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27.戸惑い
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耳を愛撫しながら、アーネストは俺の胸元を弄った。上着の下に着込んだシャツのボタンも、片手で器用に外されていく。
シャツが開かれて胸元を晒されると、夏なのにひんやりとした空気が当たるのを感じた。
「レニたん、すっごくいい匂いがする」
アーネストが俺の胸元に顔を落としながら、うっとりとした声色で呟いた。鼻先が当たり、今度は胸にもキスを落とされる。初めての感覚に、肌が粟立った。
「レニたん大好き、俺の全部どーでもよくなるぐらい好き。レニたんが愛してくれるなら、ほんとに犬になっちゃいたいよ。………そうしたら、ずっとレニたんの傍にいられるのに」
さっきまで幸せそうだったアーネストの声が、急に無理矢理絞り出すような苦いものになり、唐突に空気が変わる。戯れのような口付けは半ば噛みくようなものになり、にわかに乱暴になった。
俺は抗議の声を上げようとしたが、それを遮るようにしてアーネストが捲し立てる。
「ずっと大事なもんなんかなんにもなかった。全部どうでもいいから、どんだけプライベート削って勉強させられようが、仕事させられようがなんとも思わなかった。でも、今はいやだ。毎日レニたんに会いたいし、一緒に出掛けたり遊んだりしたい。王太子なんかより、犬の方がずっといい」
「アーネスト」
「離れたくないよ。ずっとこうやってくっついてたい。終わりになんか絶対させない」
俺の胸に縋り付きながら、アーネストは切実な感情をぶつけてくる。身体に与えられる刺激よりも、初めて見せるその激情の方がずっと衝撃的だった。
俺の戸惑いが伝わったのか、アーネストは動きを止めてゆっくりと顔を上げる。その顔は酷く悲しそうで、こいつ泣いちゃうんじゃないかな、と俺は思った。
ふっと体から重みが消え、アーネストは幽鬼みたいにふらふらと立ち上がる。ものすごく顔色が悪い。
「ごめんね、レニたん。やりすぎちゃった」
頭冷やしてくる、とアーネストは俺に背を向けて部屋を出て行く。俺は追い掛けたかったけど、乱れた服に気付いて追い掛けられなかった。
誰からも歓迎されない屋敷で、あいつはどこに行ったんだろうか。
「超バカ犬じゃん……」
ソファに座ったまま、俺は呟く。
飼い主に黙って、どっか行ってんじゃねーよ。
*************
その日、アーネストは晩餐に顔を出さなかった。あんなことの後で顔を合わせるのは気まずかったから、ホッとする気持ちもないわけではなかったけど、それより今どうしているのか心配の方が先立った。
「アーネスト様は、大丈夫なのか?」
伯父上がアーネストの部屋を訪ねたはずの俺にそう訊かれたけど、俺は黙り込んでしまった。
「ステラのことは、引きずってはいなかったと思います」
しばらく考えてからそう言うと、伯父上は「そうか」と短く答えて食事を再開した。俺の顔が浮かない様子だから、部屋で何かしらあったのは察しているだろうが、それ以上追及してはこない。
さほど食欲もわかず、不作法を詫びて俺は晩餐を中座する。皆には心配されたけれど、殊更に明るく振る舞って、そのまま部屋へと戻った。
あれから俺は、ずっと考えていた。あいつが、何であんなことをしたのか。そして、あいつの言葉の意味も。
めちゃくちゃ際どいことはされたけど、途中まではあいつは自分の感情をコントロールできていた。恐らくちゃんと手加減していたし、多分だけど胸に頬ずりするくらいで引き上げるつもりだったんじゃないだろうか。
あからさまにおかしくなったのは、犬になりたいとか言い始めたあたりからだ。
(めちゃくちゃ辛そうだったもんな)
あれが単に自分の性欲を堪えているがためのものだったとは思えない。むしろ、あれを皮切りにアーネストは自分の制御ができなくなった。
多分、俺が不思議に思った通り、ステラが俺に抱きついたり腕に纏わりついたりしたことが、本当は相当不愉快だったんだろう。それでも俺の身内だから、騒ぎ立てずに我慢して気にしていない風を装っていたんだと思う。
いつものあいつの様子から伺うに、かなりのストレスだったに違いない。
それだけじゃなく、ステラは俺がアーネストから離れる決意の後押しをした。あいつはもし俺がその選択をしても帰らない、絶対離れないと言っていたけど、本当は俺から拒絶の答えを出されるのは不安だったのかもしれない。
離れたくない、一緒にいたいとアーネストは言った。
今までアーネストという人間があんなにも強く何かを願うのを、俺は一度も見たことがない。それはあいつが態度を変える前も変えた後も同じことだ。あいつはいつだって、本当の自分を見せない。
