9 / 40
9
しおりを挟む◇◇◇
「っ~~なんで『もっと恋人コース』で予約してねぇんだよっ、あいつは!!」
思わず手元のスマートフォンを投げ出しそうになるのを堪えながら、リョクはその場で地団駄を踏んだ。
すると、離れた席で本を読んでいた同僚のミナトがこちらを振り返り、うざったそうに顔をしかめる。
「うるさいんだけど。ここお前だけの控え室じゃないから、騒ぐなら出てけよ」
「うっせぇなぁ。ちょっとでかい声出しただけだろうが。いちいち小言言ってくんなよ」
毒づきながら、リョクはソファに勢いよく腰を下ろす。
ギシっと嫌な音がしたが、気にはしない。どうせ店の備品だ。壊れたところでリョクの知ったことではなかった。
──……この俺が自分から営業持ちかけて、タダであそこまでしてやったっていうのに、いったいどういう神経してんだよ!?
リョクは目の前の菓子置きに置かれていた煎餅を掴み取り、ばりぼりと貪る。
どうしようもなくイライラしていた。
理由は他でもない、最近新しくリョクを指名するようになった『みっちゃん』のせいだ。
出会いは二ヶ月ほど前。みっちゃんの家で初めて会ったときは、かなりの好印象だった。
若くて、顔もかっこよくて、体もほどよく筋肉質なエロい感じで。話すと男慣れしていない、奥手なひとなんだということもすぐにわかって、そういうところもリョクにとっては至極好ましかった。
この手のタイプの客はキャストにとって『アタリ』……言い換えれば『カモ』である。
恋愛慣れしていない客は、比較的キャストにのめり込みやすい。それゆえに後々地雷客に進化する可能性ももちろんあるが、そのときは客を出禁にするなりこちらが飛ぶなりすれば良いのだ。もしものことなどそう深く考える必要もない。
先日、六回目のデートでみっちゃんに『もっと恋人コース』の営業を持ちかけた。
見た目も中身もタイプだし、ああいう経験のない相手は性技で落とした方が楽だからだ。
正直、リョクはみっちゃんが絶対話に乗ってくると思っていた。今まで断ってきた客はいないし、そもそもセックスに興味のない人間がわざわざ風俗店を利用するわけがない。ただデートがしたいだけなら、サービス業としてやっているレンタル彼氏専門の店を利用すればいいのだから。
……けれども、『もっと恋人コース』をリョクが持ちかけたときのみっちゃんの反応は微妙だった。困ったような顔をして、しまいにはまた『練習』だからと、遠慮がちにリョクの申し出を断ってきた。
リョクにとって、ここ数年で一番の屈辱である。
──いやでも、結果的には断られたわけじゃねぇよな……?
初回無料サービスだとかむちゃくちゃなことを言って押し切り、結局キスと軽い愛撫はみっちゃんも許してくれた。
……とはいえ、かなり強引だったのは否めない。説得というより脅しに近かった。接客中は猫をかぶっているリョクにとって、実はめずらしいことである。
──『練習』って言われると、なんか無性にイラつくんだよな……
別に悪いことではない。客がどういう理由でリョクを指名しようと、それは客の自由だ。
しかし、みっちゃんはリョクの向こうにまだ見ぬ誰かの幻を見ていて、いつかはその誰かと本当の恋人になるのだと──自分はそのための謂わば踏み台なのだと思うと、カッと頭に血がのぼってしまう。
リョクがこの店で働き出してから、来月でちょうど一年。
なんだかんだで長く働けている。自分でいうのもなんだが、かなりの売れっ子だ。ほとんどレンタル彼氏の仕事しかしていないが、それでもそこいらのサラリーマンの何倍も稼げている。
前は別のウリ専の店で働いていたが、今の店の方が待遇がいいので引き抜かれる形でここに来た。
この店はなんといっても、性サービスを提供する客をキャスト側が選べるのが最高に良い。店長が元キャストなので、風俗業でも働きやすい職場を目指して色々と試行錯誤しているのだという。
いくら金のためとはいえ、不快な相手とセックスすることが苦痛だったリョクにとって、今の店からのスカウトは渡りに船だった。
本性を隠してにこにこと笑っているだけで金を稼げるこの仕事は、顔の良いリョクにとって天職だ。
ちょっと優しくして、甘い言葉を囁くだけで、客はみんなリョクのことを好きになる。扱いにくい客や面倒くさい客も多いが、結局のところみんなリョクに嫌われることを恐れているので、力関係は常にリョクの方が上だった。
この店の客は、性欲処理を目的として店を利用しているわけではない。彼らが求めるのは、いわゆる疑似恋愛だ。
そんなものにハマって大金を貢ぐ客というのは、どこかしらで寂しさを抱えている人間が多い。
最初から破綻している関係に依存して金と時間を使っても、得られるものは未来の後悔と喪失感だけ。それがわかっているのにやめられないのは、現実がどうしようもなく息苦しいからなのだろうか。
正直リョクは、どいつもこいつもバカばっかだなぁ、と思っている。
同業者の中には自分を売り物にして客から金を巻き上げることに対して、自己嫌悪や罪悪感に襲われて夜の世界から足を洗う人間も時々いる。
しかし、リョクにそんな感情は一切なかった。
むしろ、他の夜職のように言葉巧みに客を風俗に落としたり、借金をさせたり、月に何百万、何千万と貢がせたりしない分、客たちには感謝してほしいくらいだ。
リョクがいなくなったところで、彼らは依存先のターゲットを変えるだけ。なにかに依存していないと生きていけない人間というのは、きっとそういう破滅的な生き方しかできないのだろう。
バカで、かわいそうで、有り難い。
リョクにとって自分に貢ぐ客とはそういう存在だ。
……けれども、みっちゃんは今までの客とはどこか少し違う気がした。
具体的にどこが、と問われると、リョクもうまく答えられないが。
172
お気に入りに追加
247
あなたにおすすめの小説
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
ナイトプールが出会いの場だと知らずに友達に連れてこられた地味な大学生がド派手な美しい男にナンパされて口説かれる話
ゆなな
BL
高級ホテルのナイトプールが出会いの場だと知らずに大学の友達に連れて来れられた平凡な大学生海斗。
海斗はその場で自分が浮いていることに気が付き帰ろうとしたが、見たことがないくらい美しい男に声を掛けられる。
夏の夜のプールで甘くかき口説かれた海斗は、これが美しい男の一夜の気まぐれだとわかっていても夢中にならずにはいられなかった。
ホテルに宿泊していた男に流れるように部屋に連れ込まれた海斗。
翌朝逃げるようにホテルの部屋を出た海斗はようやく男の驚くべき正体に気が付き、目を瞠った……
罰ゲームでパパ活したら美丈夫が釣れました
田中 乃那加
BL
エロです
考えるな、感じるんだ
罰ゲームでパパ活垢つくってオッサン引っ掛けようとしたら、めちゃくちゃイケメンでどこか浮世離れした美丈夫(オッサン)来ちゃった!?
あの手この手で気がつけば――。
美丈夫×男子高校生
のアホエロ
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる