね~)
うん、返事は想像できていた。
多少の我儘なら叶えてやれると自負していたが、悠菜が贅沢な我儘を言わないのは分かっている。
だが、この日の俺は珍しく突っ込んでみた。
「今日は新生活の初日だし、俺が奢るから何でも食べたいの言ってくれよ」
今月は俺の誕生日もあるという事で、特別に小遣いを三万円多く貰っていた。
去年は両親の海外生活が始まるとか何とかで、俺の誕生日はうやむやにされていたしな。
それに、今月から月の小遣いがアップしていたのだ。
大学生ってやっぱ凄いぞ。大人って感じだ。
それに先月、念願の自動車免許を取ったばかりで、車も欲しい所だがそれはまだ当然無理だ。
まあ小遣いが上がったと言っても、大学での昼飯代に充てないといけない訳だからな。
下手したら高校時代よりも貧困となる。
(げ……小遣いが上がった訳じゃ無くて、昼飯代貰い始めただけじゃん?)
急に現実味が湧いて来ると、一気に気分が滅入って来る。
やっぱり大学生ってバイトしなきゃ駄目なのかな。
だが、今月だけは三万円多い訳だ。立ち直れ、俺。
「特にない」
「そ、そうかー?」
まあ、そうだろうな。学食ってどこも同じ様なところだろうしな。
どうせならもっと良い店で奢ってやりたいけどさ。
暫くすると、俺達は食堂らしき拓けた場所を見つけた。
「お、ここだな!」
学食を勝手に想像していたが、予想よりも遥かに広い。
広間の中央にテーブルが幾つもあり、それを三方から囲むように色々な店が並んでいた。
「お! なんだか凄いぞ、悠菜!」
「そう?」
妙にテンションが上がってしまったが、悠菜は特に興味はなさそうだ。
だが、俺の感性に目の前の光景はビンビンと刺激して来る。
「いやいや! これは中々! めっちゃ凄く無いか⁉」
この大学の付属高校へ通っていたのだが、高校の校舎が隣の町にあった事もあり、今までここへは来た事が無かった。
最近の大型商業施設では、セルフサービス形式の屋台共有スペースがあったりするが、まさにそれだ。
(これがフードコートってやつ?)
手前にある店から順番に見て廻ろうと歩き出すと、何だか妙に浮き浮きして来た。
(ここはカレー屋だな!)
本格的なスパイスの香りが食欲をそそる。
どうやらライスの代わりにナンをチョイス出来る様だ。
更にウインナーやらゆで卵やら、色々とトッピングできるらしい。
まるで、カレー専門大型チェーン店のGOGO壱だな。
カレーには色々とこだわる人も多いが、一つにルウの硬さも好みが分かれません?
サラッとした水っぽいルウとか、トロリとした硬さのルウもあるが、一説には日本最初のルウはサラッとしていたらしい。
一般にカレーが普及されると、当時の軍隊食堂でも提供されるようになったのだが、海上の船上ではこぼれにくい、とろみの付いたルウにしたらしい。
それが海軍カレーの人気の発端とも言われている。
俺は少し硬めのルウが好みだ。と言うより、ボソボソしたルウでも文句は無い。
ルウの程よい塊に、ご飯を絡めて戴く一口は、俺に最高の至福を齎してくれる。
「俺、カレーにしよっかな!」
「ここ?」
「んーどうしようかー?」
悠菜が俺を見てそう聞くが、こんなあっけなく決めていいものかと、若干躊躇っていた。
空腹時にカレーの匂いは反則だよな。
その場で辺りを見廻して、目につく店舗に目を凝らすが、俺の思考能力を著しく下げてしまう。
ある蕎麦屋のランチタイムでは、店内の客がカレー南蛮を注文すると、後から来店して来た客の過半数が、そのカレー南蛮かカレーライスを注文すると言う。
店内に入った時のカレーのスパイスが、その香りによって脳に刺激を与えるらしい。
そして今の俺はこの場から離れられなくなった。
まだ他にも色々な店が並んでいると言うのに……。
だがもうここから離れる気など無かった。
「よし、カレーにする!」
「わかった」
俺がそう言った途端、悠菜は即答したかと思うと、店のカウンター内に立つ店員さんへ注文しだした。
「ビーフカレーの並をフラットブレッドで、卵サラダとアイスミルクティーのセットで下さい」
(はえーな、おい! しかもフラットブレッドって何っ⁉)
悠菜のオーダーする声が聞こえてはいたが、その時の俺はまだトッピングで悩んでいた。
あれこれ頭の中で想像してみる。
悠菜はサラダセットか……飲み物も付いてるんだな。
でも、俺はトッピングもしたいな。
ウインナーにするか?
いや、ここはコロッケかメンチもいいな!
でも、悠菜の言ってたフラットブレッドって何だっ⁉
その時、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。
「きりしまぁー! お前、もう来てたのかよー! あちこち探してたよ!」
聞き覚えのある声に振り向くと、高校が一緒だった友人が一人近寄ってきた。
こいつは鈴木茂。その存在を今日は忘れていた。
確かこいつは、俺とは別の学科を専攻していた筈だったからだ。
「ああ、見渡したけど見かけなかったぞ?」
すっかり存在を忘れていたが、そう答えておく。
こいつは何かと俺に纏わりつく事があるが、大体の目当ては悠菜か愛美だからな。
そう言えば――。
初めてこいつと出会った頃、日本中に自分と同姓同名が数多く居る事を、何故か目を輝かせて自慢げに話していた事があった。
しかしその翌年、今度はその事を嘆いてみたりと、何かと面倒な一面もある。
ま、嫌いな奴では無いが。
「あ! ゆうなたん、カレーにしたの? んじゃ、おれもー! 店員さん、俺もこちらの彼女と同じ奴ね! それから、代金はこっちの奴と同じで!」
ゆうなたんって何だよ……。
大学生になったから、たん呼びにかえたのか?
おかしくね?
鈴木は俺に背中を向けたまま、親指でクイッと指しやがった。
しかも、こいつにまで俺が昼飯を奢る訳?
やっぱり面倒な奴だなこいつ。
「しかしお前さ、いつも悠菜さんと一緒で羨ましいぞ!」
「はいはい」
「で、飯は頼んだのか?」
「まだ、これからだよ」
「早く頼みなさい! 昼休みは永遠じゃないのだよ?」
何言ってんだかな、こいつは。
「さ、注文が済んだ私達は、あそこの席へ行きましょう!」
そう言うと適当な席を指さした。
悠菜はチラッとこちらを見たが、俺が『ああ、分かったよ』と軽く手を上げたのを見ると、そのまま席へ向かっていった。
いつも俺の近くに居るからな悠菜って。
何だろう、別に付き合っている訳でもない。
幼馴染ってだけ。昔からずっと一緒だよな。
そんな事を思いながら、店員さんへ注文する。
「俺はポークカレーをライス二百で、メンチをトッピングして下さい。それとアイスコーヒーで」
「それでしたら、サラダの代わりにメンチをセットに出来ますが?」
「そうなんですか⁉ じゃあ、それでお願いします!」
「畏まりましたー」
おお! これは⁉
注文を終えたその時、レジ横にある告知ボードに目を奪われた。
学生証を提示すれば、提示価格の七割引きだと書いてあるでは無いか。
「お会計は三名様ご一緒で宜しいのですか?」
「ええ。一緒でお願いします」
七割引きって事は……おお!
三人分のランチが千円程度で済む。
この時こそ、この大学へ入学して本当に良かったと、そう心から思えた瞬間だった。
しかし、この割引率は有難い。
俺にとっては天国の様だ。
そして三人分の代金と引き換えに手渡された、四角いエアコンのリモコンみたいなもの。
アルファベット表記と数字が書いてある他、特にボタンなどはない。
こいつがオーダーが出来上がると音を鳴らすらしい。
「お、来た来た! 霧島、こっちだー!」
「おお、ここって、結構人が居るんだな」
「ああ、そうだな~。よし、三人で記念の写真撮ろうぜ!」
「何の記念だよ」
「はー? お前なー、今日初日だろー? 今日と言う日は二度と来ないんだぞ?」
「え? ま、まあそうだけど」
「さ、さ、悠菜ちゃんも一緒に! いくよー?」
そう言って鈴木は、携帯を持つ手を精一杯伸ばしてシャッターを切る。
「あー失敗! もう一枚!」
「それより、どうして俺がお前に、飯奢らなきゃならないんだ?」
「よし、おっけー! 奢ってくれたお礼に、後でお前にも送ってやるから」
「あ、ああ、ありがと? ちげーよっ!」
席へ座りながら周りを見渡すと、かなりの人が食事をしていた。
中には小さな子供を連れた、母親集団もあちこちに居たりする。
これがママ友ランチ会と呼ばれるものなのか。
まだ若いお母さんも多いんだな。
あっちの子供を連れたお母さん、俺らと同じ年位じゃないか?