俺は、初めて会った頃のアーネストを思い出した。
シャツが開かれて胸元を晒されると、夏なのにひんやりとした空気が当たるのを感じた。
「レニたん、すっごくいい匂いがする」
アーネストが俺の胸元に顔を落としながら、うっとりとした声色で呟いた。鼻先が当たり、今度は胸にもキスを落とされる。初めての感覚に、肌が粟立った。
「レニたん大好き、俺の全部どーでもよくなるぐらい好き。レニたんが愛してくれるなら、ほんとに犬になっちゃいたいよ。………そうしたら、ずっとレニたんの傍にいられるのに」
さっきまで幸せそうだったアーネストの声が、急に無理矢理絞り出すような苦いものになり、唐突に空気が変わる。戯れのような口付けは半ば噛みくようなものになり、にわかに乱暴になった。
俺は抗議の声を上げようとしたが、それを遮るようにしてアーネストが捲し立てる。
「ずっと大事なもんなんかなんにもなかった。全部どうでもいいから、どんだけプライベート削って勉強させられようが、仕事させられようがなんとも思わなかった。でも、今はいやだ。毎日レニたんに会いたいし、一緒に出掛けたり遊んだりしたい。王太子なんかより、犬の方がずっといい」
「アーネスト」
「離れたくないよ。ずっとこうやってくっついてたい。終わりになんか絶対させない」
俺の胸に縋り付きながら、アーネストは切実な感情をぶつけてくる。身体に与えられる刺激よりも、初めて見せるその激情の方がずっと衝撃的だった。
俺の戸惑いが伝わったのか、アーネストは動きを止めてゆっくりと顔を上げる。その顔は酷く悲しそうで、こいつ泣いちゃうんじゃないかな、と俺は思った。
ふっと体から重みが消え、アーネストは幽鬼みたいにふらふらと立ち上がる。ものすごく顔色が悪い。
「ごめんね、レニたん。やりすぎちゃった」
頭冷やしてくる、とアーネストは俺に背を向けて部屋を出て行く。俺は追い掛けたかったけど、乱れた服に気付いて追い掛けられなかった。
誰からも歓迎されない屋敷で、あいつはどこに行ったんだろうか。
「超バカ犬じゃん……」
ソファに座ったまま、俺は呟く。
飼い主に黙って、どっか行ってんじゃねーよ。
*************
その日、アーネストは晩餐に顔を出さなかった。あんなことの後で顔を合わせるのは気まずかったから、ホッとする気持ちもないわけではなかったけど、それより今どうしているのか心配の方が先立った。
「アーネスト様は、大丈夫なのか?」
伯父上がアーネストの部屋を訪ねたはずの俺にそう訊かれたけど、俺は黙り込んでしまった。
「ステラのことは、引きずってはいなかったと思います」
しばらく考えてからそう言うと、伯父上は「そうか」と短く答えて食事を再開した。俺の顔が浮かない様子だから、部屋で何かしらあったのは察しているだろうが、それ以上追及してはこない。
さほど食欲もわかず、不作法を詫びて俺は晩餐を中座する。皆には心配されたけれど、殊更に明るく振る舞って、そのまま部屋へと戻った。
あれから俺は、ずっと考えていた。あいつが、何であんなことをしたのか。そして、あいつの言葉の意味も。
めちゃくちゃ際どいことはされたけど、途中まではあいつは自分の感情をコントロールできていた。恐らくちゃんと手加減していたし、多分だけど胸に頬ずりするくらいで引き上げるつもりだったんじゃないだろうか。
あからさまにおかしくなったのは、犬になりたいとか言い始めたあたりからだ。
(めちゃくちゃ辛そうだったもんな)
あれが単に自分の性欲を堪えているがためのものだったとは思えない。むしろ、あれを皮切りにアーネストは自分の制御ができなくなった。
多分、俺が不思議に思った通り、ステラが俺に抱きついたり腕に纏わりついたりしたことが、本当は相当不愉快だったんだろう。それでも俺の身内だから、騒ぎ立てずに我慢して気にしていない風を装っていたんだと思う。
いつものあいつの様子から伺うに、かなりのストレスだったに違いない。
それだけじゃなく、ステラは俺がアーネストから離れる決意の後押しをした。あいつはもし俺がその選択をしても帰らない、絶対離れないと言っていたけど、本当は俺から拒絶の答えを出されるのは不安だったのかもしれない。
離れたくない、一緒にいたいとアーネストは言った。
今までアーネストという人間があんなにも強く何かを願うのを、俺は一度も見たことがない。それはあいつが態度を変える前も変えた後も同じことだ。あいつはいつだって、本当の自分を見せない。
俺は、初めて会った頃のアーネストを思い出した。
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