遠のくほどに、愛を知る

リツカ

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後日談など

初恋と罪と愛と 7

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「……やっぱりジャケットは黒がいい。カフスも昨年カタリナから贈られた物にしてくれ。あと髪も──」
「坊ちゃん、パーティーに参加するわけじゃないんですから、そんなに気を張らなくても」
「べ、別に気を張ってるわけじゃない……」
「ええ、ええ。リンダはわかっておりますよ。ですが、もう約束のお時間です。身だしなみに気を遣う男性より、ちゃんと時間を守る男性の方がきっとヴィンセント様はお好きですよ」

 侍女のリンダに窘められ、クロードは再び着替えようとする手を止めた。時計に目をやると、確かに約束の時間が迫っている。

「……もうこれでいいか」
「心配いりませんよ。良い男はどんな装いでも良い男ですから」

 ああでもないこうでもないと何度も服を選び直したが、結局は普段と同じような格好になった。いや、やたらと華美な服は避けたので、これが正解といえば正解なのだろう。ヴィンセントは派手な装いを好まない。




 ヴィンセントから茶会に招かれたのは、結婚から一年経ったよく晴れた日のことだった。
 実のところ、『茶会』と呼ぶほど大袈裟なものではない。招かれたのはクロードだけで、ただ夫婦ふたりで軽い雑談をしながらお茶を飲む──そんな時間がヴィンセントは欲しかったのだと思う。

 しかし、そんな誘いがクロードはうれしかった。うれしくてたまらなかった。
 ヴィンセントがクロードを部屋に招いてくれたこと自体、クロードにとっては奇跡のような出来事だ。

 そして、お茶会の時間──
 ヴィンセントが出迎えてくれてうれしかった。クロードの好きな銘柄の紅茶を淹れてくれて愛おしかった。後継ぎはクロードの血を引いた子が良いのではないかと言ってくれて、月に一度の閨事の回数を改善できるのではないかと期待した。
 しかし──……



「第二夫人を娶ってはいかがですか?」



 天国から地獄に突き落とされるのは簡単だ。いや、いつだってヴィンセントだけがクロードの心を掻き乱し、傷付ける。

 酷い男だと思う。
 自分のことも、ヴィンセントのことも。

 それでも、愛している。愛されたい。
 だからこそ、こんなにもヴィンセントが憎らしく、自分自身のことが情けなくてたまらない。

『クロード、約束して。あなただけは絶対にイリスの樹に祈らないで。たとえどんなに叶えたい願いがあっても』

 姉の言葉を、約束を、忘れたことなんてなかった。
 けれど、約束なんてなんの意味があるというのだろう。
 ジーナはクロードとの約束を守らなかった。
 愚かで臆病なクロードをこの世に残して、ひとりで天に召された。




 あの日のことはあまり覚えていない。
 とにかく、もう死にたいと思った。死んでもいいと思った。
 もともと死ぬはずだったんだから、今死んだって良いはずだ。いや、今生きてることが間違いなのかもしれない。

 ぐちゃぐちゃになった思考のまま、クロードの足はまっすぐに庭園の端へと向かっていた。ジーナが死んだ、あの薄気味悪い木の元に。




 白い葉をつけて佇むその白い木はやはり不気味だった。
 しかし、今となってはそんなことはどうでもいい。クロードは影になった木の根本に歩み寄り、真上を見上げる。

 どうせ死ぬなら、最後にヴィンセントに愛されたい。一時でいい。一瞬でいい。嘘でも幻でもいい。

「──……ヴィンセントに愛されたい」

 引きつった声でクロードが呟いた瞬間、ばさりと鳥の羽音が聞こえた。
 クロードが音の方へ視線をやると、白い鳥がイリスの樹の枝からじっとクロードを見下ろしている。

 その白い鳥と目があった瞬間──ぐにゃりとクロードの視界が歪んだ。いや、もしかすると歪んだのは鳥の姿だけだったのかもしれない。
 鳥の嘴の端が大きく裂け、まるで笑ったように見えた。その姿はすでに鳥などではなく、物語に出てくる異形そのものだった。

 悲鳴を飲み込んだクロードが一歩たじろぐと、そのままぐらりと足元が崩れ、クロードの体が泥の沼のような闇の中に落ちていく。
 さっきまで屋敷の庭園にいたはずだ。クロードが生まれ育った屋敷の庭園に。

 なのに、ここはどこだ。
 これはなんだ。

「っ……ヴィンセント」

 闇に飲み込まれる寸前、クロードの口からは愛しい妻の名前がこぼれ落ちた。
 直後、視界が真っ黒ななにかに覆い尽くされ、同時にクロードの意識はぷつりと途切れた。
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