流石に沙織さんより若そうだが、沙織の美しさには程遠いな。
(ふっふっふっ)
何故か勝った気分になり、自然と口元が緩んでしまう。
しかし、ここは学生じゃなくても、誰でも利用出来る様だな。
近所の人や、用事でこの近くまで来たついでに、誰もがここで食事が出来る訳か。
店の種類も豊富だし、色々選べて最高じゃん!
あ、今更思ったが、何も同じ店で注文しなくても良かったな。
どこで注文しても、一緒のテーブルで食べる事が出来る訳だし……。
「ねえ、悠菜さん! この後の説明会、何処から行く予定?」
「無機化学」
「あ、そうなの⁉ じゃあ一緒に回ろうよ!」
目の前では、鈴木が悠菜のご機嫌をとっている。
今の鈴木に犬の尻尾でもあれば、きっとブンブン振ってるんだろうな。
「悠斗と共に」
「あ、そ、そうだよね……じゃあ、俺も一緒に行こうかな~」
「そこは関与しない」
「あ……はい……」
やっぱり今日も無駄だったな。
鈴木の尻尾が動きを止めて、下にだらーんと下がったかと思うと、今は後ろ足の間に捲きついている。
あ、いや、これは俺の想像ね。
だが鈴木は毎回、ああやって苦戦していた。
なんせ悠菜だよ?
あの無関心、無表情な悠菜だよ?
悠菜が鈴木に、笑顔で合わせる事は決してないだろう。
社交辞令など悠菜の行動パターンには無いのだ。
案の定、鈴木の心が折れかけた頃、テーブルの上に置かれた機械がピーピーと鳴り出した。
「お、鳴ったな」
「よ、よし、俺も一緒に取りに行くよ霧島!」
鈴木の引きつっていた苦笑が、瞬時にホッとした様な救われた表情に変わる。
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
少しにやけてしまったが、そう答えて立ち上がった、その時だった。
目の前に座って居た悠菜が、素早く俺の背後へ移動したと同時に、背後から小さな悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
(え?)
慌てて振り返って見ると、トレイを持った女の子がいたのだ。
そして手にしていたトレイを、何とかひっくり返さずに済んだ様だ。
悠菜がその子のトレイを両手でしっかりと支えていたのだ。
悠菜めっちゃ早く動いたよなっ⁉
どうやら俺が立ち上がった時に、後ろに居た人にぶつかりそうだったのだ。
「あ! ごめん、大丈夫⁉」
俺はそれに気づくと、慌てて謝っていた。
「あ、はい、大丈夫です」
「本当にごめん!」
「いえいえ。でも、びっくりした~」
「そうだよね」
「ひっくり返さなくて良かった~あの、どうもありがとうございます」
そう言って彼女は、トレイを支えてくれていた悠菜に頭を下げたが、悠菜は無言のまま頷くとその場を離れ、無表情のまま元の席に座った。
(全く悠菜は愛想が無いんだから! こんな時ぐらい……まあ無理か)
彼女の持っていたトレイに乗ったスープやら飲み物を、俺は危うく頭から被る所だったのか。
どうやらそれを悠菜が助けてくれた様だ。
その彼女は笑顔を見せてくれているが、改めて見ると綺麗な顔立ちをした女の人だ。
スタイルもいいし、凄くいい匂いがした。
その時だった。
突然、俺の脳裏に彼女の情報が入って来た。
ぬぉっ⁉
簡単に言うと、PCにダウンロードしてインストールされた様な感じ。
今は視界の横にその人の名前は無いが、シリアルコードの様なモノと染色体やDNA情報等が羅列されている。
一瞬焦ったが、特に俺の身体には問題無い様だ。
だが、こんな事は今まで経験した事が無いと思う。
内心は動揺しながらもその人を見た。
妹達とも違う、大人の女性って感じか?
