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後日談
街でミルクを……
しおりを挟むカノンの就寝は早い。
夕飯を食べてお腹いっぱいになったらすぐにうとうとしはじめて、それから十分もしない内に寝てしまう。赤ん坊の頃から寝付きがよくて、カルナとシュラトは夜泣きに苦しめられた経験がほとんどなかった。
ベッドの上ですやすやと眠るカノンを寝室に残して、カルナはそっとリビングへと向かう。
椅子に座って剣の手入れをしていたらしいシュラトが顔を上げ、意外そうな表情でカルナを見た。
「もう寝たのか?」
「はい。ベッドに入って五秒後には」
顔を見合わせて、ふたりは小さく笑った。
それからカルナはふたり分のホットミルクを淹れ、シュラトの向かいの席に腰を下ろす。
「どうぞ」
「ありがとう」
剣の手入れを終えたらしいシュラトはカルナからホットミルクを受け取り、一口飲んだ。
ミルクで濡れた唇をぺろりと舐め、目をうっとりと細めて笑う。
「やっぱりあなたのミルクが一番美味い」
「そうですかね……」
苦笑いしながら、カルナも自身のホットミルクに口を付ける。
確かに、甘くて、濃厚で、美味い。
しかし、それは普通の牛乳と比べたらの話で、他の牛獣人のミルクの味も正直こんなものだ。
──でも、シュラト様も、カノンも、他の牛獣人のミルクより美味しいって言うんだよな……。
以前、友人の牛獣人であるジェシカから瓶入りのミルクを買ったことがあるが、シュラトとカノンにはカルナのミルクではないとすぐに気付かれた。
カルナが飲んでも味の違いなどわからなかったが、ふたりは「これじゃない!」と口々に文句を言って、結局カルナの搾ったミルクを飲んでいた。長年飲んでいるから、舌が味を覚えてしまっているのかもしれない。
──いや、でも俺の方が自分のミルクを飲んでる期間は長いはずなんだけどな……。
そんなことを思いながら再度ミルクを口に含み、舌の上で転がしてから飲み込む。
そこまでしても、やはりジェシカのミルクとの違いはわからなかった。
──ま、喜んでくれてるからいいか。
まずいと言われるよりはましだ。
それに、ミルクを他人に飲まれることに対する羞恥心も、シュラトと結婚してからは格段に減っていた。昔よりも人付き合いが増え、自身のミルクを振る舞うことが何度かあったからだ。
……それでも、シュラトに胸から直接飲まれるのはいまだに恥ずかしいが。
「カノンも随分大きくなったな」
ふたりでまったりとしている最中、ふいにシュラトがそんなことを言った。
それに対しカルナも「そうですね」とにこやかに頷く。
「抱っこすると結構重いんですよね。身長も伸びてますし……」
「寝る子はよく育つ、って言うからな」
「そうかもしれません」
そこで、一度会話が途切れる。
再び心地よい沈黙が訪れた……かと思いきや──
「……あの子にも、自分だけの部屋があった方がいいと思わないか?」
「え?」
さほど前触れもなくシュラトから尋ねられた言葉に、カルナはゆっくりと目を瞬かせた。
「えっと……カノンに子ども部屋を用意してあげるってことですか? 確かにあの子は女の子ですし、部屋を分けても良いとは思いますけど、でも……」
言葉を濁し、カルナは室内をぐるりと見回す。
カルナが幼い頃から住んできたこの家は、正直かなり狭い。カノンに自分の部屋を与えたいのは山々だが、そんなスペースはなかった。
「引っ越すってことですか?」
「いや、あなたがこの家を好きなのはわかってる。カノンも森での生活を気に入っているようだし、俺も引っ越したいとは思ってない」
「じゃあ、どうやって?」
「引っ越しじゃなくて、この家を増築したら良い。リビングも広くなるし、カノンの子ども部屋も作れる」
「増築……」
言葉自体はカルナも聞いたことがあった。
改築とは違い、すでにある建物に付け加えるように新しい部屋を建築する……ということだったと思う。
「……家は壊さないってことですよね?」
「なるべくそうしたいとは思っているが、少なくとも一部の壁は壊すことになるだろうな……」
「まあ、元の家が残るなら別に……」
両親と暮らしていた家を取り壊してしまうくらいなら引っ越す方が良いと思ったが、そういうことなら増築も悪くない。
……とはいえ、今すぐには難しいが。
「じゃあ、お金を貯めなきゃいけませんね」
「ああ。まあなんとかなるだろう」
シュラトはあっけらかんと言う。騎士という高給取り故の余裕だ。
──でも、たぶん結構な大金が必要だよな。増築してる間は別の仮住まいも探さなきゃいけないだろうし……カノンが五歳になったら学校にも通わせてあげたいから、今そのお金も貯めてるところなんだよなぁ……。
改めて考えると、お金の余裕はあるようでない。カルナも木こりとして働いてはいるが、カノンの子守りをしながらなので昔よりは全然稼げてはいなかった。
「……あ」
ふと、カルナはあることを思い付く。いや、街に下りたときによく会話をする友人ジェシカのことを思い出したのだ。
もっと正確にいうなら、同じ牛獣人である彼女の仕事のことを。
「……俺も、ジェシカさんみたいに自分のミルクを街で──」
「ダメだ」
言い終わる前に、カルナの提案はばっさりと切り捨てられた。
おまけになぜだか部屋の気温がぐんと下がった気がして、カルナはぶるりと身を震わせる。
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