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僕は生まれた時から中途半端な存在だった。
第七王子という、スペアにもならない存在。
寧ろ変に王族という権力を持ってしまっているから、いずれは跡目争いの邪魔にならないようにひっそりと降ろされる予定だ。
つまりは要らない存在。
兄達も僕を見下しているし、なんなら城勤めの人達からだって軽く見られているんじゃないだろうか。

貴族令息や令嬢達だって、僕と縁を結んだ所でどうにもならないと分かっているから特に深く関わろうともしない。
ま、それで良いんじゃないとも思ってた。
最悪平民に降ろされる可能性だってあるから、王家の秘密すら教えてもらえてないし。
顔の良い陛下と顔の良い王女様のおかげで、僕の顔は自惚れてしまう程には良い。
最終的に去勢はされるらしいけど性行為はちゃんとできるらしいから、基盤ができるまでは身体で稼いでも良いかもしれない。
口さがない連中のおかげですっかりませた僕は、12歳までは本気でそう生きようとした。

でもそれを改めたのは、彼女との出会いだった。

彼女との出会いは、王宮の中で唯一一般開放されている図書館でだった。
一般開放と言っても、貴族か本当に利用できるのは王族と取引のできる商人の一部だけだが。
兎に角、通常よりは少し間口の広い図書館のおかげで、僕は彼女と出会うことができたのだった。
とはいっても、最初は特に気にしてなかった。

カラスみたいに真っ黒な、適当に伸ばして簡単に結ばれただけの髪。
本に隠された顔も、ちょっと覗いてみたけれど別に可愛い訳でも美人な訳でもない。
寧ろ一重で小さい目に低い鼻は、平民に紛れても分からなくなりそうな程には普通だった。
それでも、わざわざ覗き込む程に気になったのは、彼女の鈍さだ。

別に足音を立てた訳でもないのに、本から顔を上げることなく読み進めている。
これが他の貴族ならば不敬罪で殺されてしまうよと思いながらわざと音を立てて椅子を引く。
図書館の静かな空間に耳障りなその音は高らかに響いたのに、それでも彼女は顔を上げることをしなかった。
本当に、気付いていないのだろう。
寧ろこっちが心配してしまう程の鈍さに、僕はそのまま引いた椅子に座って彼女を観察してみる。

恐らくは僕と同じ歳位であろうこの子は、一体どこの子供なのだろうか。

ただ僕達二人の呼吸と彼女が紙を捲る音だけが響く空間で、僕はぼんやりと考えた。
時折楽しそうに弛む瞳に、一体その本にどんな楽しいことが書いているのだろうかとも思う。
手にしている本は小さな子供でも知っている有名な冒険譚。
大人達から聞き過ぎてもはや飽き飽きする程の冒険譚に、彼女は表情だけで驚いたり悲しんだり笑ったりと忙しない。
そんなに楽しいものだったろうか。

確か僕の部屋にも一冊あった筈だから、寝る前にもう一度見てみようか。

そう思っていると、本を閉じる音と彼女の満足げな吐息が聞こえた。
どうやら読み終わったらしい。
未だ目の前に居る僕に気付くことなく、彼女は嬉しそうに本の表紙を優しく撫でている。

「その話、好きなの?」
「………えっ?」

あまりにも気付かないのでなんだかおかしくなってしまって思わず普通に話しかければ、先程時々見せていた驚愕の表情を浮かべた彼女と視線が合う。
誰も居ないと、本気で思い込んでいたんだろうな。
じわじわと赤くなっていく顔が、可愛い。
そう。
凡庸で………どちらかといえばな彼女を、僕は確かに可愛いと思えたのだ。

「あの、もうしわけございません………気付かなかったとはいえ、ご挨拶もできずに………」

彼女の身体が、小刻みに震える。
困ったな。
そんな顔をさせたい訳じゃなかったんだけど………

「ううん、大丈夫。とはいえ、気を付けた方が良いと思うけど。」

フォローのつもりで言った言葉に、彼女の身体が更に強張ってしまう。
しまった、嫌味に聞こえてしまったか。
申し訳ございませんと震えて俯く彼女に、どうやったら笑顔になってもらえるか必死に考える。
僕が黙る時間が長ければ長い程彼女が怯えることは分かっているのに、肝心な言葉が何一つ思い浮かばない。

「あ、あの、その本好き?すごく真剣に読んでたけど、どの場面が好き?」

僕は馬鹿か?
自分でもそう思うが、その時はなんとか彼女に抱いてもらう印象を良くしようと必死だったんだ。
しかも12歳の子供が思いつく口説き文句なんて、限りがある。
そう。
これはまさに、口説き文句だった。
人生初の口説き文句。

「………お姫様、が、ドレスをおくられるところ、です。」

恐怖でほろほろと涙を流しながら、それでも彼女は質問に答えてくれた。
それは冒険譚の中で、主人公の王子が隣国の姫に自らがデザインしたドレスを贈ってプロポーズした場面だ。
恐らく、彼女が一番嬉しそうな表情をしていた場面がそこなのだろう。