もしかしたら、この大学の先輩かも知れない。
そこに、すかさず鈴木が割って入って来る。
「お嬢さん、うちの霧島が失礼しました! 是非、お詫びしたいのでお名前だけでも!」
おいおい!
俺はお前の部下か下部か?
「え? 別にいいよお、何でもなかったし……」
「いえいえいえ、そうおっしゃらずに、せめてお名前をおおおおお――」
その子は苦笑いしながらも、トレイを持ったまま一歩二歩と後退る。
うん、今のうちに逃げた方がいい。
あ、目を合わせたら駄目だよ。
「さあ、カレーが待ってるよ、鈴木」
彼女に迫る鈴木の後ろ襟を掴み、もう片手でその子に手を振る。
もう行った方が良い、そして振り返ったら駄目だ。
俺の意を察したその子は、軽く会釈をして離れて行った。
ああ、本当にめんどくさい。
これから毎日こんなのが続くのか……。
それよりも、さっきの人に会った時のあの感じは何だったんだろう。
新感覚というか、経験した事も無いあの状態を思い出していた。
しかし、盛んにサークル勧誘をしているのがあちらこちらで目立つ。
この大学では部活動では無く、同好会って言うのが多いらしい。
あ、どこでもこんな感じなの?
やはり高校とは大違いだった。
(まあ、とりあえずは昼飯だな……学食を探すか)
大学のパンフにある案内図を開きながら、俺は自分の財布事情をふと思い出した。
すると、途端にちょっとウキウキしてくる。
実は、今日の俺はちょっとしたリッチマンなのだ。
いつもの俺と思ったら大間違いだぞ。
普段よりも大金を持っていると、何でも出来そうな気持になる。
これこそが現金な奴と言うものだろうか。
「なあ悠菜、お前何食べたい?」
「なんでもいい」
(で、ですよね~)
うん、返事は想像できていた。
多少の我儘なら叶えてやれると自負していたが、悠菜が贅沢な我儘を言わないのは分かっている。
だが、この日の俺は珍しく突っ込んでみた。
「今日は新生活の初日だし、俺が奢るから何でも食べたいの言ってくれよ」
今月は俺の誕生日もあるという事で、特別に小遣いを三万円多く貰っていた。
去年は両親の海外生活が始まるとか何とかで、俺の誕生日はうやむやにされていたしな。
それに、今月から月の小遣いがアップしていたのだ。
大学生ってやっぱ凄いぞ。大人って感じだ。
それに先月、念願の自動車免許を取ったばかりで、車も欲しい所だがそれはまだ当然無理だ。
まあ小遣いが上がったと言っても、大学での昼飯代に充てないといけない訳だからな。
下手したら高校時代よりも貧困となる。
(げ……小遣いが上がった訳じゃ無くて、昼飯代貰い始めただけじゃん?)
急に現実味が湧いて来ると、一気に気分が滅入って来る。
やっぱり大学生ってバイトしなきゃ駄目なのかな。
だが、今月だけは三万円多い訳だ。立ち直れ、俺。
「特にない」
「そ、そうかー?」
まあ、そうだろうな。学食ってどこも同じ様なところだろうしな。
どうせならもっと良い店で奢ってやりたいけどさ。
暫くすると、俺達は食堂らしき拓けた場所を見つけた。
「お、ここだな!」
学食を勝手に想像していたが、予想よりも遥かに広い。
広間の中央にテーブルが幾つもあり、それを三方から囲むように色々な店が並んでいた。
「お! なんだか凄いぞ、悠菜!」
「そう?」
妙にテンションが上がってしまったが、悠菜は特に興味はなさそうだ。
だが、俺の感性に目の前の光景はビンビンと刺激して来る。
「いやいや! これは中々! めっちゃ凄く無いか⁉」
この大学の付属高校へ通っていたのだが、高校の校舎が隣の町にあった事もあり、今までここへは来た事が無かった。
最近の大型商業施設では、セルフサービス形式の屋台共有スペースがあったりするが、まさにそれだ。
(これがフードコートってやつ?)
