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「ほら、たくさん作ったから食べて食べて! 禄君はなにか食べられないものとかある? 大丈夫? あっ、秋也っ、ルート君のグラス空になってるじゃない!」
一月某日。
久しぶりに帰省した実家は、いつも以上に騒がしかった。とはいえ、はしゃいでいるのは母ひとりといっても過言ではないが。
──やっぱこうなるよな……
光秋は死んだ魚の目をしてビールをちびちびと飲む。
向かいの席に腰掛ける秋也が自分とまったく同じ目をしていることと、母に構われている禄とルートがさほど困ってなさそうなのがまだ救いだ。
「光秋はなかなか彼氏ができないから心配してたんだけど、こんなかっこいい男の子連れて帰ってくるなんてびっくりだわ~! しかもパン屋さんなんでしょう? 素敵ねぇ~」
「いえいえ、実家を手伝ってるだけですよ」
「ご両親も禄君みたいなしっかりした息子さんがいて鼻が高いでしょうねぇ」
──か、母さんっ、頼むからやめてくれ……!
禄がにこやかに母と話している横で、光秋はハラハラしていた。
光秋は禄が少し前まで実家と疎遠だったことや、今もお父さんとよく喧嘩をしながら働いていることを知っている。なので、これ以上根掘り葉掘り禄に家のことを聞くのは勘弁してほしかった。
「か、母さんも喋ってばっかいないで鍋食べたら? 早く取らないとなくなっちゃうよ?」
「あら、大丈夫よ! まだ冷蔵庫にお肉も蟹もたっぷりあるんだから!」
「そ、そうなんだ……ははっ……」
見事に撃沈した光秋は空笑いをする。
向かいの秋也からは『なにやってんだか』とでも言いたげな呆れた表情を向けられた。
ウキウキとした様子で蟹の身を解している父も、助け舟を出してくれそうな気配はない。というか酔っ払ってご機嫌なので、いつ母の加勢に回るか心配なくらいだ。
「光秋と禄君は、休みの日にどこかへ出掛けたりするの?」
「べっ、別にそんなのどうでもいいだろ……」
「なによ、少しくらい教えてくれたっていいじゃない! 秋也とルート君はこの前一緒にキャンプに行ったって教えてくれたわよ」
──そんなこと言われたってさ……
弟カップルと比べられると、なんだか気まずいものがある。
光秋が口ごもっていると、禄が代わりに答えてくれた。
「俺の仕事のせいであまり休みが合わないので、休みが合った日はどっちかの家でゆっくり過ごすことが多いですかね。一緒にご飯とか、おやつとか作ったり」
「あらぁ~、いいわねぇ」
禄の言う通り、サラリーマンの光秋と違って禄は土日も基本的には仕事なので、休みが合うことはあまりない。
だが、なるべく互いの家を行き来して同じ時間をともに過ごすようにしているので、さほどさみしくはなかった。
そもそも少し前には三ヶ月も会えない時期があったし、その前だって月に二、三回しか会えない関係だったのだ。
あの日々を思えば、会おうと思えばいつでも会える今の生活は天国みたいなものだった。
「この前はふたりで一緒にドーナツ作ったんだよね」
「う、うん……!」
光秋は微かに頬を赤らめて頷く。
他人からしたら『たかがドーナツ』だろうが、光秋にとってはまだリョクの客だった頃に約束していた念願のドーナツだ。
その日できあがったドーナツは、すごく美味しかった。さくさくのふわふわで、光秋が今まで食べたドーナツの中で間違いなく一番美味しいドーナツだ。
思い出に浸る光秋の顔が自然とにやける。
すると、それまであまり喋っていなかった父が、恵比寿様のような満面の笑みを浮かべて言った。
「いいひとに出会えてよかったな、光秋。大切にするんだぞ」
「……うん」
光秋はめずらしい父の言葉に頷いて、頬の熱さを誤魔化すようにビールを飲んだ。
それを見た向かいの秋也は、吹き出すように小さく笑っていた。
「禄君、今日は本当にごめんね。うちの母さん、はしゃぐと暴走しちゃうから……」
車の助手席に乗り込んだ瞬間、光秋は禄におずおずと謝罪した。
ルートがはじめて実家に顔を見せたときもすごかったので多少は予想できていたが、それにしても今日は酷かった。
──禄君に嫌な思いさせてたらどうしよう……
せっかく付き合えたのに、もしこんなことで振られたら悲しいどころではすまない。
光秋が今にも泣きそうな情けない顔をしていると、運転席に座った禄はぱちりと目を瞬かせた。そして、おかしそうに小さく笑う。
「なんで謝るの? すごく楽しかったし、ご両親に紹介してもらえてうれしかったよ。あと、ご飯も美味しかった」
「ほ、ほんとに?」
「うん。ああいうの初めてだから少し緊張はしたけどね」
嘘をついているような様子はなかった。
光秋はホッと胸を撫で下ろす。
そうこうしているうちに禄は車のエンジンをかけて、ゆっくりと車を発進させた。
「ねぇ、今日泊まって行ってもいい? 明日の仕事午後からだから」
「うん。お昼一緒に食べられそう?」
「それは時間的にちょっときついかな……」
「そっか」
禄は今実家暮らしをしており、そこは光秋の家からだいぶ離れている。
時間の合わなさも問題だが、この移動距離の長さもふたりの逢瀬を邪魔する難敵のひとつだ。
とはいえ、これに関しては現状どうすることもできそうになかった。
光秋がリョクの家の近くに引っ越すという手もあるが、付き合ったばかりでそんなことをするのは重いと思われそうで少し怖かった。
──もっと一緒にいたいけど、これ以上望むのは贅沢だよなぁ……今傍にいられるだけですごく幸せだし。
