人参のグラッセを一個

かかし

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「ちぃちゃんのほっぺが!どうしたのそれ!?」

案の定クタクタになって帰って来た渡邊さんは、あれから腫れが治まったとは言えちょっと変色してしまった俺の頬を見て、挨拶もそこそこに更に死にそうになった。

「殴られたんでしょ?誰がした?この間言ってたクソガキ?殺してやろうか。今からしようそうしよう。」
「ち、違うから。大丈夫だから。」

声をどんどん低くさせて目をギラつかせて殺人宣言をする渡邊さんは、多分本気だなと焦る。
そこまで怒ってくれて嬉しいけれど、濡れ衣で人殺しは良くない。
確かに弟に殴られたのはあのイケメンくんが告げ口したからかもしれないが、それはあくまで推測の域を出ない訳だし、なにより殺人は良くない。

「大丈夫じゃないでしょ、殴られたんだよ!?」
「うん、でも俺は渡邊さんがそうやって怒ってくれるだけで嬉しいから、大丈夫。」

今にも出て行きそうな渡邊さんの手を引いて、ご飯を一緒に食べようと誘う。
今日はお疲れ様な渡邊さんの為に、渡邊さんの大好物な目玉焼き乗せハンバーグなのだ。
目玉焼きを綺麗に焼くのは苦手だけど、今日は上手くできたからアツアツの内に食べて欲しい。

「ちぃちゃん、ちぃちゃん。」
「なぁに?」
「お風呂も一緒に入ろ。」
「人参のグラッセ、ちゃん、と、と全部食べたらね。」

うぇぇと、不満の声が上がる。
おつかいの日のいつもの会話だけど、俺は渡邊さんと一緒にお風呂に入るのは構わないと思ってる。
鍛え抜かれた渡邊さんの身体に比べると貧相な身体だが、渡邊さんが不快に思わないならそれで。
だから人参のグラッセも俺やオーナーの分より少なめに入れているんだけど、よほど苦手らしく毎度一個だけが限界だ。

「俺が嫌いなの知ってるのに、いじわる………ちぃちゃんの奥二重!」
「はいはい。」

前回の鼻ぺちゃよりはダメージの少ない罵倒を受け流す。
奥二重は気に入っているのだ。
体調悪い時にぱっちりお目目になるから、健康バロメーターにもってこい。
まさに瞼。
瞼の中の瞼。
キングオブ瞼なのだ。

「そう言えばちぃちゃん、もう俺の事置いてどこにも行かないんでしょ?」
「だから言い方。」

何故そんな多方面に誤解を招きまくるような発言をするんだ。
けれども渡邊さんはちっとも気にした素振りもなく、ニコニコふわふわと嬉しそうに笑ってる。
俺がここに居ても良いんだと、そう思ってしまいそうな程の良い笑顔。

「ちぃちゃん荷物置いてお着替えしてホテルに行くでしょ?ちぃちゃんのお洋服は全部俺が用意してるから、それ使ってね。今着てるやつはばっちいから棄てて。」
「は?」
「ちぃちゃんがいつ俺の所にお嫁に来ても良いように、俺全部用意したんだ。」

褒めて褒めてと最高の笑顔でハンバーグを食べる渡邊さんだが、ツッコミ所が多過ぎて何から突っ込んで良いのかが分からない。

「お、俺の洋服って………」
「ちぃちゃんの為だけのお洋服。コツコツ集めてたんだよ。ちぃちゃんお泊まりの時もいっつもそのボロギレ着るからお披露目できなかったけど、もう大丈夫だね!下着もちゃんとあるから安心だよ!」

………大丈夫って、何が?
何が安心なんだ?
多い日も安心的な?
わっ!下着たくさんなの?うれしー!とはならんだろ。

「て、てか渡邊さん、嫁って………」
「ちぃちゃんは俺のお嫁さんでしょ?オーナーもちぃちゃんなら大歓迎だよって言ってた!」

え?確定なの?
しかも俺公認ではないけど、オーナー公認ではあるのね。
俺の意見は?と思うけど、渡邊さんがあまりにも嬉しそうなので流されてあげることにする。
でもそうなると疑問に思ったのは、弟の【あの人】が誰なのかという事だ。
ここまでされるとオーナーが言っていた【俺の立場】は渡邊さんの【お気に入りの飼い犬】ではなく、【お嫁さん】なのだろうと自惚れて大丈夫だろう。
これで自惚れです自意識過剰ですってオチならば、俺は軽く発狂してしまうかもしれない。
ならば弟の言ってた【あの人】はオーナーなのか?
弟が、オーナーのパートナーになる………
想像がつかないし、なんか嫌だ。
別にオーナーも俺の傍に居て欲しいってワガママを言うつもりはないけれど、でもオーナーの相手が弟なのが嫌だ。

「渡邊さん………」
「ん?」
「好きです。」

よりよりとお箸でグラッセを皿の端に寄せているのは目を瞑りつつ、思えば一度も言ってなかった言葉を口にする。
グラッセに対して嫌そうに寄せていた眉根がみるみる穏やかになり、やがて今までにない程の眩しい笑顔を見せてくれた。

「俺は愛してるよ、千草」
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