手前にある店から順番に見て廻ろうと歩き出すと、何だか妙に浮き浮きして来た。
(ここはカレー屋だな!)
本格的なスパイスの香りが食欲をそそる。
どうやらライスの代わりにナンをチョイス出来る様だ。
更にウインナーやらゆで卵やら、色々とトッピングできるらしい。
まるで、カレー専門大型チェーン店のGOGO壱だな。
カレーには色々とこだわる人も多いが、一つにルウの硬さも好みが分かれません?
サラッとした水っぽいルウとか、トロリとした硬さのルウもあるが、一説には日本最初のルウはサラッとしていたらしい。
一般にカレーが普及されると、当時の軍隊食堂でも提供されるようになったのだが、海上の船上ではこぼれにくい、とろみの付いたルウにしたらしい。
それが海軍カレーの人気の発端とも言われている。
俺は少し硬めのルウが好みだ。と言うより、ボソボソしたルウでも文句は無い。
ルウの程よい塊に、ご飯を絡めて戴く一口は、俺に最高の至福を齎してくれる。
「俺、カレーにしよっかな!」
「ここ?」
「んーどうしようかー?」
悠菜が俺を見てそう聞くが、こんなあっけなく決めていいものかと、若干躊躇っていた。
空腹時にカレーの匂いは反則だよな。
その場で辺りを見廻して、目につく店舗に目を凝らすが、俺の思考能力を著しく下げてしまう。
ある蕎麦屋のランチタイムでは、店内の客がカレー南蛮を注文すると、後から来店して来た客の過半数が、そのカレー南蛮かカレーライスを注文すると言う。
店内に入った時のカレーのスパイスが、その香りによって脳に刺激を与えるらしい。
そして今の俺はこの場から離れられなくなった。
まだ他にも色々な店が並んでいると言うのに……。
だがもうここから離れる気など無かった。
「よし、カレーにする!」
「わかった」
俺がそう言った途端、悠菜は即答したかと思うと、店のカウンター内に立つ店員さんへ注文しだした。
「ビーフカレーの並をフラットブレッドで、卵サラダとアイスミルクティーのセットで下さい」
(はえーな、おい! しかもフラットブレッドって何っ⁉)
悠菜のオーダーする声が聞こえてはいたが、その時の俺はまだトッピングで悩んでいた。
あれこれ頭の中で想像してみる。
悠菜はサラダセットか……飲み物も付いてるんだな。
でも、俺はトッピングもしたいな。
ウインナーにするか?
いや、ここはコロッケかメンチもいいな!
でも、悠菜の言ってたフラットブレッドって何だっ⁉
その時、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。
「きりしまぁー! お前、もう来てたのかよー! あちこち探してたよ!」
聞き覚えのある声に振り向くと、高校が一緒だった友人が一人近寄ってきた。
こいつは鈴木茂。その存在を今日は忘れていた。
確かこいつは、俺とは別の学科を専攻していた筈だったからだ。
「ああ、見渡したけど見かけなかったぞ?」
すっかり存在を忘れていたが、そう答えておく。
こいつは何かと俺に纏わりつく事があるが、大体の目当ては悠菜か愛美だからな。
そう言えば――。
初めてこいつと出会った頃、日本中に自分と同姓同名が数多く居る事を、何故か目を輝かせて自慢げに話していた事があった。
しかしその翌年、今度はその事を嘆いてみたりと、何かと面倒な一面もある。
ま、嫌いな奴では無いが。
「あ! ゆうなたん、カレーにしたの? んじゃ、おれもー! 店員さん、俺もこちらの彼女と同じ奴ね! それから、代金はこっちの奴と同じで!」
ゆうなたんって何だよ……。
大学生になったから、たん呼びにかえたのか?
おかしくね?
鈴木は俺に背中を向けたまま、親指でクイッと指しやがった。
しかも、こいつにまで俺が昼飯を奢る訳?
やっぱり面倒な奴だなこいつ。
「しかしお前さ、いつも悠菜さんと一緒で羨ましいぞ!」
「はいはい」
「で、飯は頼んだのか?」
「まだ、これからだよ」
「早く頼みなさい! 昼休みは永遠じゃないのだよ?」
何言ってんだかな、こいつは。
「さ、注文が済んだ私達は、あそこの席へ行きましょう!」
そう言うと適当な席を指さした。
悠菜はチラッとこちらを見たが、俺が『ああ、分かったよ』と軽く手を上げたのを見ると、そのまま席へ向かっていった。
いつも俺の近くに居るからな悠菜って。
何だろう、別に付き合っている訳でもない。
幼馴染ってだけ。昔からずっと一緒だよな。
そんな事を思いながら、店員さんへ注文する。
「俺はポークカレーをライス二百で、メンチをトッピングして下さい。それとアイスコーヒーで」
「それでしたら、サラダの代わりにメンチをセットに出来ますが?」
「そうなんですか⁉ じゃあ、それでお願いします!」
「畏まりましたー」
おお! これは⁉
注文を終えたその時、レジ横にある告知ボードに目を奪われた。
学生証を提示すれば、提示価格の七割引きだと書いてあるでは無いか。
「お会計は三名様ご一緒で宜しいのですか?」
「ええ。一緒でお願いします」
七割引きって事は……おお!
三人分のランチが千円程度で済む。
この時こそ、この大学へ入学して本当に良かったと、そう心から思えた瞬間だった。
しかし、この割引率は有難い。
俺にとっては天国の様だ。
そして三人分の代金と引き換えに手渡された、四角いエアコンのリモコンみたいなもの。
アルファベット表記と数字が書いてある他、特にボタンなどはない。
こいつがオーダーが出来上がると音を鳴らすらしい。
「お、来た来た! 霧島、こっちだー!」
「おお、ここって、結構人が居るんだな」
「ああ、そうだな~。よし、三人で記念の写真撮ろうぜ!」
「何の記念だよ」
「はー? お前なー、今日初日だろー? 今日と言う日は二度と来ないんだぞ?」
「え? ま、まあそうだけど」
「さ、さ、悠菜ちゃんも一緒に! いくよー?」
そう言って鈴木は、携帯を持つ手を精一杯伸ばしてシャッターを切る。
「あー失敗! もう一枚!」
「それより、どうして俺がお前に、飯奢らなきゃならないんだ?」
「よし、おっけー! 奢ってくれたお礼に、後でお前にも送ってやるから」
「あ、ああ、ありがと? ちげーよっ!」
席へ座りながら周りを見渡すと、かなりの人が食事をしていた。
中には小さな子供を連れた、母親集団もあちこちに居たりする。
これがママ友ランチ会と呼ばれるものなのか。
まだ若いお母さんも多いんだな。
あっちの子供を連れたお母さん、俺らと同じ年位じゃないか?
流石に沙織さんより若そうだが、沙織の美しさには程遠いな。
(ふっふっふっ)
何故か勝った気分になり、自然と口元が緩んでしまう。
しかし、ここは学生じゃなくても、誰でも利用出来る様だな。
近所の人や、用事でこの近くまで来たついでに、誰もがここで食事が出来る訳か。
店の種類も豊富だし、色々選べて最高じゃん!
あ、今更思ったが、何も同じ店で注文しなくても良かったな。
どこで注文しても、一緒のテーブルで食べる事が出来る訳だし……。
「ねえ、悠菜さん! この後の説明会、何処から行く予定?」
「無機化学」
「あ、そうなの⁉ じゃあ一緒に回ろうよ!」
目の前では、鈴木が悠菜のご機嫌をとっている。
今の鈴木に犬の尻尾でもあれば、きっとブンブン振ってるんだろうな。
「悠斗と共に」
「あ、そ、そうだよね……じゃあ、俺も一緒に行こうかな~」
「そこは関与しない」
「あ……はい……」
やっぱり今日も無駄だったな。
鈴木の尻尾が動きを止めて、下にだらーんと下がったかと思うと、今は後ろ足の間に捲きついている。
あ、いや、これは俺の想像ね。
だが鈴木は毎回、ああやって苦戦していた。
なんせ悠菜だよ?
あの無関心、無表情な悠菜だよ?