光秋がそう自分を納得させようとしたそのとき、隣からふいに「あのさ」と声をかけられる。
普段よりもその声が強張っていたような気がして、光秋は禄の方へと顔を向けた。
「なに?」
「……みっちゃんがよかったら、どっかに家借りて一緒に住まない?」
「…………えっ!?」
予想外の申し出に、光秋は目を見開いた。
運転する禄は前をじっと見つめたまま、硬い表情で言葉を続ける。
「今って一緒にいられる時間があんまり多くないでしょ? 俺は朝早いときが多くて時間が不規則だし、休みも合わないから仕方ないんだけど」
「う、うん……」
「たぶん、一緒に暮らしてても時間のすれ違いはあると思う。でも、俺はみっちゃんと同じ家で寝起きできたら気持ち的にすごくうれしいっていうか、ちょっとでも時間を共有したいっていうか……まあ俺のわがままなんだけど」
禄は決まり悪そうに口をつぐんだ。
光秋はあわてて首をぶんぶんと横に振る。
「そんなことないよ! 俺も、引越し費用が貯まったら禄君の家の近くに引っ越したいな、って勝手に考えてたし」
「……それ本当?」
「うん……付き合いはじめたばっかなのに重いと思われそうで言わなかったけど」
光秋の言葉を聞いた禄がおかしそうに笑い声を上げる。
「だったら、付き合いはじめたばっかで同棲持ちかけてる俺の方がずっと重いじゃん」
「俺たちって意外に結構似てるのかもね」
茶化すように言ったあと、光秋は小さく笑いながら言葉を続ける。
「じゃあ、良さそうな物件探さなきゃね。その間に俺はがんばって引越し費用貯めるよ」
「いや、それは俺が出すよ。貯金も、みっちゃんが受け取ってくれなかったお金もあるし」
──俺が受け取ってくれなかったお金って……ああ、あれのことかぁ……
光秋は眉を下げ、困惑したように口を開く。
「受け取らなかったっていうか、だってあれは禄君が働いて稼いだお金だし……付き合いだしたからって、お客さんだったときに払ったお金を返してもらうなんて変だよ……」
付き合いだしてすぐの頃、光秋は禄から謎の茶封筒を渡されたことがあった。
その中に入っていたのは一万円札の束で、驚く光秋に対して禄は『今まで払ってもらった分のお金を返す』と言い出したのだ。
そこから、茶封筒を受け取らせようとする禄と、茶封筒を突き返す光秋の長い押し問答がはじまった。
そのときは光秋の必死の説得の末、お金は禄の手元に残ることとなった……が、別に禄を納得させられたわけではない。
光秋が頑なだったから、禄が渋々折れてくれただけだ。
またあの押し問答がはじまるのか……と光秋は遠い目をした。
けれど、さすがに禄もそんな気はないらしい。
禄はあっけらかんとした表情で言う。
「うん。みっちゃんの言う通り俺のお金だから、俺の好きに使わせてもらうことにした。俺がみっちゃんと暮らしたいから、引越し費用とか初期費用とかは俺のそのお金使うことにする。それはいいでしょ?」
「自分の引越し費用くらいは自分で……」
「それだと時間かかっちゃうじゃん。みっちゃん俺のせいでお金ないんだから」
「うっ……」
そこを指摘されると言い返せない。
リョクの誕生日をともに過ごすために貯めていたお金を残しておけば余裕もあっただろうが、リョクが店を辞めたショックとストレスで光秋はそのお金を空白の三ヶ月の間に使い切ってしまった。
もうリョクに会えないのにリョクのために貯めたお金がずっと手元にあるのがつらかった……という理由も少しはある。
どんな理由があれ、今となっては後悔しかないが。
光秋が口をもごもごとさせているうちに、赤信号で車が停止した。
禄は光秋の方に顔を向けて、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「なんでもかんでも俺が出すって言ってるわけじゃないよ。みっちゃんは真面目だから、全部俺に払ってもらうとか嫌なのわかってるし。家賃とか生活費とかは折半で、引越し費用とかだけ俺が出したいの。ダメ?」
「ダメではないけど……」
「じゃあ、決まりね。たまには俺に甘えてよ。いつも俺の方が甘やかしてもらってるんだから」
柔らかく笑った禄は、膝の上に置いてあった光秋の手に触れ、手遊びするように指を絡めてきた。
ぴくりと強張った指先からじわりと熱が生まれて、光秋は頬を赤らめる。
「ろ、ろく君……」
「……キスしていい?」
「い、今は運転中でしょ!」
光秋が叫んだ瞬間、後ろから軽くクラクションが鳴らされた。
気付けば信号は青に変わっており、舌打ちした禄は再びハンドルを握る。
車が動き出してもまだ光秋の心臓は少しドキドキしていた。
手に触れられるだけで舞い上がってしまうのに、同じ家で一緒に暮らしはじめたらいったい自分はどうなってしまうのだろう──光秋は隣の禄の横顔をちらりと見つめる。
禄の美しい横顔はきらびやかな夜の明かりにも負けないくらい眩しくて、光秋は見惚れるように目を細めた。
「なに?」
「……禄君がかっこよくて、見とれてた」
「ふふ、ありがとう。みっちゃんもすごくかわいいよ」
「か、かわいくなんてないよ……」
「俺にとってはかわいいの。彼氏の俺が言うんだから間違いないでしょ」
赤くなった光秋を横目に、禄は幸せそうに微笑む。
その耳には、光秋が贈ったブラックダイヤモンドのピアスがきらきらと輝いていた。
(終)
これで完結になります!
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