「どうして?」
「どうしてって………王子様が、お姫様のこと、すごくいっしょうけんめい考えてたから、です………」

辛そうに、それでも律儀に彼女が小さな声で答える。
多分、僕との会話は苦痛でしかないのだろう。
でも僕はどうしても、彼女の傍に居たいのだと我を通してしまって。
ほろほろと流れる涙は止まらない。
どうしてうまくいかないのだろうか。
ただ、笑って欲しいだけなのに。

「教えてくれてありがとう。ごめんね、怖がらせて。」

本当はもっと聞きたかった。
でも多分、今の印象がマイナスな僕では無理だろう。
そっとハンカチを差し出しても、更に怯えた目を向けられる僕では。

………今名乗れば、彼女はもっと怯えてしまうだろう。

ただでさえ彼女は見ず知らずの貴族を長時間無視する形になったことで、不敬罪で罰せられるかもと怯えているだろうから。
ここで馬鹿正直に王族だと名乗ってしまおうものならば、更に怯えさせてしまう。
どうすればリカバリーできる?
考えろ。
考えろ、僕。

「ミリア。ミリアー。どこに行ったんだ?」

必死に頭を悩ませていると、控えめな、それでも静かな空間ではよく通る少年の声が聞こえた。
一体誰なのだろうか。
そう思いながら声のする方を振り返ろうとして、彼女の瞳が若干安堵に揺れたことに気付く。
この声の子は、知り合い?
一体、誰?
君の何?

「ミリア、ここに居るのか?そろそろ………っ!」

背後から聞こえる少年の声が、僕が振り返ると同時に強張る。
恐らく彼は、僕が誰だか分かっているのだろう。
そうなると高位貴族の子か?
下位貴族からは認識すらされてないからな。

「これはフィルナンド第七王子様!御前を失礼致します!」

案の定、僕に臣下の礼をとって、少年は青褪めた顔でそう言った。
小さく彼女が息を吞む音が聞こえる。
嗚呼、だから名乗りたくなかったのに。

「………君は?」
「はい!私はヴェルネス子爵の子、ケイネルと申します。」

子爵令息か。
意外だ。
覚えてなくても良い第七王子の存在を、教える子爵が居たのだな。

「そうか。面を上げろ。ついでに発言も許す。」

そうなるとめんどくさい。
わざわざ僕に臣下の礼をとる程の堅物だ。
許してやらないと、いつまでも黙って頭を下げ続けるんだろう。
嗚呼。僕の印象がどんどん悪くなっていく。

「ありがたきお言葉。それで、その………ミリア男爵令嬢が、何か。」

ミリア。
それが彼女の名前か。
男爵なのか。
彼女の口から聞きたかったことが、この男からだと聞いているという事実にイライラしてくる。
そもそもなんでそんなに親しげなんだ?

「いや、僕が驚かせてしまったからね。彼女とはどういう関係?」
「婚約者です。」

さっきまでの態度とは打って変わって、自信満々に答えられて舌を打ちそうになる。
子爵令息と男爵令嬢。
よくある話だ。
政略的な婚約なんだろうと信じたい。
目の前に居る少年は確かに僕と同じくらいか少し年上か位の少年だけれども、それでもすらりとした程良い筋肉が付いた身体つきと、雄々しく太めの眉、そして意志の強そうなきつい目元に、すっと通った鼻筋と形の良い唇は今からでも彼が男前になるだろうことを保証している。
それでいてあんなにも堅物なのだから、例え政略結婚だとしてもそこに恋情は無くとも情だけで彼女を受け入れようとするだろう。
でもそれだけだきっと。
大丈夫。

「そう。悪かったね。知らなかったとはいえ、密室で二人きりになってしまって。ミリア嬢も、怖かったろう。」
「………あっ、その、いいえ。大丈夫、です。こちらこそ、とんだご無礼を………」

礼儀がなっていないと分かっていながらも名前で呼べば、可哀想な位に肩が跳ねる。
でも、ごめんね。
僕が名乗らせる暇を与えなかったせいで、君の家名を知らないんだ。
本当はそんなの言い訳以下だと分かっているけれど、僕は改めようと思わなかった。

「ううん、良いよ。あと………」
「はい。」
「ありがとう、質問に答えてくれて。参考にするよ。じゃあ。」

本当はまだ傍に居たかったけれど、これ以上怯えられたくも嫌われたくもなかったから今日のところはこの場を去ろう。
やりたいこともできた。
確か適当に図書館から持ち出した本の中に、デザイン系の本もあった筈。
あと、市井に放られることだけはなんとしても避けなければいけない。
子爵以上伯爵以下が良い。
彼女に僕のドレスを纏ってもらうためには、なるべく早く、僕の価値を高めなければ。
彼女と彼が政略結婚ならばもしかしたら、もしかしたら………

「………なんて。無理だろうけどね。」

思いついた呑気な思考だが、ありえない未来だと嘲笑してしまう。
去勢をされる時点で、僕は伴侶を迎えることができない。
特に貴族の子ならば、絶対無理な話だ。
夢のまた夢。
それでも、いつかあの冒険譚のお姫様のように、僕がデザインしたドレスを纏ってくれたら。
きっと僕は、それだけで生きている意味を見出せるのだろう。
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