悠菜が鈴木に、笑顔で合わせる事は決してないだろう。
社交辞令など悠菜の行動パターンには無いのだ。
案の定、鈴木の心が折れかけた頃、テーブルの上に置かれた機械がピーピーと鳴り出した。
「お、鳴ったな」
「よ、よし、俺も一緒に取りに行くよ霧島!」
鈴木の引きつっていた苦笑が、瞬時にホッとした様な救われた表情に変わる。
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
少しにやけてしまったが、そう答えて立ち上がった、その時だった。
目の前に座って居た悠菜が、素早く俺の背後へ移動したと同時に、背後から小さな悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
(え?)
慌てて振り返って見ると、トレイを持った女の子がいたのだ。
そして手にしていたトレイを、何とかひっくり返さずに済んだ様だ。
悠菜がその子のトレイを両手でしっかりと支えていたのだ。
悠菜めっちゃ早く動いたよなっ⁉
どうやら俺が立ち上がった時に、後ろに居た人にぶつかりそうだったのだ。
「あ! ごめん、大丈夫⁉」
俺はそれに気づくと、慌てて謝っていた。
「あ、はい、大丈夫です」
「本当にごめん!」
「いえいえ。でも、びっくりした~」
「そうだよね」
「ひっくり返さなくて良かった~あの、どうもありがとうございます」
そう言って彼女は、トレイを支えてくれていた悠菜に頭を下げたが、悠菜は無言のまま頷くとその場を離れ、無表情のまま元の席に座った。
(全く悠菜は愛想が無いんだから! こんな時ぐらい……まあ無理か)
彼女の持っていたトレイに乗ったスープやら飲み物を、俺は危うく頭から被る所だったのか。
どうやらそれを悠菜が助けてくれた様だ。
その彼女は笑顔を見せてくれているが、改めて見ると綺麗な顔立ちをした女の人だ。
スタイルもいいし、凄くいい匂いがした。
その時だった。
突然、俺の脳裏に彼女の情報が入って来た。
ぬぉっ⁉
簡単に言うと、PCにダウンロードしてインストールされた様な感じ。
今は視界の横にその人の名前は無いが、シリアルコードの様なモノと染色体やDNA情報等が羅列されている。
一瞬焦ったが、特に俺の身体には問題無い様だ。
だが、こんな事は今まで経験した事が無いと思う。
内心は動揺しながらもその人を見た。
妹達とも違う、大人の女性って感じか?
もしかしたら、この大学の先輩かも知れない。
そこに、すかさず鈴木が割って入って来る。
「お嬢さん、うちの霧島が失礼しました! 是非、お詫びしたいのでお名前だけでも!」
おいおい!
俺はお前の部下か下部か?
「え? 別にいいよお、何でもなかったし……」
「いえいえいえ、そうおっしゃらずに、せめてお名前をおおおおお――」
その子は苦笑いしながらも、トレイを持ったまま一歩二歩と後退る。
うん、今のうちに逃げた方がいい。
あ、目を合わせたら駄目だよ。
「さあ、カレーが待ってるよ、鈴木」
彼女に迫る鈴木の後ろ襟を掴み、もう片手でその子に手を振る。
もう行った方が良い、そして振り返ったら駄目だ。
俺の意を察したその子は、軽く会釈をして離れて行った。
ああ、本当にめんどくさい。
これから毎日こんなのが続くのか……。
それよりも、さっきの人に会った時のあの感じは何だったんだろう。
新感覚というか、経験した事も無いあの状態を思い出していた。
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魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。
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夢幻の錬金術師 ~【異空間収納】【錬金術】【鑑定】【スキル剥奪&付与】を兼ね備えたチートスキル【錬金工房】で最強の錬金術師として成り上がる~
青山 有
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女神の助手として異世界に召喚された厨二病少年・神薙拓光。
彼が手にしたユニークスキルは【錬金工房】。
ただでさえ、魔法があり魔物がはびこる危険な世界。そこを生産職の助手と巡るのかと、女神も頭を抱えたのだが……。
彼の持つ【錬金工房】は、レアスキルである【異空間収納】【錬金術】【鑑定】の上位互換機能を合わせ持ってるだけでなく、スキルの【剥奪】【付与】まで行えるという、女神の想像を遥かに超えたチートスキルだった。
これは一人の少年が異世界で伝説の錬金術師として成り上がっていく物語。
※カクヨムにも投稿しています
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
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【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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