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9.公爵令息のピンチ

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「わ、私はちょっと飲み物を買ってきますっ!」

 顔が真っ赤になった俺は、喉の渇きと暑さを覚えて慌てて立ち上がった。
 何より、このままここに居たくない。恥ずかしすぎて死にたい。ふざけんなバカ王太子。もうほんと、ほんと、なにしてくれんだコイツはよ!

「あっ、レニたんちょっと!」

(うっせーバカ、レニたんってゆーな!クソバカ!バカ!ばーか!!!!)

 俺は呼び止める声も聞かず、心の中で罵倒しながら全力疾走した。
 アーネストのアホ。気を抜くとすぐこうだ。俺の想像の斜め上を突っ切って、アイツは俺を困惑させる。
 それなのに学習しない俺もアホだ。嫌いな男にちょっと優しくされて嬉しくなってる自分も情けなくて嫌になる。
 絶対、絶対気の迷いだ。そんなの、わかってるのに。





 ふと気が付くと、広場から結構な距離離れてしまっていた。
 一人になりたい気持ちは変わらないが、そういうわけにもいかない。適当な屋台で飲み物を買って戻らなくては。

「えーと、のみもの、のみもの……」

 キョロキョロしながら飲み物を売っている店を探す。人も屋台もとにかく多くて、なかなかそれらしい屋台が見つからない。

「飲むモンが欲しいのか?だったら、こっちだよ」

 唐突に話し掛けられて顔を向けると、人好きのしそうな男が立っていた。身なりは平民にしては上等な部類で、なかなかに裕福そうなのが伺える。
 俺がちょっぴり警戒しているのがわかったのか、両手を振りながら困ったように苦笑した。

「いや、ずーっと飲み物って呟きながらウロウロしてたからさ。困ってるのかと思って」

 まじか。声に出てたの気付かんかった。めちゃくちゃ恥ずかしいやつだこれ。

「そ、そうだったんだ。すみません、ご親切にどうも」

「謝ることないけど、君一人で来たの?明らかにお忍びって感じだけど」

 完全に見抜かれている。元々町に立寄る予定じゃなかったから、特別服を変えたりしていない。
 俺の好む服装は装飾も少なく地味で着心地重視のものなのだが、ちょっと目の肥えた者なら、素材の上質さにはすぐに気付くだろう。

「連れと共を待たせているんです。飲み物を買って戻らないと」

「それがいい。君みたいに可愛い子が一人でフラフラしていたら危ないからね」

 可愛いとか、身内以外に初めて言われたぞ。最近はアイツもよく言ってくるけど、何をするにも大興奮で連発されるので、本気かどうかわからなくなってきた。アレはもしかしてバカにしてる?

「これでも男ですよ。まだ明るいし、危なくはないでしょう」

「そんなことないさ。油断すると悪いやつらは何をしてくるかわからないからね」

 そういうものですか、と言おうとした瞬間、後ろからいきなり口を塞がれた。
 すごい力で布を押し付けられ、碌に声も出せないまま路地裏に引きずられそうになる。

「どうしたんだい?気分でも悪くなった?大変だ」

 俺に話しかけてきた男は、後ろの男が何をしているのか周囲に悟られないよう、俺の前に立って視界を遮っている。
 いつの間にか細い通りに誘導されていたことにも今気づいた。こいつら、めちゃくちゃ慣れてる。
 力の限り抗おうとしたけど、体格のいい男二人には全く歯が立たなくて、じりじりと路地の奥に連れて行かれる。このままじゃマジでやばい。

(やばいやばいやばい、誰か気付いて!!!)

 引きずられながら、俺はパニックに襲われた。広場や通りにはあんなに沢山人がいたのに、少し道を外れたら酷く静かで、喧噪も遠く聞こえる。助けを求められそうな人間など、見当たらなかった。

(俺、どうなる?このまま売られる?殺される?)

 恐怖のあまり、涙が滲む。こんなとこで終わりとか、俺の人生虚しすぎだろ。
 ほんとにいいことなんか何にもなかった。これから、幸せになるはずだったのに。

(全部アイツのせいだ。何が俺を守るだ、この大ウソつき。幸せにするとか、大嘘じゃん。ほんと、最低)

 自分で勝手にアーネストを置き去りにしてきたことを棚に上げて、俺は心の中で思い切り罵る。
 そして、ちょっと、ほんのちょっとだけ、アイツを当てにしてた自分に気付いて悲しくなった。

(バカ、バカ。アーネストのアホ)

 遂にどこかの家屋に引きずり込まれそうになった時、凄い勢いで路地を駆けてくる人影があった。 


「レニたん!!!!!!!」


 数瞬の後、俺の口を塞いでいた男から力が抜け、俺は自由になる。
 情けない話だが、俺は恐怖と緊張で足がガクガクで、ぺたりと地面にへたりこんでしまった。

「なんだてめぇ、兄貴になにしやが―――」

「死ね」

 俺は地面に座ったまま、アーネストがナイフを振るうのを見上げていた。
 腰に剣は挿していないと思っていたのに、ちゃんとそういうの持ってたんだ、なんてどこか他人事のように思う。
 暴漢を見るアーネストの目は、怒りを通り越して光がなくなっていて、どっぷりとした闇を思わせた。
 それ以上一言も相手に発させることもなく、アーネストはあまりにもあっさりと、躊躇いなく二人を殺した。

「大丈夫だった?レニ。怪我は?なんもされてない?」

「………ない。口塞がれて、ひきずられただけ。なんも、ない。だいじょ―――」

 大丈夫、と言おうとしたのに、涙がこぼれた。全部自業自得だし、みっともないから泣き止まなきゃいけないと思ったけど、涙腺がコントロールできない。
 そんな俺を、アーネストは優しく抱きしめてくる。最近、こんなのばっかりだ。今まで、触れ合いなんてイヤイヤエスコートの時に手を握るとか、ダンスの時に肩に触れられるぐらいだったのに。それも全部、手袋越し。
 こんな風に、アーネストの匂いやぬくもりを感じることなんてなかった。

「ごめんねレニ、怖い思いさせたね。遅くなったね」

「お、そいっ、バカ、アーネストのアホ」

「うん、バカでごめん。全部俺が悪い。俺、ちゃんと間に合った?」

 コクコクと俺は頷く。アーネストはホッと安堵の溜息を吐いて、俺を地面から抱え上げた。
 大事そうにお姫様だっこされて、顔中に小さなキスをいっぱい降らされる。
 キスしていいなんて一言も言ってないけど、今は羞恥より怒りより安堵の方が大きかった。

(守ってくれるって約束、うそじゃなかったな……)

 俺はそのままアーネストに抱っこされながら護衛の元に戻り、俺を探してくれた護衛にもめちゃくちゃ心配された。本当に申し訳ない。
 舟遊びはまた今度ということになって、俺達は馬車に戻り、また穏やかな旅へと戻った。

 馬車の中でもアーネストの膝の上に乗せられていることや、アイツがしれっと二人葬ったことなどを思いだして俺が慄くのは、もう少し後のことになる。



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