花盗人に罪は無し

かかし

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ただの子爵令息で、平民に混じっていても気付かれないような平凡な見た目をした俺の婚約者は、麗しく次期騎士団長になるのではと名高い年上美丈夫。
値段も地位も見た目も。
圧倒的に釣り合わない俺達はいつ俺が婚約破棄されるのか、そして俺の婚約者様の本命は誰なのかといつも噂の的だった。
そしてその事に気付いていながらも婚約者様は否定も肯定もしないし、夜会はいつもエスコートするだけして放っておくし………本気で嫌われてるんだろうなとちゃんと理解している。
そんなある日俺は目撃してしまった。
まるで月の神のように美しく清楚で美しいと評判な男爵令息と、身を寄せ合って楽しそうに談笑している婚約者様の姿を―――

「(ま、仕方ないよな。)」

分かっていたことだと溜息を吐いて、俺はそっとその場を後にした。
婚約破棄は秒読み。
良かったね、皆。
さぞ楽しいだろう、さぞ盛り上がるだろう。
零れそうな涙は乱暴に拭って、俺は兎に角一人になりたくて仕方なかった。
だって、何だかんだ俺にとっては初恋の人なんだよ。
俺の婚約者である、カナルディア伯爵令息様は。
顔合わせの時から冷たい目しか向けられてないけど、名前を呼ぶことすら許されないけれど、それでも。

「それでも、好きでした………」

過去形にしたのは、ささやかな反抗だ。
どうして俺だけが皆に嘲笑され、蔑まれ、そして愛した人からあんな目で見られなければならないのだろうか?
手が震える。
泣き腫らした顔は格好の醜聞になるから、せめて顔だけでもマシにしたいけど、嗚咽が止まらない。
けれど決めたことがある。
俺が彼の婚約者で居ることも、哀れで無様な子爵令息であることも、今日で最後だ。
彼のことを愛するのも、今日で最後にするべきなんだ。

しゃがみこんで何度かしゃくりあげながらも涙を流せば、気分も次第に落ち着いてくる。
顔に手を当てて涙も熱も引いたのを確認しながら、俺は帰る為に玄関へと歩き出した。
なんとなく、今日が最後になるだろうとは前々から思っていたから存外早く涙は引っ込んだ。
それで良い。
寧ろ予めしていた準備が無駄にならなくて済んだと、そう考えなくてはならない。
アレで足りるのかという不安はあるが………仕方ない。
玄関に着いた俺はグッと拳を握り、歯を食いしばる。

「シルファ!」

さぁ、後ろ指を指されながらも帰ろうじゃないかと気合い入れた瞬間、ホールの方からカナルディア伯爵令息様が俺に声を掛けてきた。
今までになかった光景に、皆が驚いたように振り返りヒソヒソと好奇の目を向ける。
目立ちたくなかったのに、どうして。

「探していたんだ。帰るのか?」
「………ええ。これ以上、私がここに居てもご迷惑でしょうから。」

探していた?
まさか。
たまたま見掛けた俺に声を掛けねば婚約者としての義理を果たせないと思ったから咄嗟に作った言い訳だろう。
本当のことかもしれないと期待出来る程、俺はそこまで単純ではなかった。
そもそも今宵もファーストダンスから放っておかれてる身だぞ、こっちは。

「あの、シルファ。私は………」

珍しく歯切れの悪いカナルディア伯爵令息様の態度に俺はピンと来た。
きっとあの逢瀬を見てしまったことを勘づいたのだろう。
口封じをしようと思っているのかもしれない。
ちょっと優しくすれば、気のせいだと流すだろうと思われているのだろう。
そうでなければ、彼が俺に話しかけてくる筈がないのだ。

「何のために、生きているのでしょうね私は。」

ポロリと、思わず言葉が零れる。
それはここ数日抱えていた疑問で、本日とうとう爆発してしまった俺の感情の一部でもあった。
とはいえそんな事を知らないカナルディア伯爵令息様は、訝しげに首を傾げる。

「シルファ?」
「これから無価値になる私は、無価値なりに動かなくてはならないのです。」

元々両親はいつ俺が婚約破棄されるのかと戦々恐々としていて、この間とうとうイラついていた父から暴力を奮われた。
恥知らずだと、育ててやった恩を仇で返しおってと怒鳴られる中で絶望を抱くよりも先に考えた。
殺される前に、逃げなければいけないと。
このまま婚約破棄なんてされてみろ、殺されるぞと。

「人並みの幸せを願う権利は、誰にだってあります。でもそれは、俺にだってある筈でしょう?」

俺の言葉に何故か困惑の表情を浮かべる彼が頷けば、込み上げてきた感情のせいでじんわりと涙で視界が滲む。
堪えろ。
泣いてしまっては、俺がまるで突然癇癪を起こしているようになるではないか。

「それでは、カナルディア伯爵令息様。今宵も素敵なお時間をありがとうございました。」
「シルファ、今日は共に帰ろう。」

珍しくエスコートしようと伸ばされる手をやんわりと振り払い再び足を動かして、俺は帰りの馬車に一人で乗り込む。
一人で帰るのはいつもの事だ。
最後の夜くらい共に帰りたかったとも思ったけれど、もう何もかもがどうだっていい。
ただほんの少しだけ爪痕を残せればと、俺は馬車のドアを閉める直前、久しぶりに真っ直ぐと彼の瞳を見て言った。

「さようなら。」

面と向かってかける言葉はもうこれが最後。
これから先は、もう違う世界に生きていく。
彼は完全に俺の手の届かない人になるし、俺は彼が近寄りもしない場所の住人になる。
そうしてひっそりと、野垂れ死にするんだろう。
誰もが思い描く、俺自身に似合いの最後だ。

「………いいんですかい?坊ちゃん。」

俺一人だけ乗せた馬車を暫く走らせて、御者が恐る恐ると話し掛けてきた。
彼はこれから先俺が起こす騒動の顛末を知る一人だ。
大事な役目も任せている。
気弱で情けなくて、けれども誰よりも俺を心配してくれる口の固い男。
敵でもなければ味方でもない奴らばかりの屋敷の中で、数少ない俺の味方。

「良いんだよ、これで。」

俺に出来る最後の恩返しだ。
愛する人に送る、最初で最後の愛情の形。
さようなら、愛しい人。
もう二度とお会いすることもないでしょう。



この日、無事に家に辿り着いた筈の子爵令息がひっそりと姿を消した。
発覚したのは翌朝。
令息を起こしに来たメイドが居ないことに気付いたのだ。
がらんとした部屋には服も宝石も何も無く、テーブルの上に今後の指示が書かれた紙だけが残されていた。

『病気療養中として不在は伏せ、二ヶ月程経てば死亡したように装うように。事実、本日この日を以て、シルファ・ジェリフェニエル子爵令息は死を迎えた。慰謝料に関してはテーブルの上に置いたが着服して足りなくなったのであればそれは関与しない。』

慌ただしく、時に怒号が飛び交う屋敷の中で子爵令息と同じく姿を消した者が居ることは誰も気付かない。
何故ならばそれは、先月にキチンと辞職願を出し受理された、昨夜が最後の仕事だった御者なのだから。
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